みなさんは今、どんなものを食べて、どんな服を着て、どんな街に住み、どんな人と過ごしていますか? そしてその暮らしをこの先も続けていきたいと思いますか?
完ぺきな理想の暮らしを手にするのは、仕事や家庭の事情、経済的な理由からなかなか難しいかもしれません。でも、手の届く範囲で、心地よく暮らしていくことなら誰にだってできるはず。誰かのモノマネでもなく、今の自分だからこその暮らしを見つけたい。
そんなひとりひとりの「暮らしのものさし」を尋ねに、今回は、料理僧として料理・食育に取り組むほか、日本初・お寺発のブラインドレストラン「暗闇ごはん」を主催する青江覚峰(KAKU)さんにお会いしてきました。
青江覚峰さん
お寺に生まれた縁で浅草の地に暮らす
KAKUさんの住まいは東京台東区浅草。そこで暮らす理由はほかでもなく、”お寺に生まれた”というご縁にあります。およそ400年つづく緑泉寺は、元々は湯島にあったのですが、明暦の大火後の区画整理により浅草の地に。
その後、関東大震災、東京大空襲で2度も焼失。さらに道路拡張もあり、時代とともにその姿を変えていったといいます。今は商業地に指定されているため、耐火構造にする必要から、コストを考えて木造耐火ではなくビルの形に。
お寺って、昔から変わらずあるというイメージがあるかと思いますが、お寺ですら時代の流れの中で、たゆたうところがたくさんあるんです。もちろん、50年後、100年後と時代が変わっていけばまた違う形になっていくと思います。流れに任せていくしかないでしょうね。
変わらないものはない。そう思うからこそ、3人のお子さんを育てるにおいても「自由であることを大切にしている」と話します。
うちは、基本的にすごい放任主義。遊ぶのも自由、勉強するのも自由、なんでも自由にやるっていうのを大切にしています。
今はITの時代ですが、一歩先の時代には何が来るかはわかりません。クリエイティブな部分が育つのを妨げてしまうと、時代が変わったときに対応できなくなってしまうし、これをやっておけば安心と言うものも全くないと僕は思うんです。
ろうそくの火が消える音が聞こえるかどうか
お坊さんであるKAKUさんの朝は、お経を上げることから始まります。お経を上げるときにろうそくに火を灯し、終わったら消す。その一連のルーチンは、KAKUさんが大切にしている暮らしのものさしのひとつ。
ろうそくの火を消すときに、竹筒をかぶせるんですね。すると、筒の中で二酸化炭素が充満して火が消える。その火が消えるときに、小さく小さくポッという音がするんです。
その音は、きちんと神経を尖らせていないと聞こえないほど小さな音。たとえば、近くをトラックがたまたま通ったら聞こえないし、意識がそぞろで、他のことを考えていたりしても聞こえないほどなのだそう。
この音がちゃんと聞こえているというのは、からだが健やかである、気持ちも落ち着いている、なおかつ運がいいということ。そのことを、ろうそくが消える音を通して感覚的に理解できるんです。
聞こえないときには、「何が今日違うんだろう?」とそこで考える。
もしかしたら具合が悪いのかもしれない、ちょっと心配事があるのかもしれない。そういえば、提出しなきゃいけない資料を忘れていたなとか、あのメールを返していないなといったものが伸し掛っているのかもしれない。それらのことを見直す機会を与えてくれるのです。
料理の基本はだし。食べさせるよりも食べてもらう気持ちで作る
「小学校1年生のときの夢がコックさんだった」というほど、小さいころから料理好きだったKAKUさんは、料理僧として外で食事を振る舞うほか、もちろん家でもキッチンに立っています。料理をする上でのこだわりはいくつもあるそうですが、基本にしているのはだしをとること。
毎朝だしをとるんですが、ぜったいに味って同じにならないんです。これはほんとうに不思議で。同じ材料を使って、同じようにルーチンとしてやっているのに、毎朝味が違うんですよ。それは主観的にもそうなんですが、だしがおいしくとれないと子どもがおかわりをしないのでわかります。
同じものを同じクオリティでできるはずが、それでも微量な違いが出てくる。それはろうそくの火が聞こえるかどうかと同じように、自分のバロメーターになるとKAKUさん。
ルーチンで毎日同じことを繰り返していくと、見えてくるものというのが確実にあります。はっきりとではなく、ぼんやりと「あ、なんか今日はうまくいってないな」という具合に。そこに気づくことができたら、調子が良くないならないなりに気をつけて暮らしていこうと、調整することができます。
また、家族のごはんを作る上で大切にしていることがもうひとつ。それは、食べてもらえるものをつくるということ。
昔、妻とも話したのですが、子どもが食事を残すのは誰のせいなのかと。残さず食べると言うマナーがある一方で、作り手のミスということもあると思うんです。この前は同じ料理を食べたのに今日は食べなかったなら、おいしくできなかったのかもしれないし、相手が求めているものを出せなかったのかもしれないわけです。
「料理はライブ」とKAKUさん。好きなものを出せばいいってものではなく、そのときの気持ちや、体調によって食べられるもの・食べられないもの・食べたいものが当然でてくるもの。
