北海道、岩手県に次いで全国で3番目に大きい福島県。原発事故のせいで「フクシマ」とくくられてしまったけれど、その内情が一様でないのは、広さからも想像がつきます。
山側と津波に襲われた海側、事故当日の風上と風下など、被災状況も土地によってまちまちで、当然ながら住む人の心情にもさまざまなグラデーションがあります。
県南部に位置するいわき市は、放射性物質の影響を比較的受けませんでした。福島第一原発最寄りの都市であるため、図らずも、今では2万人を超える避難者が暮らす「受け入れの町」になっています。
いわき住民の語りに触発されて大学生が映画を制作
けれども、いわき市もまた、446人が犠牲となった被災地です。物心両面でまだ余裕の無い中で大量の新たな住民を受け入れた結果、誰も望まない軋轢が生じたと言われています。そのとき4人のいわき住民が立ち上げたのが、グリーンズでも過去にご紹介した「未来会議 in いわき」でした。
これは、ファシリテーターの進行で数十人の人々がグループを組み替えながら本音を語り合う催しで、2013年1月に始まり、これまでに6回開催されました。(次回3月7日は、「夜の部」として初めてアルコール入りの対話が計画されています。)
この未来会議での対話に触発されて、人々の言葉を軸に、いわきの今を描くドキュメンタリー映画として誕生したのが、『いわきノート FUKUSHIMA VOICE』です。
撮影・取材を担当した学生たち(欠席1人含め計11人)
『いわきノート』を制作したのは、筑波大学の学生たち。被災地支援と人材育成を目的とした「筑波大学創造的復興プロジェクト」の一環として、芸術系学生を中心に11人が参加しました。
ユニークなのは、映画配給会社と国立大学がコラボレーションしたこと。インディペンデント系作品を数多く配給し東京渋谷で映画館やレストランを運営する有限会社UPLINKが、映画づくりのノウハウを伝えるために全面協力し、学生たちは大澤一生氏や島田隆一氏などプロの映画人から指導を受けることになったのです。
撮影期間の8日間は、スタッフを含む大所帯でいわき市内に合宿。学生たちは2〜3人ずつの4チームに分かれ、それぞれの現場に通いました。撮りためたインタビュー映像を指導スタッフが待つ部屋に持ち寄っては、深夜までモニターを囲んで反省会をする日々を経て、ドキュメンタリーは完成しました。
2月21日に同大学構内で行われた完成披露上映会には、約260人が参加。挨拶に立った吉川晃副学長は、完成版の初鑑賞を前に、「学生ならではのピュアな視点」に期待を込めました。
実際、映し出された人々の声や表情からは、温かい厳しさや包み込むような優しさが何度も感じられました。それはきっと、カメラやマイクを向けたのが、若く純粋な学生たちだったからでしょう。
仮設住宅に何度も通ううちに、立場を超えて人間ひとりひとりとしてお話をしてくださるようになりました。そのときに私の中で断片的だった被災地のイメージが変わり、3.11のその日から続いている時間の流れを感じることができました。見ていただく方には、映像に写る方々の、これからの時間を感じていただけたらいいなと思います。
と、取材にあたった学生の一人、芸術専門学群2年の佐々木楓さんは語ります。
すぐそこにある別の日常を感じてほしい
会場の様子
また、人間学群2年の岡崎雅さん、芸術専門学群2年の鈴木ゆりさん、大学院芸術専攻2年の津澤峻さんのチームは、一時帰宅する方に同行して、原発からほど近い富岡町に入ったそう。
あいにく、一連のシーンは、約96時間分に及ぶ全員の記録を86分の映画にまとめる際にカットされていますが、 自分たちで防護服を買いに行って着替えたそうです。
ガイガーカウンターのメーターがどんどん上がってアラームが鳴り続けました。結局私たちは色々と理由を見つけて乗っていた車から一歩も降りず、それを後悔もしましたが、今になって振り返ると、やっぱり怖かったんですよね。
と岡崎さんは打ち明けます。
学生たちが向き合ったのは、いわきに暮らす人々の日常です。東京から約200キロメートルしか離れていない町の“今”なのです。
震災から3年が経つ今も、3.11後の受け入れがたい現実に懸命に向き合い、順応しようともがき続けている人々がいる――そのことが、この作品に詰まった数十人の生々しい語りから立体的に立ち上がり、まっすぐに伝わってきました。
3月2日(日)には渋谷UPLINKでトークショー付き完成披露上映会が開催されます。3.11から3年を迎える今、ぜひ観に行ってみてはいかがでしょうか。
問い合わせ先:UPLINK
03-6821-6821 info@uplink.co.jp
問い合わせ先:MOVIX つくば
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