2011年の東日本大震災と原発事故により、全住民が避難を余儀なくされた福島県双葉町。いま、避難指示が一部解除され、少しずつ住民が戻ってきています。
そんな双葉町で、新たな文化、経済、人のつながりなどを生み出していく”まちを創る人たち”を訪ねました。
「双葉町に、またひとつ灯りが増えましたね」
2025年2月。JR双葉駅前の一角にオープンしたコーヒースタンドにはじめて灯りがともった日。小泉良空(こいずみ・みく)さんがそうつぶやいたとき、上司の土屋省吾(つちや・せいご)さんは、ハッとさせられたといいます。
土屋さん これから店の電気をはじめてつけるというときに、たまたま二人で見に行ったんですよね。暗がりに小さな灯りがともった瞬間、僕は「かっこいいな〜」って言ったんだけど、彼女は「灯りがまたひとつ増えた」って喜ぶんです。僕にはその発想がなかったから、負けた〜〜!って思って。この町は、いつも大切な何かに気づかせてくれる場所なんじゃないかなって。
ふたりが働くのは、双葉町のまちづくり会社・一般社団法人「ふたばプロジェクト」。
震災以降、11年5ヶ月ものあいだ全住民が避難を余儀なくされた双葉町で、まちの再生に向けた多彩な取り組みを展開してきました。情報発信や移住・定住支援、視察ツアーの企画・運営など、幅広い取り組みを通じて、双葉町で新しい一歩を踏み出せる環境づくりを担っています。
震災後、長い間だれも住むことができなかった双葉町だからこそ、ひとつの灯りが生まれることが、どれほど大きな意味を持つのか。ふたりは、そのことをよく知っています。
今ようやく、一つひとつ営みが戻りはじめている双葉町では、どんなまちづくりが行われているのでしょうか。そして、その先にどんな未来を描いているのでしょうか。
ふたばプロジェクトの小泉さんと土屋さんに加え、双葉町役場復興推進課の菊地駿志(きくち・としゆき)さんも交えて、3人の視点から、この町の現在地を見つめていきます。
人が動けば、町は動く
菊地さんが国交省からの出向で双葉町に赴任したのは、2024年のこと。はじめてこのまちを訪れた日、目に映った光景は、思い描いていた「震災から10年後の姿」とは大きくかけ離れていました。
菊地さん 震災当時、私は中学3年生でした。あれから10年以上が経った今は、インフラ整備などの復興はもうおおむね進んでいるものだろうと思っていたんです。でも、実際に来てみたら帰還困難区域は荒地のまま、除染で出た廃棄物を詰めた黒いフレコンバッグが山のように積まれている景色もあって、復興はまだ道半ばなのだと強く思い知らされました。
2022年の避難指示解除からわずか3年。かつてのような賑わいを取り戻すには、まだ時間が必要です。けれど、「双葉は、毎日のように何かしらの動きがあるまち」だと菊地さんは話します。
2025年8月にはJR双葉駅前に「イオン双葉店」が開業し、日常の買い物がまちの中で完結できるようになりました。学生ツアーやインターン、視察の受け入れなどで、まちの外から訪れる人も増え、平日の日中は人の流れが生まれています。
菊地さん 毎年1月には「双葉町ダルマ市」という伝統行事があるんですが、消防団のみなさんに混じって神輿を担がせてもらいました。それがきっかけで、町の方たちと少しづつ顔見知りになり、「自分もこの町の一員なんだ」と思えるようになりました。双葉町の人は熱量が高い方ばかりで、東京にいた頃よりも人と人とのつながりの密度が濃くなったように感じています。
こうしたつながりや人との関係性が、まちを動かしていく原動力になるのかもしれません。
答えの見えない課題に、どう向き合うか
賑わいを少しずつ取り戻していく一方で、課題は山積みです。
町を持続させていくために、まず、人が増えることが不可欠ですが、双葉町ではその前提となる住宅が圧倒的に不足しています。さらに、かつて町の基幹産業だった農業も、営農再開率は現在0.6% にとどまり、農地の活用法も大きな課題だと菊地さんは話します。
双葉町で避難指示が解除されているのは、町全体の面積のわずか約15%にすぎません。 残る約85%の区域では、今もなお避難指示が続き、立ち入りや居住が制限されたままです。元の家があった場所に戻りたくても、物理的に戻れない現実があります。
菊地さん 避難先で暮らしの基盤が整って、「もう戻らない」と決断した方も少なくありません。それでも、「双葉とつながり続けたい」「関わりを持ちたい」という方は確かにいます。だからこそ、戻るか戻らないかという二択ではなく、関わり方はいろいろあっていいと思うんです。そうしたまちの方々に対して、行政として何ができるのか日々すごく考えています。この大きな課題に向き合っていくためにも、国と連携しながら取り組んでいく必要があると感じています。