こちらがうまくマッチングできなかったら残されます。子どもはすごく正直なので。そうかといって、残してもいいよという話ではありませんから。ちゃんと食べられるものを出していくというこっちの調整と、残さず食べなさいというところのせめぎ合いがいつも食事という場にはありますね。
それを思うと、毎日の食事を作るのはとても大変なこと。でもだからこそ、おもしろいとも言えます。そんなKAKUさんにとって家の中で大切なスペースはキッチンかと思えば、「そう言おうかとは思ったんですよね」と笑いながらも、とっておきの場所を教えてくれました。
こども部屋でこども3人が川の字で寝ているんですけど、その間です(笑)ぎゃーぎゃー騒ぐので「静かにしなさい!早く寝ろ!」っていいながら、お話を読んだりして、気がつくと眠りについている。たいてい、自分もそのまま寝てしまいます。そんな時間が一番好きです。
家族旅行のひとコマ
お坊さんは社会の”あそび”
「自分らしい暮らしを言葉で表すとしたら?」という問いに対して、「あそびです」と一言。その言葉には2つの意味が込められていると言います。一つはPLAYの意味。もう一つは、ハンドルやブレーキにあるゆとりの意味。
僕は、お坊さんって社会のあそびだと思っているんです。だって、お坊さんの役割って何なのか、一言では表せないですよね。
お経を上げる人なのかと言えば、そのあとお話もしなければならない。話しをする人なのかと言えば、それなら噺家さんがいる。相談を受ける人なのかと言えば、臨床心理士というわけでもない。「ちょっとしたこと何でもやります万相談所みたいなね」とのこと。
お坊さんとか、宗教者とか、今はもう日本にはあまりいない哲学者とか。ああいう人たちが社会のあそびの部分として存在しているから、社会がうまく回っていると思うんです。「何を生産しているの?」と聞かれてしまうと、「すみません、何も生産していません…」となってしまうんですけどね。でも、だからこそ、そこを精一杯担当しようと思っています。
社長、人事、経理…と、誰が何をやる人なのか細分化され、あそびの部分が減ってきていっている今の社会。かえって割り切れない仕事がうまれてしまい、ギスギスしくることがあると思うとKAKUさん。それは家庭の中でも同じこと。
KAKUさんの家では、”おじいちゃん”というあそびの存在にすごく助けられていると話します。たとえば幼稚園にお子さんのお迎えにいくときに、家で下のお子さんの面倒を見ててもらえる。それは純粋に有り難いことでもあり、安心感にもつながるなど心の支えにも。
僕は、役割を与えられていない人こそ一番のキーパーソンだと思っています。「子はかすがい」という言葉が昔からありますが、こどもがいるとなんとなく場がまとまります。でも、こどもに役割なんてないわけです。「遊ぶことがこどもの仕事」なんていいますけど、「そんなわけあるかい!」って話で(笑)何もしてない人なんですよ。
こどもだから、年寄りだから許されると思いがちですが、実は誰にでも許されるんです。日曜日に何もやらなくても、何も言われないでしょう?そういうふうに何にもしない人がいても許されるんだと考えていると、家の中もうまく回っていきます。それに、僕自身もいいかげんに過ごせる。それが社会にも広まるといいのかなと思いますね。
自分を知るものさしは「ルーチン」「話すこと」「考えること」
自分の暮らしを見つけるために、どんなことを大切にして日々過ごしていけばいいのか。そこでKAKUさんが大切にしている「3つの暮らしの基本」を教えてもらいました。
ひとつめは、すでに話に上がった「ルーチン」です。ルーチンがあるからこそ自由でいられるとKAKUさん。
学生のころって、制服や校則があって不自由なのに、決まりの中でどこまでいけるかという挑戦があるから、すごく自由だったと思うんです。毎日の暮らしも同じです。ルーチンでこれを自分はやるんだってものを作ると、不自由さがあるからこそ、それ以外のところで自由が見つかると思っています。
ふたつめは「話すこと」。「僕は基本的に嘘つきなんで」と話すKAKUさんは、「こんなことやろうと思っているんです」と、思わず適当なことを言ってしまうのだとか。でも、誰かに話した瞬間に事実として残ってしまうため、やらざるを得なくなってくるという状況が作られていきます。
同時に、話すことによって自分の頭が整理されて、カタチになっていくこともあります。そうやって、自分を動かすことができるので、僕にとって話すことはとても大切ですね。誰とも話さないでいたら、たぶん何もやらないです(笑)
その「話すこと」とセットで大切にしているのが、「考えること」。
先に上げたルーチンも話すことも、外に対してアクションすることなので、どこかの段階でふと立ち止まって「あのときなんでこんな話になったんだろう」と考えるようにしています。そうすると、自分の中で見えてなかったところがちゃんと見えてきます。
忙しいからこそ、サボらずに毎日同じことを続ける、立ち止る勇気を持つ。自分にちょうどよく暮らしていくには、そんなことが大切なのかもしれません。
まずは何か一つ、「毎朝これをやる!」と決めて、誰かに宣言してみることから始めてみませんか?
(撮影:Ayako Mizutani)