\仲間募集/甘柿の王様「富有柿」の産地・和歌山県九度山町で、未来の柿農家となる地域おこし協力隊

greenz people ロゴ

米軍ハウス暮らしには、コミュニティづくりのヒントが眠っていた! 福生市のまちづくりクルー「NPO法人FLAG」が掲げる”LOCAL STANDARD”って?

突然ですが、みなさんは東京都福生市をご存知ですか?

福生市は、アメリカ軍の横田基地があるまちです。アメリカ軍関係者と日本人の交流によってアメリカンなムードに溢れ、一種独特なカルチャーが形成されていることで知られています。

そしてかつては、大滝詠一や忌野清志郎など伝説的なミュージシャンが居を構えたり、村上龍の小説『限りなく透明に近いブルー』の舞台になった場所としても有名。現在も市内には、多くのミュージシャンやクリエイターが集まり、さまざまな形で、まちを盛り上げています。

このように数多くのエピソードで、福生市のことを知っているかたはいらっしゃるかもしれません。けれども、実際に行ったことがあるという方は少ないのではないでしょうか。

そんな福生市に“Local Standard”という旗印を掲げるまちづくりクルーがいます。それが今回ご紹介する、多種多様なクリエイター10名が理事を務めるNPO法人FLAGです。

彼らは、声をそろえてこう言います。

福生のライフスタイルは気持ちいいよ。

一体、どう気持ちいいのか、副理事長の佐藤竜馬さん田中克海さんに聞きました。NPO法人FLAGが取り組むまちづくりの物語を通じて、“福生カルチャー”の魅力とローカルライフの新機軸をひもときます。

NPO法人FLAG(フラッグ)
地域活性化、まちづくりをクリエイティブする団体。まちづくり・学術・文化・芸術・スポーツ、経済活動の活性化、職業能力の開発または雇用機会の拡充の支援や団体運営の支援など、産業に関わる全般ならびに人材育成、支援、調査、研究などまちの再開発に関する事業全般を行い、これらの事業を通じて地域社会に貢献することを目標とする。向かって右から副理事長の佐藤竜馬さん(クリエイティブディレクター)、理事長の佐藤志織さん(デザイナー)、副理事長の田中克海さん(アートディレクター)

クオリティで真っ向勝負する、NPO法人FLAG

NPO法人FLAGは、10名のクリエイターが理事を務めるまちづくりクルーです。建築、ファッション、音楽、不動産、マーケティング、デザイン、アートディレクション、クリエイティブディレクション、酪農家、スケーターと、各理事の活動分野は多岐に渡っています。

表層上のグラフィックデザインだけでなく、「住みたい!」と感じてもらえる仕組みを持ったまちづくりを目指していったところ、まちとニーズを結びつける人、行政に顔がきく人など、多種多様なジャンルで活躍するクリエイターが集まることになりました。

また、メンバーの半分は福生市の住人ですが、もう半分は市外の人間。地元民では気づきにくい、外から見た地元の魅力を知ることも重要だと思った結果、こういうメンバー構成になったそうです。

そんなNPO法人FLAGでは“一次産業の活性化”と“定住施策”というふたつの目標を掲げて、12個の事業が行われてきました。

米軍ハウスや旧アメリカンヴィレッジのランドスケープデザインを研究する事業「Dependents Housing ENGINEER SECTION」を柱に、米軍ハウスをリノベーションしたレストランで開催するバーベキューパーティー「BACKYARD BBQ Milking Party!」や、地域の農家から直接食材を購入できるファーマーズマーケット「GO TO LOCAL MARKETS」などが企画運営されています。

GO TO LOCAL MARKETSの看板。「アメリカのファーマーズマーケットで使われていたものを収集して利用してます」(志織さん)写真:廣川慶明

例えば、GO TO LOCAL MARKETSなら、

竜馬さん 野菜って今は決められた規格というフィルターを通して売られているんですね。

そうすると、トマトなら全部同じサイズじゃなきゃいけないとか、ネギは全部緑の部分が同じ長さじゃなきゃいけないとか、工業製品みたいに野菜をつくらなきゃ出荷できなくなるんです。だから、大きさや形を揃えるために農薬や肥料をあげすぎちゃったりすることになる。

でもね、無農薬がいいかっていうと、それも農家さんを圧迫していて大変なんですよ。田畑の6割、7割は収穫できないし、ひどいところではその年全部収穫できなかったりするので、リスクが大きい。

だから、アメリカのFARM TO TABLEのような仕組みを取り入れて、農家が直接販売できて、適正価格で卸せるようになる状況が必要。そのフォーマットのひとつがGO TO LOCAL MARKETSだったりするんです。

