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田舎の未来のつくり方。岡山の小さな町で「パン屋タルマーリー」が目指す、「腐る経済」とは

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パン屋が書いた「不思議な本」が話題を集めています。
タイトルは、『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(渡邉格著、講談社)。著者の渡邉格(わたなべ・いたる)さんが奥さんのマリさんと、「パン屋タルマーリー」を営んでいます。

店があるのは岡山県北部の山のなか、過疎が進む勝山という人口8,000人の小さな町。タルマーリーは、2008年に千葉県いすみ市で店を開くも、2011年の震災・原発事故をきっかけに移転を決意、「菌」の声に耳を傾けて勝山に辿り着きました。

パンは発酵食品です。発酵を司るのは、1,000分の数ミリから100分の数ミリ程度の小さな生きものの「菌」。タルマーリーは「菌」にとことんこだわり、パンづくりに必要な「菌」を自家採種・自家培養しています。移転先を決めるうえでも、タルマーリーが最重要視したのは「菌」のこと。「水を変えればもっといいパンができる」という「菌」からのメッセージを感じ取り、湧き水豊かな岡山の中山間地を第2の創業の地に選んだのです。

僕こと鈴木宏平は、フリーのデザイナーです。29歳、妻と息子2人、家族4人で、岡山県西粟倉村という人口1,500人ほどの勝山以上の「ど田舎」で暮らしています。主にウェブデザインを手掛け、「ど田舎」暮らしをしながら、それなりに仕事もうまくやれていました。そう、タルマーリーに会うまでは……。

ところがあるとき、僕はタルマーリーの仕事ぶりを知ってしまい、人生に希望を失うほどの衝撃を受けました。それは僕にとって、世界中を揺るがせた「リーマン・ショック」よりもはるかに大きな出来事でした。名づけて「タルマーリー・ショック」が、僕の人生に突如降りかかってきたのです。

「田舎」出身、東京経由「ど田舎」行き

僕が生まれたのも、まわりは一面田んぼという仙台の「田舎」です。数百年続く農家の四男坊の僕は、ものを「つくる」ことに憧れて進学した東京の美大で妻と出会い学生時代に結婚、それから約7年、東京で妻に助けられながら、フリーのデザイナーとして活動を続けてきました。

東京で家族と暮らす日々は、満足感のなかにもどこか違和感がありました。デザイナーとして「つくる」ことに携わっているはずなのに、日々の暮らしは「消費」しているだけのような漠然とした不安……。そんな僕にとって、家の目の前に田んぼと畑があり、食べ物を自分の手で「つくる」ことができる故郷・仙台での暮らしが、随分と魅力的に思えてきました。

幸い、デザイナーの仕事は場所を選びません。「田舎」でウェブデザインの仕事をしながら農業を手伝い、実家の米のパッケージをデザインする、そんな「半農半デザイナー」な暮らしを送ろう。そのために2009年ごろから準備を進め、長男の小学校入学を控えた2011年3月、引っ越しの日取りまで決めたところに、東日本大震災が起こりました。

前年に友人たちと改修した実家の母屋は津波に流され半壊、田んぼも畑もヘドロにまみれ、数年は耕作が難しいと言われました。当面は仙台暮らしを諦め、東京での暮らしを続けるしかないと思い始めていたところに追い打ちをかけたのが原発事故です。小さな子どもを抱える親としては、放射能の影響が心配で仕方がない。そういうストレスのある状態で暮らすことが子どもにもよくないし、「田舎」で暮らすことに心が傾いていたこともあり、悩み抜いた末に西日本への移住を決め、ネットで情報収集するうちに、たまたま西粟倉村のシェア物件と巡り合いました。

「タルマーリー・ショック」の真相

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移住して数ヶ月、勝山でオープンした1軒のパン屋を家族で訪ねました。それが「パン屋タルマーリー」との出会いです。パンには疎い僕でしたが、するすると体に入ってくる感じに驚かされ、客として訪れるうちに親しくなり、タルマーリーの職人技の世界を垣間見るようになります。

