2013年11月、リヴオンが東京・増上寺で開催した「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話」
すべての人の未来に、100%の確実さで待っていることは何でしょうか?
それは「死」です。明日なのか、数十年後なのかはわからないけれど、私たちはいつか必ず死にます。そして、自分自身が死を迎えるまでに、おそらく何人もの大切な人を見送らなければいけません。
最愛の人や大切なものを失ったとき、私たちは大きな喪失感を味わいます。悲しみ、怒り、無感動、あるいは安堵など、そのときに感じる自然な感情やプロセスを「グリーフ」、グリーフを抱いている人に対するケアは「グリーフケア」と呼ばれています。
「一般社団法人リヴオン(以下、リヴオン)」代表の尾角光美さんは、19歳でお母さんを自殺で亡くして以来、グリーフケアに携わってきました。
尾角さんのミッションは「グリーフケアが当たり前にある社会をつくること」。前回のインタビューでは、お葬式や法事などお寺で行われる葬送儀礼をグリーフケアの原点として再発見し、「お寺から変わる社会」を描こうとする尾角さんのお話を伺いました。
あれから2年半、尾角さんは今どんな想いでグリーフの現場に関わっているのでしょうか。
一般社団法人リヴオン代表理事 尾角光美さん
1983年大阪生まれの東京育ち。2003年大学の入学直前、19歳で母を自殺により亡くす。翌年から「あしなが育英会」で遺児たちのグリーフケアに携わる。2006年、自殺対策基本法成立を機に自治体からの依頼を受け、自殺予防や自死遺族のケアに関する講演活動を開始する。2009年2月にリヴオンを設立、2012年に法人化。リヴオン編著として『102年目の母の日~亡き母へのメッセージ~』(長崎出版)。自団体で出版した『大切なひとをなくしたあなたへ』は東北において累計1万部頒布。2014年、初の自著『なくしたものとつながる生き方』(サンマーク出版)を上梓。
遺児を支援し、グリーフケアの担い手を育てる
「大切な人を亡くした若者のつどいば」のフライヤー
リヴオンでは現在、(1)遺児支援事業と(2)グリーフケアの教育事業が二本柱になっています。
遺児支援事業としては、京都で毎月第三日曜日に15~30歳の死別を経験した若者を対象に、「大切な人を亡くした若者のつどいば」を開催。高校生以上のヤングアダルト世代を対象とするのは「一見自立したように見られるためにほとんど支援の手がない」からです。
親を亡くした影響から精神的な疾患を発症しやすいのは、10代後半から20代に多い。その年代というのは進学、就職というライフステージにおいても重要な時期であり、サポートが必要となる。
また、児童養護施設も18歳になれば出なければいけないので、「自立しなければ」というプレッシャーも大きいんです。
そして、教育事業としては、中学、高校、大学などに呼ばれ、グリーフケアはもちろん「自殺予防(いのちの守り方)」について学ぶ「いのちの授業」を実施。石巻、京都、東京では「いのちの学校」という遺族、僧侶、葬儀社、医療従事者、カウンセラーらが一緒にグリーフケアを学べる場も開いてきました。
また、仏教各宗派に呼ばれお坊さんを対象としたグリーフケアの研修や連続講座を行い、グリーフケアの担い手として育てることにも取組んでいます。
リヴオンはなぜ、遺児支援だけでなくグリーフケアの担い手の育成にも取組むのでしょうか? 尾角さんは「お坊さんや葬儀に関わる人、医療従事者らがグリーフケアできれば、当たり前に遺児もそこに含まれてきます」と言います。
アメリカであれば、病院や葬儀屋さん、宗教者などいろんな入り口から情報提供が行われているし、支援の場もたくさんあります。
たとえば遺児支援団体だけで300を超える数がありますが、日本は両手で数えられるほど。今、対当事者で考えると一番ケアやサポートを届けたいのは遺児ですが、グリーフケアは誰もが必要としていること。
誰もが当たり前にグリーフケアにつながることのできる社会づくりをしたいんですね。
「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話」を実現!