菊地さんは現在、行政の立場から双葉町の復興まちづくり全体の方針策定を担当し、移住・定住の促進や関係人口の拡大に向けた取り組みを進めています。着任当初は「まちづくりを進めて復興させる」と意気込んできましたが、現場を知り、人々と関わるなかで、その気持ちは大きく変わったといいます。
菊地さん まちの土地には一人ひとりの想いがあるんですよね。その気持ちを汲み取らないまま、勝手には進められません。それぞれの想いをひとつにすることは、簡単じゃないです。
これから目指す、双葉町のかたちとは
では、双葉町ではどんなまちづくりが進められているのでしょう。
菊地さん 双葉町の復興まちづくり計画は、建物や道路といったハード面の整備だけではありません。今ここで暮らす人たち、そして離れざるを得なかった町の人たちが、前を向けるような復興を進めていくことも大切だと感じています。だからこそ「双葉町ってこういうまちだよね」と一言で言えるビジョンを、町の皆さんと一緒に対話を重ねながら描いているところです。
そのビジョンの中心に置くのは、建物や施設といった「箱もの」ではなく「人」だと、菊地さんは話します。
菊地さん これからは、“人づくり” に力を入れていきたいと考えています。私としては、選ばれるまちになるために、「ワクワクする」とか「みんなでつくる」とか「自己実現できる」とか、そんなキーワードが大事かなと思っていて。箱ものをつくることももちろん大切ですが、10年後、30年後を見据えると、サステナブルなまちのあり方を考える必要があります。そのためには、挑戦する人や暮らしをつくる人が不可欠です。パン屋さんや本屋さんのように、それぞれの得意を持ち寄り、日常を潤す営みがぽこぽこと生まれていく。そんな流れをまちに生み出していけたらと思っています。
そして、双葉町の未来を形づくる大きな一歩として、2028年には義務教育学校と認定こども園を併設した新しい学校が開校予定。最大の特色は、英語を基盤にしたユニークな教育方針です。
その背景には、2023年に誕生した隣町・浪江町の福島国際研究教育機構 「F-REI(エフレイ)」 の存在があります。そこで働く研究者の子どもたちが通う可能性も視野に入れ、地域全体で国際教育へのニーズが高まる中、未来を見据えた新しい学校づくりが進められています。
大人がワクワクする暮らしが、まちを彩っていく
では、まちの変化を一番近くで見てきた「ふたばプロジェクト」のふたりは、今の双葉町をどのように見ているのでしょうか。

ふたばプロジェクトの事務所は、双葉駅近くにある双葉町移住定住相談センター内にある。この建物は、国登録有形文化財「旧三宮堂田中医院診療所」を改修して再生したもの。大正11年に建てられたとされる木造の洋風医院建築で、長いあいだ双葉町の人々に親しまれてきた
小泉さんは、隣町・大熊町の出身です。震災当時は中学2年生。突然の避難から住む場所を転々としながらも、故郷である双葉郡への想いを手放すことはありませんでした。2021年5月より「ふたばプロジェクト」に勤務し、SNSでの情報発信業務や震災と原発事故を伝える伝承事業を担当しています。
小泉さんの目には、今の双葉町はどう映っているのでしょう。
小泉さん 私が働きはじめた2021年当時は、まだ人が住むことができなくて、夜になるとあたりは真っ暗。本当に、怖いぐらい音ひとつしない静かなまちでした。そこから少しずつ灯りが増えて、飲食店ができて、スーパーもできて、だれかと笑い合えることができる。そういう一つひとつが、私の中では大きな変化で、この数年でいくつものステップを踏んできた感覚があります。3年前は、今のような「人が暮らす町」をまったく想像できなかったし、これからも想像するのはやっぱり難しいです。でも、この4年間は嬉しい予想外の連続で。だから、これからも予想外のことがたくさん起きたらいいなと思っています。
そう話す小泉さんは、双葉での暮らしを誰よりも楽しんでいるようにも見えます。
小泉さん 私のまわりには、「復興」という言葉を掲げるよりも、「これをやってみたい」「好きだからやりたい」という気持ちで動いている友人が多いんです。
私自身、昨年は、出身地の大熊町でサンタさんになる挑戦をしました。大人たちで作戦会議をして12月はじめの頃から「今年はサンタが来るらしい!」とまちに噂を流したりして(笑)。当日はサンタの格好をして、用意した絵本や親御さんから預かったプレゼントを持って、子どもがいるご家庭を20軒ほど回りました。数年前まで人が住むことすらできなかった場所で、大人が本気で遊んで、子どもたちが笑っている光景が、ただただうれしくて。この町のサイズだからこそ、小さなことでも挑戦しやすい環境があるのかもしれません。
100年後も、この出来事を忘れない町であり続けること
