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そこは、多様な子どもと大人が集う小さな村。シェアオフィスもDJブースもある「しぜんの国保育園」齋藤紘良さんに聞く、“強く生きる”ために必要なこと

近年、ますます多様になる子どもの育ちの場。

かつて、保育園・幼稚園選びと言えば、立地や施設などの物理的条件に加え、仏教系かカトリック系か、それとも公立か、といった宗教や運営母体が主な選択基準でした。

でも今では、シュタイナー、モンテッソーリといった教育メソッドをはじめ、様々な保育スタイルを実践する園も増え、都市部を中心に、その選択肢は広がりつつあります。

親になって初めて我が子の園選びに直面し、「何を基準にえらべばいいかわからない……」と、戸惑う方も多いはず。

今日ご紹介するのは、「すべてこども中心」を理念に掲げ、食、自然、芸術を柱としたユニークな保育を実践している「しぜんの国保育園」。東京都町田市の豊かな自然の中にある、その小さな村で育まれている“強く生きる”力について、園長の齋藤紘良さんに、お話を聞きました。

齋藤さんの言葉から、多様性の中にあること、変わり続けること、そこから生まれる人としての本当の“強さ”を感じ取ってみてください。
 

齋藤紘良(さいとう・こうりょう)
「しぜんの国保育園」園長。音楽の専門学校を卒業後、大学で教員免許を取得し、「町田自然幼稚園」主事に就任。約1年かけてヨーロッパの福祉や文化を視察し、帰国後は自らの思い描く保育を実践すべく、「しぜんの国保育園」へ。副園長を経て、2011年より現職。チルドレンミュージックバンド・COINNのリーダーとして、ライブやCD製作といった音楽活動も行っている。

子どもと大人が自然に関わりあう、小さな村。

小田急線・JR線「町田」駅からバスで15分ほど。住宅街を抜け、坂を下った先に、生い茂る木々に囲まれた白い建物が見えてきます。ここが、「しぜんの国保育園〜small village〜」。

アートと自然を基盤にした子どもの創造性を育む保育を実践している、町田市の認可保育園です。
 

(C) yano toshiyuki

傾斜のある土地に階段状に建てられた4つの建物と、様々な種類の植物が生い茂る園庭が一体となった園舎は、まるで森の中に現われた小さな“村”のよう。鳥や虫、動物たちも、居心地良さそうにゆったりとしたときを過ごしています。
 

森のなかに迷い込んだような園庭には、子どもたちのたからものがいっぱい詰まっています。

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園庭には、羊や子豚、鹿の姿も。育てるだけじゃなく、羊毛刈りなどの体験を通して、子どもたちは生き物との関わりも学んでいきます。

園舎に入ると、まずは真っ白な空間に、明るいカウンターが出迎えてくれます。地域で活躍するアーティストのシェアオフィスとしても使われている事務所の入口には、誰でも自由に出入りできるパブリックスペースも。

子連れの方を中心とした地域の人々が集い、自然に交流が生まれる空間となっています。
 

保育園の入口にはカフェカウンター。ここが保育園であることを忘れてしまいそうです。(C) yano toshiyuki


明るい日差しが差し込むパブリックスペースには、積み木などのおもちゃも。地域に住む就学前のお子様連れの人々が集い、つながりが生まれています。

中へと足を進めると、目に留まるのは、天井が高く開放的なランチルーム。栄養満点のご飯を食べる子どもたちの視線の向こう側には、広々としたオープンキッチンが広がっています。
 

開放的なランチルーム

開園以来、「食べることは生きること」をコンセプトに、食育に力を入れている当園。季節の食材を取り入れた手づくりメニューで食べる喜びを体感することはもちろん、梅干しづくり、味噌仕込みなど、子どもたち自らつくり手となり、それを味わうことで、自然に食べることへの興味が生まれる環境づくりを行っています。
 

3歳以上は自分で配膳。保育士と会話を交わしながら、自分の食べられる量を自分で見極めてお皿を選んで席につきます。


取材日は、ちょうど梅の実の収穫の頃。ランチの前に、子どもたちは、梅干しづくりをしていました。保存食づくりによって、できあがりを待つ楽しみも実感できます。

さらに奥へと進むと、細い下り廊下の先に、「けんちく」、「おんがく」、「えんげき」といったテーマ別に分かれた5つの部屋が現れます。
 

「けんちく」「びじゅつ」「えんげき」「けんきゅう」「おんがく」の5つの部屋は、自分の意志で居場所を決めて活動する異年齢保育の時間の他、ワークショップなどにも使われています。

「けんちく」は、ブロックや積み木遊びを楽しめる空間、「えんげき」の部屋には、ごっこ遊びのためのキッチンやタンス、そして「おんがく」にはギターや木琴などの楽器類のほか、なんとDJブース(!)が設置されています。

