数年前まで雑草に埋もれていた荒れ地に、今では美しい棚田が広がり、四半世紀ぶりに水が張られています。ここは岡山県美作市(旧英田郡)上山地区。かつてこの地に広がっていた8300枚の棚田を復活させようと奮闘しているのが、今回の主役「NPO法人英田上山棚田団(以下、棚田団)」です。
棚田団とは”移住者”と”通い人”から成る集団で、いまや、彼らが行うのは棚田の再生にとどまりません。十数名が上山に移り住み、診療所やカフェを設置、山道の移動にはセグウェイを導入するなど、集落での暮らしを少しずつ改善してきました。
限界集落でもあるこの地区で彼らが目指すのは、電力を自給し、小型モビリティなどを活用して自分たちで交通インフラを整える「独立型の集落」。
日本各地で過疎・高齢化の進むいま、自治体では交通・医療・福祉などの行政サービスを縮小・効率化するために、山間部に点在する人口を地方の都市部へ集約させる、コンパクトシティ化(*1)などの検討を進めています。
(*1)コンパクトシティ:郊外への福祉・公共交通など行政サービスを縮小したり、都市部への移住を促進するなど、行政コストを押さえるために都市に人口を集約させようとするための施策。
しかし何十年も暮らしてきた場所を、日々畑に精を出すようなお年寄りたちが、そう簡単に捨てることができるのだろうか。いよいよ移動手段がなくなったり、水道などのインフラが止まれば退去せざるを得なくても、それは本当に彼らにとって幸せな解決策なのか。もしそうでないとしても、他にどんな未来が?
棚田団の模索する“限界集落の未来”は、今や日本各地に共通する課題です。彼らの取り組みを応援しようと、多くの企業や大学が続々と名乗りをあげ始めています。そして昨年、中山間地域での移動手段をともに考えようと、あの世界のトヨタが棚田団と手を結びました。
いったい上山でどんなことが始まろうとしているのか、見てきました。
活動8年めにして15ヘクタールの棚田(1600枚ほど)を再生。岡山県美作市(旧英田町)上山地区は、県北部の中山間地に位置し、約100ヘクタールの棚田が広がっていた農村地帯。人口は2015年時点で約180名。
棚田団って、いったい何者?
棚田団のメンバーと上山地区の出会いは、メンバーの一人の父親が定年退職後、上山へ移住したことに始まります。この人の息子が大阪から知人友人を連れて頻繁に訪れるようになり、いつの間にか田んぼの草刈りに夢中に。
この地に奈良時代から築かれた8300枚の棚田があったと知ったメンバーは、何とかその元の姿を見たいと思うようになったのです。真夏に雑草を刈るきつい肉体労働も、都会暮らしの彼らには汗をかく喜びに。
2007年には「英田上山棚田団」を発足。2010年にはメンバーのひとり、西口和雄さん(通称、カッチ)が先陣を切って上山へ移住し、地域おこし協力隊などを巻き込み、地元の人たちとも交流しながら活動を広げてきました。
(上)2008年の草茫々の状態だった棚田と、(下)2015年の田んぼ。数十年ぶりに水をはった田んぼを見て、涙を浮かべて喜んだ地元の方も。
いま、「現地人」と呼ばれる移住組は、14名7世帯。それぞれ薬草づくりや電気工事士、革職人など手に職をもち、収入を得るための仕事もしながら、本業以上の力を注いで棚田団の活動を続けています。
高齢者の多いこの地域で、いまや彼らは、動けるエンジンであり機動部隊。集落での生活を豊かにすべく診療所を設置し、竹やぶに埋もれていた古民家を改修してカフェにし、地元の夏祭りを復活させ、棚田米を使った商品開発も始めています。
棚田団と集落の人びと。オレンジ色のつなぎが棚田団のシンボル。コアメンバーは、上段左端が水柿大地さん、左から7番目が松原徹郎さん、上段右から4番目が沖田政幸さん。下段右端の梅谷真慈さん、右から4人目が西口和雄さん。
組織はフラットでオープン。何ごとも言い出しっぺがリーダーになり、集落の外の人たちも巻き込みながらプロジェクトが進みます。
集落の人と共に行った田んぼの「野焼き」。今では野焼きを行う地域は少なくなっている。
彼らのすごさは、ベンチャー企業さながらのスピード感と行うことの規模感。さまざまな団体を招いて大規模な交流イベントを行い、活動開始以来、集落を訪れた人の累計数は約7000名。
2014年にはこれまでの活動が評価され、日本ユネスコ協会の未来遺産に登録。昨年は「JTB交流文化賞」最優秀賞を受賞。多くの著名人も訪れ、彼らの情熱とやんちゃな人柄から、愛される活動へと育ってきました。
そして2013年には、地元の住民数名と棚田団の現地人が一緒になって、この集落全体を一般社団法人化した「上山集楽」(集落の「落」は、敢えて楽しいの「楽」)が設立されています。
究極のローカルだからこそ、最先端をいける
そんな棚田団が、いま集落の未来に向けて取り組んでいるのが、「移動」をテーマにしたプロジェクトです。
