連載【コミュニティ・デザインの現場から】。沖縄県久高島編の第二回は、NPO法人久高島振興会(@kudaka_kansha)の伊豆和さんのお話です。
久高島の神性に魅せられた大重潤一郎監督が島の暮らしを克明に記録した映画「久高島オデッセイ」が、伊豆さんと久高島を結びつけたのは9年前のこと。監督の助手として島入りした後、監督の急病というアクシデントで思わぬ長期滞在となり、そのまま住み着いてしまったのだそうです。
そうこうするうちに、「久高島振興会をNPO化するから事務局をやってくれないか」という打診を受け、以来、振興会を取り仕切り、宿泊施設とレストランの運営に携わっている伊豆さん。
おばあたちは、朝起きるとまず、海と大地と太陽に感謝を捧げてから一日を始めます。年に二十数回ある祭事も、『お願い』と『感謝』が対になっているんですよ。こんなにも、自然への感謝という精神文化が生活文化に色濃く反映し、またその伝統が死に絶えていないコミュニティはめずらしいのではないでしょうか
と島の魅力を語ります。
コミュニティ全体に通底する自然への畏敬の念は、土地の利用制度にも反映されています。久高島では個人が土地を所有することは許されておらず、売ることも買うこともできません。この約束は久高島土地憲章で定められており、島民は字から土地を借りて家を建て畑を耕します。結果、他の離島で起きたような外部資本による開発が行われずにここまできたのだとか。
そうして今も残る島のランドスケープは、「気」が流れるようにデザインされており、「気」がぶつかるT字路はほとんどありません。これは、中国の都市計画に利用されていた風水の考えに則ったもの。巨大な人口構造物はなく、あるのはゆるりと曲線を描く路地と、点在する人間サイズの家いえ。久高島の魅力は、雄大な朝日やどこまでも青い空と海だけでなく、土地とのつきあい方に象徴される、住まう人々の”自然に寄り添うあり方”によって醸し出されているのかもしれません。
ところが、伊豆さんから見た島の人々は今、「幸せそうではない」のだそうです。最も大きな理由は、「人生の最後に島を離れなければならないこと」。介護施設がなく、多くの現役世代が沖縄本島に移ってしまっている現状では、介護が必要になったおじいおばあが、生まれ育ち何十年も暮らしてきた島を離れ、子ども世帯のもとに身を寄せざるをえない例が続出しています。
この事態に心を痛め、問題の根っこを島の仕事不足に見出している伊豆さんは、
島には幸い、多くの観光客が訪れています。彼らが心から欲しいと思って買って帰ってくれる島産品や、立ち寄るだけでなく滞在し、より深く島の魅力に触れてもらう観光サービスを提供することで、新たな仕事をつくる余地はたくさんある
と、乗り越えるべきハードルを明確に見定めています。
課題解決の糸口として、久高島振興会が中心となり、途絶えていたイラブー漁と燻製を2005年に復活させました。500年以上の歴史を誇るイラブー漁に伝統産業としての光を再び当てたのです。畑では、海風が運ぶミネラルをたっぷり含んだ滋味深い野菜が育ち、島の温暖な気候を利用したアセロラ栽培を始めた島民もいます。こうした、島にすでにある資源を無理なく生かす仕事づくりに乗り出すため、NPO法人久高島振興会では、10月に若者の新規採用を予定しています。職員が住むためのプレハブを、宿泊交流館の裏庭に新設したという気合いの入れよう。訪れた人を島の懐へと誘う久高島ガイドツアーもサービスインしました。
この島には、神様のもとで生きる日常がまだ根強く残っています。『八百万の神』という言葉がありますが、日本人はずっと、身近な自然に神様の存在を認めて生きてきました。身近な自然が失われていくのと同時に、本来よりどころであったはずの神様を信じる心も失ってきた現代社会にあって、久高島は残された貴重な宝。
と締めくくった伊豆さんの思いとアクションが、どんなかたちで実を結んでいくのか。今後も久高島のコミュニティデザインに要注目です。
次回は、島の外と島のつなぎ役を担う、沖縄本島のNPOエクスブリッジを紹介します。
久高島パートナー制度に登録して島を応援しよう。