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クラブカルチャーからベルリンの知られざる25年間を解き明かす「AFTER 25」[イベントレポート]

2014年3月1日にドイツ文化センター(東京都港区)で開催された「AFTER 25」
2014年3月1日にドイツ文化センター(東京都港区)で開催された「AFTER 25」

poor but sexy(カネはないが、イケてます)

これは、約10年前、現ベルリン市長のKlaus Wowereit(クラウス・ヴォーヴェライト)が表した、ベルリンのキャッチフレーズ。

欧州の金融拠点であるフランクフルトや大手自動車メーカーBMWが本社を構えるミュンヘンといった他の主要都市と比べて基幹産業に乏しい一方、音楽やアートなどの多様で創造性豊かな文化を誇るベルリンの特徴が、端的に表現されています。

では、今日のベルリンを生み出し、形づくった原動力は、いったい何なのでしょう。

2014年3月1日に東京で開催された「AFTER 25カンファレンス」では、ベルリンの文化と街の活性化に尽力してきたキーパーソンとともに、それらの礎のひとつでもあるクラブカルチャーから、この問いについて考えました。
  
ベルリン市内に残る「ベルリンの壁(Berliner Mauer)」の跡
ベルリン市内に残る「ベルリンの壁」の跡

1989年11月9日、街を東西に分断していたベルリンの壁(Berliner Mauer)が崩壊し、ベルリンは、新たな激動の時代へ。2つの政治・社会システムの混在によって大きく動揺した街の中心部では、壁の跡地が広大な空き地となり、いたるところで不法占拠が起こったといいます。

独誌「デア・シュピーゲル(DER SPIEGEL)」などで音楽・カルチャーを中心に執筆するジャーナリストのTobias Rapp氏は、ベルリンの壁が崩壊した直後、この地に移住した一人。当時の様子について、次のように振り返っています。
 
音楽ジャーナリストのTobias Rapp氏
音楽ジャーナリストのTobias Rapp氏

僕がベルリンに移り住んだのは、1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、1990年10月に東西ドイツが統一するまでの「移行期」でした。その頃は、公的機関も機能しておらず、街は灰色。3分の1くらいが空き地で、不法占拠されている場所も多かった。でも、どこか自由な雰囲気があって、この街に可能性を感じていました。

この混乱期、ベルリンの人々を支え、勇気づけたのが、数々の音楽。不法占拠された建物のあちこちで、夜な夜な音楽が流れ、老若男女が楽しく集うアンダーグラウンドな社交場が、草の根から生まれていきました。しかし、このようなクラブカルチャーが街に広がるにつれ、周辺住民とのトラブルや騒音など、様々な問題も顕在化しはじめます。

そこで、2000年、Marc Wohlrabe氏を中心に、ベルリンのクラブ経営者ら20名が、業界団体「クラブコミッション(Die Clubcommission)」を創設。ロビー活動や広報活動などを通じて、地域住民・行政機関・政治家に、クラブカルチャーの経済的・文化的価値を訴えました。

「自分たちは何者であり、なぜベルリンの街にとって重要なのか?」を積極的に発信することで、アンダーグラウンドな存在だったクラブカルチャーを地域や実社会と接続させ、ベルリンの新しい価値として位置づけようと考えたのです。

Marc Wohlrabe氏は、クラブコミッションの活動に込めた思いを、こう語っています。
 
ベルリンのクラブ業界団体「クラブコミッション(Die Clubcommission)」の会長Marc Wohlrabe氏
ベルリンのクラブ業界団体「クラブコミッション」の共同創始者、Marc Wohlrabe氏

クラブは、音楽を通じて自分自身を思いっきり表現できる場所。クリエイティブなものや新しいビジョンは、こういう空間から生まれるんです。ベルリンのクラブカルチャーが、音楽のみならず、ファッションや映画・ゲームといった他の創作活動にも好影響を与え、まちづくりや観光資源にもなることを訴え続けました。

クラブカルチャーの変遷からもわかるとおり、新しいものを生み出す風土と生態系によって、ベルリンは、2000年以降、世界を代表する音楽・アートの発信地となり、近年では、起業家やスタートアップ企業が集まる「欧州のシリコンバレー」とも呼ばれるようになりました。

GoogleやFacebookといった有力企業もこぞってこの街にオフィスを構え、地元のスタートアップやクリエイターとの連携を深めています。

また、クラブカルチャーは、ベルリンのまちづくりにも大きな影響をもたらしてきました。その代表的な取り組みが、ベルリンの市街地の中心を流れるシュプレー川沿いで進行中の「HOLZMARKT PROJEKT(ホルツマルクト・プロジェクト)」。

再開発地域として大手デベロッパーに買収された土地を住民らが協同で競り落とし、クラブやシアターホール、公園、レストラン、宿泊施設などからなる複合施設を建設しています。
 

今はなきベルリンの伝説的クラブ「bar25」の元経営者で、「HOLZMARKT PROJEKT」を主宰するJuval Dieziger氏は、このプロジェクトの趣旨について、こう述べています。
 
HOLZMARKT PROJEKTを主宰するJuval Dieziger氏
HOLZMARKT PROJEKTを主宰するJuval Dieziger氏

「HOLZMARKT PROJEKT」は、現状に異議を唱えるだけでなく、住民自身が、一定の責任をもとに行動することを基本としています。この場所は、単なるクラブではない。誰もが楽しめるオープンな場所であり、アーティストたちが創作活動に打ち込める場所であり、学生や若い起業家がつながるイノベーション拠点としての役割も持たせる方針です。

アンダーグラウンドな存在だったクラブカルチャーがベルリンを代表する文化的・経済的価値となったのは、「今さえよければいい」という刹那的な視点や、「自分たちさえ楽しければいい」といった閉鎖な視野によるのではなく、中長期的な視点から自分たちの意義や価値をとらえ、地域や社会とのつながりの中で自らを位置づけたからこそ。

このような思考に基づいて、大きなビジョンを掲げ、地道な活動を継続した結果として、今日のベルリンがあるのだと実感しました。このような思考やプロセスは、様々なソーシャルアクションや、まちづくりにおいても、学ぶべきことがあるのではないでしょうか。