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故郷の伝統文化を未来へとつなげたい。「ちくご松山櫨復活委員会」矢野眞由美さんがめざす、幻の櫨(はぜ)の復活

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年輪のような蝋の層。内側の融点の低い層から、一番外側の融点の高い層へ上がけされるのが、和ろうそくが垂れない理由(出典 ちくご松山櫨復活委員会)

みなさんは”和ろうそく”というと、どんなイメージがありますか? 怪談の朗読会、薄暗いお寺など… もしかしたら、「なんか怖いイメージがあるなあ」という方もいらっしゃるかもしれません。

古来日本人の美意識に沿ってつくられていた和ろうそくは、洋ろうそくに比べ、ススが少ない美しい灯りが見直され、評価が高まってきています。

和ろうそくは、東北などでは漆、気候の暖かい場所では櫨(はぜ)からつくられてきました。江戸時代には、おもに九州で奨励栽培されていた櫨の生産量も、明治には全国で6万~9万トンあったものが、平成25年には108トンにまで減少しています。(出典「ハゼと木蝋」1992年 福岡県・福岡県特用林産振興会)

実は櫨は、たくさんの用途を持つ有益な木。そんな櫨の有益性を伝え、幻の和ろうそくを復活させるために、福岡県久留米市で「ちくご松山櫨復活委員会」を立ち上げたのが矢野眞由美さんです。

今回は矢野さんに、和ろうそくの魅力や和ろうそくとの出会い、櫨の活かし方についてお話を伺ってきました。
 
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和ろうそくの芯をつくる、芯引き作業をしている矢野さん(出典 ちくご松山櫨復活委員会)

矢野眞由美(やの・まゆみ)
福岡県久留米市在住
1964年生まれ。高校卒業後、経済産業省九州経済産業局入局、1988年九州デザイナー学院専門学校(二部)を卒業後退局。タウン情報誌「月刊くるめ」編集長を経てWebデザイナーに。2007年に「松山櫨復活委員会」を設立。松山櫨の復活を目指し、植栽・櫨の商品化・イベントなど振興事業を行っている。2009、2010、2013年福岡産業デザイン賞奨励賞受賞。

日本人の美意識と櫨蝋の希少性

心身の癒しにつながるアロマキャンドル、自然志向の蜜蝋キャンドルなど、キャンドルの種類は実に豊富です。その温かくて癒される炎のゆらめきは、「1/fゆらぎ」といわれる自然のリズムなのだとか。

たいていのキャンドルは蝋がとけて外側に垂れていきますが、和ろうそくにおいては、垂れないことが重要なのだそう。その理由は、日本人が持つ高い美意識と関係していました。

仏壇でお経をあげる時、灯りは仏様を迎えるおもてなしの光になります。灯している間、だらだらと蝋が垂れるのは非常にみっともないと思われていて、「和ろうそくたるもの、一滴も垂れずに燃えるべし!」と。

ただ、こうした日本人ならではのこだわりは、和ろうそくの衰退とともにいつの間にか忘れられてしまいました。それは少し、残念なことだと思います。

日本人の美意識がつまった和ろうそくは、手間と熟練が必要な「手がけ」という、蝋垂れを防ぐ技術を用いてつくられています。櫨の和ろうそくの上品で優しい炎の色を、ある手がけろうそくの職人は「地球上で一番美しい炎だ」と断言するほど。
 
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左:炎が大きくススが少ない和ろうそく、右:石油系パラフィン蝋の「洋ろうそく」(出典 ちくご松山櫨復活委員会)

櫨蝋には、結晶が小さく粘り気のある「日本酸(Japan Acid)」と呼ばれる成分が多く含まれています。櫨蝋が“Japan Wax”、櫨の木が“Japan Wax Tree”と英訳される所以です。その名の通り、世界でも日本にしかみられず、粘りと離れのよいその特性は、日本よりも欧米で高く評価されています。

例えば、あるドイツの商社マンが、櫨蝋の輸出を増やしてほしいとやってきたときのこと。矢野さんが「何に使うのか」と聞くと、歯の治療に欠かせない咬合紙(こうごうし)への使用を検討していたのでした。

櫨蝋にはふたつの段階があって。一つは櫨の実から抽出されたばかりの「生蝋(しょうろう)」。これが主に和ろうそくの原料ですね。もう一つは、その生蝋を2ヶ月間天日で晒し、不純物を取り除いた「白蝋」です。