上山は、集落そのものが山の斜面にあり、車一台やっと通れるほどの狭くて急な坂道の多い地域で、高齢者にとっては優しくない土地がら。
取材で訪れた日、御歳82歳の耳の遠い男性が、何度もクラクションを鳴らすなど奇怪な行動を取りながら軽トラックを運転し、狭い坂道をよろよろと上っていく様子を目にしました。
近所の方いわく、この方は運転が危なっかしくて冷や冷やしているものの「(免許を)かえせ(返上しろ)とはようゆえん」というのです。なぜなら、彼は一人暮らし。最寄りのバス停まで徒歩30分以上かかるこの地区で車を失うことは、彼の自由を奪うに等しいのです。
高齢者に限らず、通院や通学、買い物難民など、集落での移動の問題は深刻です。ローカルバスはこれからさらに乗客が減り、便数を減らしたり廃線にせざるを得ないという声も。
けれどそんな場所だからこそ、そうした困りごとを解消するための“最先端の研究所”に成りうると西口さんは言います。
西口さん 僕ら自身ここで生活してきて、田んぼや山の仕事をする中で、移動の問題や小さな乗り物が役に立つってことは身にしみて知っているんです。うちでは早くからセグウェイを使ってきましたし。
これからは相乗りのしくみが必要かもしれないし、農業利用できる馬力のあるモビリティがあれば、おじいちゃんらも少しでも長く農作業できるかもしれない。最先端の小型モビリティの技術が世界中からこの集落に集まったら面白いと思うんです。
「僕のイメージする上山の未来は、ミャンマーの片田舎とドバイの最先端がミックスされたような感じ」、と話すカッチさん。
セグウェイにのって移動。
カッチさんの家の前。農機具の間に普通に置かれていた、光岡のMC-1(小型EVモビリティ)。
そうした可能性を視野に入れて今年から新たに始まるのが「上山集楽みんなのモビリティプロジェクト」(通称)です。
プレイヤーは棚田団と、岡山県の中山間地域の集落を支援する「NPO法人みんなの集落研究所」(以下、みん研)、そしてサポーターとして一般財団法人トヨタ・モビリティ基金(以下、TMF)(*2)。プロジェクト期間は4年間で、トヨタは2.2億円のお金を助成します。
(*2)一般財団法人トヨタ・モビリティ基金(TMF)とは、移動の不自由の解消に貢献することを目的に助成を実施。これまでにアジアでの助成実績があり、今回初めて国内の助成対象としてこの上山地区を選定。
プロジェクトの先に、ビジネスチャンスを
「もともと岡山の県北には買い物難民が多い」と話すのは、岡山県の集落の置かれた状況に詳しい、みん研の石原達也さん。
石原さん 今までは移動手段がなくなればまちへ出るしかなかった人たちが、少しでも自分の意思で長く、もと居た場所に暮らすことを選べるようにしたい。それが今回のプロジェクトの一つの目標です。
だから電気も自力でまかなえて、高齢者でも自分で移動できるような手段を用意し、自立した集落を目指そうということです。
写真右が、「NPO法人みんなの集落研究所」の代表・石原達也さん。
一方、TMFの山中千花さんは、国内に数多ある集落の中から上山をパートナーとして選んだ理由をこう話します。
山中さん 過疎・高齢化の進む集落の問題は、いまや全国どの地域にも共通する社会課題ですが、誰と組むか、はとても重要でした。
棚田団が印象的だったのは、地元との関係がしっかりしていることと、西口さんという強烈なリーダーに加えて、家族ぐるみで移住するなど覚悟を決めたメンバーが情熱を持って取り組んできていること。
さらに言えば、今回助成するお金は、返金を求めないものの、あくまでも初期費用の位置づけです。これから立ち上げていくソーシャルビジネスで回収することを目指しています。
補助金を入れてかえってその地域がよくなくなったという話も耳にしますが、それでは意味がない。つまり、移動に関わる困りごとを解消しながら、地域にお金がまわるしくみをつくってほしいんです。
初期費用の回収は企業では当たり前の感覚でも、地域でそうしたセンスを持つ人はなかなか多くない。それが棚田団にはあるのではないかと、西口さんの話を聞いていて思ったんです。
トヨタ・モビリティ基金の山中千花さん。石原さんの紹介で棚田団のことを知り、意気投合した。
西口さん 極端な話をすれば、集落を封鎖して既存の車が入れないようにしてもいいと、僕は思っているんです。そうすれば道は公道でなくなり、集落全体が大きな広場のようなもの。法規制とは関係なく、車と違う新しい乗り物を使うような可能性も広がります。
棚田の再生が進めば千枚田の見られる美しい集落をコムスで周ることもできるし、観光利用としての価値も高い。ビジネスチャンスが無限に眠っている、と西口さんは話します。
「上山集楽みんなのモビリティプロジェクト」では、何をするのか?
