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電線、ガソリン、さようなら!エコカーハウス「イイから号」で、全国を縁結びする二人の“旅暮らし”

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わたしたち電力」は、これまで“他人ごと”だった「再生可能エネルギー」を、みんなの“じぶんごと”にするプロジェクトです。エネルギーを減らしたりつくったりすることで生まれる幸せが広がって、「再生可能エネルギー」がみんなの“文化”になることを目指しています。

エコハウスごと旅しながら、お金より“ご縁”を糧にして各地の人々と支え合う暮らしができたら、ステキだと思いませんか?

そんな生活を軽やかに実践中の二人組、イトケンさんとリリさんは、飲食店や家庭で出る「使用済み天ぷら油」で走るキャンピングカー「イイから号」で、現在、全国の人々とご縁をつなぐ旅暮らしをしています。

天ぷらは、二度おいしい!

彼らのライフラインは、「油のご縁」と「人とのご縁」。行く先々で調理後の植物油をもらいながら車を走らせ、ご縁を持った人々の魅力ある活動を、インタビュー形式でインターネットラジオから発信する、というのが彼らの暮らしの基本形。

出会った人々の仕事(農作業、販売、家事など)を手伝い、お礼に食材や食事をいただく、という「持ちつ持たれつ」の循環も、その中で自然と生まれているようです。

イイから号のドライバーであるイトケンさんが「油のご縁だけで移動する」と決め旅を始めたのが、今から約2年半前。それから一度もガソリンスタンドで給油することなく、飲食店や出逢った人々からもらった天ぷら廃油を燃料に、なんと約8万kmの旅を続けてきたとのこと。

イイから号の燃費は1リットル=約10kmなので、これまでに約8トンもの燃料を授かった計算になるそうです。

燃料が天ぷら廃油なら化石燃料より環境に与える影響も少なく、お金の心配もいらなくて一石二鳥ですね!天ぷら廃油で走る車というのは、いったいどんな仕組みになっているのでしょう…?

しくみは意外とシンプルで、60ミクロンのフィルターと天ぷら油を濾す紙で、廃油を濾過するだけなんです。なのでそのための機材を取り付けるだけでエンジンの改造などは必要ありませんし、詳しい人にやり方を教われば誰にでもできるはずです。自分で作業すれば、費用も安くすみますよ。

天ぷら廃油は寒いと固まりやすいので扱いが難しいと思われがちですが、ぼくの場合は部分的にBDF(バイオディーゼル燃料:廃油にメタノールと触媒を加えて化学反応させ、粘り成分のグリセリンを除去したもの)を併用することで、これまで問題なく走ってきました。

天ぷらなどに使う植物油は、通常はドロッとしていて、熱するとサラッと流れる性質を持つので、エンジンに入る前に熱を加えておけば、燃料噴射ノズルが詰まってしまうなどのエンジントラブルも防げるのだとか。

イイから号は、「廃油とBDFが別々に入った2つのタンク」、「廃油に熱を加える装置」、「燃料を切り替える装置」を持ち、運転席に取り付けた「切り替えボタン」と連動するように設置。
(1)  一日の初めはサラサラしたBDFでエンジンをかけ、
(2)  エンジンが暖まってきたら廃油に切り替えて走行し、
(3)  一日の最後の1kmは再びBDFに戻して走り終える、
というちょっとした工夫で、エンジントラブルを予防してきたそうです。

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車体横の扉を開くと…

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右側の水色の円筒形の管は「廃油用フィルター」。上部の金属部分で廃油に熱を加え、接続された黒い2本のホースはエンジンで熱くなったラジエター液が循環。上部に接続された細い2本のホースの中に廃油が流れています。シンプルにエンジンの熱を循環させ、廃油に熱を伝えるしくみ。奥の見えない所に電磁弁があり、切り替え操作で燃料(廃油かBDF)がエンジンに送られます