どうやって遊ぶかは、子どもたち次第。おもちゃだけではなく本物にも触れながら、テーマに沿った遊びを自由に楽しめる空間になっています。
 

木琴などの楽器とともに「おんがく」の部屋に置かれているDJブース。鍵盤よりも感覚的なので、子どもたちでも楽しめるのだとか。

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「けんきゅう」の部屋には、身近な自然に生息する動植物をテーマにした様々な作品も展示されていました。

主役は子ども。でも、大人も学び、育ちあうのが「しぜんの国保育園」。廊下には、保育者が毎月作成する、こんな掲示物も点在しています。
 

「身体部」の月次計画表には、6月に行う「歯磨き指導プロジェクト」についての狙いやワークショップの企画がびっしりと記されていました。

「しぜんの国保育園」の保育者は全員、身体部、建築部、環境部など、なんらかの“部活”に属し、得意分野を活かしたプログラムづくりを行っています。その成果は、定期的に「ワークショップ」という形で保育に反映されます。

子どもたちは、受け身ではなく双方向のコミュニケーションを取りながらワークショップに参加し、いきいきとした学びを体感していきます。
 

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昨年の「こども美術館」では、子どもたちの絵画や造形作品の展示のほか、園長と保育者、保護者 で結成したバンドの演奏も。

また、「しぜん谷マーケット」「こども美術館」といった祭典や、親子あそび・里山散歩といった地域プログラムも定期的に実施。“村”に閉じこもらず、地域への門戸を常に開いていることも、当園の大きな特徴です。

子どもも大人も、自然に関わりあいながら、自らの意志で考え、行動していく小さな“村”。「しぜんの国保育園」には、今日も多様な人々が集い、それぞれの「個」が、育まれているのです。

食育、自然、芸術。すべての軸は「こども中心」に考えること。

「しぜんの国保育園」が設立されたのは、1979年のこと。それ以来35年以上に渡り、地域の子どもたちの育ちを見守ってきました。

創業以来続く想いの軸は「すべてこども中心」であること。お父さまの事業を自らの意志で受け継ぎ、2011年に園長になられた齋藤絋良さんは、その想いを保育に反映すべく、「食育」「自然」「芸術」の3本柱を掲げました。

そこに至るまでの過程には、様々な試行錯誤があったと言います。

園長になった僕の最初の課題は、「すべてこども中心」という理念を、いかに園の特徴として取り入れていくか、ということでした。

試行錯誤の末、保育方針である「子どもの成長に関わる人は全て保育者」であること、「こどもたちの宝物がここにすべてある」こと、「地域で安心して子育てができる」こと、という3つの要素を掘り下げることが必要だと考えました。

この3つが全て合わさって初めて“すべてこども中心”が実現できると解釈したのです。


3つの要素をどのように保育に反映させていくかを考えた齋藤さんは、根底に柱を立て、その柱を介して理念を実現していこうと考えました。

「生きる」こととつながる「食」。身近にあふれていて、人間の及ばないものに触れる経験から「一生を通して学ぶことが詰まっている」という「自然」。そして、「自然」とは一見違うベクトルのように感じられる「芸術」も大きく掲げることを決めた理由について、齋藤さんはこう語ります。

「芸術」は、人類から自然発生した、なくてはならないものだと思っています。古くからある「音」や「絵」、それらを文化のジャンルで言うと、美術、文学、音楽、建築、演劇、身体といったものが浮かび上がってくる。

でもこれらは、保育園や幼稚園ですでにやっていることだと思うんです。お絵かきは美術につながるし、読み聞かせは文学、ごっこ遊びは演劇につながる。人間が生まれてから死ぬまでに触れていくものの原点は、すべて子どもの頃にやってきたことにあるんですよね。

子どもの遊びを、多様な大人が関わることによって、ただの「遊び」で終わらせないのが「しぜんの国保育園」の大きな特徴です。

「遊び」を、もう少し整理して意味付けをするのは大人の役割。おままごとを、子どもだけの世界の「ごっこ遊び」で終わらせるのではなく、それが「演劇」という表現になっていくということを、順序だてて道筋をつくってあげる、というのが大事かな、と思っています。

たとえば、「おんがく」の部屋にあるDJブースは、「ピアニカなどの鍵盤よりも感覚的なので、子どもたちでも楽しめる」のだとか。

「壊れるから」と遠ざけるのではなく、きちんと使い方を教えることで、小さな頃から本物に触れ、興味と想像力を膨らませるきっかけをつくること。そんな環境にこそ、子どもたちは「たからもの」を見つけ、それを大切にする心が芽生え、そこからそれぞれの「個性」が育っていくのでしょう。
 

