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東京ときどき新潟。都市の暮らしを捨てずに、ふたつの地元を持とう! “ダブルローカル”を提唱する、越後妻有の民家をリノベーションして生まれたカフェ&ドミトリー「山ノ家」

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田舎で暮らしてみたいけど、都市の暮らしも大好き。そんなに簡単には移住できない…という人は多いのではないでしょうか。

新潟・十日町にカフェ&ドミトリー「山ノ家」を開業した、gift_lab(ギフトラボ)の池田史子さんもまた、もともとの拠点であった東京を離れずに、豪雪地帯である十日町へと通い、月の半分を「山ノ家」で過ごしています。

仕事の拠点としての都市の暮らしと、ローカルの自然資源を心ゆくまで堪能できる里山の暮らし。そのふたつを同時に手に入れることは、難しいのでしょうか。

東京と新潟、どちらも愛すべきマイ・ローカルだと話す池田さんに、これからの暮らしかたについて聞きました。
 
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池田史子(いけだ・ふみこ)
gift_lab(ギフトラボ)クリエイティブディレクター。後藤寿和さんとともに、ソーシャルクリエイティブなプロジェクトの立ち上げや企画制作のほか、国内外の展覧会、商空間、居住空間のコンセプト立案から企画制作、スタイリング等を手掛ける。新潟県十日町市松代に開業させたカフェ&ドミトリー「山ノ家」の主人でもあり、東京・清澄白河と新潟・松代でのダブルローカルライフを実践中。

「海の家」ならぬ「山ノ家」

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アート・トリエンナーレ「越後妻有 大地の芸術祭」の中心地のひとつで、“アートな里山”として知られる新潟県十日町市松代は、冬になると4mを超える雪が降り積もる、日本有数の豪雪地帯です。

松代(まつだい)の旧街道沿いの民家をリノベーションした「山ノ家」は、1Fのカフェと2Fのドミトリーからなる一軒家。都市部から、週末になるとやってくる人たちを受け入れる「山」の拠点として、2012年夏にオープンしました。
 
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カフェでは、美しい棚田でつくられる魚沼産コシヒカリや美味しい地酒、地域の特産物である雪下にんじんや山菜、妻有ポークなど、地元の食材を活かした料理が味わえます

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日本三大薬湯「松之山温泉」や絶景の露店風呂が楽しめる「芝峠温泉」などの良質な温泉が車で10分程度なので、敢えてお風呂なし。共有のシャワーブースはあり。活かせるものは活かしたほぼセルフリノベーションの空間

カフェでは、ここでしか手に入らない食材をつかった創作料理や地酒を味わえるだけでなく、ワークショップや音楽イベントなども定期的に開催。そして一般に開放しているドミトリールームのほか、滞在制作をするアーティストやスタッフが寝泊まりするレジデンスも併設。

設立メンバーであり、「山ノ家」の主人でもあるクリエイターの池田さんは、およそ月の半分を東京のデザインオフィスで、残りの半分を「山ノ家」で過ごしています。

都市を捨てずに、都市とは違う“拠点”を持って、都市と里山を行き来する。

自然とアートがあふれる里山にある「山ノ家」は、別荘のように“専有”するのではなく、“共有”することで複数の拠点を持とうという発想から生まれた、多拠点ワーク&ライフスタイルの、実験の場でもあるのです。

ダブルローカルを選択するまで

立ち上げに関わったのは、アートやデザイン、映像制作や編集で活動している東京のメンバーたち。清澄白河にオフィス兼ショップ&ギャラリースペースを構え、数々の空間デザインやアートプロジェクトを手掛ける池田さんが、なぜ新潟で「山ノ家」をオープンしたのでしょうか?
 
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地元のお父さん、首都圏からの参加者と一緒に、かまくら茶もっこの夜の街路にずらりと灯す雪行灯をつくる池田さん

十日町で地域おこし活動をしている方に「空き家の古民家を、好きに使って何か営みをおこしてみないか」とお誘いを受けて。最初はリノベーションの相談だと思っていたんです。

ただ、ちょうどあの3.11の3ヶ月後だったので、いかに都市がもろいかということを実感していて。東京を信じ切って、東京だけにしがみついて生きていっていいんだろうか、という思いはありましたね。

池田さんにとって新潟・十日町は、「越後妻有 大地の芸術祭」で何度か訪れた地。地方で開催されるアートイベントの先駆け的存在でもあり、田園風景の中に現代アートが点在する、相反するものがふつうに共存するその光景に、わくわくする体験をしたと言います。

越後妻有は、自然豊かなローカルというだけではない、アートやカルチャーのリテラシーがある場所なんじゃないか。里山に現代アートが掛け算されている、ユニークな土地であるという期待感もありました。

東京にしがみついて生きていっていいのかという思いと、越後妻有というエリアのユニークさ。

「先のことは分からないけど、越後妻有で何かできるかもしれない」と、池田さんは東京と新潟を行き来するようになります。

資金ゼロからの出発

山ノ家が建っているのは、かつては宿場町として、旅籠や茶店がぎっしりと建ち並んでいたという十日町市松代の商店街。

昔の面影ある民家が多く残る旧街道の景観を再生することで、まちの賑わいを取り戻すことができるのではないかというのが、地元に30年前に移住してきたドイツの建築家と十日町市の取り組みで、雪国特有の古民家として外装を再生するその計画の第一号が「山ノ家」でした。

