木の体の中に、電子のしかけを隠している「MATHRAX(マスラックス)」のおもちゃを触ったことはありますか?体をなでると心地よい音が響き、いつのまにか癒されてしまうという不思議なおもちゃです。
このおもちゃは、エンジニアである久世祥三さんと、サウンドインスタレーションなどを手掛けてきた坂本茉里子さんのアイデアから生まれました。今日は、そんな「MATHRAX」のお二人にお話を伺ってきました。
「MATHRAX」のおもちゃとは?
木に触れるだけで音がするなんて、どういうことなのでしょうか。まずはこちらの動画をご覧になってみてください。
動画の中で紹介されている「らいのん」の背中には、スマートフォンのタッチパネルにも利用されているようなしかけが組み込まれています。中を開けると、独自に制作したタッチセンサが入っており、そのセンサが、人の体を通り抜けていく微量な電気を感知し、様々な音に変換するしくみになっています。
それではさっそく、どんな風にしてこんな作品が生まれてきたのか聞いてみたいと思います。
坂本茉里子さん(左)、久世祥三さん(右)
宮越 お二人はご夫婦で作品をつくられているそうですね。それぞれにご担当がありましたら教えてください。
久世さん 僕は電子回路の開発と制作をメインにやっています。
坂本さん 私はアートディレクションやデザインの担当です。性格も得意分野もそれぞれ違いますが、オルゴールの音のデザインや、制作の手作業は2人で行っています。
作品づくりを変えた、オーケストラの体験
宮越 「MATHRAX」のおもちゃに触れると本当に心地よい音がしますね。なぜ音の作品をつくろうと思ったんですか?
坂本 私はもともと音楽が好きだったのですが、武蔵野美術大学に入って東京五美術大学管弦楽団というオーケストラのサークルに入ったんです。その時に初めて、人が演奏しているたくさんの音に囲まれるという体験をしたんですね。
もちろん小学校などでも合奏はしていたのですが、オーケストラのトゥッティ(管弦楽などで全員が同時に演奏すること)では、周りの人が音でコミュニケーションしているのが、いたるところで感じ取れたのです。
合奏がうまくまとまると自分が音に持ち上げられたような感覚があって、これは凄く面白いなと思いました。ヴァイオリンはその頃からはじめたのですが、周りの音を聴いているうちに、手も少しずつ動くようになり、気づいたら皆と演奏できるようになっていたんですよね。
宮越 ヴァイオリンは難しい楽器だと思うのですが、すごいですね。
坂本 音は目に見えないものですが、そういった色々な作用や関係性を生み出すところに魅力を感じていました。その体験を作品で表現したいと思ったことがきっかけで、美大ではオーケストラの高低音4分割にした体験型のインスタレーション作品をつくったり、IAMAS(情報科学芸術大学院大学)では手回しオルゴールを扱った演奏者同士の調和をテーマにした作品を制作したりしていました。
基本は独学、独自開発
MATHRAXで制作中の久世さん photo KENJI KAGAWA
宮越 久世さんは学校で電気の勉強をされていたのでしょうか?
久世 僕はもともと多摩美術大学で油絵を勉強していました。でも、小学校の時からプログラムをいじっていたりして、コンピュータは好きだったんです。それで独学でデバイスをつくったりするようになって、プロダクトデザイナーの根津考太さん(znug design)や、建築家でありアーティストの西澤高男さん(Responsive Environment)、ホーメイ歌手でありアーティストの山川冬樹さんなどの作品にエンジニアとして関わり、技術と表現をつなげるお手伝いを、仕事として受けるようになりました。今は多摩美術大学や東北芸術工科大学で講師をしたり、エンジニアとしても活動したりしています。
“エコ”で注目を集めた、小さなくま
宮越 なぜお二人で一緒に作品をつくられるようになったのですか?
久世 僕は様々なアーティストからデバイスの相談を受けることが多くて、坂本の制作の相談にものっていたんです。そのうちに意気投合して、「C-DEPOT」というアーティストグループの展覧会に「MATHRAX」というユニットで参加したのがきっかけです。
その時につくったのが「remo-kuma(リモクマ)」という作品です。手で触れることで電球のオン・オフを制御したり、調光ができる作品です。
「remo – kuma」(リモクマ)リモコンになるシロクマ。頭を2回タッチすると照明が点き、おしりをタッチすると消灯してくれる。背中をなでれば調光もできる。
宮越 この作品で「KONICA MINOLTA エコ&アートアワード2010」のプロダクト&コミュニケーション部門のグランプリをとられたんですよね。
坂本 もともとエコというコンセプトで作った作品ではなかったのですが、「シロクマが電気を灯してくれる」というこの作品で、エネルギーを限りあるものに感じられれば…と思い、応募してみたんです。審査委員の方たちからは「 “なでる” という人のやさしい行為が省エネを促す作品。エコに対するひとつの解決策です」と評価していただきました。
何かに触れるという行為は、とても感覚的で直感的な行為ですよね。手で触れることで、言葉や視覚よりも多くの情報が瞬時に伝わるのではないかな、と考えるようになったんです。久世の技術に対する挑戦もここまでで相当あったと思います。
つくってみないとわからない!