取材当時、保育園は「お面」ブームの真っ只中。ひとりの子どもが興味を持ち始めたことをきっかけに、今ではお面づくりワークショップを行うほどの盛り上がりに。子どもの自主性を尊重する当園では、ひとりの興味が保育プログラムへと発展していくことも、珍しくないのだとか。

「子どもだけの楽園」ではなく、秩序ある“村”をつくる。

「すべてこども中心」を掲げ、子どもの自主性を第一に考えた保育を実践する「しぜんの国保育園」。

でも一方で、シェオアフィスにはアーティストがいたり、パブリックスペースにはまちの人が集っていたり。保育者もフットサル選手、イラストレーター、家具職人、妖怪に詳しい方、元カフェ定員、そして園長自らもバンド活動を行うなど、small villageには、実に多様な大人たちも共生しています。

その理由について、「大人が介入しない子どもだけの世界は大人の幻想」だと、齋藤さんは言います。

すべて子ども主体になってしまうと、ともすると放任につながってしまう。そこに文化とか社会が入ってくることが大事だと思うのですが、それを司っているのは、「こう育ってほしい」という大人の願いです。

「子どもがすべて決めて、子どもだけでつくれば理想郷になる」という考え方は、世代を断絶していると思います。一本の柱があって、あらゆる世代が意見を言いながらもそこに立ち戻るという営みを、保育園でも、社会の縮図として実現していきたい。

「子どもがあんなこと言ってるけど、どうする?」と「大人はこう思ってるけど、子どもはどう感じているのかな?」という両方の視点が大事だと思います。

たとえば園内のルールは、子どもの自主性を尊重しながらも、「秩序」や「社会」を意識し、話し合いの中で決めていくのだとか。

ルールづくりは、「子ども目線で利益になるか」を話し合って決めていきます。

例えば以前、大きな声で奇声を発している子がいました。「子どもが元気いっぱいに騒いでいる」という見方もありますが、でも、静かな空間が好きな子もいて、その子にとっては苦痛でしかない。みんなで生活していく中で、子どもも大人も、声の調節ができるようになってほしい。

だから、みんなで声のボリュームを調整する習慣をつくったんですね。


園内の随所にみられる声のボリュームについての掲示物。子ども目線の言葉で表現されています。

ひとりに伝えるような「1」の声から、遠くまで届く「5」の声まで、「どういうときに使う?」と話をして、「じゃあ、先生は3の声で話すから、みんなは1の声になってね」って練習をして。そうするうちに、子どもたちの中でもコントロールがつくようになっていったんです。

ルールをつくるときも、「決まりだから」と押し付けるのではなく、子どもがどう考え、ちゃんと理解できるか、そして「子どもにとって利益になるか」を考えながら、丁寧に話し合っていくこと。

そんな大人の姿勢に触れることで、子どもたちの中に、社会の中でルールが必要だという感覚が自然に身についていくのでしょう。
 

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ハサミの使い方をマスターした子どもには、園長先生から一人ひとりに授与式で手渡されます。年齢で区切るのではなく、子ども一人ひとりの興味や成長に合わせたルール作りも、当園の特徴です。

この村には、いろいろな人が来ます。面倒くさい人、気弱な人、ときには芸術なんて考えたこともない、なんて人も来るかもしれない。

でも、ひとつだけ条件は、「こどもを中心と考えること」を、まず最上に考えているかどうか。それを柱に集まってくるのであれば、多様な方々が出入りするというのは、それが一番、子どもの成長の中の大きな影響力かな、と思うんです。

中には子どもたちが「あの先生嫌いだな」と思うときもあるかもしれない。でも実はその先生も「裏では子どものことをきちんと考えてくれていた」ということを、子どもが成長する段階で気付いてくれればいい。

多様な人がいることを認めることは、多様な子どもがいることを認めることだと思うので。

メソッドは要らない。変化を怖れず、考え続けたい。

「すべてこども中心」という理念、「自然」「食育」「芸術」という柱、そして、多様な大人と関わる「村」の中で育ちを見守ること。そのどれも、どこかで聞いたことがあるようで、これらをまとめてひとことで言い表す教育メソッドは存在しないように思います。

齋藤さんは、このような独自の保育スタイルを貫く理由について、こう語ります。

3つの柱を掲げていますが、「芸術家になってほしい」とか、「自然派至上主義」とか、そんな想いはなく、その中心にあるのは「強く生きてほしい」という願いなんです。

口承文芸学者の小澤俊夫氏のもとで「昔ばなし」を学んだ齋藤さん。「強く生きる」力を身につけること、その原点は「昔ばなし」の中にあると教えて下さいました。

それはときには、三年寝太郎のような「ずる賢さ」かもしれません。昔ばなしに登場する、個性的で、少し機転を効かせた人生を歩んだ主人公たちは、かならず最後に幸せになっています。

