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親と一緒に暮らせない子どもの現状を知っていますか? 社会的養護の子どもたちを家庭的な環境で育てる「子どもの村JAPAN」

FUKUOKA
子どもの村 福岡

子どもにとって親や家族とともに暮らすことが、どんなに大切かは言うまでもありません。

しかしいま、日本には、親と一緒に暮らせない子ども時代を過ごしている子どもたちがどれぐらいいるのでしょうか?

親の病気、経済的な理由、虐待などによって、親が育てることができない子どもたちは、厚生労働省の発表では、約47,000人いると言われています。

その子どもたちを社会の責任で公的に育てることは「社会的養護」と呼ばれています。

社会的養護の子どもたちを家庭的な環境で育てるNPO「子どもの村福岡」(今年から「SOS子どもの村JAPAN」に名称変更)の今岡春奈さんに、まだまだ知られていない社会的養護の子どもたちのことや、日本における社会的養護の課題と、その解決のための活動についてお話をうかがいしました。

厳しい環境で育つ日本の社会的養護の子どもたち

日本と世界の社会的養護の大きな違いは、その養育環境にあります。国連は、2009年、「子どもの権利条約20周年」の国連総会で、「国連・子どもの代替的養育に関するガイドライン」を採択し、世界中の国々に社会的養護の子どもたちの養育のあり方について示しました。

日本の場合は約85%が乳児院や児童養護施設といった施設で育っており、里親さんやファミリーホームといった家庭養護で育つ子どもたちは約15%です。外国では例えばオーストラリアでは90%以上、アメリカやヨーロッパも50%~70%が里親のもとで養育されています。

家庭的な環境で育てられることが子どもの権利であるにも関わらず、日本ではそれが守られていないのです。また、まだまだ大型の施設が多いのも国連から指摘された日本の課題です。
 
IMAOKA
日本の社会的養護の問題について熱く語ってくださった今岡さん

「国連のガイドライン」では、「きょうだいは離してはいけない」ということになっています。

しかし、日本では乳児院と児童養護施設は年齢別になっているので、例えば1歳と4歳と小学校1年生の3人兄弟の場合は、1歳の子は乳児院、幼児と学童は児童養護施設となり、さらに年齢でお部屋が分けられる場合は、3人共に兄弟一緒に生活することができなかったりするんですね。

親と離れて生活する悲しみの上に、兄弟まで離ればなれになるという現状があるんです。

子どもたちが、親と一緒に暮らすことができなくなる理由はどんなことがあるのでしょうか。

乳児院の場合は、ご両親が心の病気で養育できないとか、ネグレクトとか、十代で結婚できず未婚のためとか、そういった背景の子どもたちです。

長期間施設で養育されて、措置解除になる18歳まで施設で暮らすという子どもも、時にはいるそうです。

国連のガイドラインでは、「社会的養護は最終手段であり、できるだけ短期間」と示しています。最近では、そのような子どもは、できるだけ早く里親や養子縁組で家庭的な育ちを保障するよう施設の方も努力されているのだとか。

また、同じく「経済的理由で親と離してはいけない」としていますが、経済的な問題で母親と子どもが分離されるケースも多いといいます。それが本当に経済的な困窮だけが問題であれば、財政的な支援や就業支援などをして、親子が分離せずにすむようにすべきでしょう。

問題は親側だけにあるわけではありません。もっと社会の子どもという視点が大事ではないでしょうか。

例えば、

国連のガイドラインの中で、「代替養育は最後の手段であって、子どもたちは親元あるいは近親者の元で生活することを保障されるべき」とあります。

親としては充分ではないかもしれない、そういう親御さんでも、子どもと一緒に暮らせるように経済的支援に加えて、周りにさまざまな支援を保障し、子どもが親とともに暮らす権利を保証できるのが成熟した社会なんじゃないかなと思います。

という、今岡さんの言葉には、子どもたちに対する私たちひとりひとりの責任を感じさせます。

家庭養護をめざして~「子どもの村福岡」の誕生

「子どもの村」が福岡に生まれるまでに、福岡市では社会的養護の状況に市民による活動による大きな変化がありました。

きっかけは、2004年ごろ虐待件数の増加により、それに伴って、社会的養護措置が必要な子どもが増え、市内の施設は満員になり、県外の施設にまで子どもたちを委託しなければならない状況に陥ったこと。