人工的に培養された菌を一切使わず、自家採種した天然菌だけでつくるパン。それを可能にする職人・イタルさんの高度な知識と知恵と技の数々。日々「菌」や素材と向き合い、お日様が昇る前から五感を駆使してパンをつくり続ける。探究心は尽きることなく、1、2ヶ月ぶりに会うとはるか高みへと進化している――。

そんなイタルさんの姿に、ものを「つくる」本当の姿を思い知らされることになったのです。

東京にいたころから漠然と抱いていた不安、ウェブデザインという仕事に感じ始めていた疑問が、はっきりと輪郭を伴って僕に突き付けられました。ものを「つくる」のが好きでデザイナーになったはずなのに、僕がやっているのはパソコンの前に座ってデータをいじっているだけ。仕事の成果はウェブ上のデータにしかならない。こんなことを続けて、いったい何の意味があるのか――と。

イタルさんは、本のなかで次のように言います。

「田舎」は、ユルい場所でもなければ、のんびり暮らすための場所でもない。もちろん都会から逃げ込むための場所でもない。(略)技術もなにもない、なにもできない人間がノコノコやってきたところで、「田舎」のためにはならない。力がなければ「田舎」で生きていくこともできないし、「田舎」に活力をとりもどさせることもとうていできるはずがないのだ。(『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』165-166ページ)

僕は、「田舎」で暮らす技術を何も持たないのに、ノコノコ「田舎」にやってきてしまった……。データ上でどれだけ綺麗にデザインしても、「田舎」で生きていくうえでは何の足しにもならない……。

そんなことにも気づかず、ものを「つくる」暮らしへの憧れだけで「田舎」にやってきた自分が情けなく、仕事にも人生にも希望を持てなくなってしまったのです。

ショックを経たからこそ見えた「田舎」の豊かさ

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あまりのショックで暗鬱として上を向いて歩けなくなった僕に、妻の一言が一筋の光明をもたらしてくれました。

まわりにたくさんの森と草花があって水があるんだから、私に草木染めをやらせて。草木で染めた糸で布を織って暮らしにまつわる服や小物をつくらせて!

妻も、ものを「つくる」ことが好きで美大に進学しましたが、子どもが生まれてからは子育てに手いっぱいでした。妻が美大で学んだのは草木染め。西粟倉には都会にあるものはほとんど何もないけれど、その代わり、草木は無尽蔵なまでに生い茂っています。上の子どもが親の手を離れ始め、「つくる」ことへの欲求が蘇りつつあった妻には、希望を失った僕には見えていなかった「田舎」の豊かな資源が見えていたのです。

それから僕は、妻のサポートに力を注ぐようになりました。タルマーリーも、パンを「つくる」職人のイタルさんと、店を切り盛りする女将のマリさんの二人三脚で成り立っています。その姿は、僕ら夫婦にとっての生きた教科書です。意識が変われば、周りの世界も違って見えてきす。道ばたに生えるヨモギも、村で出る杉や檜の間伐材の樹皮も染色の原料。西粟倉の自然豊かな環境が、ものづくりに直結していることを実感できるようになったのです。

そのころ、村で出会った友人夫婦とひとつのプロジェクトを始めました。それが、築100年の歴史と風格ある古民家をセルフリノベーションし、草木染めのアトリエ・食堂・ショップ・ギャラリーを併設する複合施設として運営する「難波邸」です。

この古民家は、かつて「紺屋」(染め物屋)だった物件で、巡り合わせを感じずにはいられません。2013年3月末に晴れてオープン、アトリエは「ソメヤスズキ」の名で運営しています。最近では休耕田で染料となる植物の栽培も始め、「田舎」の資源を積極的に見つけ出し、活用法を模索して技術を高めることに取り組んでいる最中です。

人間の「技術」が暮らしの豊かさをつくる

「田舎」での暮らしをよちよちと歩き始めたばかりの僕が、10月6日(日)に開かれたタルマーリーの出版記念トークイベントに、スピーカーのひとりとして呼ばれました。題して「美作の〝これから〟を考える~過疎のイメージを覆す「小商い」の担い手たち~」。集まっていたのは、都会での暮らしに別れを告げ、自らの意志で田舎での暮らしを選んだUターン・Iターンの「小商い」のつくり手の方々です。