僕が知る範囲では廃油カーは毎年30台くらいずつ増えているようで、仲間を増やすために、廃油の濾過方法、装置の取り付け方、テスト運転…などのワークショップも各地で行われています。少しずつではありますが、化石燃料に頼らないドライバーの輪は、確実に広がっているんですよ。

BDF車で世界一周したことで知られる山田周生さんによると、「調理油が貴重品のアフリカなどでは、油がなくなるまで調理して使い切る習慣が多く、使用済みの植物油を集めるのに苦労した」とのことでしたが、日本では一度使っただけで捨てられてしまう植物油も多いはず。

「やっかいもの」にされがちな天ぷら廃油を燃料にする車が増えれば、揚げものは二度おいしく楽しめるようになり、廃油カーとともに、地産地消の「油田畑」や「カーシェアリング」を進めてゆけば、日本が化石燃料を輸入する必要も、なくなってゆくかもしれません。

小さなソーラーシステムの、大きな可能性

ここまでは「イイから号」の動力源についてご紹介しましたが、それは彼らのエコライフのほんの一面。次は、「電源」についてのお話です。

こうして前から見ると、一見何の変哲もないキャンピングカーに見える「イイから号」ですが…

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後ろにまわると、この通り。「ミニ太陽光パネル」と「ハンドメイド風車」で、生活に必要な電気を自家発電しているのです。

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60Wの太陽光パネルと、試行錯誤の末完成した、廃材利用のオリジナル風車

プラモデルに夢中になる少年のような感覚で「エコDIY」を楽しむイトケンさんは、先日、これまで屋根に寝かせて固定していた太陽光パネルを日光の角度に合わせて動かせる可動式に変え、お手製の風車もラブリーにお色直し。自前のペインティングで、ART度もグッとアップしました。

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イイから号で使用している電化製品は、照明、扇風機、パソコンやケータイ電話の充電などで、それらの電力の大部分を支えてくれているのは、ルーフに設置した60Wのソーラーパネルと、蓄電用のディープサイクルバッテリーです。

発電機材は全てインターネットで調達し、配線や設置は廃材などを駆使して全て自分でやりました。

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自家発電した電圧12Vの直流電流を、電圧100Vの一般家電で使える交流電流に変換するインバータ

照明や扇風機など、ぼくらが使っているのは12Vの直流電流で動く車用の家電が基本ですが、1300W対応のインバータも積んであるので消費電力の大きい電動工具も動かすことができ、風車や看板作りもはかどりますよ。

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玄関脇の扉を開くと、そこはイイから号のエネルギー工場。扉の内側にはチャージコントローラ、棚の下段にはバッテリーなど、上段には天ぷら廃油入りのポリタンクが

「ソーラーパネルは太陽光線に直角に当てると効率がいい」と知ってはいましたが、寝かせて固定していた時はゼロだった朝8時の発電数値が、可動式にしたら一気に3A(アンペア)になり驚きました。

太陽の光に合わせて角度の調整が必要ですが、朝日や夕日まで電気に変えられると思うと、楽しい日課になりましたね。

3A×18V(太陽光パネルの電圧)=54Wで発電している、ということなので、それをバッテリーに順次蓄電してゆけば、10W以下で充電できるケータイ電話やLED照明はもちろん、100W以下で動くノートPCや車用の扇風機なども、充分使用可能ですね。

では、風力発電の方は、どんなしくみになっているのでしょう?