っていう感じ。

また、NPO法人FLAGでは、今も残る米軍ハウスのライフスタイルを取り入れてつくる、新しい米軍ハウス型住宅の企画施工管理にも取り組んでいます。代表例は、埼玉県狭山市の南入曽に建てた「Sayama House re+」です。

竜馬さん 最初に関わらせていただいたのは、フロントヤードが6メートルぐらいあって、芝生が生えるとすごく素敵で、これぞアメリカな感じになるハウスです。

米軍ハウスの魅力のひとつは緑の生い茂る前庭(フロントヤード)

実際、入居者の募集をかけたら、数週間で満室になったそう。南入曽で家賃は割高な設定だったけど、不動産としての事業性にも高い評価が得られたのだとか。

竜馬さんは広告制作会社、広告代理店数社を経験。ブランドまわり全般の企画・アートディレクションが得意(写真:廣川慶明)

福生カルチャーへの確かな期待

設立当時から、NPO法人FLAGには合言葉があります。それは“パブリックだけど、牙をむく”という方針です。

竜馬さん 割と大衆向けのクリエイティブだったり、コミュニケーションフォーマットってあるけど、そういうものにも実はエッジの立っているパンチが必要。大衆向けだと単純ですぐにダサくなるじゃないですか。要は、みんなふつうに知ってるしっていう。

だから限りなく黒に近いグレーをいくみたいな。そういうまちづくりをやっていきたいねって話してきたんです。

それは福生が持つ、まちのポテンシャルを感じているから。

竜馬さん 今ってポートランドのようなカントリーサイドが注目されているけど、「ブルックリンでも、いい感じのコーヒーショップができたよね」「彼らの地元ってひょっとしたらカッコイイんじゃないの?」みたいな感じで注目が集まっていったと思うんですね。

福生もポートランドのような感覚にすごく近い。っていうか独自のそのようなカルチャーを持っているんですね。

例えば、イケてるコーヒーショップを都市の中心地でOPENしたとしても「あの洒落たお店をつくったひとたちは、実は福生の人たちらしいよ?」みたいに地元が注目される。

そんなことになると思っているんです。

竜馬さん、そこまで言うなら、福生市のまちの魅力を教えてくださいよ。

まちで見つけた“コミュニティの原石”

竜馬さんが福生市のまちの魅力に気づいていった過程は、そのままNPO法人FLAGの成り立ちと重なります。それは今から4年前、2011年のことでした。

当時、竜馬さんは米軍ハウス住まいを希望する住居を探していました。そんな折、のちにNPO法人FLAGの副理事長になる田中さんと知り合い、福生市に通いつめる日々が加速します。

田中克海さん。アートディレクターのほか、ギタリストでもある。住まいは米軍ハウスの「福生バナナハウス」(写真:廣川慶明)

田中さん宅の隣近所には、福生市の魅力が詰まっていました。庭先でバーベキューが始まれば、お隣りさんが帰宅後にすぐカバンを置いてお酒を持ってきたり、ギターを背負って演奏しにきたりします。一方、雨が降ったら「取り込んでおいてね」と頼む必要もなく、お隣さんが洗濯物を下げておいてもくれるそう。

また、あまり見かけない人が周囲を歩いていたら「誰だろう?」とすぐに気をつけることができるくらい、顔の見える暮らしがここにはあって、防犯面も良好でした。

そうした光景の一つひとつが、福生市の米軍ハウスで暮らす魅力を竜馬さんに気づかせていったのです。

竜馬さん 他の地域には、こんな交流をする機会は生まれてこないんですね。米軍ハウスの暮らしには、住む人を気持ち良くする、コミュニティのそもそものあり方や人間のつながり方が残っていたんです。

こうしたコミュニティに関わる中、竜馬さんは、偶然空いた米軍ハウスを借りることができました。その時、米軍ハウス暮らしの魅力を楽しみながらも、竜馬さんは別のことを体験したと言います。

竜馬さん 本当にたまたまなのですが、田中さんから近所の米軍ハウスが空くという情報を教えてもらうことができたので、現在の米軍ハウスに住むことが決まりました。

米軍ハウスって人気が高くて、空いてもすぐ埋まっちゃったりするので、借りようとするとハードルが高かったんですよ。

そこで以前からまちづくりに関心を持っていた竜馬さんは、田中さんや理事になる佐藤志織さんをはじめとしたクリエイター仲間と一緒に、地域のハブとなるNPO法人FLAGを立ち上げたのです。

インタビューを温かく見守ってくれた志織さん。オフィス内の米軍ハウスグッズを解説してくれた(写真:廣川慶明)

竜馬さん こうしたコミューンを知ってもらったり、好きになってもらったりするきっかけとして、米軍ハウスをハブにできないか。

そして、食をはじめとした地場の食材を食べられる環境を整えることも目指しました。日本には生協のような仕組みがあるように、いい食材を食べることができる住環境ってすごく良いじゃないですか。それは、まちの魅力のひとつになると思ったんですよ。

