ここ数年、木工製品、雑貨、家具づくりなど、DIYのワークショップが盛んです。これまで消費するだけだったモノを、“自分の手でつくる”。その実感を取り戻そうとする、人々の心の表れだともいわれます。
お金だけに頼らない生き方を求めて、自分で自分の暮らしをつくる究極が“家づくり”でしょう。家となるとハードルの高いものですが、奥多摩の山奥で、100パーセント素人ながらも家づくりに挑戦し、自分の暮らしに合った住まいを仲間とつくってしまった方がいると聞き、遊びに行ってきました。
奥多摩の山を見下ろせる、“資産価値ゼロ?”の一軒家
日原集落からの眺め
奥多摩駅から車に揺られること約20分。狭い山道をうねうねと上がっていった先に、のどかな里山の風景が広がります。わずか40人ほどが暮らすという日原(にっぱら)集落。そのなかでも、標高500mの奥まった急斜面に、中山茂大(しげお)さんの家はあります。
漆喰塗りの古い一軒家で、狭い石段を上って建物のなかへ入ると、広い土間の奥に囲炉裏があり、左奥は広々とした畳座敷。右奥の台所の方へ進むと、再び屋外。ウッドデッキの空間が広がり、お酒が呑めるバーカウンターやハンモック、山を見下ろせる五右衛門風呂まで! 集落のなかでも高台にあるので、奥多摩の山々が遠くまで見渡せてすごくいい眺めなのです。
中山さんが改築して住んでいる築100年の家
窓全開で奥多摩の山が見下ろせるぜいたくな五右衛門風呂
ここの家主であり改築の施工主が、中山茂大さん。20年以上のバックパッカー歴をもつ、旅行作家兼ライターです。DIYの経験は一切なく、設計や建築と無縁だった彼ですが、無謀にも6年前に築100年の(本人いわく、もともとあまり風情のなかった)古民家を買い、大改築して、今はそこに住んでいます。
100坪の敷地と家を合わせて200万円という驚きの安さ。固定資産税も年にたったの3700円(!)と、これまた本人いわく「資産価値的には無価値に等しい」場所なのだとか。
一言で「改築した」といっても、素人ゆえ失敗の連続で、四苦八苦しながら仲間とともに、改装作業を進めてきました。そう、なぜかここは、毎月中山さんの家をDIYするために、都内から若い人たちが次々に訪れる不思議な拠点にもなっているのです。
今では主屋の改修が終わり、懲りずに、新たに斜面を切り崩して別棟を建築中。新しい建物づくりに励んでいます。
この日の作業は壁に防水シートを貼ることから
高い所の作業は素人には大変。ほぼ直角に近いハシゴを皆で支える
中山さんの家づくりはみんなの実験台でエンターテイメント
「なぜ奥多摩の山奥に?」とうかがうと、「都内に住む理由が、もはや見当たらなかったんですよね」と中山さん。しかし、いきなり家をつくるなんて、なかなかできないですよね。
完璧なものを求めるとそうかもしれないですが、自分が暮らせれば十分だし、やり方さえわかれば後からいくらでも修繕できます。“家を自分でつくれる”って実感できることは大きいですよ。お金がないと家も持てないってことになるけれど、200万円で買える家もあることを知ったり、細かいものでも自分でつくることを覚えたら、この先気持が楽ですよね。
確かに、高額の家賃を毎月支払ったり、何千万円もの借金をして家を買い、残りの人生でローンを支払うことが当たり前という世の中で、自分で家をつくることができたら、そのカセから解放されるのかもしれません。中山さんの暮らしはとても身軽に見えます。
DIY歴6年になる中山さん
人の家だけど、真剣です
いきなり“家”でなくとも、小さな椅子やテーブルなど、お金をかけず自分でつくったものを使うことに価値を置く人が増えています。お金があろうとなかろうと、暮らしは自由で楽しくなければもったいない。それが昨今のDIYブームの背景にありそうです。
中山さんちの家づくりは、その言葉のとおり、プロフェッショナルというよりも、みんなでつくって楽しむ実験工場のよう。毎月入れ替わり立ち替わり、若い人たちが集まって、中山さんの家づくりを手伝っています。
素人の集まりなので、毎回トラブルやハプニングがつきもの。作業を始めたとたんに材料が足りない、あるべき場所に基礎がない、間違えて切っちゃいけないところ切っちゃった、なんていう失敗もざら。それでも、みんな楽しそう。
以前、自分で家をつくったセルフビルダーの方にお話をうかがった時、その方がこんなことを仰ったんです。子どもさんや奥さんと家族みんなで家を建てることを楽しんだから、その過程だけで充分満足だと。建てた家そのものには執着がなくて、実際その方はあっさり建てた家を売ってしまわれました。今、自分でも家づくりをやってみて、その気持がよくわかります。こんな楽しいことを自分でやらないのは、もったいない。
