アメリカ合衆国オレゴン州ポートランド。市民の手によるまちづくりや、多様性のまちとして知られ、移住者があとを絶たず、今や“世界で一番住みたいまち”とも言われるほど、注目を集めています。
そんなまちで、子どもたちはどのような毎日を送っているのでしょうか?
子どものとなりにいる大人のあり方は?
ふと浮かんだ問いを片手に、今年6月、私が訪れたのは、「Mother Earth School(マザーアーススクール)」。ポートランドにある豊かな自然環境、そしてパーマカルチャー農園をフィールドに活動する、森のようちえんスタイルの子どもの育ちの場です。
今回は、そこで行われている保育・教育を体感すべく、3歳の娘を連れて、「フィールド・トリップ in ポートランド」に参加してきました。
恥ずかしながら、英語ができない私。でも、快く通訳を引き受けてくれた友人たちを介して、「Mother Earth School」で子どもに寄り添う人々から聞いた言葉、そしてそのあり方を、みなさんと共有したいと思います。
さあ一緒に、ポートランドの森へと足を踏み入れてみましょう。
フィールドはパーマカルチャー農園と豊かな森
ポートランドの中心部からバスで30分ほど。交通量の多い通りのすぐ脇にある小道を下って行くと、豊かな生態系が息づく森が現れます。そして、坂を下りきった先に見えてくるのは、なんとも神秘的な雰囲気を醸し出すパーマカルチャー農園。
「Mother Earth School」は、このコミュニティ農園「Jean’s Farm(ジーンズ・ファーム)」をフィールドに活動している森のようちえん&アウトドアスクール(対象年齢は、日本における年少〜小学校3年生まで)です。
まずは「Mother Earth School」で約5年間先生を勤め、現在はJean’s Farmの管理を行っているマット・ビボウさんに、自然豊かなフィールドを案内していただきました。
ポートランドのパーマカルチャーの実践リーダーであり、IPEC(子どものためのパーマカルチャー教育の学校)のCEOでもあるマット・ビボウさん
Jean’s Farmには、パーマカルチャー農園を中心に、アウトドアキッチンや子どもたちが屋内活動をするためのヤート(円形の小屋)が、自然のなかに溶け込むように存在しています。
農園には、豊かに実ったインゲン、スナップエンドウなどの野菜のほか、ゴールドベリー、チェリーなどの果物がたくさんの実をつけています。子どもたちはもちろん、大人もその場でパクリ。自然の恵みを体いっぱいに感じる瞬間です。
畑のすぐ隣にあるキッチンで真っ先に目を惹くのは、大きなコブオーブン。土、砂、水、ワラなど、すべて自然の素材を使い、Jean’s Farmコミュニティの人たちの手によってつくられたものなのだとか。
子どもたちのおやつは、薪を焚き、このオーブンでつくられます。この日は野菜たっぷりのピザを焼いてその場で食べるという贅沢を堪能させていただきました。
キッチンの奥には鶏の小屋も。産みたての卵を手にとった子どもたちは、「あったかい!」と、大はしゃぎ。すぐその場で、スクランブルエッグにして美味しくいただきました。
お腹も満たされたところで、少し足を延ばして、子どもたちが毎日駆けまわっている森の中へ。ポートランドという都市に、これほどまで豊かな自然環境が残っていることに、まず驚きを隠せません。小川が流れ、鳥や虫たちの他、鹿やコヨーテ、狸も生息する豊かな森へと、ゆっくりと足を進めていきます。
ときおり目にするのは、子どもたちの遊びの痕跡、そして動物たちの足跡。
人は自然の一部。いいえ、人も自然そのもの。
そんなことを全身で感じる森の散策でした。
自然をそのまま、子どもたちの感性で受け入れるパーマカルチャー教育
豊かな自然に囲まれたこの場所で、「Mother Earth School」の子どもたちはいったいどんな時間を過ごしているのでしょうか?
