有事を受けて、働き方の多様性が進む昨今。リモートワークは増えても、人口が過密した地域で過ごす日常に「このままここで働き、暮らし続けていいのかな」と考えることがあるかもしれません。
内閣府が行った『新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査』では、東京・名古屋・大阪などの都市圏で暮らす20代30代を中心に、地方移住への関心が高まっていると発表されています。そうは言っても「移住」はちょっとハードルが高いもの。まずはもう少しライトな気持ちで「現状とは異なる日常に触れてみたい」と考える人がきっと多いのでは?
そんな方にご紹介したいのが、「わかやま しごと・暮らし体験(以下、しごとくらし体験)」です。日本最大の半島である紀伊半島に位置する和歌山県が、2018年4月から企画している起業・就農、就労の体験プログラム。利用者が希望する地域での「しごと」を体験しながら、周辺地域の先輩移住者や地域住民の方との交流を通じて「くらし」の体験を行い、移住後の生活をイメージすることができます。
これまでの利用者数は年間約60名。さらに、2021年度は開始4カ月目で、すでに過去の年間利用者数を超える申し込みがあるといいます。なぜ、それほど注目を集めているのでしょうか。
「しごとくらし体験」のことを詳しく知るため、和歌山県移住定住推進課の古川龍二さんと、委託事業者として、しごとくらし体験の企画に携わっている仕事旅行社の内田靖之さん、ぶどう山椒の発祥地である有田川町で農園とカフェを運営する、「しごとくらし体験」の受け入れ企業・株式会社 かんじゃ山椒園代表取締役の永岡冬樹さんに、座談会スタイルでお話を伺いました。
地方の価値を知る「しごとくらし体験」とは
「しごとくらし体験」は、和歌山県内の各市町村にある約140社以上の受け入れ企業から、1泊2日〜2泊3日のお試し「起業・就農コース」、または最大5泊6日の就職希望者向け「就労コース」を選択できるプログラムです。
参加費は無料。受け入れ企業のバリエーションは、驚くほど多彩で充実しています。
和歌山県の名産品である紀州南高梅の農家や紀州備長炭の製造会社、生マグロ水揚げ日本一の那智勝浦町にある水産会社、喫茶と本屋も営む編集・デザイン会社、老舗の漆器店、若手の革作家など、まちづくりに関わる地元の人間であれば「あの企業もこの企業も載っているの?」と前のめりにサイト内を周遊してしまうほど。和歌山県を盛り上げようと積極的に励んでいることで知られている企業ばかりで、県内在住者の私は参加できないことが悔しいくらいです。
他県でも、特定の実施日や市町村での就労体験を行っていることは多いですが、通年かつ県内全域を対象として、これほどまでに幅広い業種を取り揃えているケースは、他に類を見ません。これなら、移住にハードルを感じていた人も「週末に行ってみようかな」と気軽に参加できそうです。
しかし、現時点で「しごとくらし体験」の情報にたどり着くには、和歌山県の移住PRサイト「わかやまLIFE」にアクセスする必要があります。「和歌山や移住という前提を抜きに、もっと多くの人に知ってほしい…! 」。そんな思いから、今回グリーンズで取材することにしました。
今の段階で利用者が増加している背景には、コロナ禍による地方移住に対する関心以外に、そもそも和歌山県に対する関心の高まりもあるのでしょうか?
古川さん 地方の中でも和歌山県に対する注目度は高いですね。昨年は、の「わかやま移住プロモーション事業」の一環で、和歌山県では全国に先駆けてオンラインによる移住セミナーをたびたび実施していたのですが、「認定NPO法人ふるさと回帰支援センター」が発表した2020年の移住希望地域ランキングの結果で、和歌山県が「セミナー参加者ランキング」の1位になったんです。
和歌山県 移住定住推進課 移住交流推進班 主任。島根県出身。和歌山大学経済学部への入学を機に和歌山県へ。幅広い業務を通じて社会に貢献したいとの思いから、和歌山県に入庁。総合交通政策課にはじまり、橋本市の伊都振興局への出向、総合防災課、東京の観光庁への出向を経て、県庁の観光交流課に配属となり、インバウンド業務を担当。2021年4月から現在の移住定住推進課へ。
それはすごい。 オンラインでの興味喚起から「しごとくらし体験」への動線も生まれていそうですね。実際に「しごとくらし体験」では、どういった利用者が多いですか?