かわいい「手づくり風車」の、頼れるサポート力

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風車はだいたい時速30キロ以上のスピードで走ると回り始めますが、自転車の車輪に付いている「ハブダイナモ」という発電機を2個付けているだけなので、いくら回っても60Wのソーラーパネルの12分の1の程度の発電能力です。でも、12時間回ると晴れた真昼1時間分の発電に相当するので、微力でもあなどれません。

なるほど、車は走れば自動的に風が起きますから、たとえ微小な発電率だったとしてもお天気頼みの太陽光発電だけより安心で、ハイブリッド効果は高そうですね。

「車に風車を付けると、風圧が抵抗になって燃費が悪くなるのでは?」と思われるかもしれませんが、イイから号はのんびりゆっくり走っているのでその心配はありませんし、見た目にも愉快な方がいいな、と思って取り付けました。

昼間の発電分はバッテリーに充電されますが、夜の発電分で回転する風車が自動的にライトアップされるしくみになっているので、目を惹きますよ。

この風車は全くのオリジナルで、木の板など、いただきものの廃材を加工して組み立てました。半年間試験走行をくり返し、羽は8回作り変えましたね。自分で試行錯誤しながら振動や強度の研究をかなり重ねてきたので、来年は50W級にバージョンアップできるかもしれません。

自分で考え、自分で作ると、そのぶん知恵と技術と愛着が育まれるもの。そしてそんなふうに手と心をかけて生み出された物たちこそが、人のくらしを末永く支えてくれる気がします。

廃油カーへの改造、ソーラー発電の設置、風車づくり…と、自分の暮らしに必要な設備を自力で整えてきたイトケンさんは、ハッとさせられる次のような体験談を聞かせてくれました。

「身の丈発電ライフ」の心地よさ

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燃料や電気を買わない暮らしをするようになったら少しずつ、「ない状態」も楽しめるようになってきました。バッテリーがゼロになったら照明はキャンドルにすればいいし、パソコンや電話ができなくても翌朝になれば日は昇り、たとえ曇りでもお日様から多少の電気をいただける。まぁ命に関わるような万が一の時は、エンジンをかければ発電できますしね。

「なくても平気」が基本になるとラクだし、自由と心地よさを感じます。暑い夏に狭い車内でのキャンドルナイトはオススメしませんが、それ以外のシーズンはキャンドルが最高!品数が少ない夕飯でも、ゆったり贅沢な時間を味わえますよ。

冷蔵庫がなくても、糠漬けや塩漬けなどの発酵食品や乾物にすればおいしく常温保存できるし、二人で食べ切れないものを出逢った人々とシェアする喜びも知りました。

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旅先で出逢った人からもらったたくさんの柿を車内や車外につるし、干し柿を製作中。できあがった柿は少しずつ、出逢った人々にもおすそ分けします

楽しそうに語るイトケンさんを見ていると、「電気を買うこと」を前提にした暮らし方ではなく、「電力を買わないこと」を前提に、自分でつくれる電気の量に暮らし方を合わせる「身の丈発電ライフ」の豊かさが、すんなり伝わってきます。

暮らしのエネルギーを買う必要が減ると生活費がラクになるだけでなく、それまで見過ごしていた「身近なものの価値」に気づけるようになるのかもしれません。

ぼくらは水道もない暮らしですが、湧水や名水を各地で20リットルずつ汲んで、炊事や飲料に充てています。それくらいあれば二人で2週間はもつので不自由ないし、自然の水をいただけて、とてもありがたいですね。少しの水で野菜を洗い、野菜を洗った水で食後の食器を洗い、米の研ぎ汁とともにプランターの植物に水遣りしたり、土に返したりします。

電気も水も食材も創意工夫でムダなく使い、不用品を必要品に作り変える暮らしは、時間の使い方が贅沢だなぁ!と思います。以前は、たくさんのモノと氾濫する情報に翻弄され、何かをつかむことばかりに躍起になっていた自分が、今は太陽の下で子供のようにモノ作りに没頭したり、思いついたことをノートに書いたり、これからの人生をいかにワクワク楽しむかに想いを馳せたりしているんですからね。

そう言って日焼けした旅人顔で笑うイトケンさんは、「2011年の震災前は、まっとうなサラリーマン生活を送っていた」とのこと。ではここからは、相棒のリリさんとの出逢いを含め、この旅を始めた理由について聞いてみましょう。

