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特集「STORY OF MY DOTS」は、“レイブル期”=「仕事はしていないけれど、将来のために 種まきをしている時期」にある若者を応援していく、レイブル応援プロジェクト大阪一丸との共同企画です。
今回は、タワーレコード代表取締役社長を経て、「タイムアウト東京」を立ち上げた伏谷博之さんのインタビューをお届けします。タイムアウト東京は、東京の街の魅力をグローバル視点 から発信するフリーペーパー/ウェブマガジン。「本当に素晴らしいものは、世界のどこであれ誰であれ感動を与えてくれる」をコンセプトに、さまざまな情報発信をしています。
1990年にタワーレコード入社。1996年に同社デジタルメディア事業部部長。翌年、日本の音楽流通で最初のeコマースサイト「@TOWER.JP」開設。2004年マーケティング子会社の株式会社NMNLを設立、代表取締役社長に就任。2005年タワーレコード代表取締役社長就任。同年、ナップスタージャパン設立、代表取締役社長を兼務し、日本初の音楽サブスクリプションサービスを開設。タワーレコード最高顧問を経て、2007年オリジナル株式会社設立、代表取締役に就任。2009年タイムアウト東京株式会社を設立し、代表取締役に就任。
ギターに本気で向き合った半年間
若くしてタワーレコード代表取締役社長になった伏谷博之さんは、学生時代からギターを愛する音楽青年でした。転機が訪れたのは大学3年の時にアメリカを転々としながらの音楽漬けの旅。ライブハウスやレコードショップを駆け巡る毎日は大きな刺激になったようです。
ニューオリンズでは本当に町中からブルースが聴こえてくるんです。アメリカすごい!音楽すごい!というシンプルな感情が湧きあがりましたね(笑)
そして帰国後に大学の授業に行ったんですが、何だかすごい違和感を感じてしまったんです。居心地はいいんだけど、このまま漠然とした毎日を過ごしていいんだろうかって。そしたら自分の中で「音楽が好きなんじゃないの?オマエ」みたいな声が聞こえてくるわけです。
それでニューヨークで買ったギターを眺めてたら、真剣に音楽に向き合うと決意してしまったんです。
伏谷さんは翌日から大学に行かず、半年間に渡ってギターと向き合う生活に没頭します。
ギターと対峙した毎日と言うと聞こえはいいんですが、完全に下宿に引き籠りです(笑)。音楽やるにもいろんな選択肢があると思いますが、もともと我が道を行くタイプだったので自己流で極めてやろうとしていたんですね。
その一方で自己流だからどこか限界があることも感じたし、このまま外の社会に出ていっても否定されるんじゃないかとか、いろんなジレンマが錯綜してた毎日だったような気がします。
下宿を訪ねてきた友人が切り刻んだ新聞紙だらけの部屋を見て「驚愕した」と言ってましたから、ギターを弾きながらも頭の中はかなりカオスな状態だったと思います。
そして伏谷さんは大学を留年。周りの友人たちが社会人になる中で塾講師をしながら、塾に集まる音楽好きの生徒たちにギターを教えてあげたりする音楽に寄り添った日々を過ごします。そんな時に愛読していた『ミュージックマガジン』で、ある求人広告を目にします。
ミュージシャンになりたいという気持もどこかにあったんですが踏ん切りがつかなかったんですね。そんな時にアメリカで夢中になったタワーレコードが、大阪に新店をオープンする広告でアルバイト求人が出ていたんです。一日中どっぷり音楽に浸ってる仕事もいいなと思って応募しました。
親からしてみたら大学留年して、なんでそんなところでアルバイトするんだという感じでしたけど(笑)
オマエはROCKしているのか?