2011年6月に尾角さんが描いた1、10、30年後のビジョンのコラージュ。左上に故・スティーブ・ジョブズ氏の写真。左下にダライ・ラマ法王の写真と“Dialogue with him about possibility of Buddhism in Japan”の文字がある
2011年6月、シアトルで行われた米国NPO法人iLeapのリーダーシップ研修に参加した尾角さんは、1年後、10年後、30年後のビジョンをコラージュで作成。「how to save」の文字とともに、故・スティーブ・ジョブズ氏の写真を貼りました。
スティーブ・ジョブズは、誰も使っていなかったiPhoneを「誰もが当たり前に使うもの」にした人。私も、グリーフケアという言葉が当たり前になる社会にしたいです。
それに、「グリーフケア」という言葉には、どこか「弱い人を元気にしてあげる」というイメージがつきまといますが、グリーフの中にある力や希望を生み出して行く視点こそが、イノベーションだと思っています。
すると、1年後のビジョンに描いた「Dialogue with him about possibility of Buddhism in Japan(ダライ・ラマ法王と日本仏教の可能性について対話する)」が、「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話」という企画となって実現します。
同企画の種となったのは、2011年11月に石巻・西光寺で行われたダライ・ラマ法王による慰霊法要。そこで、尾角さんが見たのは、津波で親を亡くした遺児たちの名前を呼び、一人ひとりを抱きしめながら入場するダライ・ラマ法王の姿でした。
そして、ダライ・ラマ法王は、1959年の亡命直後に2日間で何千人ものチベット人が殺され、多くの友人を失ったこと、大きな悲しみを自分の内なる力に変えていくことを語ったそうです。
東京・増上寺で開催した「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話」の報告書籍。限定150部、3,500円(税込)で販売しています(提供:リヴオン)
ダライ・ラマ法王の”一人称のグリーフ”に深く共感した尾角さんは、翌12月の世界人権デーに、京都・法然院で若手僧侶たちと「Pray for Tibet」を開催。
そのご縁もあり、2013年秋には、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所や宗教者たちの協力をうけて、東京・増上寺で「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話」という一大イベントを成功させたのです。
ダライ・ラマ法王に祝福を受ける尾角さん。
では、10年後と30年後に尾角さんはどんなビジョンを描いたのでしょう?
10年後には「全国47都道府県に遺児たちが集えるサポートのグループができていますように」。30年後には「当事者、葬儀屋さん、医療関係者、宗教者が同じ立場でグリーフケアを学べる学校と、その現場となる病院づくり」を描きました。
最終的には学校と病院を一緒につくりたいんですね。グリーフケアには亡くなる前からのサポートやスピリチュアルケアが必要ですから。
次なるビジョンの実現に向けて、尾角さんは今どんなことに取組んでいるのでしょうか?
続いて、新たに始まった「いのちの学校」と「僧侶のためのグリーフケア連続講座」の事例を見てみましょう。
東北の被災地ではじまった「いのちの学校」
2013年4月、リヴオンはグリーフについて学べる場「いのちの学校」を、大阪・應典院で「グリーフタイム」を主催する臨床心理士の宮原俊也さんとともに石巻市で立ち上げました。
東日本大震災で被災したまちで、大切な人を亡くした人、グリーフケアについて知りたい遺族、学校の先生や宗教者たちとグリーフについて学び、グリーフを大切にするための時間を持つためです。
全12回のプログラムは、尾角さんがこれまで学んできた知識や経験を総結集。グリーフケアの基礎知識やセルフケアの時間のほか、アートやヨガなど無意識や身体とつながりながら自分と対話するプログラムなども盛り込み、総合的にグリーフケアを学べる構成を考えました。
今の日本には、グリーフケアの知識や死生学を学ぶ場はありますが、体験的に学べる場をつくっているのは「いのちの学校」だけだと思います。「いのちの学校」はていねいに自分のグリーフに触れられる場であり、学びのコミュニティがそのまま学ぶ者同士のケアの場にもなっているんです。