そこで、2005年、子どもの受け皿である里親を増やすために、福岡市児童相談所とNPOが協働し、「市民参加型の里親普及事業」が始まりました。その結果、6.9%だった家庭養護が31%まで上昇。そんな活動の中、「子どもの村福岡」は誕生したのです。

福岡に千鳥屋さんという饅頭のお店があるのですが、その前社長原田光博さん(故人)が、お菓子の修行でオーストリアに行ったときに、チロル州にあるSOS子どもの村と初めて出会われて。こういう村をいつか福岡につくれたらいいなとずっと思っていらしたそうなんです。

オーストリアにある「SOS子どもの村」という国際NGOは、「すべての子どもに愛ある家庭を」というスローガンの下に、家族と暮らせない子どもたちへ家庭を保障する活動を世界中に展開しています。
 
SOS INTERNATIONAL
SOS子どもの村は世界100ヶ国以上で活動しています

その存在を知ったさまざまなひとびとの想いが、さらにさまざまな人との出会いの中でふくらみ、2006年に「子どもの村福岡を設立する会」の発足に至ります。

けれども実際に開村するにあたっては、たくさんの苦労がありました。

まず、実際に村をつくる場所が決まるまでの候補地の中には、社会的養護の子どもたちに対する偏見も少なからずあって、子どもたちが地域にきたら、自分の子どもを学校にやれんようになると言われて、断念した土地もあります。建設地を確保することはとても大変でした。

とても残念なことですが、社会的養護の子どもたちに対する理解はまだまだ進んでいないのです。でも、設立をめざす人たちはあきらめませんでした。

土地が決まってからも、地元の住民たちの反対もあったのですが、集会所単位で話を続け、1年間の努力の後、2010年4月に「子どもの村福岡」は開村しました。

今では、子どもたちを大変かわいがってくださり、畑で採れた野菜を子ども達にと持ってきてくださったり、季節になると一緒にイチゴ狩りをしてくださったり、共に子ども達を育んでくださり、5回目の冬を迎えています。

子どもの村福岡の暮らし

いま、「子どもの村福岡」には、4名の育親さん(里親のことを子どもの村ではこう呼びます)と、親戚のおばさんのような立場で子どもの養育をサポートするSOSおばさんがいます。そして、15人の子どもたちがそれぞれの家で暮らしています。
 
fukuokahouse
子どもの村福岡には5つの家があります

育親は、国の里親制度を活用運営しているので、里親登録ができる人。できれば、子どもに関わる仕事をしてきた人がいいのだそう。現在は、児童養護施設で働いていた人や看護師、小学校の教員をしていた人などが子どもたちを育てています。

育親さんは24時間365日、子どもたちと生活しています。私的な場所であるお家で、社会的養護の子どもを育てるという公的な仕事をしているんですね。

それがまさしく家庭養護なんですけど、加えてその育親さんへの支援を充実し、みんなで子どもの育ちをサポートしていくことが必要不可欠だと思います。それは、地域で里親をされている方々にも必要なことだと思いますね。

その環境こそが子どもたちにとっては安心できる環境で、決まった大人との愛着をはぐくむために大切なこと。愛着とは幼児期の子どもと養育者の間に形成される情緒的な結びつきであり、幼児期の心理・社会的発達になくてはならないものです。
 
SH3K0346
育親さんと子どもたち

子どもにとっては、頻繁に愛着の対象(担当の人)が変わらないわけですね。例えば、お昼寝で寝かしつけをしてもらって、起きたら別の職員がいるということはないわけですね。

その結果、村に来て一ヶ月もすると、最初に来たときと子どもの表情が劇的に変わるといいます。

子どもたちに特別なことをするわけではなく、3度3度、育親さんがつくるご飯を食べ、夜には布団で眠る、普通の日常生活を過ごします。そんな大切にされている安心な毎日が子どもたちには本当に大切なのです。

例えば、育親さんによって自分の好きなメニューをつくってもらうという、一般の家庭では当たり前のことも、社会的養護の子どもにとっては大きな意味を持ちます。
 
livingroom
SOS子どもの村JAPANにある家は一般家庭と同じ、普通の住宅です

施設によっては、毎日献立も決まっているところが多いんです。家庭の場合は、「今日何食べたい?」とか、子どもに聞くわけですよね。そういう生活の中で、自分は何が食べたいとか自然に考えて、自分の意見を言うんです。

