就労トレーニングに参加する若者たち。育て上げネットがサポートする仕事体験は、軽作業や地域イベントのお手伝い、農業、企業インターンなど多彩です。
子どもたちが学校や職場に行けなくなり、それが長引くことは、本人はもちろん、その親にとっても苦しいものです。特に母親は、「育て方がいけなかったのか」と自分を責め、子どもの問題を一人で抱え込みがちです。
いわゆる「ひきこもり」の推定人数は、日本だけで約70万人。その陰には、人知れず悩み、泣き、出口を見失っているお母さんがたくさんいます。
そんなお母さんたちに伴走して奮闘している専門家集団があります。これまでに約1000名の家族をサポートし、その子どもたちを社会に送り出してきた「母親の会・結(ゆい)」の相談員たちです。
凝り固まった家族のさまざまな問題を、どのように解決に導いてきたのか、相談員の蟇田薫(ひきた・かおる)さんと、森裕子(もり・ゆうこ)さんに、お話を伺いました。
お母さんたちの苦しみに寄り添うために
2001年に設立された、工藤啓(くどう・けい)さん率いる認定NPO法人「育て上げネット」 。彼らは、「若者と社会をつなぐ」をテーマに、不登校やニート、ひきこもりになった若者たちの支援を続けています。
その活動の一環として2009年に設立された「母親の会・結」は、不登校や無業の子どものことで悩むお母さんたちが、気持ちを打ち明け、今日から何ができるかを見つけることができる会員制相談サービスです。
会員は、毎月1回ずつ、個別の定期相談と、似た悩みを抱えるお母さんたちと交流しつつ学べるワークショップ(勉強会)&茶話会に参加することができます。
同会は時折、屋外イベントも開催するのだとか。伺った日も、蟇田さんはお母さんたちとのバーベキュー遠足に出ていたため、ネット通話で取材にご協力くださいました。
前代未聞の液晶越しのツー・ショット。「母親の会・結」相談員の蟇田さん(同NPOの若年支援事業部部長)と、同じく相談員の森さん(右)
面談によるカウンセリングやコンサルティングを行う「定期相談」は、お父さんや当事者の参加も歓迎とのことですが、ワークショップや茶話会は母親限定です。なぜ「母親の会」として、お母さん向けのサービスを始めたのでしょうか。
蟇田さん 当会には、「うちの子の声を3年も聞いていない」とか「姿を見ていない」というお母さんが相談にみえます。ひきこもっている子と直接つながれるケースは少なく、お母さんから相談を受けることが多いです。
公設公営や公設民営の支援サービスは、より多くの方を支援することが求められるため、一人あたりの利用期間や回数に制限を設ける必要がありました。
しかし、ちゃんと解決するためには継続的な支援が必要ですし、同時に保護者自身が変わっていく場も必要ということで森相談員が発案したのが、「母親の会・結」です。女性同士気さくに色々なことを「女子会」のように話せることを目的としました。
2つの山は、バブル崩壊後とリーマンショック後
相談者の世代は幅広く、最近では、不登校の小学生を抱える若いお母さんも利用しています。一方、インターネットの情報に触れることがあまりないご高齢のお母さんたちの利用は比較的少ないそうです。
蟇田さん 無業の若者に目立って多いのは、バブル崩壊後の就職氷河期につまずいた世代と、リーマンショック後に社会に出られなかった世代ですね。
やはり、世相をかなり反映しています。そのあたりの詳しいデータは、育て上げネットが10年以上の経験をまとめて出版した『若年無業者白書2012-2013 ~その実態と社会経済構造分析』と、最新の『若年無業者白書2014-2015 ~個々の属性と進路決定における多面的分析』に掲載されています。
お母さんが変われば子どもも変わる
「母親の会・結」の活動は、さまざまな事情で社会に出られずにいる若者たちの就業に、どのような影響を及ぼすのでしょうか。
森さん お子さんの自立を目的に面談すると、お母さん自身の悩みが見えてきます。
自分の育ち方、実家や夫、姑との関係、介護など、思春期ならぬ“思秋期”(人生の中後期)にあるお母さんは、子の自立以外にもたくさんの悩みを抱えています。自立の裏にある家族の諸事情を視野に入れておくことがお母さんの相談を受けるポイントです。
蟇田さん その複合的な悩みを因数分解していくことが、私たちの仕事。お母さんの問題を解決することによって、最終的にはお子さんの心も安定して、一歩を踏み出せるようになっていくという仕組みです。
お母さんの心が少しずつ軽くなり、結果的に親子そろって問題解決に向かうということが、実際に多くの家庭で起こっているというから不思議です。