宮越 「MATHRAX」のおもちゃは、テクノロジーを駆使しているのに、有機的な感じがするのが不思議です。
LEDの光にもこだわりがある。光の明滅やグラデーションがチラついたりしないよう、まずは表現できる数値の幅を増やし、見る人にとって気持ちのよい光り方を模索する。
坂本 私たちは、かっちりしたコンセプトや結果よりも、触り心地が良いとか、そばにあっても邪魔にならないとか、家にあると嬉しかったり、楽しいものをつくりたいのかもしれないですね。「こんな感じだったらうちにあってもいいよね」なんて、話しながらつくります。
だから久世は本当にいろいろな道具を試すのが好きですね。制作中によく言っているのは「つくらないとわからないじゃない!」ということです。時には新しい方法や機材を試したりてみたりして試作をするんです。
宮越 デザインはすべて坂本さんが考えているんですか?
坂本 いいえ。その時々によって変わります。どんな形にするかというアイデアは2人で出しますが、アウトプットはアイデアのイメージが強い方が柱になり、もう片方が客観的に見てダメ出し担当になります。私一人で制作する時はシンプルなデザインが多いのですが、動物をモチーフにするというのは意外にも久世のアイデアです。動物のデザインをしていると「もっと目をかわいくして!」とよく言われます。リモクマの次に作ったのも、「らいのん」というサイのかたちをした音を奏でる作品です。
宮越 かわいいですね。手触りも気持ちいいです。「らいのん」から木を使われるようになったんですね。
つくる人に優しい素材が、環境にも、つかう人にも優しいおもちゃになる
photo KENJI KAGAWA
坂本 リモクマの時は人工大理石を使っていたんですけれど、素材を削っていたら私の顔が腫れてきてしまったんです。ちょうど削る時にでる樹脂の細かい粉塵が私の体質には合わなかったんですね。それで心置きなく制作に集中したいと思って「らいのん」から木を使ってみました。そうしたら、体にも問題なく、木ってとても奥深くて素晴らしい素材だったんです。やればやるほど好きになっていったんですよね。
宮越 木の加工もすべてお二人でやっていらっしゃるんですか?
坂本 地元の家具工房さんに木材を板にするところまではお願いしています。そこでは、加工した木の年輪や木目の話をしてくれるんです。その木自身に起こったことがすべて現れていて、時間を越えるような気分を味わうんです。プラスチックの場合は一度傷つくと補修が大変なのですが、木は修理しやすいのも良い点です。だから「MATHRAX」の作品は、ほとんどのパーツが取り外して修理したり交換したり出来るようになっているんですよ。長く使ってもらうには最高の素材です。
こちらは木ではありませんが、こんなものもありますよ。「MAGICAL MATHRAX(マジカルマスラックス)」という誰もが一度は憧れる魔法のステッキです。
MAGICAL MATHRAX
坂本 実はこれ、自分たちの結婚披露宴の演出のためにつくったものなんです。恩師が開発した「Arduino Fio」という電子デバイスへのリスペクトとして制作したのですが、このステッキでキャンドルサービスのようにテーブルに明かりを点けてまわるという演出をしたんですよね。ステッキのしくみやLEDの光り方に凝り過ぎてしまって、披露宴当日の午前3時ぐらいまで制作をしていましたね(笑)。
宮越 ビデオもおもしろいですね(笑)。
自分たちの手元から出ていくことを大切にしたい
宮越 作品の販売はどうしていらっしゃるんですか?
坂本 今のところ「poulain chocolat」(プーランショコラ)は渋谷西武のギフトギャラリーで売っていただいているのですが、あとは展示会の時にしか販売していないのです。でも今、ウェブで通信販売ができるように準備をしているところです。
「poulain chocolat」おじぎをさせてみたり、横に傾けるとゆったりとオルゴールの音が聞こえてくる。連続してふると、のんびりした3拍子のリズムに聞こえてくる。 photo: KENJI KAGAWA
久世 2人とも忙しくて、なかなか準備に時間をさけていないんです。作品を10体つくるのに3日ぐらいかかってしまうので、その時間を確保するだけでも大変です。本当は制作だけではなくて開発の時間もとりたいので、ゆくゆくは信頼できる方に部分的に外注をお願いして制作したいと思っています。
宮越 工場などに外注するんですか?