内田さん 平均年齢は36歳で、割合で言うと20代が40%、30代が26%です。居住地に関しては、1番が大阪、2番が東京。関西圏が全体の6割を占めていますね。お一人のご参加が多く、ご夫婦で移住を検討されている場合でも、スケジュールの兼ね合いでまずは旦那さんだけ、といったパターンもよくあります。
株式会社 仕事旅行社 取締役。福島県出身。2011年に、多様な経験学習を通じて「仕事の軸」を明確にし「仕事の幅」を広げる大人向け職業体験サービスとして仕事旅行社を設立。国家資格のキャリアコンサルタントを取得し、花屋からねぶた師に至るまで、これまで100種以上の職業体験を企画。和歌山県が東京に構えている「わかやま定住サポートセンター」の窓口で相談員としても活躍中。
永岡さん かんじゃ山椒園も「しごとくらし体験」で、これまで3回受け入れさせていただきました。東京から訪れた女性と、大阪から訪れた男性、あとは大阪から訪れたご夫婦で、みなさん30歳前後。東京から訪れた女性は山椒がお好きな方で、「いつか自分で販売してみたい」と話されていて。ちょうど先日、有田川町に引っ越してこられましたね。
内田さん え、そうだったんですか! それは嬉しい。利用者へのヒアリングで僕らが直近で把握できているだけでも、これまで7世帯15名の方が移住されています。
まだ移住に至っていない利用者からも「和歌山に対する関心が高まりました」であったり、「また訪れたいです」「人生のプラスになりました」といった感想が多く寄せられていると内田さん。移住の前段階で「しごとくらし体験」から良い影響を受けた利用者数は、想像以上に多そうです。
株式会社 かんじゃ山椒園 代表取締役。和歌山県有田川町出身。過疎化する地元を盛り上げようと2006年にUターンし、実家の山椒園を継業。山椒の楽しみ方を提案するため、自宅の一部を改装し、2010年に「田舎カフェかんじゃ」をオープン。「しごとくらし体験」には初年度から協力。以前から個人でも「山の暮らし相談所」の名前を掲げ、移住希望者のサポートを積極的に行っている。
物件探しは信頼関係あってこそ
このプログラムをきっかけに地域の人々と接点ができることで、地域に対して愛着が湧くだけでなく、移住には付きものである仕事探し問題から家探し問題まで、解決の糸口が見つかりやすくなっているといいます。
永岡さん ご夫婦で参加した方も「かんじゃ山椒園に就職する形で移住したい」と話してくれているところなんです。プログラム終了後も、たびたびうちに訪れてくれて。妻の実家の空き部屋に泊まってもらったこともあって、もう親戚みたいな仲ですね。今、物件も一緒に探し中で。
内田さん そこまでサポートしてくださって、ありがたいです。移住希望者さんはどなたも「物件探しが大変」とおっしゃっていて。そんななか「しごとくらし体験」の利用者は、プログラムを通じて地元の人たちと関係性が築けるので「地元の人たちにアドバイスをいただきながら物件探しができて、すごく助かっています」という声はよくお聞きします。
永岡さん 地元の協力がないと難しいよね。山ほど空き家があっても、誰も借りないと諦めていたり相続問題があったりで、貸そう・売ろうとしない持ち主が多いから。でも、何もしないと荒れ放題で物件がダメになる。地元の人間としても、全然知らない人のためじゃなくて「しごとくらし体験」を通じて信頼関係のある人のためにと思うと手伝いやすいです。
思い出の詰まった家であるほど、近隣住民と良好な関係を築きながら大切に家を使ってくれる人に貸したいと思うのは、当然のこと。また、借りる側としても、誰も知らない地域に急に飛び込むより、笑顔で迎えてくれる人がいる地域に住みたいものです。プログラムを通じて、そういった関係性が事前に構築できるのは、貸す側・借りる側、両者にとって安心でしょう。
訪れる人々と迎える地域をつなぐ工夫
和歌山県が公募した「若者移住希望者『しごと』のある『くらし』体験事業」のプロポーザルに、仕事旅行社の提案が合致したことからはじまった、このプログラム。これまで受け入れ企業の開拓はどのように行ってきたのでしょうか?