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リリさんが取り組む活動「インターネットラジオ・旅をする種」のマスコット、タビタネちゃん。リリさんご自身のお手製です

さよならは、出会いのはじまり

旅のきっかけは、2011年3月11日の震災でした。

かけがえのない家族、家、家財、車、作物…を一瞬にして失った人々の放心状態の姿がまぶたの奥に焼きつき、自分自身も放射能汚染を避けるため、住んでいた神奈川県から西日本各地へ自家用車で移動し、気づけば旅暮らしのような状態になっていたんです。

そのうちに、「必要な荷物が積めて、横になって眠れるスペースさえあれば、車を家代わりにできるのでは…」と思い始め、直感に導かれるようにディーゼルエンジンのキャンピングカーを購入。「最小限の持ち物で、自分の心や感覚に従ってシンプルに生きたい」という想いで仕事を辞め、買った車を走らせて、自分の目で見ておきたかった岩手県釜石市に向かいました。そこで、天ぷら廃油カーで支援に来ていた人々と出会ったんです。

天ぷら廃油カーの達人たちと出会った直後、旅の達人だった友人に、「キャンピングカーで旅するだけならただの道楽。人との出会いも少ないはず」とクギを刺され、その友人の旅話を聴かされて、「人との出会い=旅の醍醐味」と理解したイトケンさんは、「キャンピングカーを廃油カーに改造し、各地で出会った人々に廃油をもらいながら旅しよう」と決意しました。でも、旅のはじまりは焦りと苦労の連続だったそうです。

最初は近所の蕎麦屋さんや給食センターなどに頼んでももらうことができず、ガックリの連続でした。それまで営業の仕事をしていたものの、「人様に頭を下げてお願いする」という生き方をしてこなかった自分にとって、「油をください」と頭を下げるのはとても勇気がいることでね…断られてみじめな想いをしたくない、というプライドが先立っていたんだと思います。

全国のトランジションタウン(化石燃料に頼らない社会を目指す市民のネットワーク)をはじめ、友人知人の応援と協力を得て、みんなから集まった30リットルの天ぷら廃油を元手に旅を開始。

1年目はトランジション仲間や友人知人のご縁をたどり、各地で農作業、家事、引越しを手伝い…などをして廃油や食事をいただく、という「支え合いスタイル」で順調に経過。あえて「目標や目的を持たないことを目標にした旅」に自由と心地よさを感じつつ、日々は順調に過ぎてゆきました。

お店のすいている時間にお蕎麦屋さんに飛び込んで食事をしお勘定の時に油が欲しいことを伝えると、すんなりいただけることが多く、あんなに苦手だった「お願い」も、いつしか平気でできるようになっていました。

でも、今度は「油がもらえないと、旅が続けられない」という不安が生まれ、恥ずかしながら1年目は、頭の中では「ゲットオイル、ゲットオイル」の日々だったと思います(笑)。

そして2年目に、予期せぬ出来事が起きました。ある日、イイから号で湘南海岸を走っていた時に、波乗りする人々の姿になぜか無性に惹き付けられ、それまでサーフィンなどしたこともないのに、波乗りをしている自分の姿が脳裏に鮮明に浮かんだんです。

「自分もサーフィンがしてみたい!憧れの海で!」と強く思い、その夏「イイから号」を南に走らせ、一人九州に向かいました。

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自然に包まれた南九州の海で念願の波乗りを果たしたイトケンさんは、その場所で一人静かに数週間過ごすうち、「自分の人生にやり残したことがある」と気づいたのだそうです。それは、「このままの自然を子どもたちに残すこと」。そして、子どもたちとともに自然を味わい、自然の恵みを受け取って生きる術を身につけながら、自然の中で暮らすことでした。