東京で開催した「いのちの学校」。一番参加者が多かったのは3会場ともに「お坊さんと『死』について学ぶ」の回!「お坊さんと話したい」ニーズの高さを感じさせられたそう(提供:リヴオン)
「いのちの学校」東京会場に来てくれた吉水岳彦さん(ひとさじの会代表、光照院副住職)。「人は死んだ後も命の完成に向かって行く」と実感のこもる吉水さんの話に皆が聴き入りました(提供:リヴオン)
「いのちの学校」は、京都、東京でも開講し、3会場でのべ約300人が参加しました。
来期は、京都と東京で継続するとともに、「自分と同じように苦しむ人にグリーフケアを届けたい」という受講生の声に応えて「いのちの学校」ファシリテーター養成講座を立ち上げる予定です。
「講座のなかで出会っていった人が講師として育っていくというストーリーが、私のなかでいちばんしっくりくる」と尾角さん。ファシリテーター養成講座の開講は2015年春を目指しています。
お坊さんも悩んでいる!? 「僧侶のためのグリーフケア連続講座」
お坊さんたちが真剣にセルフケアのワークに取組んでいます!(提供:リヴオン)
2014年11月には、「お寺からケアの可能性を開く 僧侶のためのグリーフケア連続講座 in 名古屋」という全6回の講座をスタートしました。
この連続講座は、お坊さんたちの熱いリクエストによって実現したもの。前回の記事でご紹介した「グリーフサポート連続講座」(2009年に石川県小松市の勝光寺にて全5回で開催)から5年の時を経て、講師の尾角さん自身も講座の内容も大きくアップデートしています。
開講してみると、お坊さんたちから意外な声があがってきたそうです。
「自分自身を知る時間」と題してセルフケアのワークをしてもらったとき、「今までこれほど自分と向き合ってこなかった」「自分のグリーフをこんなに人に話したのははじめて」とお坊さんたちが口々に言うので驚きました。
お坊さんこそ、自分の痛みや苦しみ、悲しみを人に伝えて共有する機会がないんだなあって。
また、葬儀や弔いの現場で、お坊さんたちが「悲しみにくれる遺族に何と声をかけていいかわからない」というように遺族とのかかわりに戸惑いを抱いていることもわかってきました。尾角さんは、お坊さんたちの現場によりそい、より具体的なサポートを行うようにしているそうです。
そして、尾角さんは「遺族に対して何か力になりたい」と思うお坊さんたちの姿が、以前よりもはっきりと可視化されているのを感じています。
たとえば、東日本大震災の被災地で百か日から1万部を配布したグリーフケア冊子『大切な人をなくしたあなたへ』を、東北以外の地域から「お寺の檀家さんみなさんに配布したいので1000部を増刷して販売してほしい」という依頼もありました。
また、宗派が毎年主催する研修会で尾角さんが呼ばれた「グリーフケア」をテーマにした回には今まで来ていなかった人が参加するケースもあったそうです。
「大切なひとをなくした人のための権利条約」より。第一条は「悲しんでもいい、落ち込んでもいい」からはじまります
同冊子には、グリーフについての基礎的な理解とリヴオンが起草した「大切なひとをなくした人のための権利条約」も収録されています。
この7か条を一枚の紙に印刷して、お葬式や中陰にかけて配布するお坊さんもいるそうです。「情報をあまねくご遺族の方に届けようとする僧侶たちが増えているのはすばらしい動き」だと尾角さんも喜んでいます。
さらに、「大切なひとをなくした人のための権利条約」を受け取った人のなかには、「毎日お仏壇の前で自分のために読み上げている」という人も。お仏壇の前に座ることは、亡くした家族や先祖に向き合うこと。お仏壇に向き合うことそのものがグリーフケアなのです。
お坊さんを通して、その向こう側にいる遺族にグリーフケアが届いている。その手応えが少しずつ尾角さんに届き始めているのです。
一人でやれる“限界の臨界点”に達して
出張の移動時間も無駄にせず仕事を進める尾角さん
リヴオンは多くの人と恊働してプロジェクトチームで動いていますが、組織としてはひとり体制。
研修会や講演会のために毎週のように出張しながら、活動報告の冊子や書籍の執筆・編集、講座のプログラム作成をする尾角さんは「自分でもびっくりするくらいよく働いていると思う(笑)」と言います。
今はもう限界の臨界点みたいな感じ。よく「選択と集中が大事」と言いますが、法人として3年間やって事業らしい事業をつくりあげて、集中すべきところも見えてきつつあります。節目が訪れるならきちんと味わおうと思います。
そこで来期には、ファンドレイジング(資金調達)と会計部門を担うCFO(最高財務責任者)としてスタッフの雇用を予定。