内田さん 和歌山県とゆかりがまだなかった初年度は特に、県の広報誌『県民の友』や「わかやまLIFE」を参考にしたり、U・Iターン経験のある地元の方に推薦いただいたりして、移住と相性の良さそうな企業を開拓していきました。仕事旅行社の本業で、他県の企業とやりとりをすることがありますが、「しごとくらし体験」の企業はとても協力的。和歌山県には「一緒に地元を盛り上げよう」と考えてくださる企業がとても多い印象ですね。
受け入れ企業数や利用者数の多さから、両者のマッチングやフォローなどの運営体制も気になるところ。具体的にどのように対応されているのかを伺いました。
内田さん 利用者からのお申し込み後、電話やZoomを用いて30分〜1時間ほど、私が面談しています。「どうして参加しようと思われたんですか」とか「この企業を希望される理由は何ですか」「これまでどういったことをされてきたんですか」などを伺って、その情報をもとに、受け入れ企業にご相談して、お互いのご意向に相違がなければご案内するといった流れです。両者のためにもミスマッチは現地入りする前に解消したいので。
古川さん 利用者側の「こういう暮らしがしたい」と、受け入れ企業側の「こういう方に来てほしい」と希望するレベルはひとりひとり違うので、両者とコミュニケーションを取りながら、事業の組み立て自体を少しずつ変えていく必要があるとも考えています。これまでも、社会人だけでなく大学生の参加もOKにしたり、対象地域を田舎から全市町村に緩和したり、時世的なニーズを汲みながら、毎年ちょっとずつ受け入れ方法を広げているんです。
内田さん あとは、体験後に利用者のみなさんからアンケートを取って、事務局からのアフターフォローを希望するかを選択いただけるようにしています。なかには「県内のいろんな地域をもっと見てみたくなった」といったコメントもあって、和歌山県が各市町村単位で実施されている「オーダーメイド現地案内」をご案内させていただくこともあります。
気になるネーミングですね。「オーダーメイド現地案内」とは何でしょう?
古川さん 移住希望者のニーズに応じて、各市町村の職員の協力もいただきながら現地を案内するサポートのことです。先輩移住者が営んでいる店や、学校、病院、交通情報、空き家バンクで管理している物件の紹介など、実際に車で走ってアテンドしながら暮らしの基本情報をお伝えしています。和歌山県内の主要駅や空港までの交通費は実費ですが、年間100組ほどご利用いただいていますね。
なんとも手厚い。「わかやま定住サポートセンター」東京窓口の相談員でもある内田さんも「窓口にお越しの方に『和歌山県のサポートってすごく充実してますね』とよく驚かれます」と話します。オンラインの移住相談セミナーや「オーダーメイド現地案内」など、「しごとくらし体験」の前後に、和歌山をよりよく知る仕組みがいろいろ設けられています。
“何を大切にしているか”の価値観の共有
そうはいっても、運営体制だけを見ると、他の自治体にも類似事例があってもおかしくはない仕組みです。協力的な企業が多い和歌山県の特徴をふまえたとしても、ここまで年々利用者が増加し、他にないような事例となっている背景には、何か大きな要因が潜んでいるのでは?
その謎を解き明かすため、運営するうえで最も大切にしているポイントを尋ねました。
内田さん 体験が単なる労働で終わらないように、受け入れ企業に利用者としっかりコミュニケーションを取ってもらい、「仕事や暮らしを通じて、地域の人たちが何を大切にしているか」の価値観を共有いただけるようお願いしています。
受け入れ企業として登録する際に、なるべく利用者と一緒に食事をする時間をつくって対話をしてもらえるよう依頼し、会社や仕事の紹介だけでなく、現在の仕事に就いた経緯やその地域に住んだ経緯を伝えたうえで、価値観を共有してもらえるようにしています。
具体的に、永岡さんは普段どういった価値観の共有をされているのでしょうか?
永岡さん 僕は、自然を制圧するでも無視するでもなく、自然と調和する生き方が大事だと思っていて。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の地である和歌山県は自然崇拝を起源として、なかでも有田川町は日本農業遺産「聖地高野山と有田川上流域を結ぶ持続的農林業システム」を持ち、世界から訪れる旅人たちに称賛されるほどの場所です。だけど、その事実を知らない日本人が多い。日本の豊かな山村暮らしを多くの日本人に知ってほしいですね。
永岡さん 例えば棚田。今ではお荷物扱いですが、自然の斜面を生かして最小限のエネルギーで引水できる画期的な仕組みです。あと、うちでは生活用水をそのまま川に流さず、鯉を飼った池に一度溜めて、鯉が分解してくれた水を自然に還すようにしています。山村にはそういう考え方や工夫がたくさん残っていて、健康的だし学びが多いから、子育ての場としても適しています。近い将来、山村暮らしがステータスになる時代が訪れるんじゃないかな。