こうして大学5年生の秋からタワーレコード心斎橋店でアルバイトを始めた伏谷さん。
当時アジア最大級を誇り、いまでは当たり前となったインストアライブや試聴機を導入するなど、すべてが画期的なレコードショップは新鮮さに溢れていました。ただ伏谷さんの印象に深く残っているのはそこで働く人たちの姿だったと言います。
みんな食事代を切り詰めてでも音楽にお金を割くみたいな異常なぐらいの音楽コレクターでした。持ってるレコードの数が自分とケタが違うんです。当時はオタクという言葉がなかったけど完全に音楽オタクの集まりでしたね。
その熱量で大好きな音楽をどうやってお客さんに伝えていくか、そんな話で毎日盛り上がってました。だから上下とか関係なくて同じ土俵で意見を言い合える環境でした。
「タワレコで働いてるオマエはROCKなのか?」という感じで(笑)。その思想にガツンと頭を殴られたような感じでした。
それまで音楽というものに向き合っていながらも、どこかナイーブな感覚に浸っていた自分を認識させられたというか。やっと自分にとっての音楽との関わり方に出会えたような気がしました。
その後、正社員として登用され、28歳の時に新しくオープンする新宿店の店長に抜擢されます。
新宿店に勤めていたころの写真
バイトあがりの自分が店長だなんてすごく有難い話でした。新宿店は大勢の音楽ファンが足を運んでくれたし。でもしばらくすると、店長というある意味管理する側になってしまってる立場に疑問がわいてきて。「自分がやりたいことってレコードシヨップの店長だったんだっけ?」とまた自問しちゃったんです。正直、タワーレコードを辞めようかななんて悶々とした時期でした。
ちょうどその頃、渋谷に超大型店(タワーレコード渋谷店)がオープンし大きな話題になります。その様子を見て、この店に勝つにはどうすればいいのかという思いを抱いたと伏谷さんは言います。
今度は引き籠るわけにはいきませんからね。そのかわり何をしたかというと渋谷店を徹底的にディスるアイデアを考えるわけです(笑)。それまでナンバーワンだった新宿店を一瞬で抜き去った渋谷店ができたことで血がたぎってくるというか。
それでポスト超大型店舗ってなんだろうって考えていたときに、アメリカでミュージックブルーバードという音楽のオンランサイトが始まった噂を聞いてこれだと思いました。インターネットだったら在庫を無限大にもてるし、いつでも好きな時にショッピングができるじゃないかって。1996年ぐらいのことです。
当時はなかなか理解してもらえませんでしたが、なんとかそのプロジェクトを立ちあげました。と言っても最初はたった一人の部署だったんですが。
本格的な音楽オンラインサイト「@TOWER」のティザー告知
こうして伏谷さんは日本で初となる音楽オンラインサイト@TOWER(現在のタワーレコードオンライン)をオープンし、コツコツと手がけます。当時を知る人は「オフィスの片隅で黙々と仕事をしていた様子は、まるで引き籠った仙人のようだった」と語ってくれました。
みんなが理解して歓迎してくれているプロジェクトというわけでもなかったので、仕事場も本当に片隅でした(笑)。それにパソコンと一日中向かい合ってるわけですから、そう見えたのかもしれませんね。
ただメインストリームにカウンターパンチ当てるには同じ事をやってちゃダメだという気持は日に日に大きくなるわけです。不安もありましたが自分の描いた未来を信じてました。
当時の「ナップスター」ローンチ時の記者会見にて
伏谷さんが手がけたオンライン事業は軌道に乗り、その後も音楽レーベル「NMNL」や、日本で初となる音楽定額サービ「ナップスター」など新しい事業を手掛けます。ただその過程は簡単ではなかったようです。
いまでこそSpotifyとかレコチョクとか音楽定額サービスが浸透し始めましたが、当時(2005年頃)レコードショップが音楽配信をやるなんてすごい逆風でした。それは自分の働くタワーレコードであっても同じだったような気がします。サブスクリプションってなによ?って時代でしたから。
自分が手がけてきたことって自分としては流れの中での次の一手として取り組んでいるんですが、その一手がメインストリームとはちょっと違っていたりしました。その結果、理解されるのに時間がかかりました。