根底にあるのはシュタイナーの思想。知性だけでない子どもの身体や心、精神性をも含め、教育そのものを芸術として捉えるシュタイナー教育をベースに、パーマカルチャー、アウトドアといった概念を実践として取り入れています。
農園の中にある円形のヤートのなかには、シュタイナー教育で使われる道具や楽器がたくさん置かれていました。
マット・ビボウさんは、ポートランドのパーマカルチャーの実践リーダーであり、IPEC(子どものためのパーマカルチャー教育の学校)のCEOでもあります。ここJean’s Farmでも、学校からプログラムを受け入れるほか、教育者や保護者を対象にワークショプやイベントを開催し、パーマカルチャー教育の普及を目指しているのだとか。
パーマカルチャーの概念を表す図。花びら1枚1枚には、パーマカルチャーを実践していくうえで注目しなくてはいけないジャンルが書かれています。右下の花びらには、「CULTURE & EDUCATION」の文字が。
パーマカルチャーの概念についての詳細はこの記事での言及は避けますが、人と自然がともに豊かな関係を築いていくための手法や概念を、どのように教育の場に生かしていけるのでしょうか。
自分が自分であること、お互いの違いを尊重し多様性を認め合うこと、互いに助けあいよりよい方向へと歩んでいくこと。
自然界で当然のように起こっているそれらのことを、体感を通して子どもたちに伝えていく「Mother Earth School」のプログラムについて、まずは現場で子どもたちと時間をともにしているトレントさんにお話を聞きました。
「Mother Earth School」で子どもたちにアウトドア教育をするトレントさん
「Mother Earth School」の毎日のプログラムは、アウトドアでの活動を軸に、クラフトやアートの時間、スナック(おやつ)などが組み込まれ、大まかな1日の流れは決まっているとのこと。特徴的なのは、“週単位”の流れです。
トレントさん たとえばスナックは、曜日によって決まっています。
週のはじめの火曜日(月曜日はお休み)はあたたかいもので子どもを迎えてあげたいので、オートミールを。水曜日は、ミレット(雑穀のおかゆのようなもの)。木曜日は、子どもたちが自分で生地を捏ねてパンを焼き、金曜日は、子どもたちが家から持ってきた野菜を入れてスープをつくる。
子どもには、曜日の感覚があまりないのですが、こうやって「今日はオートミールの日だよね」と言ったり、「スープの日に、またね」とお別れしたりすると、自分が週のどのあたりにいるのか把握できるようになるんです。
さらにもうひとつ、「Mother Earth School」にとって大事な“流れ”は、季節の移り変わりに伴う自然の変化。クラフトの時間には、その季節、森で手に入るもので、創作をするのだとか。
子どもたちは「Mother Earth School」に1日入学。この日は木の枝を拾ってアーチェリーをつくり、大はしゃぎでした。
トレントさん たとえばつい先日(6月初旬)は、森にある木で枠をつくって釘をさして、機織り機をつくりました。子どもたちはそこに糸を通して、コースターなんかをつくっていましたよ。
クラフトでは、つくる過程に子どもたちが関わることがすごく大切です。まずは木を見つけてくることから始まって、それを適切な長さにノコギリで切る。さらにそれをヤスリで削って、ハンドドリルで穴を開ける。
もちろん小さな子たちなので全部はできませんが、ところどころ助けてあげながら、子どもたちが「自分でやった」という気持ちになることを大事にしています。
スナックの時間にも見られる「自分でつくる」ということ。さらに、この時期に編み機をつくることには、単に材料が手に入るということにとどまらない、大きな意味があるのだとか。
トレントさん 春になると鳥たちは自分の巣を編みますよね。その行為は、編み機で何かを編むことと重なります。また、草や木の下には根があって、絡み合っている。
つまりこの編み機は、今、自分のまわりの自然界で何が起きているか、ということを象徴しているものなんです。
クラフトにも、自然界の営みを反映させたものを。トレントさんによると、子どもたちには、そのことを言葉で伝えるのではなく、歌を歌ったり、お話を聞かせたりすることで、気づきのきっかけを与えてあげるのだとか。このあたりは、シュタイナー教育を感じさせるお話です。
トレントさん 子どもたちには、「こういうことなんだよ」と定義として教えるではなくて、体感してほしい。自分の目で見たもの、耳で聞いたことを、自分の感性で受け入れてほしいと思っています。
さらにトレントさんは、子どもたちが自分の感性で受け入れる時間を大事にするため、プログラムは、1日単位ではなく、長期間にわたって行われるのだと教えてくれました。
トレントさん 終わることにフォーカスして急いでやると、その場その場を子どもたちが経験できなくなってしまうんです。
子どもの時間を大人の都合で遮らず、言葉で正解を伝えるのではなく、子どもたち自身が目で見たもの、耳で聞いたことを、じっくりと体感させてあげる時間を大切にすること。「Mother Earth School」には、自然界と同じように大らかな保育・教育のかたちが、確かに存在していました。
自然のなかでは、言葉の壁なんてへっちゃら。子どもたちはすぐにトレントさんと仲良くなり、森を駆けまわっていました。
目に見えないものを、想像力と探究心で見つめること
さらに、雨の日も風の日も、子どもたちが毎日散策する森の中での体験と学びを探ってみます。ここからの案内人はマットさん。この森の中で、子どもたちが大好きな、動物の足跡探しについて、実践を交えながら聞かせてくださいました。
マットさん たとえば以前、ふたつの足跡が平行しているのを見たことがありました。ひとつは犬のような足跡、もうひとつはすごく小さな足跡。辿っていくうちに、子どもは見つけるのがすごく上手になって、私やトレントが気づかないようなものでも「ちょっと見て!」と言ってくるようになりました。
でもそれを見ると、血の点だったんです。そこから、小さな足跡は消えてなくなりました。大きい足あとは、もうちょっと前に進んで、茂みに逃げた様子。
その後、子どもたちはグループになって、そこで何が起こったのかを話し合い、血があった場所で大きい方が小さい方を捕まえ、森に逃げた、とわかったのだとか。
そんな話をしているとき、足下に鳥の羽根が落ちているのを発見したマットさん。
鳥の羽が落ちているの…わかりますか?