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上段左から:加納容子さん(草木染め染織家・Uターン)、辻麻衣子さん(女性杜氏・Uターン)、平松幸夫さん(竹細工職人・Iターン)、下段左から:高谷絵里香さん(自然栽培農家・Iターン)、山田哲也(木工作家・Iターン)、鈴木宏平(本記事レポーター・Iターン)

勝山で生まれ育ち、20代を東京で過ごして勝山に戻った染織と織物の職人、加納容子さん。同じく勝山で生まれ育ち、岡山市内や東京での生活を経て、家業の酒造りを一生の仕事に選んだ女性杜氏の辻麻衣子さん。20代で出会った勝山の伝統工芸・竹細工に魅せられ、生まれ育った岡山県南部で勝山に移り住んだ職人の平松幸夫さん。タルマーリーと同じく震災を機に千葉から蒜山(ひるぜん:勝山からクルマで1時間ほど)に移り住み、「蒜山耕藝」という自然栽培の農業ユニットを営む高谷絵里香さん。そして、「難波邸」のプロジェクトのパートナーでもあり、大阪からIターンで西粟倉に移り住んだ木工作家の山田哲也。

「田舎」でものを「つくる」ことに向き合い始めたばかりの身としては、どなたの言葉も心に深く突き刺さってきましたが、なかでもとくに印象に残っているのが加納さんの言葉です。加納さんは、勝山の歴史情緒溢れる町並みの保存に力を尽くされるとともに、タルマーリーの店舗の向かいに自宅兼アトリエの「ひのき草木染織工房」を構え、町並みの軒先にかかる幾十もの暖簾をつくられてきた方でもあります。

この勝山を、観光客のための場所にしようと思ったことはない。ここに住む私たち自身が楽しめて、誇りを持って暮らしていける場所にしたい。“つくる”技術と“つくる”ことへの思いを持った人にここに来てほしいし、つくり手には一生懸命ものづくりに励み、技術を高めてほしい。

先ほど引用したタルマーリーの言葉と見事なまでに重なって、「田舎」で暮らす覚悟とともに、自然の恵みを暮らしの豊かさに変える「技術」の必要性をあらためて痛感させられました。

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「小商い」が過疎の町を鮮やかに彩る

勝山の周辺には、確かな「技術」を持った「小商い」のつくり手たちが集い、過疎の町を鮮やかに彩っています。思うに、そうやってつくられた「ものでつながる関係性の輪」が、「田舎」の暮らし、地域の暮らしを豊かにしていきます。

イタルさんはこんなふうに書いています。

パン屋のいいところは、生産者とお客さんの両方向につながりを持ち、生産者とお客さんをつなぐ「ハブ」になれること。自然のなかで作物を育ててくる生産者には、敬意と感謝の思いを込めて正当な対価を支払い、その素材を、僕らが丹精込めて加工したパンをつくり、お客さんに正当な価格で販売する。(同書168ページ)

そこでは、おカネは関係性をつなぐ媒介でしかありません。おカネを媒介に地域の経済循環をつくり、その結果、地域に暮らす人たちが豊かさを実感し、自然の生態系も豊かになる。タルマーリーが目指す「腐る経済」はそういう姿です。それは、「腐らないおカネ」が支配するマネー資本主義とは正反対の、自然と人間に光を当てた経済のあり方です。

タルマーリーは、パンを「つくる」ことで、そういう「腐る経済」を、自分たちでつくろうと挑んでいます。僕たちは、何をどう「つくる」のか――。そのことをいま、強く問われているように思います。

(Text:鈴木宏平)

鈴木宏平
宮城県仙台市の農家に生まれ育ち、大学入学で憧れの東京へ上京。その後、妻と学生結婚し長男誕生が人生の転機となり、食べ物や農業のことに関心を持ち、東京に違和感を抱くようになる。大学4年の頃からフリーデザイナーとして活動を始め、2011年いよいよ実家に引っ越そうとした矢先に震災が発生し仙台帰りを断念。その後現在の岡山県西粟倉村に移住し、nottuo デザイナー・難波邸 企画広報・ソメヤスズキ ブランドマネージャー、そして二児の父として田舎暮らし中。