世界中から集まった義援金の総額、1000万円以上。
いち広告人として、この奇跡とも呼べるポスタープロジェクトの経緯を知りたくて。そして、何よりもこのクリエイティブを初めて目にした時の衝撃と感動を伝えたくて、岩手県盛岡市を訪ねました。
プロデューサーのSさんは、盛岡の広告制作会社で広告づくりをされている33歳の男性。3.11の震災直後、甚大な被害を受けた釜石市に古くからの友人を見舞い、被害の深刻さとともに、「何とかなる!何とかしてみせる!」と言う被災者たちの逞しさに驚き、「自分も何か」と考えました。
きっかけは、東京の友人Bさんからの電話。カメラマンである彼に、「釜石の親友を撮ってあげてほしい」とお願いしたところ、Bさんは翌日には盛岡に来てくれました。まだ震災から一週間ほどの時期、東京からバスを乗り継いで。
そこから、被災者を撮影してポスターをつくり本人にプレゼントする、という取り組みがはじまります。当初、SさんにもBさんにも大きな葛藤があったそうです。「こんなことより、瓦礫の撤去とかを手伝うべきじゃないか」。
しかし、ある被災者からの、「できることをやれ。写真を撮ってくれ。」という言葉に勇気をもらい、心を決めました。実際、被災地で被災者にカメラを向けることは、生半可な覚悟ではできないことだと思います。
そして、このポスターが世の中に広がるきっかけにも、Sさんのある友人が関係しています。大阪で働くHさん。友人Sさんのことが心配で駆けつけた盛岡で、Sさんがつくったポスターの素晴らしさに感動した彼は、思わず、その画像をツイッターでつぶやきます。
すると、ひと晩で驚異的な数のRT(リツイート)が発生し、フォロワーも500人くらい増えました。「感動した!」「泣けました」「どこで売ってるんですか?」「家に貼りたい」。続々と、世界中から寄せられるそれらの声に応えるカタチで、復興の狼煙プロジェクトのサイトを公開。5月からポスターの全国販売をはじめたのです。
全国販売に関しても、Sさんが働く会社のみなさんや、印刷屋さん、東京のWEBデザイナーさんたちが全面的に協力してくれました。
まさに、人と人との無償のつながりから生まれた、友情プロジェクト。そして、そこには人々の心に響くクリエイティブがあり、ソーシャルメディアという無償のメディアの存在があったことも見逃せません。
Sさんたちは、復興の狼煙プロジェクトをずっと続けてゆくそう。現在は、『プロジェクト~第2章~』ということで、被害に遭った市町村の住民の集合写真を撮影されています。
すべての被災者が仮設住すべての被災者が仮設住宅を出るまで、復興は終わらないのです。
(Text: コピーライター山中貴裕)
ポスターのサイトを見てみよう!