「社会の課題を、みんなの希望へ変えていく」——そんな旗印を掲げ、社会課題をビジネスで解決することに挑み続けている株式会社ボーダレス・ジャパン。
グリーンズが運営する、パーパス(働く意義)で会社と個人が出会える求人サイト「WORK for GOOD」を通じて出会ったのは、世界や日本の課題にまなざしを向けてキャリアを積み重ねてきた磯貝咲知(いそがい・さち)さんでした。
なぜ磯貝さんは、ボーダレス・ジャパンへの入社を決めたのか。そして、企業のパーパス(存在意義)と個人のパーパス(働く意義)はどのように重なり合ったのか。WORK for GOODの植原正太郎が、磯貝さんと人事の上野陽子(うえの・ようこ)さんに、その背景を伺いました。
2007年に設立され、「ソーシャルビジネスしかやらない会社」として、世界14ヶ国で50以上の事業を展開。「SWITCH to HOPE」をパーパスに掲げ、貧困や環境問題、教育、ジェンダー、人権など多様な社会課題に挑み、課題を希望へと変える仕組みづくりを進めている。
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外に出たからこそ見えた、日本人というアイデンティティ
植原 磯貝さんは入社してすぐに、150人規模の合宿イベント「ENJIN自治体」(※)を担当されたと伺いました。僕もめちゃくちゃ参加したかったんですが、予定が合わず……。
※ENJIN自治体…ボーダレス・ジャパン公民連携室が主催する合宿型イベント。自治体職員、社会起業家、クリエイターらが全国から集まり、地域課題の解決に向けた新しい出会いや連携を生み出すことを目的としている。
磯貝さん 次回は福井県で開催するので、ぜひ!
植原 いやあ、今度こそ参加させてください。ENJIN自治体のお話も後ほど伺いたいと思いますが、まずはこれまでのキャリアについてお聞かせいただけますか?
磯貝さん はい。もともとは国際的な社会課題に関心があり、大学で国際関係学を学んでいました。関心を持ったきっかけは、幼少期の体験です。
父の仕事の関係で3歳から8歳までタイに住んでいて、その間に家族でアジア各国を旅しました。当時の東南アジアはまだ発展途上で、貧困が目に見えるかたちで残っていたんですよね。特に、カンボジアを訪れたときのことは強く記憶に残っていて。恐怖政治でカンボジアを支配していたポル・ポト政権が崩壊し、少しだけ復興しはじめた頃だったんです(※)。
※ポル・ポト政権(1975年4月〜1979年1月)は、都市住民の農村強制移住、私有財産・通貨や学校の廃止など徹底した社会改造を断行。反対者や知識人を大量に粛清・虐殺し、密告体制による恐怖政治を敷き、約150万~200万人が犠牲となったとされている。ベトナムによる軍事介入で崩壊した後も、数十年にわたってカンボジアの社会や人々に深刻な傷跡を残した。
植原 ああ、めちゃくちゃになってしまった後の……。
磯貝さん はい。そんな時代だったので、地雷で手足を失った人や孤児たちを目の当たりにしました。ただ、当時は5~6歳だったので「こんな世界もあるんだ」くらいにしか思っていなかったんです。でも、大学で国際課題を学ぶうちに、「あのときに見た光景はこういうことだったんだ」と、知識と経験がつながって。「自分は実際に見ていたのに、これまで何も考えずに過ごしてきたんだな」と気づかされました。
そこからはいろんなボランティアに参加しました。でも、やっていくうちに「ボランティアだけでは事業が回らない」という現実が見えてきて。その頃からソーシャルビジネスに関心を持ちはじめて、インターンにも参加するようになりました。
一方で、「自分が暮らしている日本の課題ってどうなんだろう?」と考えるようにもなって。東南アジアで「貧困層」と呼ばれる人たちも、実はその人たちなりに幸せに生きている。むしろ日本の社会こそ、自分ごととして向き合わなきゃいけないんじゃないか——そう思うようになったんです。
植原 国内の課題に目を向けたきっかけについて、もう少し聞かせていただけますか。
磯貝さん 大学時代に、カンボジアで活動しているNPOのプロジェクトに参加したんです。学生が集まって現地に入り、ソーシャルビジネスの立ち上げを検討する企画でした。
そこで実際に人々の暮らしを見ていくと、「こちらが想定した課題が、必ずしも現地の人にとって課題とは限らない」と気づかされました。
たとえば、ごみ山で生活している人たちに「別の仕事があったほうがいいのでは」と考えて話を聞いてみても、本人たちは今の生活に満足していたり。むしろ、こちらの価値観を持ち込むことで、かえって不幸を生んでしまうこともあるんじゃないかと感じたんです。
