東京・世田谷代田。小田急線で新宿駅からわずか12分という好立地ですが、実は、世田谷代田駅前には”シャッター商店街”が広がっています。
商店街というにはあまりに閑散としていて、シャッターを下ろした店どころか、シャッターすらなくなってしまった元店舗も。幹線道路の抜け道となり、通るのは買い物客ではなく大きなトラックばかり。
かつては140件の商店が連なる大商店街も、昭和38年の環状7号線開通工事以降、状況は一変。「環7」という幹線道路をつくるために商店街は分断され、人の流れも大きく変わってしまったのです。
シャッターの目立つ世田谷代田商店街
かろうじて商いを続けてきたいくつかの店舗も、高齢となった店主の跡を継ぐ人がおらず、やむなく店を閉め始めています。
自分たちにできることは何か。そう考え立ち上がったのは、このまちに引っ越して来た、まちの家具屋さんでした。ものづくりの仲間と、それを使ってくれる使い手をこのまちに集めて「世田谷代田ものこと祭り」を開催することに。
「このまちにつくり手と、そのつくり手を訪ねる人を増やすことで、かつての賑わいを取り戻したい」そんな思いで活動をつづけている、「monocoto工房」の南 秀治さんにお話を伺いました。
きっかけは、偶然の出会い。恩返しがしたかっただけなんです。
南 秀治さん
ご自身の木工アトリエを構えようと、世田谷周辺の物件を探していた南さんは、なかなか物件を借りることができず、最初は失望感すら感じていたのだそう。
世田谷は低層の住宅街ということもあって、騒音も廃棄物も出るアトリエとして使える物件ってあまりなかったんです。そのとき救いの手を差し伸べてくれたのが、世田谷代田でクリーニング店を営んでいたおばあさんでした。跡継ぎもいないし、もう既にお店もたたんでいるから、使ってもいいよって。
アトリエを構えて活動を始めてみると、大家さんはもちろん、とにかくまちの人たちがみんな、あたたかいことに感激したという南さん。大家さんはもちろん、ここで何を始めるの?と、たくさんの人が声を掛けてくれたのだとか。
「それなのに、どうして寂しい商店街なんだろう」と考え、商店街が元気になるような恩返しがしたいと考えるように。やることはシンプル、「ものづくりの仲間と、それを使ってくれる使い手をこのまちに集めて、イベントをする」ことでした。
商店街で、人が立ちどまる。見たかった景色を、1日だけ実現できた
昨年8月に開催したのが、「世田谷代田ものこと祭り」です。アトリエをシェアしている仲間を中心に、20人を超える実行委員を結成。出店者は14店舗、来場者は900人にも登りました。
普段誰も人が立ちどまらない商店街で、人が立ちどまるという景色をつくることができたのは嬉しかったですね。1日だけの打ち上げ花火ではなく、これを日常の風景にすることが大事だと思うんです。
つくり手さんが毎年出店したいと思ってくれたり、まちの人が今年は世田谷代田ものこと祭りって何日?って楽しみにしてくれるような、そんな場づくりを、10年先まで見据えて続けていこうと決めたんです。
と南さんは振り返りながら、模索を始めます。
1万ピースもあるヒノキの積み木。真夏でしたが、代田八幡神社だけは緑豊かで涼しく、時間も忘れて子どもたちが遊んでいました
「無理」だと諦めたら、未来をひとつ、つくれなかったことになる
流しじゅんさい。なんと竹のスライダーも実行委員の手づくり…。じゅんさいは、つるっと滑ってお箸でつかみにくく、大盛り上がり
昨年の「世田谷代田ものこと祭り」で話題になったのは、流しじゅんさい。偶然、実行委員メンバーのひとりが秋田県のじゅんさい産地とつながりがあり、そうめんではなくてじゅんさいを流すことにしたのです。しかしその準備には、さまざまななハードルがありました。
役所に行って、真顔で「じゅんさいを流したいんですけど」っていったら、当然「えっ?」という反応だったんですよね。もうここは時間をかけて説明をするしかないと。
今思えば、そこまでしてじゅんさいを流す必要はなかったかもしれないけど、ここで無理だと諦めてしまったら、世田谷代田の未来をひとつつくれなかったことになる。だから、やってみようって。
メイン会場の代田八幡神社でさえ、借りられるかわからなかったけど、お願いしてみたら、盆踊り大会と日程が重ならなければOKという返事だったんです。そんなふうに、いろいろな偶然と思いが重なったのが、世田谷代田ものこと祭りなんです。
このまちを、「ありがとう」で食べていけるまちにしたい
まちのおじいさんが教える、竹とんぼ教室。たくさんの子どもたちがおじいさんに竹とんぼの飛ばし方を教えてもらっていました
8月25日(日)に開催される第2回世田谷代田ものこと祭りのコピーは、”「ありがとう。」で、つなごう。”。そこには打ち上げ花火で終わらせたくない、という、先ほどの模索のひとつの答えがありました。
いつか世田谷代田を「ありがとう。」で食べていけるまちにしたいなと思ったんです。おすそわけのように、昔はまちの人たちがみんな助け合って生きていた。それって田舎だけのことじゃなくて、都会でも言えるはずなですよね。
田舎に暮らしたいと思っていても、なかなか決断するのが難しい…。であれば、東京の真ん中でも、同じことやってみたい。しかも都会のなかだけではなく、都会も田舎もつながって、「ありがとう」の“つながり”をつくりたいと思ったんです。
今年の出店者は、地元のショップや飲食店はもちろん、世田谷代田にお店を持たないつくり手さんも20組以上参加。さらに秋田県のじゅんさい農家、群馬県のガラス工場、石巻市雄勝町にある波板という限界集落など、少しずつ日本各地にその輪が広がりつつあります。
1人ではできない。1,000人でも難しい。10人、100人でできることをやりたい
100人のこけしアーティストによる、こけしアートプロジェクト。作品に込めたメッセージがこけしとともに並びます
こうしたイベントを、行政にお願いするのではなく、自分たちの手で、楽しみながらやりたいという南さん。それでも「やっぱりひとりではできない」と言います。
何か失敗しそうになっても、ちょっと違う視点やアプローチで他のメンバーが動いてくれる。そうした仲間がいるのは心強いですね。そんな仲間たちと、10人でできること、100人でできることに興味があります。政治とか行政になると、1,000人、あるいはもっとという単位になると思いますが、それは僕たちには不得意かなって。
正しいとか間違っているという判断基準だけでは、未来はつくれないと思うんです。自分たちのための未来ですから、正しい未来よりも、楽しい未来のほうがいいですよね。まちのいろんな人に“あなたのほしい未来って、どんな未来ですか?”って聞いてみたい。それが分かれば自然とつくりたくなるし、変えていきたくなると思うので。
南さんの思いを聞いて、共感する人が集まり、集まった人たちがそれぞれに「ありがとう。」を別のかたちで誰かに伝えていく。「ありがとう。」でつながることは、決して特別なことではなく、人やまちまでも動かせるのだと思いました。
第2回世田谷代田ものこと祭りは、今年は8月25日(日)開催。ぜひみなさんも、世田谷代田に足を運んでみませんか?
プロモーション動画制作:伊吹 平正
撮影:kenji miyamukai