「ここでは何が起こったと思いますか?」と私たちに問いかけ、こんなとき、いつも子どもたちと話すことを、教えてくれました。
マットさん まずは「何が起こったの?」と、話し合いの時間を持つことから始めます。「2匹の鳥が一緒に遊んでいたから羽が落ちている」と言う子もいれば、「鳥が食べられたのかもしれない」なんて言い出す子もいるでしょう。
「食べた」と言った子には、「じゃあどんな動物が食べたと思う?」と聞きます。「コヨーテかな?狸かな?」と。
その上で、自分の知っている話を上乗せして話してあげます。たとえば、「鷹は、鳥を捕らえたとき、そこでは食べないで、連れて行ってあとで食べるんだよ」と。
そうすることによって、そのときに何が起こったのか、正確にはわからなかったとしても、ひとつの可能性として、「鷹のような動物がここに来て鳥を食べたのかもしれないね」という仮説を立てることができるんです。
動物たちの足跡は、石膏を流し込んで型として残してありました。何の足跡でしょう?
実際に何が起こったのかは誰もわからない、答えのない自然界のできごと探求。でもヒントとなる話を聞かせてあげながら、子どもたち自ら仮説を立てることによって、その想像力は膨らんでいきます。そしてさらに、話は次の展開へと進んでいくのです。
マットさん 今度は、「この季節には鷹は何を食べているのかな」と話が進みます。そこで私は、「鷹は子どもが生まれる時期なので、巣に食べ物を持ち帰って子どもたちにあげるんだよ」と教えてあげる。すると、「じゃあ、巣はこの辺りにあるかな」って探しはじめる。でも、巣は見当たらない。
そこでまた、「鷹じゃなくて地を歩いてきた動物がここに来て食べたのかな」って次の仮説が生まれます。
子どもたちとの、この一連の対話の中には、「一点だけを見ていても、全体のストーリーが見えてこない」というパーマカルチャー的発想を感じ取ることができます。
マットさん 子どもたちは、まわりを見渡すことによって、どんな事象が起きているかわかることに気づきます。
たとえば先ほどの「この時期は子どもが生まれて餌を与えなければならない」という話も、自然界のつながりとして、生き物の一生として理解しなければいけないことなんです。
こうしていろいろな知識や事象を積み重ねて、初めて仮説までたどりつきます。
まさに、好奇心と探究心が詰まった学習方法。
マットさん 先生が来て、「コヨーテが来て鳥食べちゃったね」と言っちゃうよりも、よっぽどいいですね。
と笑うマットさんの言葉に、いつのまにか私たちも子どもごころに還っていたことに気付きました。
自然のなかで想像力を膨らませることにより、子どもも大人も、本来持っていた人として大切な感覚を取り戻す。シュタイナー思想をベースとしたパーマカルチャー教育の一端に触れ、そんなことを全身で体感した時間でした。
マットさんのお話を聞いている私に、自然のなかにあるもので「ママのごはん」をつくって持ってきてくれた娘。すっかり「Mother Earth School」の一員です。ちなみにお皿にしているのは木の皮を剥いだもので、虫たちが食べた跡がそこにストーリーとして刻まれているようでした。
ロジックではなく、体感して身に付く生きる知恵
その他にも、熟さずに落ちるタイプのりんごの実を、バケツを使って玉入れのようにしてゲーム感覚で拾ってそのまま堆肥にしたり、鳥の声を聞いてそのストーリーを想像したり、リスの足跡を採るためにトラップを仕掛けてみたり。
まさに自然のなかでの“体感”をベースにした毎日を送る「Mother Earth School」の子どもたち。その価値について、マットさんはこう語ります。
マットさん ジャングルに住む人たちは鳥の声によって生死を判断しているそうです。それは、他の動物が殺されたのがわかるから、ということなんですが、みんな「どうしてそれがわかるの?」と聞きますよね。
でも彼らは、そう聞かれること自体が困るんです。なぜなら、彼らはそれが普通のこととして身についたから。決して、ロジックでつなげたわけではないんです。普段の生活で体感して、体感して、身につけた知恵なんです。
知識として学んで身につく知恵もありますが、一方で、体感でしか身につかない知恵があるのも事実。
遊ぶこと、食べること、つくること。子ども時代を自然の中で思い切り“体感”しながら過ごした子どもたちが、当たり前のように身につけた知恵は、大きくなったとき、どんな生きる力につながっていくのでしょうか。
ツアーを主催してくださった「LIFE sampling」のユリ・バクスターニールさんによると、この森が現在のかたちで存在するのは、「守ろう」と動いた市民の手によるものだとか。
以前は汚染されていたこの地を「ジョンソンクリーク(隣にある小川)にビーバーが戻ってくるくらいの環境に戻そう」と、少しずつ整備し、今の姿に戻すことができたのです。市民主導のまちづくりにも通じる、なんともポートランドらしいお話。
意志を持って行動する人がいたからこそ、あるべき姿に戻り得たこの地に身を置き、肌で感じるのは、子どもたちに残したい環境は自分たちの手でつくれる、ということ。「Jean’s Farm」の森は、そんなメッセージとともに私たちに大きな力を与えてくれているようでした。
子どものとなりで、どうありたい?