もちろん、学校がなくて教育を受けられない子どもたちを支援する取り組みなどを、必要だと感じたこともあります。ただ、一時的に関わるだけの自分が、どこまで責任を持てるのか。10年、20年と関わり続ける覚悟もないのに、彼ら・彼女らの「幸せ」を考えるだなんて、すごく押しつけがましいことなんじゃないか……と思うようになって。そこで初めて、日本の社会課題に目を向けはじめました。
その後、1年間の留学をしたときにも、改めて強く思ったんです。私にとって絶対に変わらないアイデンティティは「日本人である」ということだなって。どんなに環境が変わっても、そこだけは変わらない。だからこそ日本を「未来は明るい」と思える場所にしたい。そのために自分の力を少しでも役立てたいと考えるようになりました。
「自分に何ができる?」問い続けたキャリアの選択
磯貝さん 「社会課題の解決に携わりたい」と考えていたものの、最初の就職先を選ぶときはすごく悩みました。社会的な企業に行きたい気持ちは強かったのですが、「一般的な営利企業を選んだ方がいいのではないか」という父を説得できなくて(笑)。働いたことがない立場で主張を通すには限界があるなと感じました。自分の視野はまだ狭いし、実際に働いてみないと分からないこともあるだろうと。
そうして選んだのは、社会課題に特化しているわけではないものの、「ここで働いてみたい」と思える会社でした。人にも恵まれ、仕事も楽しくて、「このまま何も考えなければずっと続けていけるかもしれない」と思った時期もありました。
でも、ふと立ち止まって「自分は何をやっているんだろう」と考えると、やっぱり違うなと感じてしまったんです。会社が目指す方向に、自分の思いを重ねられなくなっていって。
植原 なるほど。そこで、次の道を考えるようになったんですね。
磯貝さん はい。もともと、20代のうちにもう一度海外に出たいと思っていたので、2年間ほど海外に行きました。
帰国して次の仕事を考えたとき、社会的企業に入る選択肢もありました。でも「日本の社会課題や地域課題に関心があるなら、行政の現場を見てみるのもいいんじゃないか」と思うようになって。そこで京都府の外郭団体に入り、農山漁村への移住促進に携わりました。
そこで働いた2年あまりは、本当に楽しかったです。自分の興味と仕事が重なり、大きなやりがいを感じました。ただ、外郭団体という性質上、予算が府から下りないと次の事業を考えられない。任期も1年ごとで、未来を一緒に描いていけないもどかしさがありました。さらに、行政の現場では同じ取り組みを続けることが前提になる場面も多く、「新しい挑戦をするなら、別の環境のほうがいいかもしれない」と思うようになりました。
同時に、自分自身のスキル不足も痛感したんです。地域を良くしようと頑張っている方にたくさん出会って、課題だけではなく希望もすごく感じた2年間ではありましたが、「じゃあ自分に何ができるの?」と考えたときに、何もないなと……。
いろんな方とお話するなかで「地域ではマーケティングの力が強く求められている」と実感していたこともあり、力をつけるために、地域の資源・特性をいかしたプロモーションを行う「地域マーケティング」を手がけるITベンチャーに転職しました。
ちょうど地域事業の部署が立ち上がるタイミングで、「これから頑張っていこう!」という勢いがありました。ただ、ITベンチャーで地域事業を経済的に回していくのは想像以上に大変で、なかなか軌道に乗らなかったんです。事業規模は次第に縮小し、当初やりたかった内容はほんの一部だけになってしまって。
最終的には首都圏企業向けのマーケティング業務がほとんどを占めるようになり、「ここにいても自分のやりたいことは実現できない」と感じて、次の転職を考えるようになりました。
ようやくたどり着いた、ソーシャルビジネスの現場
植原 ボーダレス・ジャパンとは、どのようにして出会ったんですか?
磯貝さん 前職を経て、「社会性と経済性を両立させながら、社会課題に真正面から取り組む会社で働きたい」と強く思うようになったんです。ただ、そうした企業は求人サイトを探してもなかなか見つからない。ソーシャルビジネスを謳っていても、実態が伴っていないケースも少なくありません。
そんななかで「WORK for GOOD」を知って、「グリーンズさんが運営しているならきっと信頼できるはず」と思い、毎日のようにチェックしていました。
植原 ああ、嬉しいです!