プロジェクトは、3つの視点から進められています。一つは、住民の「日常利用」。二つめに農林業での利用を目的にした「農林業利用」。そして三つめが、「過疎地の生活基盤を破壊しない滞在型観光業の検討」を行う「観光利用」です。
2月末には、集落の人たちに実際に小型モビリティを体験してもらう試乗会が行われました。ずらりと並んだのは、棚田団が日本各地から集めた小型モビリティ。
この日並んだのは、トヨタの車ばかりでなく、モービルジャパン、日本エレクトライク、オアシスジャパンの三輪自動車や二輪車に、ニッカリのモノラックも。トヨタコムスの改造車両である、「山コムス」「トマコムス」「2人乗りコムス」など。
集まった人たちの中には、ダンロップや、大学でモビリティの研究を行う研究者などの姿も。
公道を貸し切って行われた試乗会では、来場者がさまざまな小型モビリティの乗り心地を確かめた。
地元の方々に、乗り心地や感想などを聞いていく。
棚田団の一人で、自らも棚田再生をばりばり進める沖田政幸さんはこう話します。
沖田さん 棚田のあぜ道に車は入らないので、肥料ひとつ運ぶのも今は手か一輪車の手押しです。
試験的にトヨタからコムスという小型モビリティを提供してもらっていますが、都市向けに開発されたもので農林業向きではないんです。これに牽引できる機能があったら断然いいし、世の中にはすでに馬力のある軍事用のキャタピラの付いたモビリティなどもあり、そうした製品が参考になるかもしれません。
まずは住民のニーズを吸い上げ、どんな施策、モビリティがあればいいかを検討し、運用方法、ハード面の開発(試験的に形にすることを目標としている)…と進めていく予定。
沖田さんが再生を進める棚田。何メートルにも渡って生えている、このくらいの高さの雑草木を刈っていく。写真右上がまだ雑木の残っている辺り。
日常利用に関しては、今棚田団のメンバーが集落の一戸一戸をまわり、町民ヒアリングを進めています。
集落にお金をまわす施策として位置づけているのが観光利用。集落内をコムスで周るツアーや、倉敷など他の観光地とつなぐルートを描くこともできます。こちらも今年から、テストツアーを行っていく予定。
4年後、何がどこまで実現するかはまだ未知数ですが、住民の要望を叶えながら、事業的な利益も見込めるしくみづくりを行おうとしています。
それぞれの分野で挙げられている施策(現段階では、まだ仮説)
もっと大きなゴール、“棚田団の思い描く、限界集落の未来”とは?
「ミャンマーの片田舎とドバイの最先端がミックスされたような」と西口さんの言う上山の未来は、イメージしやすいようで見たことのない世界。牛の横をおじいちゃんが未来型のモビリティで走り抜け、キャタピラ付きのセグウェイで山へ資材を運び、地域発電によるオフグリッドの明かりが灯る家々…。
「独立集落」と言えば大げさかもしれませんが、ヨーロッパでは、住民自ら自動車は一切入れないと決めた村や、景観を維持するために建築規制を設けるなど自治体単位で村やまちのルールを決める例はたくさんあります。棚田団が目指すのも、そんなイメージ。
棚田など、古くからあって維持が大変だけど大切なものを維持するために、新しい技術を駆使していく。これからの時代、最先端の未来は、こうした限界集落にこそ生まれるのかもしれません。
西口さん 棚田そのものも、実はすごい技術の上にできています。田一枚一枚に、上の溜め池から張り巡らされた水路があって、いわば食糧製造の循環型プラント。敢えてお金で考えるとすごい価値のものです。どの地域でも、今いちばん大切にしなきゃいけないのはそこだと思うんです。
今伝承しておかなければなくなってしまう。古いものの中にこそ最先端があって、ビジネスチャンスにもなる。
ただこれを理解できるのは、村に入っておじいちゃんおばあちゃんと覚悟をもってつき合える人間だけ。よそから来たコンサルタントにはわからない。泥臭さを楽しめて、過去から新しいものを紐といた人にのみ、知恵が授けられると思うんです。
「地方創生」「地域活性」という前に、本当に大切にすべきことは何なのか、気付かせてくれる言葉です。
まだ始まったばかりの取り組みで、棚田団の描く未来像がどう実現するのかはわかりませんが、目指すビジョンは明確で新しい。これからの「上山集楽」がどうなっていくのか。とても楽しみです。