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週末は、8700坪の里山で暮らす。千葉県南房総市で馬場未織さんが週末田舎暮らしを続ける理由は「そこが人生で大切な場所」だから

どこでどのように暮らすのか。自分の好きな場所で好きなように生き、暮らせたとしたら、幸せですよね。でも、なかなかそうはいかないのが、現実というもの。仕事、家庭、子育て…。暮らしの理想と現実の狭間で悩む人も多いかと思います。

一方で、古民家を改修し、週末里山を遊び尽くすプロジェクト「ヤマナハウス」や、2つの地元を持つ“ダブルローカル”を実践する「山ノ家」など、様々なスタイルで2つの地域の暮らしを実践する人も増えてきました。

これからご紹介する馬場未織さんも、二拠点での暮らしを実践するひとり。2007年、東京から千葉県南房総市へご主人と3人のお子さん、そして飼い猫2匹(!)と共に週末田舎暮らしを実践し始めました。

今年で10年目を迎える週末田舎暮らしですが、その暮らしは、単に田舎を楽しむというだけではないようです。

週末、田舎に通いながら、仕事をし、子育てをし、南房総の里山に人の流れを生み出すNPO法人を立ち上げるまでに至った馬場さん。そこにはどんなストーリーがあるのでしょうか。

今回は、馬場さんが選択した暮らしかたを、南房総の美しい風景と共にじっくり味わってみて下さい。
 

馬場未織(ばば・みおり)
建築ライター 南房総リパブリック理事。2007年より東京と南房総市の二地域居住を実践。2014年自らの経験を綴った書籍を発刊。建築ライターとして数々のコラムなどを手がけつつ、里山利用を目的とした南房総リパブリックの理事、また3人のお子さんを持つ母として忙しい毎日を送っている。

週末は、8700坪の里山で暮らす

まずは、馬場さんの週末田舎暮らしの場におじゃましてみましょう。JR岩井駅から車で揺られること15分。南房総市内を山手へと進み、細い山道を登っていくと、築120年の趣深い古民家が迎えてくれます。

 
電気、ガス、水道といったライフラインは最初からあったそう。

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夏には草刈りに追われるという広大な敷地には野草もたくさんあります。

古民家を中心に、広さにしてなんと8700坪! その内訳は、裏山と家に隣接する竹林、そして畑。都会では想像を超える広さが、馬場さんの週末田舎暮らしの場です。

 
静かな里山風景が広がる南房総市。

2014年には自らの体験を書籍化した『週末は田舎暮らし~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)を発行。さらに、中国語、韓国語、台湾語の翻訳語版が発刊され、その暮らしぶりへの注目度は今や日本にとどまりません。
 
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南房総での週末田舎暮らしを綴った書籍を出版。

馬場さん一家の週末通いは現在、南房総の里山を保全、活用して未来に残すことを目指して、野、山、川、海などの里山環境を体験しながら親子で深く学び、深く楽しむ「里山学校」や、空き家調査・空き家活用プロジェクトなどの活動の場として、自分たちの里山をひらいています。
 

築120年佇まいを残す古民家。余計なものは持ち込まず、里山のゆったりとした時間を感じる住まい。

息子と生き物を探していたら、自然と週末田舎暮らしに

現在、二拠点居住のアーリーアダプター的存在の馬場さんですが、週末田舎暮らしを始めた当時は、“二拠点居住”という言葉すら広まっていない時代。

東京生まれ、東京育ち、都会の生活に疑問を抱いたわけではなかったという馬場さん。なぜ、この暮らしかたに至ったのでしょうか。
 

ここでの愛車は通い始めた当初、地元の人にもらったトラクターという馬場さん。

結婚してからずっと東京・世田谷で暮らしをしていて。長男を子育てする中で、彼が生き物を大好きなことに気づいたんです。どこに行っても生き物ばかり探す。私も主人も生き物は好きなので自ずと一緒になって探すようになりました。

3歳になると、虫や魚をそれは細かく調べ始めたんです。でも、近所にいるのは、せいぜい蟻や団子虫くらい。だから可哀想なくらい、家ではずっと図鑑を見てるんです。

週末になると動物園はもちろん、水族館に博物館、出来る限り行き尽くしたという馬場さん。そんな馬場さんに、ご主人が思いもよらない提案を申し出ます。

週末、自然がいっぱいあるような田舎を持たないかって言い出して。その発想はなかったので、最初はもうびっくり。「何言ってんの?」って感じです(笑)

ご主人も東京生まれ、東京育ち。いわゆる“帰省する田舎”もなく、全く田舎暮らしを想像できなかったと言いますが、ご主人と会話をする中で、少しずつイメージが湧いてきたそう。小さな小屋と小さな庭、目の前に広がる自然、そんな小さくて身の丈にあった場所があれば、子育てがもっと楽しくなると、漠然と考えるようになったと言います。
 

