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暮らしも、道具も、食べ物も。増村江利子さんの“つくる側”に回る暮らしと、まちはつくらない、まちづくり

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どこに住み、どんな暮らしをつくるのか。本当に必要なものは何か。「暮らしのものさし」は、株式会社SuMiKaと共同で、自分らしい住まいや好きな暮らし方を見つけるためのヒントを提供するインタビュー企画です。

都心を離れ、田舎へと移住する人が増えています。長野県富士見町での田舎暮らしを選んだ、greenz.jpエディターでもある増村江利子さんもその一人。

ひとことで「移住」といっても、その理由は、子育てのための環境を考えて、農業をやりたいから、その場所が好きだから、休日を楽しみたいから、まちおこしに取り組みたいから…などさまざまです。しかし、やりたいことがあるにしろ、移住という選択は決して簡単なものではありません。

増村さんは移住先に何を見つけ、これから何をしようと考えているのでしょうか、現在の住まいである、DIYで改装中だというトレーラーハウスを訪ね、聞いてきました。
 
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改装中だという賃貸のトレーラーハウス。一部増築されています

増村 江利子さん
国立音楽大学卒。Web制作、広告制作、編集を経て現在はフリーランスエディター。一児の母。主なテーマは、アート、建築、暮らし、まちづくり。長野県諏訪郡へ移住し、八ヶ岳の麓で、DIY的暮らしを始める。“小さく暮らす”をモットーに、賃貸トレーラーハウスにてミニマルライフを実践中。

何のために働くのか=異なる経済システムへ

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富士見の風景。信濃境という、富士見のなかでも自然の多い場所に暮らしています

まずは、そもそもなぜ移住しようと思ったのかということを聞いたわけですが、その答えの前に皆さんに、ひとつの問いを投げかけてみたいと思います。

あなたは何のために働いているんですか?

フリーランスになる前、会社員だった増村さんは、こう感じていたといいます。

都会は家賃も高いし、生活費を稼がないと暮らしていけないから、そのためには会社にいたほうが安定収入を得られるという考えかたが普通なんだと思います。

でも、自分や社会のためではなく、会社や組織のために働いていることに、あるとき気づいてしまった。それだけでなく、働いたことによって得る収入、つまりお金が、自分からすごく遠いところにある欲しい物事を、無理やりたぐり寄せるためのツールになってしまっていると思うんです。

これは、物やサービス、何にでも言えることだけど、例えば電気だとしたら、その電気は都心から離れた場所で、しかも原子力によってつくられたものだということをすっかり忘れて、スイッチひとつで湯水のように電気を使う。

電気代に疑問も持たず、そのからくりを見ないようにして、たくさんの家電をつかって家事をほんの少し楽にして、真夜中のコンビニを明るく照らすために、遠いところから無理やり電気をたぐりよせて、当然のように使っている。

このように、私自身の働きかただけでなく、働いて得る“お金”の使いかたと、そのからくりを見て見ぬふりをしているかのような風潮に、疑問を感じていました。

これは、本来お金というのは何かを得るための手段であって、その何かを得るために働いていたはずが、何かを得るための行動を自分以外の誰かに任せ、その仕組みは見ないようにすることで、お金が誰かに依存するためのツールになってしまっている。そしてそのお金を得ることが働くことの目的になってしまい、見えていたはずのものが見えにくくなってしまっているということなのではないでしょうか。

その後、フリーランスになって、会社のためではなく、自分自身と社会のために働くことができるようになったものの、「東京ではいろいろなことに縛られて、自由がないと感じていた」といいます。

その不自由さというのは、例えば、高い家賃を払うこと、競い合うようにおしゃれをすること、便利な道具やサービスを買うこと。どんなシーンにおいても、知らず知らずのうちに“都会”の基準に合わせて、そのためのお金を稼がないといけないような気になってしまう、「お金」をめぐる不自由であるように思えます。
 