400種もの蝋取引をしているというアメリカの商社マンも、化粧品の原料として白蝋が一番よいと言っていました。

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櫨蝋の和ろうそく

矢野さんが主に活動している福岡県の田主丸(たぬしまる)は、江戸時代からお茶や果樹栽培、植木が盛んなところです。

特に、松山櫨と呼ばれるこの地域の櫨は、同時代の学者からも「最上」と賞されたほどの逸品だったため、藩の財政を支える莫大な資金源となっていました。そのお金が武器の調達に使われ、明治維新の原動力となっていったのです。

かつては、それほど需要があった和ろうそくも、矢野さん曰く「石油と同じ土俵にたってしまった」ことにより、だんだんと幻のものとなっていきました。200年以上の歴史を持つ櫨蝋の成分の安定性と信頼性は、今改めて再評価されているものの、櫨の木の減少によって需要が追いつかない状況です。

そこで、稀少価値のある和ろうそくを、過疎地域を支える産業や文化のために復活させようと立ち上がったのが、矢野さんだったのです。

和ろうそくを復活させる、という熱意

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秋から冬にかけて美しく紅葉する櫨(はぜ)の木

筑後平野を流れる筑後川と東西に連なる耳納連山に挟まれた、筑後地方で生まれ育った矢野さん。子どもの頃には櫨の木の紅葉が美しかった場所で、茶畑と赤い櫨が織りなす景観美は、明治期日本絵画を代表する青木繁氏ら、地元の画家たちの原風景となっていました。

矢野さんは高校卒業後、福岡通商産業局(現・九州経済産業局)に就職し、筑後から福岡市内へ。都会の生活への憧れはあったものの、田舎を離れてみるとだんだん息苦しさを感じるようになったといいます。

手に職をつけ地元で働こうと決め、夜間にグラフィック系の専門学校へ通い、漫画家のアシスタント、「月刊くるめ」編集長を経て、ウェブデザイナーに転身。そこで地元のウェブサイトをつくる仕事をしていたとき、初めて松山櫨の歴史を知ったそう。

「櫨ってどんな樹木なんだろう。」そんな素朴な疑問を解決するために調べ始めていくうちに、櫨の奥深い魅力に引き込まれていきました。

“幻の和ろうそく”を見たくて、いろんな方にお会いしているうちに、ある樹木医の先生と出会ったんです。そのとき「松山櫨を見つけてどうするつもりですか?」と聞かれて、思わず「復活させたいんです」と答えていました。

初めて自分自身で認識した、「松山櫨の和ろうそくを復活させたい」という想い。啓示のようなものを感じた矢野さんは、「ちくご松山櫨復活委員会」を立ち上げ、まずはその存在を知ってもらえるよう2007年2月「松山櫨便り」という広報紙を発行します。

とはいえ、本物の松山櫨の実を見つけるのは困難の連続。DNA鑑定を行っていた資源活用センターに、可能性のある実を見て頂いた結果では、断定できず。それから、改めて聞き取り調査を始め一ヶ月~二ヶ月経った2007年末頃、唯一、一本だけ残されていた松山櫨の木と出会うことができました。
 
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ようやく見つけることができた、和ろうそくの原料、松山櫨の実

次々と課題を乗り越える

櫨の品種を残し、品質の良い木を増やすために、必要な作業は接ぎ木でした。2011年から少しずつ接ぎ木作業を開始し、今年は数千本の接ぎ木を行うことができました。苗木は、福岡県の地域特産物振興事業として福岡県内各所で植栽され、地元の久留米でも地域住民の有志による植栽計画が進んでいます。

後継者がいなくなったろうそくの芯づくりも「自分がやる」と心に決めた矢野さんのもとに、ちょうど筑後のイグサ農家の方が材料となる灯芯草を提供してくれる方が現れるなど、不思議な巡り合わせが広がっていきました。
 
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芯引き作業台で、灯芯草の中の髄(ずい)を引き出します

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イグサの品種、灯芯草の髄は、こんなスポンジ状のもの。長らく絶えていた神社の「火除け」のお守りにも

また、地域に根付いた輪も広がっていきます。例えば、地元の障がい者就労継続支援施設「藍」の方々に、芯づくりに取り組んでもらったり。和ろうそく以外にも、クラウドファンディングを活用した「化粧石鹸」や「櫨蝋のワックス」、「櫨の花ハチミツ」など、さまざまな商品が開発されています。