例えば、東京で週末何をして過ごすのか考えた時、子どもが塾に行くとか、買い物とか、何かしら消費につながることばかりじゃないかなと思ったんです。心や行動の隙間を埋めるために、お金を消費する。

でも、週末の田舎暮らしは、まったく未知だったけど、ここでは海に入るのも、子どもたちが大好きな昆虫や魚を観察するのも触ることも、もちろん0円。出費と言えば、少しの食料と車のガソリン代くらいです。

当時はそこまで想像していなかったけど、例えば、高級車を買って手に入れる豊かさがあるとして、でも、その豊かさには興味のない私たちが、同じくらいの値段を投資して田舎に居場所を買うことは自分たちらしい豊かさだし、暮らしはがぜん広がると思ったんです。

こうして、週末田舎くらし計画が動き始めます。時間があれば、東京の自宅から通える近郊エリアの里山、海辺などを巡ったそう。なかなかここだという物件に会えないまま3年が経った頃、ふと訪れた千葉県南房総市で、今の住まいと里山に出会います。

家族でこの風景を見たとき、「ここだ!」って。里山まるごとを担う意味を当時はまったくわかってなかったという背景もあるんですけど(笑) でも、ここに投資することは、自分たちの価値観にフィットする豊かさだと思ったんです。

8700坪の購入費は、まさに高級車一台分ほどだったそう。それでも馬場さんが思い切った理由がもうひとつありました。

ずっと建築の仕事をしてきたんですが、建築の仕事は人の暮らしに関わる仕事だけど、私自身の半生を振り返れば、人が生命を維持するために必要な根幹部分に対しては知識も経験も乏しく、与えられたものを前提に生きてきてしまっていた。

都会で生まれ育ち、野菜ひとつ、つくることが出来ない。生きるためのベースが抜けているのに、建築やデザインを提案していることがとてもコンプレックスでした。生きる力とか知恵がごっそり抜けている部分を、週末田舎くらしは埋める予感があったんです。

私が持っているカード、例えば、文章が書けるとか、デザインができるとか、そうした肩書きが何の有効性もないところで、どう生きていくかに挑戦してみたいと思ったんです。

こうして、2007年1月、当時6歳の長男、3歳の長女とともに馬場さん一家の週末田舎くらしは始まりました。

田舎で暮らすことは、助けられることを受け入れること

子育てをもっと楽しみたい、生きる力を身につけたい、そんな想いから始まった週末田舎くらしですが、暮らすだけにとどまらず、南房総での活動の場を広げている背景には、どんな理由があるのでしょうか。
 
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子どもたちは川遊びに没頭したり、友だちを呼んで合宿したり。夏生まれの次女出産後は最高の避暑地で子育て。家族の思い出がどんどんこの土地に詰まっていったそう。

週末に南房総で暮らすようになって、都会暮らしでは感じなかった、お金では解決できないたくさんの恩恵を受けました。

例えば、草刈機をひっくり返して途方にくれていたら、近所のおいちゃんがトラクターで持ち上げくれて。恩返しに何かしたいというと「お前んとこ荒れてるから自分とこやれ」って笑うんです。お礼のしようがない。

東京で何時間も並んで買った有名なお菓子も、ここで頂く溢れるほどの旬のものに比べるととてもちっぽけ。都会では分からなかったけど、生きる力って、人に対しても自然に対してもしなやかに受け入れながら暮らすということだと知りました。

実は、馬場さんが週末居住する地域はたったの7世帯、かつ高齢化という現状。10年、20年と時を経れば、集落自体がなくなってしまうのではと考えた時、週末だけの“お客さん気分”ではいられないと思ったそう。

では、どうするのか。ここで自分が感じたことをもっと多くの人に伝えたい、体験してほしい、それがこの地域の存続につながるのではという想いがNPO法人の立ち上げにつながったと馬場さんは言います。
 
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NPO法人南房総リパブリックでの里山学校の様子。室内の活動場として、未利用地をつかいワークショップ形式でセルフビルドを学ぶ「三芳つくるハウス」を始め、二地域居住の誘致などを柱とした活動で、里山に人の流れを生んでいます。

私たち家族だけでなく、ここに愛着をもつ人を増やしたいと思いました。それに、東京にも南房総にも家族それぞれの暮らしがあります。都会から人をひっぱってくることも、ここを守ることも出来るわけです。

気軽に里山に通いながら“暮らすこと、生きること”を体験し、もっと本質的な暮らしのあり方の気付きにつながればと、馬場さんは続けます。

2つの地域を行き来していると、例えば、進学校にいくことが勝っている、いい企業に入社しないと将来食べていけないとか、都会感覚の暮らしの価値観はなんだか違うと気づくんです。

