地方で働くこと。それは同時に地方で暮らすことでもありますよね。たくさんの自然に囲まれて過ごす生活に憧れながらも、都会の便利な暮らしに慣れていると不便さを感じることもあるでしょう。けれども見方を変えれば、都会にはない新鮮みを帯びたものとして、暮らしに溶け込むこともあります。
場所は群馬県にある北軽井沢。大きな通りから路地に入ると、森の中に静かに佇むカフェ「麦小舍」が現れます。東京から移住して10年、自宅と兼ねてカフェを営む藤野麻子さんに、森の中での暮らしについてお話をうかがいました。
移住して10年、あらためて楽しいと感じる日々
森を眺められる窓と本に囲まれたカフェスペースの一角
北軽井沢は標高1000mを超え、避暑地としても有名な場所です。抜群の存在感を示す浅間山と、いつもより空が近くに感じられる森の中にカフェ「麦小舍」はあります。10年という月日を通して、暮らしはどう変化したのでしょうか?
住み始めの2年は、見るものすべてが新鮮で夢中でした。それが5〜6年経つと慣れてきて、嫌なところも気がつきます。ところがそれを通り過ぎた9年目頃から、毎日見慣れている風景から新たな発見をするようになりました。例えば、庭に生えている植物や遊びにくる鳥にあらためて興味を持ったりしています。
餌を置いて遊びにくる鳥を観察します
藤野さんは「今の暮らしがあらためて楽しい」と話します。もともとはご両親が山小屋として使っていた場所。他の人に住んでもらおうかという話が出た際、小さい頃の想い出が詰まったこの場所を大切にしたくて、移住を決めます。
そして人の集まる場所になればと、一階を改装してご夫婦でカフェ「麦小舍」をオープンします。店内の壁一面にはずらりと並ぶ本たち。薪ストーブのそばのソファ、ハンモック、ツリーデッキ…。森の自然を感じながら珈琲を手に、本を読んで過ごすのにぴったりの場所が用意されています。
さらにカフェの隣の小屋には、古本と紙雑貨の店「キジブックス」も。森の中でたくさんの本に囲まれて、時間が経つのを忘れてしまいそうです。
キジブックス
カフェの営業は主に週末だけ。平日は午前中に農家さんの出荷の手伝いをして過ごす、二足のわらじを履いた暮らしをしています。
お手伝い先の畑で穫れる野菜はカフェでも提供しています(写真提供:藤野麻子さん)
藤野さんは、さらに北軽井沢を含めた浅間山麓の楽しみ方を紹介するリトルプレス「Forst&me」を発行。一昨年からは「自然のなか、ピクニック気分で本を愉しもう!」をテーマにした小さな本のお祭り「BOOK-NiCK(ブックニック)」を主催するなど、北軽井沢の魅力を発信しています。
リトルプレス「Forst&me」(写真提供:藤野麻子さん)
北軽井沢はGWとお盆に観光客が集中しますが、道は渋滞し、お店は混んでいるしで、楽しめずに帰ってしまう方が多いと思うのです。一番きれいな季節は、植物が伸び始め、生命力に満ちてくる6月と紅葉で色づく10月。「ブックニック」は、紅葉の時期に足を運んでもらいたいという想いから生まれた企画です。
「ブックニック」では古本市やワークショップ、展示、トークショーといったイベントを開催。比較的新しくて若い世代の店主が出店する古本市や「zine」という個人で発行する小冊子のワークショップ、秋の森を親子で探索するツアーや古本屋の店主がすすめる「森で読みたくなる本」の展示など、一人でも家族連れでも楽しむことができるように多彩に企画されました。
ブックニックの様子(写真提供:藤野麻子さん)
生活の基準は、暦でも時計でもなく浅間山
浅間山の形や大きさ、すべてが好きだと話す藤野さんは、朝、窓から浅間山を見ることが日課だそうです。
生活の基準になる浅間山(写真提供:藤野麻子さん)
頂上に雪が積もったら冬支度、三回積もったら車をスタットレスタイヤに履き替えるサインです。そして、春先に鳥の姿をした残雪が現れたら春の始まり、一斉に畑に作物を植え付けます。
また、浅間山に雲がかかってきたら、雨が降ったり、風が強くなる前触れ。その前に買物に出掛けたり、洗濯物を取り込んだり、その日の予定を組み直します。山とともに暮らす生活。ここでは生活の基準が暦や時計ではなく、浅間山なのです。
けれども、「浅間山は活火山だから脅威でもある」と藤野さんは話します。