土屋さん 小泉さんたちが楽しそうな様子を見ていて、ふと「俺って、友だちいたっけ?」って思ったんですよ(笑)。それで、東京の仲間に富岡町でつくられた富岡ワインを送ったんです。すごく喜んでもらえて、単純にうれしかったです。ここにいると、そんな小さな気づきを見逃さずにいられんですよね。
土屋さんは、2024年4月から「ふたばプロジェクト」に勤務しています。
東京の大手広告代理店に勤務していた土屋さんは、東日本大震災をきっかけに価値観が大きく変わったと話します。復興のイベントに関わるなかで、前向きに生きる被災地の人たちの姿に触れ、これからも関わり続けたいという想いが強まります。その後、福島復興関連の業務に携わったことを機に双葉郡とのつながりが深まっていきました。2024年3月に会社を退職し、翌4月から「ふたばプロジェクト」に転職。現在は中心メンバーとして、まちづくりの現場を牽引しています。
約1年半、双葉町と関わるなかで、土屋さんはこの町の可能性をどのように捉えているのでしょう。
土屋さん 可能性はめちゃくちゃあると思います。双葉町に視察ツアーで来た人たちが帰るとき「いい時間だった」と満ち足りた表情を浮かべる瞬間があって。その顔を見るたびに、強く感じるんです。
外から来た自分が言うのは勝手かもしれませんが、ただ便利な“普通のまち”ではなく、双葉にしかない良さをちゃんと残していくことが大事だと思っています。「双葉のここがいいよね」って、町の人たちが誇れる何かがあれば、未来は必ず開けるはずです。
東京では、関東大震災の記憶を土地の風景に重ねて想像することはもう難しいです。でも双葉には、2011年の記憶がまだ存在しています。100年後も、この出来事を忘れない町であり続けることができたら、きっと、大きな強みになると思うんです。
ここにしかないものを、探しにきてほしい
土屋さんが言う ”普通のまち”とは、どんなまちだろう。
利便性がよく、暮らすことに困らない。けれど、効率ばかりを追いかけたサービスに囲まれて、気づけば人と人との距離が遠くなってしまう。そんな風景も、現代では珍しくはありません。
たとえば、空き地があったら、コンクリートで固めて駐車場にしてしまえば簡単です。
でも、このまちでは、そこに花壇をつくろうと話し合ったり、ひと休みできるベンチを置こうと誰かが動き出したり、寒くなってきたらみんなで豚汁をつくって温まったり。そうした営みを、自分たちでつくっていくことを大切したいという空気があります。
菊地さん プレイヤーがまだまだ少ない双葉町は、逆に言えば、何かを始めたい人にとって挑戦できる余白がたくさんある自由度の高い場所だと思います。だから、「復興のために」という旗を掲げる必要はなくて、ただ純粋に「やってみたいからやる」という気持ちで飛び込んできてほしいです。双葉町は、福島復興のラストランナーと言われています。だからこそ、ほかの地域にはない可能性もたくさんあると感じています。
小泉さん ネットで調べて得られる情報には限界があるので、私はやっぱり、実際に来てもらうことがいちばん大切だと思っています。ここにいる人と直接話して、まちの空気を肌で感じてもらえたら、双葉の良さがきっと見えてくるはずです。まずは、肩の力を抜いて気軽におしゃべりしに来てもらえたらうれしいですね。

お互いを尊重しながらも、年齢の差を感じさせないふたり。「私の友人はみんな土屋さんのことを知っていて、『面白い人だよね』って。普通に考えたら、友達の上司まで認識してることってあまりないですよね?(笑)」と小泉さん。顔の見える、風通しのいい関係性は双葉町らしさなのかも
土屋さん よく「双葉には何もない」と言う人がいますが、それは「都会にあるものがない」という意味だと僕は思っていて。「ここにないもの」に目を向けるのではなく、「ここにしかないもの」を探しに来てほしいです。
ただ、ひとつだけ言いたいのは、「商いをしたい」「事業を始めたい」なら、軽い気持ちで来るときっと難しいということです。何で稼ぎ、自分がどんな人生をつくりたいのか。そこまで想像して、強い意志を持ってチャレンジしてほしい。だからこそ、このまちは挑戦する人にとって、面白い場所になり得ると思っています。
まちは今、少しずつ灯りを取り戻しはじめています。ここで何かを始めようとする人、まちの暮らしを純粋に楽しむ人、日々の営みを丁寧に積み重ねる人。そうした一人ひとりの営みが、双葉町のこれからをつくっていくのです。
■一般社団法人ふたばプロジェクト
双葉町移住定住相談センター(旧三宮堂田中医院診療所)
住所:福島県双葉郡双葉町大字長塚字町12
電話:080-1752-9353
https://futaba-pj.or.jp/
ふるさとを、つくろう。|双葉町移住・定住情報サイト
■双葉町役場 復興推進課
住所:福島県双葉郡双葉町大字長塚字町西73番地4
電話:0240-33-0127
(撮影:中村幸稚)
(編集:佐藤有美)