久世 まだどこにお願いするか、というところ自体を模索しています。どうやって設計するのかも勉強中です。CGだったり図面の書き方だったり。
坂本 木の木目によっても目の位置が変わって見えてきますし、一匹一匹違う表情になってきます。データだけでは表現できない部分もあるので、手で仕上げる技術、機器を使う技術をともに学んで行きたいんです。
久世 かといってこだわりすぎると外注を躊躇してしまうので、こだわるポイントを整理したり、組み立ての難易度を下げて歩留まりを高くしたり、ある程度つくり方まで含めた完成形を模索しなければならないんですよね。
宮越 ウェブで通信販売をするということですが、普通にお店に卸して売ることには抵抗がありますか?
久世 そういうことに抵抗はないのですが、「売る」という行為も自分で考えながら楽しみたいと思っています。自分たちの労働や経験、知識の対価を確保しながら価格を抑えるには、まだお店に卸す段階ではないのかなと思います。まずは、こちらが決めた価格に対してお客さんがどういう反応を示すか、ウェブやイベントの販売で様子を見たいというのもあります。
「さえずる鳥の基板」基板自体が鳥の形になっている玩具。羽根が一枚一枚音階を奏でるタッチセンサになっている。タッチするとほっぺも同時に光る。photo KENJI KAGAWA
久世 らいのんやKUCEHN Spiel(クーヘンシュピール)のタッチセンサ技術をシンプルにした「さえずる鳥の基板」という作品があるのですが、先日横浜のものづくりイベントで販売しました。お客さんとやり取りしながら価格についてご意見をいただいたり、また自分たちの作品を誰に向けてアピールするのか、そんな位置づけも探ることができました。
また、この作品をある企業のノベルティに採用していただいたことで、少量ですが量産方法も分かってきたので、この作品に関してはお店に卸す可能性もあるかもしれません。
坂本 どこで販売するにしても基本は自分たちの手元から出ていくことを大切にしたいですね。
つくりたいのは、“誰でもぽんっと入り込んでしまえる”ような場所
MATHRAXで開催されたワークショップの様子
宮越 ライブやワークショップもされているそうですね。
坂本 最近はそういったご依頼も増えてきましたね。同じように「ウダー」という電子楽器を作っていらっしゃる作家、宇田さんとKUCHEN Supielやらいのんでセッションしたり、クラブイベントでは、演奏の途中からお客さんにも作品で音を奏でて参加してもらったりするやり方も。
きっとどこかに、私が作品をつくきっかけになった「演奏者が音の中で自由に意思疎通したり、誰でもそこにぽんっと入り込んでしまう場」をつくりたいと思っているんですよね。
また最近は、学生さんに技術的なワークショップを行う以外にも、一般の方に向けた電子工作ワークショップを、渋谷のFabCafeや、MATHRAXオフィス、知り合いの家具工房さんなどで不定期に開催しています。以前、MATHRAXで行った下九沢さんぽとLEDワークショップでは、歩くとLEDの光の色が虹色に変化する小さなデバイスをつくり、トワイライトハイクをしながら蛍を見に行ったり…。LEDと蛍の光の違いを観察できる面白いワークショップになりましたね。
「KUCHEN spiel」(クーヘンシュピール)木の表面を触れることで音を奏でる作品。傾けることで音の高さを変えたり、和音を奏でることができる。また別のスピーカーとタイミングを同期させ、サラウンド効果を演出することもできる。
宮越 今日は作品をたくさん見せていただいて良かったです。「らいのん」は、すごくツヤツヤしていますね(笑)。
坂本 皆さんがなでてくれるので、だんだんツヤツヤになってくるんです。
久世 木の油が出てくるみたいで、年数を経るにつれて味も出てきますよ。
宮越 生き物みたいですね。
坂本 そうなんです。私は電子回路の中の電気も生き物のような気がしていて、電気が機器を動かすしくみを聞くと、電気も自然のものを借りているんだな、と思います。
宮越 有機的な作品ができてくるのがわかるような気がします。今日はどうもありがとうございました。
インタビューを終えて
とある展覧会で「KUCHEN spiel」の音に感動してMATHRAXさんにお会いしてみたら、本当にその音の印象のように優しい方たちでした。しかも、じつはお二人とも芯が強くて、お互いの意見をちゃんと言い合っていているという、自由な雰囲気もいいなと思いました。これからもお二人のアイデアがぶつかって、素敵な作品が生まれるてくるのが楽しみです。久世さん、坂本さん、ありがとうございました!
福岡県生まれ。小学生のころからコンピュータに慣れ親しみ、BASICでプログラムを扱う。画家を目指し多摩美術大学油絵科に進学するも、在学中にMacintoshに触れてコンピュータの世界へ。現在はMATHRAX作品の開発・制作に、エンジニア、多摩美術大学・東北芸術工科大学講師と忙しい。「2013 IPCはんだ付けコンテスト」日本大会優勝。
坂本 茉里子(さかもと まりこ)
神奈川県生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン、IAMAS(情報科学芸術大学院大学)卒業。在学時よりサウンドインスタレーションを手掛ける。MATHRAXではアートディレクション・デザイン・制作を担当。いつか自分の分身のような楽器をつくれたらという思いを抱いている。