他にも、2010年福岡産業デザイン賞の奨励賞を受賞した、美しく染まった絹100%のストールなども展開。こちらは、道路の拡張工事などでいつのまにか伐採・廃棄されている櫨をチップにし、煮立てて染料にした「櫨染(はじぞめ)」で染め上げています。
 
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櫨の木の中央の部分をカンナで削った、黄金色のチップ。チップを煮立てると黄金色の染料ができます

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櫨で染められた絹100%のストール。高貴な人しか身につけることができなかった、上から櫨染(鉄媒染)、黄櫨染、下は櫨染(明晩媒染)(出典 ちくご松山櫨復活委員会)

どれも手間暇かけてつくられるモノばかりなので、決して安価ではありませんが、「今は商品の価値をきちんと認めてもらえる人を探すことが大切」と矢野さん。

櫨の需要が絶えないようにすれば、もうなくなる心配をしなくてすみます。櫨がなくならないように、和ろうそくがなくならないように、「準備しなくっちゃ!」って。

櫨のサイクルをつくる、仲間をつくる、意識を変える

「ちくご松山櫨復活委員会」は、「櫨の素材を応用し、サイクルがうまく回れば、櫨の景観も自然に残るはず」という確信をもって活動を続けています。商品が売れることが和ろうそくの植栽につながり、きちんと植栽の場所を選ぶことが、観光と収穫、雇用につながっていくのです。

櫨のことを学ぶうちに、実から蝋へ、木材から木工品と染色へ、花からハチミツへ、櫨は一つの樹木だけで様々な方向で際だった使い道があるだけでなく、昔から日本人が活用していたものだと知りました。

例えば、筑後地方の有名な久留米絣は、冬の間、櫨蝋を搾った後の蝋かすを燃料にして、藍瓶を温め発酵させていたんです。和紙や提灯は和ろうそくの灯りと直結していましたし、櫨は日本の伝統工芸を支えてきた素材なんですよね。

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(出典 ちくご松山櫨復活委員会)

それでも、「100年経った櫨の木でも切れと言われたこともあるんですよ」と、矢野さんは人の意識を変えることの難しさも痛感してきいます。

ちくご松山櫨復活委員会としても、商品の開発・販売だけでなく、体験を通じて櫨の魅力を実感し、理解を深めてもらいたいと、「櫨蝋の和ろうそくづくり」と「櫨染(はじぞめ)」のワークショップも行っています。

櫨のサイクルをつくるために、櫨とのいろんな体験を通して人々に伝え説明していく。そのために自分が存在していると思っています。

国宝級のお寺では櫨蝋の和ろうそくが使われていましたが、京都のお寺で櫨蝋の和ろうそくを使う取り組みが始まったようで、期待しているんです。和歌山の櫨が使われるのですが、櫨に対する意識が変わっていくと思いますから。

このような地域の伝統産業の復興は、地域の原風景の再生にもなります。とはいえ伝統産業は高齢化もあり、衰退しつつあるのが現状。技術を機械化せず、一見非効率なことを、継承していく理由はどこにあるのでしょうか?

ただ効率だけを求めるなら、電気をつければいいですよね。今の時代に手仕事が必要なのは、生活の用途に合わせた使い方があるからだと思っています

櫨蝋は日本の貴重な資源であり、地元では最新技術を使った研究も続けられています。今は衰退している櫨蝋の技術革新と応用範囲が広がれば、世界の市場にもつながっていくはずです。

伝統的に受け継がれた技術と最新のテクノロジーが出会うことで、地元の産業は受け継がれていく。ひとりの思いから始まったプロジェクトは、地域の未来を明るく照らしています。

人々の絆を深めるろうそくの力

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レストランでも、華やかさと温もりを感じる炎が好評(出典 ちくご松山櫨復活委員会)

心がゆったりと落ち着き、それぞれの思いや気持ちを暖かく通わせてくれる贅沢な灯り。和ろうそくには、人々の絆を深める力があります。

江戸時代から、産業化に長けている人が多かった地域で、人々から忘れられ、伐採されていた櫨の木。地域の資源を活かす伝統を受け継ぎ、櫨の木の有益性を未来へ伝えていこうとする、矢野さんの強い信念に心打たれました。

一度失ってしまったものを取り戻すことは、大変な作業です。子どもの頃にはあったのに、いつのまにかなくなっていたもの。みなさんの周りにもありませんか。心の中にいつまでも残っているものであれば、それは重要なメッセージを持っているかもしれません。

ふるさとから遠く離れてしまった人も、一度生まれた場所の歴史を調べてみてはいかがでしょうか?