育て上げネットの森裕子さん。「母親の会・結」設立当初から活躍しているベテラン相談員です。
「母親の会・結」は有料サービスです。子どもの問題が解決した順にお母さんも卒業していくイメージでしたが、会に残る方もいるとのこと。なぜでしょうか。
森さん お子さんが就職した後も、お母さんやお子さんが相談に来られるように、「ウィークタイズ(緩やかなつながり)プログラム」というシステムを用意しています。
仲間と話してホッとしたり、昔なじみの顔を見て元気を出したりするために、多くの方がご利用くださっています。それぐらいに、「仲間の力」というのは、大きいんですね。
長く辛いトンネルから抜け出せたお母さんたちにとって、同会が、かけがえのないコミュニティになっていることが想像できます。
「できていること」にフォーカスする
「母親の会・結」では、いったい、どんなカウンセリングが行われているのでしょうか。
蟇田さん 相談にみえるお母さんたちは本当に頑張って、いろいろ手を尽くして、最後に私たちの所へ来ます。だから私たちはまず、お母さんを励ましたいと思っています。
多くのお母さんは、よその子と比べて我が子を卑下しがちで、何かができても、まだできていないことのほうに意識がいってしまう。でも実際は、少し前と比べたら必ずお子さんは前進しています。私たちは、お母さんと一緒に、その確認作業をします。
森さん 何回も失敗する子は、裏を返せば、何回もチャレンジしているんです。私たちはリフレーミング(捉え直し)をする。そうすると、お母さんにも、その子の力が見えてきます。そして、お子さんの小さな変化が、今後どのような行動につながり得るのか、複数の事例から予測を立ててお伝えして、お母さんに「将来の見通し」と「希望」を持っていただきます。家庭の状況はそれぞれですが、ある程度のパターンは、確かにあるんです。
蟇田私たちは決して、ヨイショや誇張はしません。お母さんが気付いていないお子さんのすごいところを見つけて、事実として客観的に拾い出して差し出すだけです。認めてあげてくださいって伝えています。お母さんがイライラしても良いのです。私たちはそのイライラの原因は実はお母さんの不安から来ることなので、その不安を一緒に取り除くお手伝いをしています。
相談員の励ましに、疲れ切ったお母さんたちは、どれほど勇気づけられることでしょう。親せきでも友人でもなく、第三者だからこそ、絡まってガチガチになった家族の糸を上手に解きほぐすことができるようです。
森さん 相談員には、バリバリのキャリアウーマンも、元専業主婦もいます。
社会福祉士やキャリア・コンサルタントなどの有資格者で、同時に子育て経験者や子どもとかかわる仕事に就いている者もいます。いろいろなタイプの生活者としての体感を持つ相談員がいるのは、強みかなと思います。
一人、男性もいて、彼は大学教授として学生の悩みに向き合ってきた経験を生かし、父親にも寄り添える相談員として活動しています。
そして、若い相談員も。若者の感覚を代表して伝えてくれるので、大変助かっているんです。
森さんは、そう言って、同僚の古賀 和香子(こが・わかこ)さんを紹介しました。古賀さんによると、蟇田さんと森さんのカウンセリング技術は「資格があればできるというものではなくて、簡単には真似できない」そうです。
右が古賀さん(同NPOの若年支援事業部担当課長)。古賀さんもまた、子育て真っ最中の「お母さん」です。
若者の就労に必要なものとは
自立というと、自力で稼ぐことを真っ先に思い浮かべますが、蟇田さんは、大人には経済的な自立だけでなく、いくつかの自立が必要と語ります。
蟇田さん 基本的自立には、社会的自立と精神的自立、経済的自立があります。もしも経済的自立が遅れていても、先回りして他の力を伸ばせば良いのです。
例えば、炊事、洗濯、入浴といった日常生活をきちんと自分でできること。これも自立です。学校に行けなくても、そういうことなら今日からできますね。
森さん 今は、動けなくなったこの時間を活用して、社会的自立と精神的自立を先取りしましょう! とお声掛けしています。
ひきこもり始めてから「時間が止まってしまっている」親子が少なくない、と森さんは続けます。
森さん これ以上失敗しないよう、良かれと思って、親の考えで何でもやってしまう。本人には本人なりの事情があることを見過ごしてしまう。下手をすると「小学生レベルの子ども扱い」をしてしまいがちなのです。