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移住してからは、自分のためではなく、自分以外の何かのためという要素が、働くことの大きな理由になっている気がします。

自分以外の誰か何かのためにやったことが、お金にならなくても別に構わないとさえ思い始めていて。むしろ人と人とが直接つながっているところでは、できればお金を使いたくないし、使わなくていいようになっている。

移住をして、もとからいた人たちの家族的なつながりの中に入れてもらう代わりに、自分以外の何かのため、例えば道路脇の草刈りをしたり、運動会や区民旅行など、都心だと面倒だと思うような地域の行事がたくさんありますが、参加するのはまったく嫌じゃないし、むしろ楽しんでいることに少し驚いています。

これは、地域のなかに入って、みんなで草刈りや地域の行事をするという「無償で誰かのために時間をつかうこと」こそが、都会的な働き方という呪縛から解き放つものだったということではないでしょうか。

お金というものはわかりやすい基準のようですが、それで全てを測られてしまうことで、自分もそれを基準にして生きなければいけない窮屈さを持っているように思えます。

競争意識を持たずに、今に感謝をして暮らしていれば、そんなに頑張って稼がなくても、誰かのために時間をつかう余裕ができる。そして見返りを求めない気持ちは、必ず自分へ返ってくるんです。

逆に、自分が何か手伝ってほしかったら、それをやったらいくら払う、という考えにもならない。手伝ってもらったら、美味しいご飯をつくったりしてお返しする。人と人の関係性があるところでは、お金が動かなくても、いろんなものが交換されて、それである程度の暮らしは成り立つんです。

増村さんは移住によって、お金という「基準」ではなく、直接的な関係性の中で評価・交換される、都会の貨幣経済とは異なる経済に結果的に飛び込んだということなのでしょう。

それはいわゆる「田舎」に昔からあったもので、“ギフト経済”とは違うものかもしれませんが、同じような自由さを持ち合わせたものなのではないでしょうか。
 
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自宅近くにある湧水。「どこか神聖な感じがして気持ちがいい」と、晴れの日も、雨の日も、雪の日も、愛犬とともに散歩に出掛ける場所なのだそう

生きている実感を得る=究極のシンプルライフの実践

増村さんが都会で感じていたのは「窮屈さ」だけではありませんでした。これも東京を出る一つの理由となったものですが「生きている実感がない」と感じていたといいます。

都会での暮らしは便利だし、サービスは整っているけれど、根本的な何かが崩れているというか、決定的な何かが欠けているような気がしていました。

上述の電気だって福島でつくって運ばれているわけだし、食品だって、ほとんど地方からの寄せ集め。よく地産地消というけど、そもそも、暮らすために必要なものをつくっていないんです。

手を動かしてつくることをしないで、ただ享受するだけの暮らしは、スマートだけど物足りなくて、もっと言うと、生きている実感がないと感じていました。

そして、その「生きている実感」を求めて移住して見つけたのは「手放すこと」だったといいます。
 
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もともと、「例えば、下着は2セットしか持ってない」と話す、少ない持ち物で暮らす増村さん。ハンガーに掛けるコート類のほかは、この譲ってもらった古い箪笥に、家族分のタオルと愛用のカメラまで入って、3段分

移住して感じたのは、欲求が面白いくらい身の丈になってくるんです。例えば車を持つとして、都心にいた頃は、この車種に乗りたいという願望があったんですけど、移住しちゃうと、まあ何でもいいかな、と。たまに東京から友人が遊びに来ると、恥ずかしいと思うこともなくはないけど、普段は全く思わないんです。

都会にいる時は、気づかないうちに背伸びをしていたけど、その背伸びをやめることですごく楽になった。身の丈でいることの心地よさに気づいたんです。

それで、これは本当に必要なのか、身の丈以上なんじゃないかと見直していくと、今以上に必要な物なんてほとんどない。既成品の“貧しさ”に気づいてしまったこともあるんですが、いろんな既製品を使うことをやめて、できる限り買うこともやめて、それでやっと、地に根を張って暮らしている、生きている実感を得られるようになってきたんです。