遊びに来たら自分たちも泊まることになるので
断熱材を壁にはりめぐらせます
めちゃくちゃたわんでるけど、どうなのよ、と気になる
もう10回近くも手伝いに来ている、笠原宗一郎さんはこう話します。
笠原さん 建物がどんな風にできていくのか、基礎から見ることができるのはすごく面白いです。中山さんは細かいことにこだわるタイプではないので、作業の進め方もこうしましょうって提案すると、ほとんどの場合まかせてもらえますし。将来自分がDIYする時のための実験台といったら失礼だけど、練習にもなる(笑)あとはここへ来ると、毎回いろんな人に会えるのが楽しいですね。
プロにしかできない部分はプロに頼みますが、基本は素人のつくった家。そんな家でも、住むのに耐えられるのでしょうか? 実際、作業の過程では基礎のコンクリートにヒビが入ってしまったり、至る所に微妙な隙間、台所の水道管が折れて水が噴出して床が水浸しになってしまったことも。
プロの大工さんから見たら、「いったい何をやってるんだか」といわれそう。でも、台所もトイレも洗面所もちゃんと機能しているし、何よりすでに6年間、雨の日も雪の日も地震にも耐え、中山さんはそこで無事に暮らしてきたのです。
土間から撮った囲炉裏(左)と台所(右)。左奥は座敷
主屋とデッキの間につくった折れ戸と飾り窓。ちゃんとできているように見えますが、プロの大工さんの採点では家全体で70点でした
DIYの後はデッキでBBQも。夏はここで呑むビールが絶品
世の価値に縛られずに生きる
大学時代からバックパッカーとして何十カ国もの国を旅してきた中山さんは、その頃に「幸せの基準って何だろう?」と考えたといいます。
中山茂大さん
例えばネパールなど、経済基準でいうと世界のなかでもかなり貧しい国です。それでもヒマラヤの南側にあって、気候的には恵まれていて、食べるものにはほとんど困らない。だから他の国に比べて、接する人たちが幸せそうだったんですよね。
大学を出てすぐの4年間は都内でサラリーマンとして働き、その間に旅行記の本を出して独立。「仕事」の面ではその時から、自立した働き方をしてきた中山さん。次に目指したのが、日本の不自由な「住まい」の事情にとらわれない生活だったのかもしれません。
まぁそういうとカッコいいですけど、セルフビルドしている人のなかには、不思議と“元バックパッカー”だったという人が多いんです。共通しているのは、「金はないけど暇ならある」ってこと(笑)お金がなければないなりに考えるし、工夫しますよね。
世の中から「価値がない」「時間のムダ」と思われるようなことでも、一文無しになった時に、生きていく術を知っている人は強いもの。自分の手と知恵を使って、お金をかけずとも楽しく暮らしていけたら、稼ぐことにしばられず、他人の価値観にふりまわされる必要もなくなるのかもしれません。
暮らしのものさしは、あと何回気心の知れた仲間と呑めるか
夜は囲炉裏を囲んでの会に
中山さんにとって今選んでいる暮らしは、友人知人と過ごす時間を一番に考えた結果でもあるのだとか。
僕がいま一番大切にしているのは、家をつくるってことや仕事よりも、残りの人生のなかであと何回、気心の知れた仲間と呑めるかってことかもしれません(笑)大事なのは人と楽しむ時間ですね。
意外にも、都内に住んでいた時よりも、奥多摩に来てからのほうが友人と会う頻度が増えたのだそう。
長いこと会っていなかった昔の知人も、今奥多摩にいるというと、子どもを連れて遊びに来てくれたり、学生時代の仲間も毎年のように集まるようになったり。中山さん自身も、週に一度は都内に仕事の打ち合わせを兼ねて出向き、知人と会ってすごします。
形になってきた離れ。母屋に比べてDIYの腕もあがり、快適な住まいにしたいのだとか!
最近、故郷の北海道からお母さんも千葉に移住し、1000坪近くある広々とした敷地と家を購入しました。そちらでも、中山流DIYプロジェクトが進行中。中山さんもひと月のうち4分の1ほどは千葉で作業しています。家づくりがあるから母親との接点も増え、「今ようやく親孝行できているかも」という中山さん。
自分で家をつくることができるようになることは、自分なりの暮らしを手に入れる大きな一歩。DIYの時間も、家族や仲間とのかけがえのない時間になるというおまけつきです。
いきなり家でなくても、まずはお手伝い、という小さな一歩から始めてみてもいいかもしれません。
(写真撮影: SHINSUI OHARA)
中山さんの家づくりの模様は『笑って!古民家再生』(山と渓谷社)にも掲載されているので興味のある方は、ぜひそちらを見てみてください。