常にあるのは音楽に対する感謝の気持
伏谷さんはタワーレコードを2007年に退社したのち『タイムアウト』という世界的なネットワークを持つシティガイドブランドの東京オフィスを立ち上げます。ただ日本においてはまったくの未知数で、シェアオフィスでたった2人からのリスタートでした。
音楽ビジネスって過渡期にきてるのに業界の内側から変革していくってなかなか難しいし、時間がかかるなって思い始めたんです。そんな時に『タイムアウト』というジャンル横断的に様々なカルチャーを扱うシティガイドがあることを知って、もっとグローバルな視点で違った角度から取り組めば、音楽に新しい役割を作れそうだなと可能性を感じました。
例えば“食と音楽”や“アートと音楽”というつなげ方ももちろんできるし、海外のマーケットと日本のマーケットをダイレクトに繋げていくこともできるんじゃないかって。そんなことを思いはじめたら盛り上がってきて、ロンドンのタイムアウトの創業者に会いに行ってました。
メジャーな会社からインデイペンデントへの転身って不安がなかったのかって良く聞かれますけど、やることが決まっちゃえばOKなんです。もともとタワーレコードでも反主流派だったので(笑)
「タイムアウト」は東京の多面的部分を紹介するサイトとして認知もようやく広がり始め、2013年の秋には念願の「タイムアウト東京マガジン」を発行するまでに。6年目を迎える会社は若いスタッフも増え活気に溢れていました。
大げさなようですが、僕は音楽で人生を変えてもらったんです。ギターを弾いて悶々としてた自分を社長までにしてくれて。だから音楽に対しては本当に感謝しています。
「タイムアウト」はようやくいろんな方に注目してもらえるメディアになってきましたけどまだまだ成長過程です。「タイムアウト」という新しい景色の中で、これから自分なりに音楽に少しでも恩返しができたらという思いがありますね。
Anyway the Wind Blows
最後に、いまレイブル期を過ごしている人に伏谷さんが伝えたいことをお聞きしました。
自分は学校に行ったり、大人のアドバイスをもらったりするのが、得意ではなかったんだと思います。興味を持ったらその枝葉を自分でたどっていって自分のものにしていくというか。そういうやり方でやってきました。振り返ってみるとそんな姿を理解してもらえないことも多かったと思います。
でも間違いないのは、自分の大好きな音楽を深堀りするという経験が今に繋がってるんだってことですね。音楽を興味のままに掘り進んでいくことって、ビジネスの現場や人生において、興味を掘り下げていったり、問題の解決方法を探ったり、根は一緒だなと。
僕はフランクザッパの『Anyway the Wind Blows』という曲が大好きなんです。すこし無責任なメッセージなようで、実はすごく逞しい言葉を持っています。僕自身あの時にアメリカに行かなかったら、あの時に半年間ギターと向き合っていなかったら、あの時にうだうだとしていなかったら。それが原因で大学を留年してなかったらタワーレコードにも入社してなかったはず。そして今の自分はないわけです。
周りから見たら意味のないような時期だとしても、それがどれぐらいその人の人生に重要だったのかなんて、自分自身じゃないとわからないですからね。自分でも結果論でしかわからないですが(笑)。
だから「どのみち風は吹くし、どうにかなるさ」という気持をどこかに持ちながら、過ごして欲しいと思います。
“メインストリームではないこと”をいつも考えていたという伏谷さん。それは学生時代も、タワーレコードで仕事に携わるなかでも変わらないマインドだったのだと思います。時には周囲には理解されないこともあれば、悶々とした環境の中で過ごす時間も多かったのだと思います。
それでも周囲に流されず自分が大好きな音楽を追及し続けた結果、伏谷さんにとっての最良な音楽との関係や、仕事や人生における自分なりのスタイルを見つけることができたのではないでしょうか。
周囲にとっては無駄なような時間も、未来につながっていく大事なことなのかもしれません。
みなさんも、周囲にどう思われようと自分の信じることをもう一度見つめ直してみませんか?そこに一歩進むためのヒントが、きっとあるはずです。