「しごとくらし体験」では、数時間の観光や何気ない雑談ではなかなか知ることができない、深いコミュニケーションをとることができるのです。利用者の増加や満足度の高さは、システマチックではない、こういった人間味のある関わりから生まれているのでしょう。
異なる視点を知ることで、次へと前進できる
価値観の共有を大切にしながら、年々利用者数と受け入れ企業数を拡大している「しごとくらし体験」。これまで、移住や就職の人数といった定量的な側面だけでなく、数字に収まらない定性的な側面でも、さまざまな成果をもたらしているようです。
内田さん 受け入れ企業とお話をしていると「申し込みがあって驚いた」とおっしゃられる方が意外と多くて。「登録はしてみたけど、うちはあまり人気がないだろう」と思っていたそうなんです。利用者が現れることで、自分たちの地域について改めて考える機会や自分の仕事に誇りを持つきっかけになったと、気持ちの変化を教えてくださる方は多いですね。
永岡さん それは大いにありますね。同じ場所に住み続けている高齢化した顔ぶれで地域活性を考えていくのはちょっと難しい。だから、外の人を迎えて新しい風を吹かせてもらうことで、活気が生まれる。そういう人たちのおかげで地域が良い方向へ動き出すような気がしています。訪れる人も迎える人も、普段の暮らしと異なる視点を知ることで、価値観が広がって次の行動が変わっていく。そういう意味でも「しごとくらし体験」は意義がありますね。
以前まで観光交流課に所属していた古川さんは、観光と移住、両方の分野を知る立場として、「しごとくらし体験」がもたらした気付きについて、こう語ります。
古川さん 近年の観光は、物質的なモノ消費から体験的なコト消費に変化していると言われているのですが、地域の人と触れ合って地域の暮らしが体験できることは、まさに観光でも必要とされている要素です。観光や移住のくくりに限らず、こうした関係人口の増加は一番のファンづくりになり、和歌山のエネルギーになる。コロナ禍で動きづらさが多分にあるなかで「人と人のつながりをどう築いていくか」は行政として大きな課題ですが、各課を越えて連携していくことで、このプログラムがその答えの1つになるんじゃないかと思っています。
利用者だけでなく、受け入れ企業をはじめとする地域の人々、さらには和歌山県全体としても、「しごとくらし体験」は未来につながる発見の芽を育んでいるのです。
“あの人に会いたい”と思える世の中を
和歌山県からつくっていきたい
「しごとくらし体験」は、移住を具体的に検討する人々だけでなく、「現状とは異なる日常に触れてみたい」と考えていた人々の人生観にも、きっと新たな風を吹かせてくれるのではないでしょうか。最後に「しごとくらし体験」の今後の展望や期待について教えていただきました。
内田さん これまで多くの利用者から「自分の仕事や暮らしを見つめ直す機会になりました」といった感想をいただいているのですが、今後も、日々の延長線上ではない、新たな気付きに出会っていただけると嬉しいですね。また「プログラムに参加して、はじめて和歌山との縁ができました」と話される利用者が全体の4割を占めるので、これからも和歌山との縁をつくるツールとして「しごとくらし体験」をどんどん拡大させていきたいと思います。
古川さん 僕もこのプログラムを推進することで、和歌山県全域で外の人を受け入れる基盤をつくれたらと考えています。移住定住推進課としては最終的に移住していただけたら嬉しい限りですが、まずは「和歌山で暮らす◯◯さんが好き」とか「和歌山の◯◯さんがつくった物を買いたい」とか、人と人の顔が見えるつながりを日本各地に広げていけたらいいなと思っています。和歌山県を発信源に「あの人に会いたい」と思える世の中にしていきたいですね。
永岡さん そうそう、里帰りみたいなのがいいよね。いきなり移住じゃなくて、まずは田舎の親戚のうちに泊まりにいく感覚で。「あの人がいるからまた行こう」って思えて、いろんな話や体験ができて。その関係性で相談もできたら、お互いの違った視点を持ち寄ることで、それぞれの課題を一緒に解決できるかもしれないし。それに、地域の本質的な魅力は、写真に収められるものじゃなくて、繰り返し訪れて深まるものだから、お互いを知るための時間をしっかり取って、魅力的な素材がいっぱいある和歌山のことをもっと伝えていきたいですね。
目の前の日常をすぐに変えるのは難しいかもしれませんが、まずは1泊2日から、異なる暮らしを覗きに行ってみませんか。きっとそこで出会った人たちが、思考を解きほぐして新しい価値観に気付かせてくれることでしょう。
移住・多拠点居住・リモートワークなど、働き方や暮らし方が多様になりつつある今、和歌山で多彩な価値観に触れることで、あなたにぴったりの明日が見つかりますように。
(撮影: 寺内尉士)
– INFORMATION –
10/23(土)に、「わかやま しごと・暮らし体験」についてのイベントを開催します! 記事を持って興味を持った方は、ぜひご参加ください。
「わかやま しごと・暮らし体験」では、体験の参加者を募集中です。興味がある方はぜひ、詳しい情報をチェックしてみてくださいね!