自分のほんとうの望みに気づいたら、それまで心を占めていた油への不安が、スーッと消えていきました。「油のご縁が途絶えたら、そこで旅を終わらせればいいだけ」と吹っ切れたんですね。あえて目標をつくらず、所有することやこだわりを捨てるために始めた旅だったのに、まだまだこだわっていたんだな、と気づいたら、肩の力がストンと抜けました。それからは、油のご縁が向こうからやって来るように感じます。

そんな経緯で今年の1月に、ずっと手放せずにいたインターネット環境からの、しばしの離脱を宣言しました。すると突然、「出会った人々へのインタビュー音源をインターネットラジオで配信しながら、廃油カーで旅をしたい!」という女性が現れたんです。何かを手放すと新しいものが入ってくるって、本当ですね(笑)。

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2013年3月から、「イイから号」のクルーとなったリリさん

インターネットラジオで、希望の種まき

「インターネットラジオで、旅先で出会った人々のワクワクする取組みや発想を発信したい」そんな気持ちで、自らも廃油カーを手に入れようとしていたリリさんは、イトケンさんが告知した「インターネット離脱日」の前日に、友人を通じてイトケンさんのことを知り、メールを送信。

コンタクトが取れなくなる直前にめでたくご縁がつながって対面し、「5日間のキャンピング生活お試し期間」を経て2013年3月から、イイから号の同乗者となりました。

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彼女が加わったことで、イイから号の旅は「インターネットラジオの取材」という目的を持つこととなり、鹿児島県から、新たな旅が始まったのです。

しあわせって、何だっけ…?

もともと自然療法家として鎌倉でサロンを営み、ハワイ暮らしの経験も活かしつつ、ハワイのマッサージ療法であるロミロミなどのボディワークや、フラワーエッセンスやクリスタルなどの自然素材を用いたオリジナルスタイルで、人々の心身を癒す仕事をしてきたリリさん。彼女が旅を決意したきっかけもまた、2011年3月11日の、原発事故を伴う東日本大震災でした。

震災では、「これから何を選んでどう生きていくのか」という問いを突きつけられた気がしました。大親友に誘われるがままに自宅のある鎌倉から広島へ一時避難し、その後も仕事で関西へ行ったりと、しばらくの間は「日本全国通勤圏内」という感じで、各地を行き来して暮らしていたのですが、そんな日々の中で人の縁のありがたさや心強さを身にしみて感じ、「大好きな仲間さえいれば、一生しあわせでいられるんだ!」と確信したんです。

各地の人々が知り合って互いに支え合う仲間になり、そうした仲間の輪が日本中に広がれば、安心と感謝が循環する心地よい社会になるのではないか…。そう思ったリリさんは、「ニッポン全国おとなりさん計画」という楽しい野望を胸に、「各地の人々へのインタビューをインターネットラジオで配信する」という手法で、人と人の声と心を縁むすびする旅、題して「インターネットラジオ・旅をする種♪」を、2011年11月11日に開始しました。(※最新のインタビューは、旅をする種(2)で聴くことができます)

イトケンさんと出逢う前、私は主に公共交通機関で旅をしていたのですが、よりフットワークよく動くには車がいいな、と思い始め、化石燃料に頼らない天ぷら廃油カーを探し始めました。

タイミングよく友人から譲り受けることになった廃油カーを直前で断念せざるを得ないことになり、「さて、どうしたものか」と思っていた矢先に、イトケンさんとのご縁がつながり、ラッキーにも、車だけでなく運転手つきで旅できることになったんです(笑)

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ノートパソコンを開いて、インタビューの準備をするリリさん。インターネットラジオは、「ボイスレコーダ、マイク、PC」の3点セットとインターネット環境さえあれば、誰でもどこからでも配信可能だそう

声は、“エネルギーバトン”

実はサックス奏者でもあるというリリさん。文字で伝えるブログではなく、声を伝えるインターネットラジオを選んだ理由は、ある確信に基づいていました。

私は音=バイブレーションだと思っていて、音は目には見えなくても大きなエネルギーを持つものだと感じています。声も同じで、ポジティヴに生きている人の声には、ポジティヴなエネルギーが満ちている。だから、「yes!」という感覚を大切に生きている私が出逢った方々の素敵なバイブレーションを、その人の取り組んでいることや知恵などとともに、インターネットラジオでたくさんの方にシェアしたいと思ったんです。