最後にマットさんに、この連載の問いである「子どものとなりで、どうありたい?」を投げかけてみました。
マットさん 自分も子どもであること、子どもの気持ちを忘れないこと。自分のうちにある子どもごころを忘れないことがすごく大切だと思っています。
なぜなら、子どもを意識してあげることが大事だから。子どもは意識されることによって、大きくなったときに、自分のいる世界が変わります。意識をされずに育った子どもが世の中に集まるのと、意識をされた子どもたちがつくる世界は、きっと違うから。だから、意識をしてあげる。
自分も子どもごころを忘れなければ、その存在を気付いてあげられますよね。
さらにマットさんは、子どもがいる・いないに関わらず、みんなが子どもに関わっていくべきだと言います。
マットさん なぜなら、この世の中をみんなで共有していくから。
昔は、すべての人が常に日々子どもに関わっていく生活をしていました。年齢問わず、老人も子どもに関わってきたし、子どもは子どもと関わって、親も子どもと関わって。
でも最近は、その役割が線引きされています。親だけ、先生だけが子どもと関わるもののような扱いになっていて、たとえば歳をとった人は、社会から追い出されて、老人ホームなどに入れられてしまう。子どもたちは親の生活のために、施設やチャイルドケアに入れられてしまう。
そうやって、人が、子どもと関わる機会を意図的に離されてしまっています。いくらポートランドが多様といっても、そういうことが起きているのは、やっぱり事実です。
でも本来、子どもがいる世界が普通のことだし、誰でも子どもごころを持っています。そういう社会の発想を変えていかなくちゃいけない。…というか、今、変わりつつあるのは事実でしょうね。
いつも子どもたちに心を寄せてくださったマットさん。
マットさんからのメッセージ、みなさんはどのように受け取りましたか?
ポートランドの森の中、子どもたちのはしゃぎ声を聞きながらマットさん、トレントさんのあり方を体感した私の心には、あれから2ヶ月ほど経った今でも、深く染み入り、優しく語りかけてくれる言葉となっています。
と、同時に、ポートランドの良いところを語り、理想の教育を実践するだけではなく、実在する課題からも常に目を離さず、子どもの、そして社会の未来を見据えて行動する、パーマカルチャーを体現するようなマットさんのあり方を、多くの人に感じてほしい、と心から思います。
マット・ビボウさん、まもなく日本へ。
さて、そんなマット・ビボウさん、実は来る9月10日〜15日に、来日することが決まりました。9月10日〜11日には、東京・渋谷でイベント「アーバンパーマカルチャー・ギャザリング withマット・ビボウ」も予定されています。
1日目のテーマは、「こどもとパーマカルチャー」。マットから、パーマカルチャー教育の実践者を増やすべく活動中のIPECについてのお話も聞けるはず。
2日目は、「まちから起こす、やさしいかくめい」。本連載の記事でも紹介したシティ・リペアの活動など、市民によるまちづくりから見えてくる未来について語り合います。日本からも本間フィル・キャッシュマンさん、小野寺愛さん、宮沢佳恵さん、greenz.jp編集長鈴木菜央など、パーマカルチャーの実践者が多数登壇する予定です。
ぜひこの機会にマットさんのあり方に触れ、体感してみてくださいね。
きっとそこには、私たち自身の手で未来をつくるためのヒントが詰まっているはずです。