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電気を使わない、自然の冷蔵庫。かつて使われていたものを譲ってもらったとか

身の丈にあった暮らしをするために、背伸びをして使っていたものを手放していく。さらに、世間の概念ではなく、自分自身が本当に必要だと思うものだけで暮らす。それによって生きている実感を取り戻すことができたのです。

こう書いてしまうと大げさなように聞こえるかもしれませんが、これは結果的に、究極の「シンプルライフ」を実践することになったということなのだと思います。

「シンプルな暮らし」という考えかたは今やどこか商業化されてしまったような気もしますが、そのような「憧れのシンプルライフ」ではなく、身の丈というものを自分自身に問いかけた結果、究極のシンプルライフに至ったという実践には、私たちが自身の暮らしを見直すヒントがあるのではないでしょうか。
 
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友人からわけてもらったという、多肉植物。かたちも多彩で、成長の過程も面白く、その生態に魅了されるといいます

つくる側に回る=新しい価値観

そのような身の丈になっていく暮らしの中で、増村さんは東京にいた頃から考えていた「つくる側に回る」ことも実践し始めます。
 
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家のドアをつくっているところ

都心はあらゆるものができてしまっていて余地がない、そこいるだけで享受はできるけれど「つくる側に回れない」という感覚があったんです。

エディターやライターの仕事を通じて、「つくる側」の人たちに会っているうちに、私自身もどうしてもつくる側、つまり実践者側に回りたいと思うようになって。社会問題を解決するような大きなことじゃなくていいんですけど、何かをつくる側に回らないと、自分も実践して、そしてつくる側の人を増やさないと、社会は変わらないんじゃないかと感じていたタイミングだったんです。

そして実際に移住し、身の丈の暮らしを送る中で、DIYで家の改装をしたり、食材や調味料など、様々なものをつくるようになります。そして、週2日ほど、仲間のグランドラインの現場で、彼らとともに大工仕事をしています。
 
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下諏訪にオープンするカフェにて

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仲間のグランドラインメンバーと。写真右から、德永青樹、増村江利子、カフェオーナーのエリック、長久保恭平、藤原一世、鷹見秀嗣。矢崎典明は茅葺き屋根の葺き替え作業で不在

さらに、鶏を飼うことや漁師(罠)の免許を取ること、太陽熱温水器をつくることなど、「やりたいことがどんどん出てきた」というのです。それは当然、都会の背伸びをした暮らしの中からは出てこないことで、「それが田舎暮らしのような気もする」という通り、その場所での暮らしを「つくる」ことを本当に実践しているということだと思います。
 
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もともと貼ってあった壁紙を剥がして、本棚に

そしてもう一つ気づいたことがあるといいます。そのきっかけは東京から持ってきたデザイナーズ家具のダイニングテーブルセット。数十万もしたというそのテーブルが「田舎では、まったく価値のないものになってしまう。自分の好みで買ったものの、今の暮らしには全く合わない」というのです。

今使っているのは、パートナーである、グランドライン徳永青樹さんが古材を使ってつくったもので、古くて風合いのあるもののほうが、今の暮らしでは価値があると感じ「物の価値についての別の考え方を得た」と話します。
 
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古材をつかってつくられたダイニングテーブル

自分の暮らしをつくるために、それに合うものを自分でつくる。それは、自分なりの価値を生み出すことであり、お金でものの価値を測る社会に対して疑義を投げかけることなのです。増村さんはそれを「自分でつくるということは、社会への問い」だといいます。
 
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プラスチック製の既製品を外して、DIYですっきりとした洗面台に

「まち」はつくらない「まちづくり」

移住をきっかけに「つくる側」に回った増村さんは、地域のことにも興味を持つようになります。

そもそも富士見の、八ヶ岳と南アルプスに囲まれた景色との出会いが移住を決める重要な出会いになったといいますが、実際に移住してみると「カフェもないし、もちろん100点満点ではない」のです。しかし「なければつくればいい」と考えで、実際に同世代や若い人たちが集まって話し合うという場もでき、それにも参加するようになったといいます。