都会だと消費社会、効率的な社会でどう合理的に生きていくかの術を身につけている印象だけど、ここに流れる時間の中で暮らすには都会で得た術、価値観は全く太刀打ちできない。暮らしすべてが自分だけではどうにもならないし、近所の人に助けてもらわなくちゃいけない。

だから、助けられないと生きていけない人を排斥しない、当事者として個で完結しない、広い意味での本来の暮らしのあり方を実感するんです。


獣被害、竹が占領してくる…など、都会育ちだからこそ、気づけたことがあると馬場さん。

本来の暮らしのあり方、それは“助け合う、許しあう”ということだと馬場さんは続けます。

”クレーム”ってありますよね。本来、当事者意識があれば出てこないはずなんです。自分でなんとかする。出来なければ、助けてもらう。それが本来の暮らしだと南房総で学びました。頼ることは恥ずかしいことではなくて、暮らすにはそれは不可欠なことだと。

一方で、クレームのある世界は「誰かがやってくれる。お金を払っているのだから、ちゃんとしてよ」という、日常のようで異常な状態だと気付きました。当事者意識の薄い世界なんですよね。

当事者意識の薄い世界は、個で完結させるために、お金という媒体に頼って成り立つ暮らし。そうではない暮らしを知ることが、次世代により良い社会を渡せるのでは、とも。

ここでは、お金では解決できないことばかりです。里山暮らしなんて、人間自体がアウェイです。自然の都合に合わせたり、人同士も、持ちつ持たれつなんです。それを体験すると、都会って“強張っている”ことに気づく。個で完結させるために、お金という媒体に頼って、暮らしを成り立たせるという感じ。それは、本来の暮らしではないですよね。人は個では生きていけないから。

だから、週末、なんにもない田舎で、都会の価値観を一度捨て、「助けてもらっていいんだ」って安心してみたり、まずは自分が出来ることを背伸びしないでやってみたり、暮らしというか、生きる時間をもっと自由に感じる人が増えたら、結果として、都会に戻っても暮らしかたも変わるのかなと。

みんながここに住めるわけではないけど、そんな機会のひとつに自分がなれればと思っています。

これまで、この里山で遊び、学び、体験した人の数はのべ800人を超えました。里山学校では、動植物専門家とともに五感で自然のしくみを学べることもあり、参加者の半分はリピーターなのだとか。馬場さんの活動から、この土地に愛着を持つ人は今もなお、増え続けています。

そこに居心地の良さを感じたら、住まなくても通えばいい

馬場さんの週末田舎通いは、まだまだ旅の途中だと馬場さんは笑います。

都会から田舎に通うことは、暮らしの“オン・オフ”をつけているように見えるかも知れませんが、私にとってはどっちもオンなんです。

正直、通うのが面倒な時もあります。でも、もしこの土地がなかったら人生の半分は失われていると思うんです。都会か田舎かじゃなくて、ここが自分の人生に大切な場所だから通う。それだけです。


都会か田舎かではなく、人生に大切な場所だから通う。

子育てから始まり、大切な場所を守りたいという想いから、里山を学びの場にし、この地に愛着を持つ人を増やしていく。そんな馬場さんの週末田舎暮らしは、たとえ住まなくても、通うこともまた、暮らしのあり方のひとつだと教えてくれました。

最後にもうひとつ、馬場さんにとって“暮らしをつくること”とは何かを伺いました。

暮らしをつくるというとDIYとかリノベーションとか、何かをつくるという話になるけど、私は居心地の良さをどこに持つかだと思います。よく近所のおいちゃんたちが「お互いさまだからよう!」っていうんです(笑)。

迷惑を掛け合う、許しあう、それが田舎の暮らしだよって。実感として、そうならざるを得ない暮らしを知ってからの人生の方が、私は楽だし、居心地がいいんです。

人が自分と違うことを認め合い、そのまま受け入れる。そんな暮らしがもっと広まれば、都会か田舎かは関係なく、もっと暮らしを自由にできるんじゃないかな。

暮らしをつくることは、自分が居心地が良いと感じられる場所を持つこと。いろいろな制限を取り払ってみると、自ずと見えてくることなのかもしれません。

田舎で暮らすこと、2つの地域で暮らすこと…。ちょっと気になったら、「NPO法人南房総リパブリック」の里山学校に参加してみませんか?美しい里山の風景と、都会とは異なる価値観のヒントが待っていますよ。

(撮影: 荒川慎一)

どこに住み、どんな暮らしをつくるのか。本当に必要なものは何か。「暮らしのものさし」は、株式会社SuMiKaと共同で、自分らしい住まいや好きな暮らし方を見つけるためのヒントを提供するインタビュー企画です。