何気ないことですが、それが子どもが自立するにあたって職業の選択をする力にもつながっていくかもしれません。

家庭養育は、ただ家庭的な愛情を受けて育つということ以上の大きな意味を持つのです。だからこそ「子どもの村」は、里親の少ない、いまの日本に求められています。

今年の12月には、「子どもの村福岡」に続き、仙台で「子どもの村東北」の設立が予定されており、現在準備中です。開村のきっかけは、やはり東日本大震災でした。

国際NGOの「SOS子どもの村」には緊急支援の部門があり、国際本部からは、「震災後の状況を知らせなさい、子どもへの支援ができますよ」と矢継ぎ早のメールが来て、震災遺児の受け入れも打診されました。

そういうつながりの中から、東日本大震災で被災した子どもたちの支援(子どもの村東北の開設)が始まったんです。

TOHKU
建設中の子どもの村東北。建設資金がまだまだ必要です

遺児たちのほとんどは親族の方に引き取られました。しかし歳月が過ぎ、子どもたちが大きくなり思春期を迎え始める中で、高齢化する親族がとまどったりといったこと予想されています。今後の支援が大切になるでしょう。

東北にも社会的養護の現状はありますので、被災者支援とともに、社会的養護の子ども達の支援もしていきます。

子どもたちのために私たちができること

里親として子どもを育てるのは難しい…と思った方もいるかもしれません。でももちろんそれ以外でも、私たちにできることはたくさんあります。そのひとつがボランティアです。

福岡では200名ぐらいの方がボランティア登録をしています。中には、支援はしたいけど子どもは苦手という方もいるので、村の中庭の草取りや、修繕や修理のために日曜大工をする方もいます。

VOLUNTEER
中庭の草取りをするボランティアの皆さん。いろいろな関わり方で子どもの村を支えています

ほかにも、託児をしたり、ニュースレターの送付作業、ウェブサイトの更新作業を手伝ったりなど、さまざまな形で関わることができます。

もっと身近な、今いる場所で、社会的養護の子どもたちのためにできることもあります。

これから家庭養護が進めば、自然に地域の中に社会的養護の子どもたちが生活するようになります。そのときに、子どもたちを自分も一緒にみていくという風に思っていただきたいですね。

例えばあなたのお子さんと同じ小学校に里子の友達がいるかもしれない、そのときにその子は特別ではなくて、変わらない子どもとして見てもらいたいんです。それはすごく大きな支援だと思います。

社会的養護の子どもへの偏見をなくしていくことが、社会全体で子どもを見ていくことの一歩ではないでしょうか。

そしてまだ子どもがいない若い人たちは、将来例えば子どもが授からなかったときに、里親になるという選択肢もあることを心に留めておくのも素敵なことです。

そして今すぐ、これを読み終えてすぐにでもできることとして、募金というアクションもあります。

「子どもの村東北」は、まだまだ建設資金が足りていません。そして、子どもの村は子どもたちが自立するまで、確実に養育していかなければならないのです。そのためにはもちろん資金が、たくさんの方の寄付という協力が、継続的に必要です。

「子どもの村」は、社会的養護の子どもたちにとって大きな希望となる大切な存在です。けれども、今岡さんが望んでいるのは、「子どもの村の発展」だけではありません。

社会全体が自然に「子どもの村」のような役割を果たしてくださる、そういう社会に向かっていく一員に皆さんがなっていただければうれしいです。

ボランティアや寄付をしたり、偏見をなくしたり、里親になったり、社会的養護の子どもたちのためにできることは、たくさんあります。

多くの人が当たり前のように得ている、家庭的な環境で育つという幸せに包まれて、ひとりでも多くの子どもたちが育つように、いますぐできるアクションを起こしてみませんか。

11月22日には、「フォスターケアと子どもの権利」と題して、SOS子どもの村JAPANが主催するフォーラムが東京で開催されます。

こういった場に足を運んで、社会的養護や子どもの権利について知ることも、たくさんの子どもの幸せのための一歩となるはずです。