とはいえ、外装を再生しただけで、その中に“営み”がないと賑わいは取り戻せない。その新たな“営み”をつくるだせるのは、しがらみや先入観のないヨソモノ、ワカモノのはず。元々彼らを誘った地元の地域活性を模索して来た仕掛人には、そうした強い期待があったそうです。
 
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雪国の古民家に惚れ込んだドイツ人の建築家であるカールベンクスさんが、30年ほど前に十日町に移住。かつての宿場町の姿を取り戻したいと、古民家の外装を再生しようという活動を始めます。写真は、外装を再生しているところ

どちらにしても完全移住は難しい。ならば、自分たちも含め、行き来する仲間が泊まれるようなドミトリーにすればいいと、「山ノ家」の構想がつくられます。

食べるところと寝るところがあれば、何とかなりますよね。カフェがあれば地域の拠点にもなりうるんじゃないかと。1Fはカフェ、2Fは宿屋。運営費をまかなうためのドネーションを、ご飯代や宿泊費としていただきます、その代わりどうぞ食べてください、泊まってください、という気持ちで始めました。

ところが、いつか古民家を改装してカフェやドミトリーをやろうと思って貯蓄をしていたわけでもなく、資金はゼロ。まずは一般社団法人を立ち上げますが、3ヶ月後に控えた「大地の芸術祭」には公的補助が間に合わず、社団法人を立ち上げるも融資を受けられず、さらに株式会社を立ち上げ直して、やっと地域の金融公庫から融資を受けることに。

外装リノベーションは市の補助があったんですが、全額補助ではないので、残った額は誰が払うのかと(笑)
何とか会社を立ち上げて、プロじゃないとできない設備工事以外は、地元の工務店さんと一緒になって、壁や床を貼ったり、自分たちで必死に作業しました。東京の仲間にも声を掛けて、ボランティアとして手伝ってもらって。

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里山暮らしに興味のある人、カフェをやってみたい人、地方でゲストハウスをやってみたい人、リノベーションに興味のある人。声を掛けてみると、たくさんの仲間が手伝ってくれたと言います。

東京からのアクセスは、新幹線利用で約2時間半。二拠点居住に憧れたとしても、移動にかかる交通費はどうしてもネックになりますが、5月から9月にかけては、地元の自治体が運行する無料の東京往復シャトルバスが移動を支えてくれたのだとか。
 
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十日町で、休耕田を棚田に戻そうというプロジェクトがあるんですが、姉妹都市である東京・世田谷区から、たくさんの人が自費で来てくれていた。

そこで、田んぼの保全や、大地の芸術祭のボランティアに関わる人はこのシャトルバスに乗って来てくださいと、市が無料の高速バスを提供してくれているんです。無料で行き来できるなら、行ってみようかという人も多くて。

資金は何とか調達できたものの、カフェ運営もドミトリー運営も初めてのこと。ボランティアスタッフと、十日町にはどんな農産物や地酒があるのか、カフェやドミトリーをやるには一体何があったら必要十分なのか、リサーチをするところから始めた池田さん。カフェのメニューを検討するうえで、自分たちの“ありかた”が見えてきたと話します。

地元の食材をつかうけど、かといって郷土料理を出そうという方向にはならなかった。そこで生まれ育ったお母さんたちの料理にはかなわないし、食べたいときはお母さんたちに厨房に入ってもらえばいい。私たちはあくまで東京からの“移民”。だから、自分たちらしい料理を振る舞えばいいんじゃないかと。

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「大地の芸術祭」が始まって、会期中になんとか「山ノ家」をオープン。

四季折々の豊かな自然な里山でありながら、200点を超える現代アートの作品群があるというユニークな環境の中にある「山ノ家」は、松代に一軒しかないカフェ&ドミトリーとして、一般の人はもちろんのこと、世界中からアーティストも多く訪れています。

冬を越すことで、“半分地元民”になれた

「大地の芸術祭」会期中は、たくさんの人が訪れてくれた「山ノ家」。ところが、終わってしまうと人通りもなく、たまに猫やたぬきが通るくらいだったと池田さんは振り返ります。
 
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山ノ家の開業日に、地元のお母さんたちが届けてくれた手づくりの郷土料理のお惣菜と山ノ家スタッフでつくったお料理を並べている様子。開業の夕べには関わってくれたスタッフ、応援してくれた地元のみなさん、市長さんも駆けつけて、みんなで地酒の樽を割って祝いました

美しい棚田に囲まれた田園地帯ですから、そりゃそうなんですよね。イベントがなければ人が来ない。毎朝仕込みはするけど、お客さんがひとりも来なくて。都市部の人が“こんなに美しく実り豊かな里山がある”と体感してくれるようなツアー企画を考えました。

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山ノ家初の地域発信イベント「米をめぐるワークショップ」で穫れたての新米を棚田の脇で羽釜で炊こうと火を起こしている様子。初雪前の最後の小春日和の真っ青な空の下でみんなで頬張った新米は最高の味わいだったそうです。このお米ワークショップは今秋も開催予定!