身体の強さも、心の強さも、その全てを含めた「強さ」をここで育んで幸せになってほしい、そう思っているんです。

「しぜんの国はひとつのカテゴリーの中のベクトルでは計れない」。そう思った齋藤さんは、教育メソッドを導入しないことを決意しました。

特定の教育メソッドを導入すると、その枠の中でしか生きていけなくなってしまうのではないか、という不安があるんです。社会に出て、多様な人に出会ったり、新しいものに触れたりしたときに芽生えた気持ちを、自分の中で否定しなくちゃいけなくなる。

自分で選択する力を身につけることがとても大事だと思っていて、そのためにも、まずは大人が、メソッドに頼らずに考え続けることがとても大事。変化し続けていく時代の中で、大人自身も、強く生きていかなきゃいけないと思うんです。


保護者の方が育てたニンニクをいただいたことをきっかけに、野菜の絵を描くことに。色とりどりの作品が目を引きます。

教育メソッドを導入しないことは、ある意味、とても勇気の要る選択です。

齋藤さんは、「“浅はか”なものになってしまわないために」絶えずリサーチを行い、「人の育ちの中で大切だ」と思えるものに出会ったら、そのメソッドの一部をどんどん取り入れているそうです。

雑食系ですね(笑) でも自分たちのやり方が正しいとは思っていません。正しいのではなく、信じているんです。こういう環境をつくっていくことが、子どもにとって強く生きることにつながるんじゃないかと信じている。

人間ですから、やはりブレることはあります。でも、そういうときに誰かが「でも子どもって、それを望んでいるのかな?」と言うと、必ず戻ってくる。ここがブレていなければ、怖れずにやっていける。変化をおそれず、これからも悩み、考え続けていきたいと思っています。

匿名性のある「個」が輝く社会へ。

実は齋藤さんは、古くから続く由緒あるお寺に生まれました。

そして音楽の専門学校を卒業後、大学で教員免許を取得し、稼業である幼児教育の世界に入りましたが、その後も海外へ教育や文化の視察に出かけたり、「しぜんの国保育園」の園長になってからも、チルドレンミュージックバンド「COINN」のバンドリーダーとしてライブやCD製作の活動を続けたり。実に多様な人生を歩み続けています。

最後に、そんな齋藤さんに、実現したい社会について聞きました。

僕はお寺に生まれたことがずっとコンプレックスで。人と違うことが嫌で「没個性」を自分に課していた時代もありました。

でもヨーロッパで、そこに集まっている人たちが、それぞれの想いを抱きながら幸せを求め、自分の生活の基盤をつくりあげていく、「共存」ではなく「共生」していくという福祉の考え方に出会ったときに、パッと未来が開けたんですよね。

音楽も、カリスマが引っ張っていく音楽より、90年代に発生してきたアノニマス的なものが好きで。強烈な個性を持っているんだけど、それが匿名性によって形成されていて、「何万人聞く音楽じゃなくて100人でも1000人でもちゃんと共感できる人に届けばいい」という、その考え方と結びついていきました。

「それは子ども同じ」と、齋藤さんは続けます。

絵が上手な子、虫博士、やんちゃ坊主……。それぞれがそれぞれのベクトルで輝いている「匿名的な個性」を存分に発揮できる社会であれば、いろいろなものに対する興味をもっと増やしていけると思います。

そのためには、やはり「強く生きて」いくこと。大人と子どもが共に生きていくこの村で、地域とのつながりの中で、保育のプロだけじゃないいろいろな人の影響を受けながら、生きる基盤を育んでいく。

大人もここで幸せになるべきですし、子どもたちには「強く生きていけば、必ず幸せになる」と伝えたいですね。


自分の音楽仲間や、学生のみなさんにももっと保育に関心を寄せてもらうため、「COINN」のリーダーとして保育園でライブを開催したり、外出が難しい赤ちゃんとお母さんのためにUstreamライブを配信したり。齋藤さんは、自ら動くことで社会へのメッセージを発し続けています。

「子どもたちを守りたい」と閉じた世界をつくるのではなく、社会に存在する様々な「個」を認める環境の中で、子どもも大人も、育ちあうこと。

そして、ときにはずる賢く、大人自ら楽しむこと。齋藤さんが体現する世界は、昔ばなしのように古くからあるようで、新しくもあり、子どもたちの呼吸に合わせるように柔軟です。これからも子どもたち、そして社会の変化とともに、ゆるやかに変わり続けていくことでしょう。

あなたのまわりにいる子どもたちのために、今、できることは?

教育書に手を伸ばす前に、まずは昔ばなしの絵本でもめくってみませんか。