グリーフケア講座の講師は、今のところは他の人に任せることは難しいですが、遺児支援の事業に対して資金調達をすることであれば私でない人でも十分に担っていけると判断したからです。
震災のあった年に、ポートランドで米国最大の遺児支援組織ダギーセンターの研修を一週間受けたのですが、「アメリカのNPOは2人目にはファンドレイザーを雇用するのが鉄則」だと聞いて「それが大事!」とは思っていたんです。
でも、3年間事業をやって、実感を込めて「ファンドレイザーが必要だ」と思うのは違う。頭でわかっているのと実感して腑に落ちるのは違うんですよね。
3年間やってみて、事業収益の考え方も定まってきました。たとえば、講座の価格設定。「僧侶のためのグリーフケア連続講座」の受講料は6万5000円とリヴオンとして過去最高の価格設定でした。
でも、尾角さんが自らの学びに投資した時間とお金、そしてプログラムやテキストを作成するコストなどを積み上げていくと「適正価格よりもまだ若干安いくらい」なのです。
どこの団体でも遺児支援の事業は受益者である遺児からお金をとることはほとんどなく、団体の運営は主に寄付や助成金に頼らざるを得ないことが多いです。
ところが、先述のダギーセンタ―は、ファンドレイジングの体制が整っているだけでなく、人材育成や研修、講座などで専門性を提供するのに見合った価格設定を行い、得られた収益を遺児支援事業を行うために循環させていくという形で成り立っているんですね。
そこから専門的なスキルとノウハウを提供することに、どれだけの価値があるのかを考えた上での価格設定をしなければいけないんだとわかってきました。
継続的に団体を運営し、より多くの人にケアやサポートを届けていくためには、大事な経営の感覚なんだと思います。非営利組織だからといって、経営センスがなくていいわけではないんですよね。
お寺から、お坊さんから変わって行く社会は必ずある!
「僧侶のためのグリーフケア連続講座 in 名古屋」で講師に立つ尾角さん(提供:お寺の未来)
2011年、尾角さんはNPO法人ETIC.のソーシャルベンチャースタートアップマーケット(SVSM)で「スタートアップメンバー」に選ばれました。その最終面接で、選考委員だった起業家の大先輩から「あなたがお坊さんに講演をしたところで、この世の中の何が変わるのですか?」と問われたそうです。
ずっとこの挑戦的な問いを抱き続けながら、一人ひとりの僧侶の変化に立ち会ってきました。そして今は、ひとりの僧侶が意識を変えることによって、その先にいるすごくたくさんのご遺族のケアにつながっていくんだと明確に見えています。
もし、当時の私に会ったら「絶対に大丈夫。お寺から、お坊さんから、変わっていく社会があるから!」って言ってあげられる気がします。
法人設立からの3年を「なにごとも、やってみないとわからなかった」と尾角さんは振り返ります。一人の限界を知ったからこそファンドレイザーの雇用を決め、事業においても実感を持って「選択と集中」をしていく意識が生まれてきたからです。
2014年、尾角さんは多くの人に祝福されて結婚をしました。今まで「家族とは失うもの」として経験してきた尾角さんは「家族が増えるという経験はすごく大きい」と言います。
夫がいるだけでも「わあ、また亡くなるいのちが増えた」と心のなかでは思うんです。それでも、家族がいる人生を選んだのは、「失いたくないものがある人生はしあわせなんじゃないか」と感じられたから。
今は、家族だからこそ出てくるドロドロした感情を持つ自分を見ては、すごく人間くさいなぁって思いながら歩んでいる感じです。それもまた豊かなのかと。
人間の感受性は喜びだけ、安らぎだけを感じられるようにはできていません。深い悲しみや苦しみは、喜びや安らぎを感じる力をも育てるものだと思います。
19歳のときからずっと、自分自身と向き合ってきた尾角さんにはきっと、より深い幸せを味わう力が備わっているのではないでしょうか。
そんな尾角さんだからこそ、「グリーフケアがあたりまえにある社会」を切望し、その実現に向けて「お寺から変わる社会」をつくろうとしているのです。
この世の中に生きる誰もがグリーフを抱える日がやってきます。あるいは、親しい人がグリーフを抱える姿に出会います。そんなときに、そっと寄り添ってくれる人や、自分自身の力で回復できる場があればどれほどうれしいことでしょうか。
もし、あなた自身が今はまだグリーフを抱えていないと思っているとしても、「その日」のために「今」できること、考えてみませんか?