磯貝さん ちょうどそのタイミングで、ボーダレス・ジャパンの公民連携室の求人が出ていたんです。ボーダレス・ジャパン自体は大学時代から知っていましたが、公民連携室の募集内容は、自分の関心とぴたりと重なるものでした。特定の地域に入り込む事業ももちろん魅力的ですが、「地域や分野を越えて、新しい可能性を生み出す仕組みをつくっていく」という姿勢が、私のやりたいこととまさに一致していて。「これは運命かもしれない」と感じて応募しました。
さらに、公民連携室(※)の室長・竹下友里恵さんの言葉にも強く惹かれました。一つひとつが自分の価値観に響いて、「この人と一緒に働きたい」と思えたのも大きな決め手でしたね。
※公民連携室…ボーダレス・ジャパンが培ってきたソーシャルビジネスの立ち上げ・社会起業家支援のノウハウをいかし、地域課題解決に貢献するために2024年10月に新設された部門。省庁や自治体と連携し、地域に根ざしたソーシャルイノベーションの創出を目指している。
入社直後に託された一大プロジェクト
植原 3月末に入社されてすぐに「ENJIN自治体」の準備に入られたんですよね?
磯貝さん はい。私が入社したときには、開催日程や会場、自治体・社会起業家・クリエイターの皆さんを招くことは決まっていました。でもそれ以外は白紙に近い状態で。そこから3ヶ月ほどで、150人規模の合宿イベントをつくり上げることになりました。小規模なイベントの企画運営なら経験したことがありますが、150人規模で、しかも合宿形式は初めて。まさに未知の領域に踏み込むような挑戦でした。
植原 すごいなあ。入社していきなり(笑)。
磯貝さん そうですね(笑)。これから産休に入るので、その前にひとつ大きなプロジェクトをやりきれたのは良かったと思っています。準備は主に私とアルバイトメンバー数名で進めていましたが、当日は公民連携室のメンバーが総出で支えてくれて、さらに他部署の方々も積極的に協力してくれました。本当に多くの人に助けられながら、当日を迎えることができたと思います。
植原 実際にやってみて、どんな手応えがありましたか?
磯貝さん 細かい反省点はたくさんありますが、すごく意義のある場をつくれたと感じています。自治体にとっても、社会起業家のみなさんにとっても求められていた場だったんだなと。社会課題や地域課題の解決には、自治体と企業が手を組むことがますます必要になりますが、出会い方をどう設計するかが難しい。その意味で、ENJIN自治体が「出会いをデザインする場」として機能したのは大きかったと思います。
実際に、イベントをきっかけに「一緒に新しいプロジェクトをやってみよう」という声もいただいています。「熱量のある出会いの場があることで、自然と次の動きにつながっていくんだ」と身をもって実感しました。
「首長にさっそく話してきました」「教育委員会と打ち合わせを始めます」といった報告も届いていて、これからどんな動きが広がっていくのか、とても楽しみにしています。
採用基準は「社会課題解決への強い思い」
植原 ここからは、人事の上野さんにもお話を伺います。スタートアップで採用を経験されてきた上野さんから見て、ボーダレス・ジャパンならではの選考基準はありますか?
上野さん スタートアップの多くはスキルフィットを重視する傾向がありますが、ボーダレス・ジャパンでは何よりも「社会課題解決への強い思いがあるかどうか」を大事にしているのが特徴ですね。
また、今年4月に策定した3つのバリュー――Be a Doer(実践者であれ)/Be Collaborative(協力を惜しみなく)/Be the Change(変化の起点になろう)――にフィットしているかどうかも必ず確認しています。どんなにスキルがあっても、この価値観に合わない方は採用しないと決めているんです。
植原 大前提となる「社会課題解決への思い」については、どうやって確認するんでしょう?
上野さん そこは、志望動機でだいたい見えてきます。「なぜボーダレス・ジャパンなのか」の前に、「なぜ社会課題の解決なのか」という問いが先にあるはずなんです。「どうせやるなら社会にいいことをしたい」では、ちょっと弱いなというのが正直なところ。私たちが求めているのは、「社会課題を根本から解決したい」という強い思いです。その思いを裏づける原体験や覚悟があるかどうかを、必ず確認するようにしています。
植原 なるほど。ほかに、スキル面などで重視していることはありますか?
上野さん 社会課題というのは、ほとんどが儲からないと既存の仕組みから取り残されてきたものです。だからこそ、過去の成功体験やテンプレートが通用しない社会構造であることがほとんどです。そこで必要になるのが二つの力――「想像力」と「創造力」です。このイマジネーションとクリエイティビティをどういかして課題を解決できるかは、非常に重視しています。
もう一つ欠かせないのが、愚直にトライアンドエラーを繰り返せるかどうか。前例がないからこそ、試行錯誤を積み重ねられる人でなければ突破口は見つけられないんです。
「ワークサンプル」で防ぐ、採用のミスマッチ
植原 採用フローの中で特徴的なのが、面接と並行して課題に取り組む「ワークサンプル」だと伺いました。これはどういう狙いで導入されているんですか?