11月には、古民家の囲炉裏端でキノコ汁をつくって、美味しい新米を味わってもらいつつ、里山の現代アート作品にも触れてもらうツアーを実施。たくさんの人が参加してくれたことから、1月には豆をめぐるワークショップとして味噌はもちろん、納豆や豆乳、豆腐をつくるツアーを、春は山菜、夏は田植えやホタル…と季節ごとにツアーを実施し、じわじわと「山ノ家」の存在を知ってくれる人が増えていきます。

11月末になって雪が降り始めた頃、地元の人たちに「あれ?雪が降ったのにまだこの人たちいる」と思われたらしくて。何をしてるのかと聞かれたんです。

ここはカフェで、宿屋なんですよと説明したら、地元の人はみんな知らないから、もっと言ったほうがいいと言われて。東京の知人、友人には広く声を掛けてきたけど、隣近所の人にも知られていなかったんです。

冬になると、一晩で1mくらいの積雪がある「山ノ家」。慣れない手つきで雪かきをしていると、その様子を見ていられないと、隣近所の人たちが雪かきや屋根の雪下ろしについて、教えてくれたのだそう。

雪かきはこうやるんだとか、屋根の雪下ろしは危ないから地域の人に頼みなさいとか。話しているうちに、そっか、あなたたちは東京から来て、ここに半移住して、頑張っているんだねと。そこから、「山ノ家」は地域の人に迎え入れてもらって、地域の人を巻き込んだイベントが始まっていきました。

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お正月に滞在したアルゼンチンのアーティストユニット「メフンヘ」のふたりが、春分の日に戻ってくると約束をし、雪室に埋めた「どぶろく」を取り出す瞬間を、地元の人と一緒に“家びらき”でおもてなし。かまくらの中で、どぶろく鍋も!

“雪”から始まった、地域の人とのコミュニケーション。豪雪地帯に人が定住するのは、世界的にも珍しいといわれる十日町において、雪が降ってもそこで営みを続けるということは、たとえ月の半分であっても、“半分地元民”なのです。

かつての商店街の賑わいを、家びらきで取り戻す

冬を超えて春になり、地元の人と交流が深まったところで、地元の有志たちと池田さんとは「疲れた旅人を迎え、もてなし、癒す場だった宿場町としての風景を、“家びらき”で取り戻すことはできないか」と模索を始めます。

かつては、気軽にあたたかく軒先に旅人を招いて、お茶を振る舞ったり、語り合ったりしていたらしいんです。そのもてなしを「茶もっこ」と呼んでいて。日常的に「茶もっこ」を復活するのはハードルが高いけど、一晩のイベントだったらできるんじゃないかと、地元の人に呼びかけて開催してみたんです。

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雪がまだ残る春に、「春迎え かまくら茶もっこの宴」を開催。地域の人とともに民家を飲み歩き、結果的には地元と東京からの参加者で100人ほどが集まってくれたのだとか。その後、お盆の終わりの週末に、通り沿いに行灯をずらりと並べて行う「夏宵の行灯茶もっこの宴」も行われ、今でも続く、地域の恒例行事になります。

美味しいご飯とお酒があれば、語り合うきっかけになって、みんな仲間になっていくんですよね。地元の人も東京の人も、和気あいあいと肩を並べて楽しく盛り上がる姿は、本当に嬉しくて。

2015年の今夏は、3年に一度の「大地の芸術祭」。お母さんたちが郷土料理のお弁当をつくって、地元の旧跡をめぐるガイドをする昼の茶もっこ「昼市」、お父さんたちを中心に、よりパワーアップした夜の茶もっこ「夜市」が行なわれたんです。

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「山ノ家」がある十日町市松代のような里山における“過疎化”は、ここ30年くらいで加速度的に進んでいます。

かつては賑やかだった通りはシャッター商店街となり、田畑は手放されて休耕田となり、小中学校が廃校になっていったあと、これから先は、人がローカルに回帰していく時代を迎えるだろうと池田さんは話します。

いい意味で、第一次産業であるとか、いわゆるローカルに緩やかに回帰していくだろうなという手応えを感じていて。私たちは、それをちょっとだけ先に手をつける機会をいただいただけなんです。

ノマドという言葉が定着し、ワークスタイルが多彩になった今、仕事の拠点としての都市での暮らしはそのままに、ローカルの自然資源を享受できる里山での暮らしも、「半移住」を選べば、どちらも手に入れることができるのです。

都市には都市のいいところがあるし、地方には地方の宝がある。都市と地方を掛け算したところに、これからの新しい生き方があると思います。どちらかひとつを選択したり、捨てたりしなくてもいいんです。

ひとまず2年でも、3年に一度だっていい。ご縁のあるローカルに出会って、行き来をして、何かしらの種を植えてくれたらいいなと思っています。

ふたつの拠点をもち、どちらも同じ重さの、愛すべき「地元」として行き来する。
みなさんも、もうひとつの“帰れる場所”を探してみませんか?