富士見駅の商店街の中にコミュニティスペースがあるんですが、そこに同世代の人が30人ほど集まって、特に議題はないけれど「これだけの若い人がいるんだから、お互いのことを理解しあって、何かやろうよ」といった集まりが持たれたんです。

何が始まるか分からないけど、何かをつくるところに最初から関われる楽しさみたいなものを感じました。

これが果たして「まちづくり」と言えるかどうかはわかりませんが、むしろ、いわゆる「まちづくり」ではないほうがいいともいいます。

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今は「まちづくり」って言葉が先行していて、じゃあ何をやるかってなるけど、頭でっかちにならず、とりあえず動いちゃって、結果として何かができていく、という感じがいいなと。

私たち自身が普段の暮らしなり仕事なり、こういう付き合いなりを、心から楽しんでいればいいんじゃないかというところでは、何となくみんなで同じ方向を見ることができた感じがして、そうやって本気で楽しんでやっているうちに、富士見はなんだか楽しそうだって、人が寄ってきたりするんじゃないかと思うんです。

ここでもやはり「身の丈」ということになると思うのですが、あまり大きなものを見るのではなく、自分のまわりの関係性を大切にする、それがまず大事なのだということのようです。

私には、まちという大きなことを軽々しくは語れません。まちづくりなんて、私には大きすぎる。大きな方向性をつくるよりも、そこに暮らす人として自分にできることをやりたい。

重要なのは最小単位というか、例えばこの集落5軒分の関係性を、いかに楽しくて良いものにするかという積み重ねることでしか、全体も変わっていかないと思うんです。

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自宅から車で5分足らずの風景。人が飲めるくらいきれいな水が田んぼにひかれています

大きな「まち」をつくるのではなく、自分たちの周り、仲間との間にしっかりと関係性をつくり、そうした関係性が広がっていけば自然と「まち」はできていく。大きなことを成し遂げようとするのではなく、自分にできることをやることで、全体として良くなっていけばいい、そういう発想なのです。

このような考え方は、都会を離れて田舎で生きる実感のある暮らしができるようになったからこそ、実感として持つことができるようになったもののような気がします。自分自身の感覚で捉えられる部分については精一杯やる、それしかできないということなのです。

移住という未知の場所で知らない人たちの中に入り込むチャレンジにおいては、自分のやりたいことというのもしっかりと持ち、堅実な計画を立てたうえで、そこに飛び込んだほうがいいという考え方もありますが、今まで経験したことのないことである以上、そこでは必ず予想外のことが起きます。

その予想外のことを障害と捉えるのではなく、むしろ楽しんでその予想外の出来事も受け入れたうえで次のステップを踏み出す。そうしなければ本当に新しい暮らしを築いていくことはできないのだと感じました。

感覚的な話ですが、たぶんこっちだ、という直感に従って、何でもやってみようと思うんです。

未来なんてどうなるかわからない社会だし、今ある既成概念が正しいとは限らないから、社会に流されず、自分自身が、大切な人たちとともに、次の一歩を確実に踏み出せればいい。

自分なりの「これだ」っていう感覚に従って一歩を踏み出していけば、その選択の連続性で未来がつくられていくんじゃないかと思います。

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夢や目標のために移住をするというのももちろん素晴らしいことですが、増村さんのように自分が今やりたいこと、自分にとって今重要だと思うことを一つ実現するために行動を起こすこともまた素晴らしいことだと思います。

DIYでいろいろなものをつくり、仲間と地域をつくり、そして自分の未来をつくっていく。移住によってさまざまな「つくる」を実現しようとしている暮らしかたは、未来に不安を抱かざるをえない私たちに、大きなヒントを与えてくれるのではないでしょうか。