かくしてNPO法人FLAGの活動がスタートします。2013年、春の息吹く季節でした。

歴史に学んだ“まちのデザイン”

NPO法人FLAGが最初に取り組んだこと。それは、今も基幹事業になっているDependents Housing ENGINEER SECTIONでした。この事業を通じて、竜馬さんたちは米軍ハウスの成り立ちを知ることになります。

終戦後、焼け野原になった日本では、GHQの指示で福生地区には約200棟、全国では約20,000棟の米軍ハウスを建てる計画が進みました。

GHQには技術部デザインブランチがあり、その責任者だったヒーレン・S・クルーゼ少佐の出自はインテリアデザイン畑。そんなクルーゼ少佐の下、約10名の日本人建築家が米軍ハウスの建設に携わります。

「NPO法人FLAGでは、解体されてしまう米軍ハウスから当時の部品を回収して、再利用できるようにしています」(志織さん)写真:廣川慶明

また、アメリカ進駐軍の家族が暮らすための住まい「Dependent house」(米軍ハウスのこと)は、書籍『BUILT IN USA』を手引きにマスターデザインが設計され、日本の大工によって施工されました。つまり、米軍ハウスは和洋折衷で生まれたのです。

だからか米軍ハウスには、多様な特徴が表れました。

例えば、アメリカ人向けの住まいなのに、屋根にはスレート瓦やある地域では鬼瓦が使われていたり、風穴は日本仕様だったりします。一方、屋根の傾斜はカリフォルニア州のフラットハウスを踏襲した、雪が降らない国特有の二寸勾配になっていました。

NPO法人FLAGのオフィス。アメリカのソファも収まりやすいサイズ感(写真:廣川慶明)

また、当時の日本建築では尺寸法で設計しているなか、米軍ハウスは尺寸をインチに直して設計されていた。だから、アメリカンサイズの家具を気持ち良く置くことができる住空間に、自然と仕上がっていたのです。

竜馬さん 米軍ハウスの壁は白が基準ですが、それにも意味があるようです。異国に来て、戦争から帰ってきた兵士が寂しくならず、明るい気持ちになるように白に決まったと言われています。

隣近所になる米軍ハウス同士の距離間は約7メートルなんですけど、それも人が自然に交流しやすくなる計画のひとつです。

ハード的な話ではなくて、米軍ハウスには人が住みやすくなるコミュニティとライフスタイルのデザインが含まれていたんです。そのランドスケープをはじめとしたデザインが、ものすごく良いってことがわかっていきました。

竜馬さんが目にした福生市の米軍ハウス暮らしは、住設計、コミュニティモデル、ランドスケープデザインによってもきちんと定義されていました。感覚的にも、合理的にも、福生市のライフスタイルには魅力があることを竜馬さんたちは知ったのです。

今の人がつくり伝える“まちのカルチャー”

ここでふと、気になりました。

福生市のライフスタイルは、そこに集う人たちの趣向の総体が生み出しているのか、それとも、米軍ハウスのランドスケープデザインが人をそう変えているのか。“卵が先か、鶏が先か”ということです。

明確な答えはないものの、ヒントを教えてくれました。それは、さきほど紹介した米軍ハウスの歴史の続きに隠されていました。

福生市をはじめ、全国の米軍ハウスは、進駐軍がアメリカに帰国したことで空き家になりました。賃料収入を期待していた大家たちは、実際、福生市の旧アメリカンヴィレッチが雑誌『平凡パンチ』(マガジンハウス)に住宅広告を出すなど、新たな居住者を探しました。

当時は、家賃数万円という安さと、アメリカのヒッピーカルチャーが全盛期だったことが相まって、ヒッピーのライフスタイルを趣向する若者が米軍ハウスにたくさん住み始めます。一時期、福生市の米軍ハウス群はヒッピーコミューンのようになりました。

そんな米軍ハウスの一時代は、日本の70年代カルチャーに大きな影響を与えたそうです。そして、その70年代カルチャーに憧れをもったのが、田中さんの世代でした。

NPO法人FLAGが紹介された雑誌『LiVES』の誌面。その活動は、ほかにも西多摩新聞など、さまざまな媒体から注目を集めている

田中さん 『Talking about Fussa : 坂野正人写真集』という1979年から1980年の福生の住民を撮った自費出版のフォトブックがあるんですね。これは実際に坂野さんから聞いた話なのですが、当時の福生はフリークアウトというか“完全な自由が手に入る土地”という幻想を抱かれていたそうなんです。