震災後は社会の中にも1人1人の心の中にも不安や混乱が生まれ、ともすると不信感や絶望的な想いもふくらんでしまいがちですよね…。でも一方では、変化をポジティヴにとらえ、力強く楽む生き方を選び、実行している人々もいる。そんな人々の声やお話しを通して「yes!」のバイブレーションでつながる人が増えれば、未来は自然と、よい方向へ変化してゆく気がするんです。

なるほど、リリさんのラジオ番組「旅をする種♪」に登場する人々はみんな個性的で、ワクワクする取り組みや、オリジナリティあふれる生き方をしている人ばかり。リリさんのナビゲートでそんな人々から引き出されるお話には共感と発見がいっぱいで、思わず大笑いしたり、胸が熱くなったり。家事や作業をしながらいつでもどこでも気軽に耳を傾けられるのも、インターネットラジオのいいところです。

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出逢った人の家で、ごはん作りを手伝うリリさん

ラジオで、つながる場をつくる

ラジオを続けるうちに、「私が出会った人々同士がつながれる場を持ちたい」と思うようになり、最近は「全日本ラヂオ女子会」という新しい試みもスタートしました。 女子はつながるのが早いし、コニュニケーションが上手な人が多い気がします。でも、被災地などでは特に、不安や疑問を抱えたまま苦しんでいる女性も多いですね。

ラジオは顔が出ないので(笑)、疑問や不安をざっくばらんに本音で話し、長い間呑み込んでいた想いを打ち明けたり、誰に聞いていいかわからなかったことを、日頃知り合わないような人とも語り合えるんですね。

語り手からも聴き手からも本音が引き出されるような「解放」と「発散」の場を通して、楽しく気軽にいろんな人とつながることができる。それこそが、全国ラヂオ女子会の魅力ではないかと思います。

なるほど、リリさんという客観的な存在が加わって本来プライベートなものである女子会を「放送」することで、閉じられたコミュニティの可能性がほどよく開かれ、話し手と聴き手が発見や共感で心や意識をつなげることができそうですね。

全国の女子たちがその様子を聴いて何かを感じ、「で、自分はどうしたかったんだっけ…?」と振り返ったり、自分の心の内を確認してもらえたらいいな、と思っています。自分らしく輝く人々がつながったら、それはきっと世の中をいい方向に動かす力になる。そんな気がしてならないんです。

全国ラヂオ女子会は、神奈川県の鎌倉市を皮切りに、北海道の帯広市などでも開催。リスナーからも「うちでもやりたい!」とお声がかかっているそうで、これまでやってきたインターネットラジオ「旅をする種♪」ともども、今後もどんどん輪が広がってゆきそうです。

このほかにも、

・オーガニックな種を確保&交換できる「移動シードバンク」
・作り手から預かった安全でおいしい各地の食品やエコグッズなどを直接届ける
 「移動マルシェ」や「アンテナショップ」
・スペシャルな場所やコミュニティを紹介する「ガイドブック」
・「本当の豊かさ」を感じて生きるための知恵やスキルが学べる学校づくり

…など、出逢った人々ともアイデアを交換しながら、イメージしているステキなプランが目白押し。 「うちの町に来て!」「こんなことできないかな…?」など、いろんなリクエストやアイデアも歓迎だそうですよ。

「安心、しあわせ、ワクワク、感謝…がグルグル循環する世界を、自分たちでつくっちゃおう!と目論んでいます」と笑う、リリさんとイトケンさん。彼らの活動からは、今後も目が離せそうにありません。お近くで「イイから号」を見かけたら、ぜひ声をかけてみてくださいね!
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