ネバダ州リノ。日本人にほとんど馴染みのないこの町は、カジノで賑わう歓楽街だ。ここから車をすっ飛ばして約4時間。僕らは会場であるブラックロックデザートを目指していた。車の中には大量の水、食料、キャンプ道具、コスチューム、楽器。これから始まる1週間を生き残るための道具でパンパンになっていた。
バーニングマンには特徴的なポイントがいくつかある。まず、会場内には商業施設は一切存在せず、金銭による売買が全面的に禁止されること。すべての食料・生活用具は参加者が各自で持参しなければならない。スポンサーを付けないまま、広告も、キャンペーンGALも、無理矢理なドネーションもない自由な状態で開催されている。
次に、すべてを持って来つつもゴミは一切会場に残してはならないということ。「Leave No Trace(痕跡を残すな)」というスローガンの下、徹底的にクリーンアップされる。僕らも買ったばかりの食料についてる無駄なパッケージをズルムケにして、少しでもゴミが少なくなるように努力した。
「すべて持って来て、すべて持って帰る」
これが砂漠生活の基本なのだ。
そしてもうひとつ。「No Spectator(傍観者になるな)」。参加者はすべて表現者であり、ただ見ているだけの観客にはなるな、と強く求められる。その精神に同調して、会場内は巨大なアートオブジェや強烈にデコレーションアップされたアート・カー、サウンドシステム、さまざまなコスチュームやボディペイントで飾った人々で溢れかえる。
およそ日常生活から遠く離れた環境で開催されるバーニングマン。しかしなぜかここには日常生活以上の理想的な日常があり、本当はこっちの方が正しいんじゃないかと思わせる魅力がある。
バーニングマンが始まったのは今から20年前。1986年、サンフランシスコにあるベイカー・ビーチがその発祥の地だ。
創始者であるラリー・ハーヴェイは友人とともに、イザコザのあった恋人に対する憂さ晴らしとして2mの木像に火を付けた。その行為はサンフランシスコ在住のアーティスト連中に非常にウケて、なぜか毎年行われるようになり、同時にさまざまなパフォーミング・アートも行われるようになっていった。年を重ねるごとに規模が大きくなってきたため、ベイカー・ビーチでの開催を地元警察より禁止されてしまい、場所をブラックロックデザートに移すことになった。そしていつからか「憂さ晴らしのため」という部分は「魂の浄化のため」と、うまいこと言い換えられるようになり、木像の大きさは15m以上になった。
1995年ごろからバーニングマンがインターネットで取り上げられ始めると、その強烈なビジュアルに魅せられて参加者も増加していった。世界中から集まってくる参加者の数は3万5000人以上になり、会場のブラックロックデザートはバーニングマンの期間中だけ「ブラックロックシティ」と呼ばれるようになった。
虚無の砂漠はアートインスタレーションにはうってつけの場所で、暴力的なほど大きなシーソーや、100mのキャンバスを空中に掲げて一気に火炎放射器で燃やすファイヤー・アート、地平線の彼方に突如建立されるお寺など、アーティストはこの場所で自由な表現活動を行った。
砂漠の道をひたすら走るのは現実世界から遠のくためのよいPre Loadingにもなっているようだ。民家はどんどんなくなり、荒涼とした景色のみ視界に入ってくる。延々と続く長い一本道は時間と空間をゆがませる(分かりやすく述べると、眠くなってくる)。
僕らは途中にある「ピラミッドレイク」で一休みすることにして車を止めた。この巨大な湖はネイティブ・アメリカンの聖地だ。もう日が暮れ始めていて少し肌寒かったが、湖に飛び込んで砂漠の中の水泳を楽しんだ。
今回僕は「クリスタルボウル」という楽器を持ってきていた。ピラミッドレイク周辺に自生しているデザートセージを摘み、お香として炊きながらクリスタルボウルを演奏してみた。とにかくそれは楽しくて、これから始まる強烈な体験を予感させるものだった。
- ピラミッドレイクとクリスタルボウル
- デザートセージ
次回はブラックロックシティでの刺激に満ちた暮らしについてお届けします。
ーphotoー
top,3rd=RAGE http://fotologue.jp/heliographie/
2nd,4th,5th,6th,7th,8th=マガリ http://www.magarisugi.net