ですから、自立を促すのならまず家庭内でお子さんを「大人扱い」することが必要です。1カ月ごとの定期面談では、大人扱いすることの具体的な課題を一緒に決め、次回面談で確認することを繰り返していきます。
「今日からできることを一緒に探して、トライしてみましょうね」ということが当会のキーコンセプトです。
「母親の会・結」による支援は、この、帰宅後すぐに実践できる「接し方・伝え方」に重点を置いたカウンセリングと、保護者と当事者の両方が支援者とつながれるところに特徴があります。
また、育て上げネットには、「ジョブトレ」という就労基礎訓練プログラムがあります。母親のアクションを機に自立に踏み出した無業の若者たちは、やがて作業中心の単発仕事を手始めに社会に出ます。すると、ほんの3〜4カ月で、多くの人が変わるそうです。
ジョブトレの一例。企業インターンとして仕事に取り組み、少しずつ自信を取り戻します。
森さん 例えば、ジョブトレに入会してから、別人のように明るくなり、働くことに希望を持てるようになった人がいます。彼は大学を中退してから7年間引きこもっていました。家族との会話はなく、誰とも顔を合わせようとしませんでした。
お母さんとの面談では、彼が「問題児」ではなく「困っている人」であることを伝え、批判したり「これからどうするの?」と責めたりせずに、家庭の中で生活力をつけること、つまり、社会的自立の手助けをお願いしました。
変に刺激してより悪い関係になることを恐れていたお母さん。このアドバイスをきっかけに、恐る恐る家庭内の仕事を息子に頼んだところ、仏壇に線香をあげるといったことを意外なほど素直にやってくれた、というのです。
森さん 彼は、炊事の手伝いから家事に参加し始めました。やがて家庭の雰囲気が和らぎ、お父さんの声掛けで、ついに当会に足を運んでくれました。
初めに彼が語った言葉は、「働きたくない、社会が怖い。このままの生活を一生送りたい」でした。
一対一面談を重ねてもなかなか進展がなかったので、最終的には家族一緒の面談を1回行い、結局ご両親に押し切られるような形でジョブトレに参加することになりました。
今、彼はこう言います。「あの時、押しきられなかったら動き出せなかった」
そして、この一連の出来事が、家族全体の大きな転機となりました。
森さん お母さんがすごく変わったんです。後日、「今では本音を話すようにしています。言わなきゃわからないんですものね。他のお母さん方からも教わりました」と話してくれました。
お父さんも、建前や正論ではなく、自分の気持ちに素直に子どもと関わるようになりました。家族全員が変化し、結果的にお子さんにも大きな変化が現れているんです。
もっと、お母さんは誰かに甘えていい
蟇田さんも森さんも、これからの課題は、専門機関に相談するハードルを低くして、支援の輪をさらに広げていくことだと言います。
蟇田さん 苦しんでいるお母さんたちは、そのまま何十年でも我慢してしまいます。限界に達してしまう前に、助けて! と声を上げてほしい。諦めないで頼れる先を見つけて、誰かに甘えていいんです。
森 経済的に困難を抱えているお母さんたちは、悩んでいても有料サービスを利用しにくいかもしれません。これからは、支え合いの仕組みを構築できたらと思います。最近、大規模な採用活動を行っている某企業が、「不採用にしてしまった方たちも大切なお客様なのだし、今もしも困っていたら助けたい」と活動を支援してくださったんです。とても素晴らしい志で、感動しましたね。
同会は、間口を広げるための取り組みとして、活動拠点である東京都立川市と神奈川県川崎市で、一般向けの家族セミナーを月1回開催しています。相談員が自治体などに呼ばれて、講師を務めることもあります。
2015年の夏は、東北の復興支援として一連の出張セミナーを実施。人目を気にしてセミナーに来られない人や、会場が遠い人も多い東北で、インターネット通話でどこからでも相談できる「オンライン結」というサービスがあることを、伝えてきたそうです。
ネット相談の開始や、マンガ本の刊行などを通して、一人でも多くの辛いお母さんに、支援を届けようと工夫を重ねています。
蟇田さん
お母さんたちのお話を聞く時は、いつもイソップ童話『北風と太陽』の太陽のように温かい状況をつくろうと心がけています。1枚ずつ服を脱ぎ捨てるように心を軽くしてほしいのです。最後にお母さんの笑顔を見られるのが、何よりの喜びです。
「しかめ面だった家族に笑みがこぼれる瞬間が一番幸せなのよね」と笑い合う蟇田さんと森さん。「母親の会・結」の相談員たちは今日も、「きっと変われる! みんな社会とつながれる!」という確信を胸に、一人ひとりのお母さんの悩みと向き合っています。