上野さん 「ワークサンプル」では、実際の業務を想定した課題に取り組んでもらい、どう課題を捉えるか、どうアウトプットするかを確認しています。大きな目的は、採用のミスマッチを防ぐことです。
植原 磯貝さんも、選考の過程でワークサンプルに取り組まれたんですよね。
磯貝さん はい。お題は候補者ごとに違うそうですが、私の場合は「起業型地域おこし協力隊として、3年の任期以降も自走していく事業をどう作るか」というものでした。制約は少なく自由度が高かったので、思考プロセスも含めて見られているんだなと感じましたね。
植原 どれくらいの期間で提出するものなんですか?
磯貝さん お題が出てから1週間だったと思います。
植原 それはすごい……。地域おこし協力隊の仕事に触れたことがないと、イメージもつかないですよね?
磯貝さん 京都府で農山漁村への移住促進に携わっていたときに、地域おこし協力隊の方とはよく一緒に仕事をしていたんです。「こうだったらいいのに」という話を聞くこともあったので、まだ考えやすかったかなと思います。
植原 なるほど。これまでの経験もいかせるような内容だったんですね。お題はどのように決めているんですか?
上野さん 基本的に、私と各組織のリーダーが一緒に考えています。内容も「入社したら実際に担うミッション」を想定して作っているんです。だから取り組んでもらう課題自体が、入社後の仕事の入口になっている。
私たちにとっては、候補者のスキルや思考プロセスを見させてもらう機会になりますし、候補者にとっても「この仕事にワクワクできるか」を確かめられる機会になるんです。
植原 めちゃくちゃいい仕組みですね。
上野さん 実際に磯貝さんを採用する決め手になったのも、このワークサンプルでした。彼女のアウトプットは、目的を正確に捉えながらも自分なりの視点を盛り込み、「Something New(何か新しいこと)」という私たちが大事にしている姿勢を体現していたんです。社会課題解決への思いも強く、「地域を元気にしたい」という気持ちが選考の過程で常に伝わってきて、迷いなく採用を決めました。
そもそも採用のミスマッチって、本当にお互いにとって不幸だと思うんです。せっかく覚悟を決めて転職したのに、「やっぱり違った」では、会社にとっても本人にとっても辛い。だからこそ、今後は業務委託というかたちで短期間一緒に働いてみる仕組みも取り入れたいと考えています。たとえば1日2時間ほどを1ヶ月間。そのなかで実際の働き方や空気感を知ってもらえれば、採用後のギャップを減らせるはずです。
植原 たしかに。磯貝さんのように、「いきなりこんな大きな仕事を任されるんだ!」ということもありますしね(笑)。
上野さん そうなんです(笑)。ボーダレス・ジャパンは、社会貢献やボランティアのように柔らかい雰囲気をイメージされることもありますが、実際はスタートアップそのもの。だからこそ、その勢いやスピードを感じてもらえるといいな、と思うんですよね。
共通の土台をつくり、より強いボーダレス・グループへ
植原 最後に、ボーダレス・ジャパンの今後についてお聞かせください。
上野さん ボーダレス・ジャパンは現在、世界14ヶ国で50以上の事業を展開しています。これまでは、それぞれの事業がボーダレスが築いてきたエコシステムのもとで活動してきました。このエコシステムは、起業や経営に必要な資金やノウハウを共有し合う仕組みで、お互いに支え合いながらも、基本的には各事業が独立して歩んできました。
昨年からこの集い方をアップデートしました。それぞれの社会課題のテーマ領域でインパクトを出していく強い思いを持った事業については「ボーダレス・グループ」として束ね、採用や人材育成、オンボーディングなどを共通の基盤で整備しています。そして今ちょうど「グループバリュー」を全社共通の約束ごととして浸透させているところです。これが根づくことで、グループ全体としてさらに力強く進んでいけると考えています。
加えて、各事業のシナジーをもっと生み出すために、横のつながりをつくり、連携を育む取り組みもはじめています。グループ体制としてのHRのあり方を、いま新たに形作ろうとしているところです。
植原 さすが、どんどん進化していきますね。グループとしてより強くなったボーダレス・ジャパンの挑戦がどのように広がっていくのか、とても楽しみにしています。
編集:山中 散歩
画像提供:株式会社ボーダレス・ジャパン
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