移住してきて間もない2004年に噴火した時は、バリーンという振動があり、外を見ると浅間山の上が赤くなっていたのです。その後、雨の降るような音で灰が降ってきました。活火山の怖さを実感した出来事でした。
とはいえ、こういった脅威を感じながらも、3.11東日本大震災の黙祷は自然と浅間山へ向いているのですよね。やはり浅間山は心のよりどころであり、ここから離れたくないですね。
春から秋は活動し、冬は休むー自然にさからわない暮らし
北軽井沢の冬は1年の半分といってもいいほど長く、真冬には氷点下20度という厳しい日が続くそうです。この厳しさは、暮らし方を見つめるきっかけにもなっています。
年間を通してコンスタントに働かないといけない、という考えをやめました。ここは自然の力が大きくて冬は出歩けないから、さからわずに休むことにしています。
その暮らしにぴったりの場所が、ウッドデッキを改築して作られたサンルーム。設計や資材の調達など、すべて旦那様の手によるものです。日光が四方八方から入ってくるのはもちろん、浅間山の方角に向かってテーブルが置かれていて、空模様もしっかりと把握することができます。
お日様の力はすごい。氷点下の日中でも、このサンルームの室温は20度まで上がるので、1日のほとんどをここで過ごしています。
サンルーム。天井からたくさんの光が差し込みます
冬に東京へ出掛けると、人や電車、お店などすべてが動いていて、違和感があります。都会だと自分本位に時間を回しやすいですが、ここでは自然の不可抗力があるから。
今年2月、関東甲信に降った過去100年で一番の大雪では、北軽井沢も背丈ほどの高さまで雪が積もりました。車も雪に埋もれてしまうほど。サンルームの天井が雪の重さで割れてしまわないようにと、旦那様が何度も雪かきをしたそうです。そして家の前の道路までの道は、人の手による雪かきではどうすることもできず、除雪車が到着するまでの三日間、藤野さんご夫婦は孤立しました。
目の前に積もった雪を見て、人ではどうしようもない自然の力を痛感しました。いかに人の力で動かしてきたのか、これは農業を経験して感じたことでもあります。
「思い通りにいかない」からこその暮らし
ご夫婦で本が好きで、自然と増えていったそうです
移住してきて、深いお付合いが増えました。お店での会話やちょっとしたきっかけから、家族ぐるみで親しくするようになったりします。「職場だけの顔」とか「サークルでの付合い」というより、暮らしやライフスタイルをそのままオープンにしてお付合いする、という感じです。
ここで暮らす上で、人との繋がりを大切にしているという藤野さん。大雪の時は、町よりも早く、地元の知り合いの方が個人所有の除雪車を出してくれたおかげで、孤立が長引かずに済んだそうです。そして畑のお手伝いに行っている農家さんには、仕事以外の部分でもいろいろと相談に乗ってもらったり、助けてもらっているそう。
「付き合いが深い」といっても、ベタベタした関係ではなく、必要なときに手を貸してくれる距離がありがたいです。
また、藤野さんの「暮らしのものさし」を聞いてみると、次のようなことを話してくれました。
天候などで予定していたことができない時は、「いいや」と諦めます。無理に進めようとしないことです。野菜にしても庭のお花にしても、初めの頃は色々やりたいと思ったのですが、その土地や気候への適不適があることを徐々に知りました。無理やり栄養剤などを使って育てるというより、もともとここに合うものの中から選んでいく、ということを今、少しずつ学んでいます。
自然豊かな場所で暮らすということは、その恩恵を享受する一方で、気候など自然の厳しさも受け入れながら暮らすことでもあります。
思い通りにいかないことも暮らしの一部として受け入れる。自然にさからえないからこそ、地域の人同士で繋がり、工夫しながら暮らすようになる。藤野さんの暮らしは「思い通りにいかない」ところからつくられていました。
暮らす場所は簡単に変えられないものです。まずは空を見上げてみたり、いつも通りかかる道に立つ木を眺めてみたり…。それを繰り返すうちに、今の暮らしの中で遭遇する景色にもいろいろな表情があることに気づくでしょう。
それはわくわくしたり、ほっとしたりするものかも。そういった日常を楽しめるような心の余裕を持つことから、「暮らしのものさし」をあらためて考えてみるのもいいかもしれません。
(写真:FUJINO RYUICHI)