それで羽目を外しにくる若者が集まったから、地元の人にとって福生の歴史はあまり良くないものだと思われていたんですね。

だけど、ぼくたちはリバイバル世代。

危なっかしさも含めて魅力を感じてここに集まったから、割と同じ空気感の人たちがそろっているし、だけど、このカルチャーを今の時代に合わせて再構築して広めていきたいとも思っているんです。

それは、竜馬さんにも共通する想い。

竜馬さん 不法的なコミューンに、やっぱり人は「触れたい…」という欲求を持ちますよね。でも、ぼくらは歴史を知らない人たちに、今の価値観に合った新しいライフスタイルとして、米軍ハウスの良いカルチャーを再定義して広めていきたいと思っています。

実際、BACKYARD BBQ Milking Party! や、米軍ハウスの庭先でハンバーガーをつくるイベント「SATURDAYS BURGER」に参加する市外の人たちは、竜馬さんが体験したような米軍ハウスのライフスタイルを「おもしろい!」と感じることが多いのだとか。

米軍ハウスのライフスタイルに欠かせないバーベキューの光景

田中さん 先輩たちは、ぼくらのように米軍ハウスのカルチャーをポジティブに活かしていこうと考える世代がいることに、すごく驚いていました。明るい方向で示していくことを、新鮮に感じてもらえています。

NPO法人FLAGの取り組みは、米軍ハウスの先輩住民がその魅力を再認識できる契機にもなっている様子。そして、その魅力を、福生らしく伝えていくことをこれからも続けていくのがNPO法人FLAGなのです。

地域の魅力がスタンダードになる“まちの未来”

NPO法人FLAGのまちづくりが目指すもの。それは“LOCAL STANDARD”です。

竜馬さん 福生に魅力があるように、各地域にもその土地の魅力があると思うんですね。そんな各地域の魅力を、ぼくらはLOCAL STANDARDと呼んでいます。ぼくらが福生で魅力を見つけたように、各地域でも魅力を見つけて、ブラッシュアップして、発信することはできる。そう信じているんです。

NPO法人FLAGには他地域のまちづくりの相談も集まっています。一番新しく動き出した活動では、東京都瑞穂町でひとりの若手農家と取り組む農地再生プロジェクト「Little Side Trip」が挙げられます。


「Little Side Trip」のトレーラームービー

Little Side Tripは、瑞穂町にある数千坪の荒廃した耕作放棄地の農地を再生するプロジェクトです。2016年から抜根して、整地し、作付けをしていきます。

また、一部は農作業エリアとしてキャンプサイトや、モバイルホテル、バーベキュー施設、スケートボードのハーフパイプなどをつくる予定です。農業を中心に、半日遊んで帰ることができるサービスを目指すのだとか。

竜馬さん Little Side Tripという言葉には“半日旅行”や、“寄り道”という意味があります。人生の選択にも、そんな寄り道的な余白をつくれたらいいなと思っています。

鎌倉のような観光地にいく1day Tripのように、都市に住む人が、海岸なら湘南エリア、内陸部なら福生エリアに遊びにいきたいと感じる。そして、引っ越してきて「今はローカルでほっこり暮らしてるよ」なんて自慢話をするみたいな。そんな位置まで福生エリアを盛り上げたいですね。

僕らの理想が実現するには10年以上かかるかもしれないし、できないかもしれない。それでも、家族をつくった人に、最終的に「住みたいね」って言われるまちづくりをしていきたいなと思っています。

(FLAGの物語はここまで)

いかがでしたか?

東京の郊外にも、じつはこんなに豊かなライフスタイルがありました。そして竜馬さんたちがまちの魅力を発見できたのは、きっと福生市が東京のベッドタウンだという先入観を持たないでまちを見つめたからだと思います。

まっさらな気持ちでまちを見ると、当たり前でしかなかった日常が、地域を輝かせる“原石”だと気づく。それは他府県のローカルエリアに住む人にとっても、きっと同じはず。

あなたも、知らずにかけていた色眼鏡を外して、もう1回、まちを見直してみませんか? あなたのまちの日常が、誰かの豊かな暮らしを拓く“宝石”に変わるかもしれませんよ。

– INFORMATION –

西多摩地域で創業スクール、開催中です!

(1)9/30-10/1の土日2日間で、青梅、西多摩地域の魅力を活かした新たな事業を生み出したい方を対象とした「にしたま創業キャンプ@青梅」を開催!詳しくはこちら
(2)さらに!実際の起業に向けてのステップを濃縮した、4ヶ月間の創業支援プログラムを開催します!
詳しくはこちら
佐藤さんはスタートアップラボのゲスト講師としてご参加頂きます!

特集「マイプロSHOWCASE東京・西多摩編」は「西多摩の未来を考える!」をテーマに、西多摩を拠点に活躍するソーシャルデザインの担い手を紹介し、西多摩での新たなイノベーションのヒントを探る羽村市・青梅市との共同企画です。