「じゃ、まず海に入ろうか! みんな、足は何センチ?」
大阪府阪南市の西鳥取漁港にある「波有手(ぼうで)の牡蠣小屋」で出会ってまもなく、NPO法人 大阪湾沿岸域環境創造研究センター(以下、大阪湾研究センター)専務理事の岩井克巳(いわい・かつみ)さんはそう言って、日に焼けた笑顔で手際よく取材チームに胴長靴を手渡しました。
牡蠣小屋の隣には、岩井さんの主な活動拠点のひとつである波有手海岸が広がっています。その浜を下り、波打ち際に集まった海藻を掻き分けながら海へ。

軽快な足取りで海に向かう岩井さんを、慣れない胴長靴でペンギンさながらに追う取材チーム
経済の発展に伴い自然海岸がほぼ消滅したとされる大阪湾で、これほど豊かな藻場があるだなんて…と驚いていると「防波堤や護岸が設けられているから、ここは自然と人工の間にあたる半自然海岸なんですよ。足元に溜まっている海藻は、繁殖力の強いアナアオサ。大量発生すると日光を遮断して他の海藻が育たないから、増えればいいってものでもなくてね」と岩井さん。
「かかとに重心を置いてみて。どんどん体が海底に沈んでいくでしょう? これは一昨年の台風の影響で海底に土砂が積もったからなんですよ」や「この茶色い海藻はタオヤギソウ。さっと湯がくと鮮やかな緑色に変わって、ポン酢で食べると美味いのよ」などと、次々と体験を交えた解説を受けるにつれ、これは楽しい…もっと知りたい! という感情がふつふつと湧いてきます。
体験を通じて大阪湾の今に関心を持つ人口を増やすことこそ、岩井さんのマイプロジェクト。
本業では海洋保全に関するコンサルタントを長年行うかたわら、阪南市を中心に大阪湾と地域住民をつなぐ海洋教育を展開して約23年になる岩井さんに、マイプロジェクトが続く理由を伺いました。

1965年、東京都町田市生まれ。東海大学海洋学部への進学を機に海と関わり、卒業研究の際は沖縄の西表島に数ヶ月滞在し、自ら魚をとって食べる生活を送る。1988年、自然と人間の調和を目指し環境・防災関連事業のコンサルタントを行う日本ミクニヤ株式会社に入社。1年目から大阪支社に配属され、大阪湾と関わることに。2002年、NPO法人大阪湾沿岸域環境創造研究センターに参画。大阪湾研究センターでの専務理事のほか、株式会社漁師鮮度の代表取締役、株式会社MAcSの代表取締役、日本ミクニヤホールディングス株式会社の取締役などを務める。水産工学技士、潜水士、技術士(建設部門)の資格を持つ。
“近くて遠い”大阪湾。根本的な課題は人びとの関心のなさ
集水面積約11,200㎢の大阪湾は、楕円状に型抜きしたかのような陸に囲まれた閉鎖性海域です。
1950年前半までは自然海岸が広がり、湾奥部にも海水浴場が数多く散在し、大勢の人びとが干潟遊びや海水浴に訪れるなど、大阪湾は今よりずっと身近な存在でした。
しかし、戦後復興期や高度経済成長期に土地造成のための埋立てや防波堤の整備が行われ、本州側の海岸のほとんどがコンクリートの直立護岸となり、海藻が茂る藻場や貝などの生きものが棲む干潟が激減。産業発展に伴う工業排水や人口増加に伴う生活排水が大量に海へ放出され、陸域からの排出物が溜まりやすい閉鎖性海域の特性も相まって、深刻な水質汚濁に陥りました。
1970年代以降には、六甲アイランドや関西国際空港、神戸空港など、大規模な埋立地がせり出したことで、湾全体をめぐっていた循環流が二分化。工業地帯に面する湾奥部は、陸域の影響をより強く受けるようになって栄養塩過多となり、赤潮や貧酸素水塊が発生しやすくなりました。
近年では、長年抱える浮遊ごみの問題に加え、これまで陸から放流される排水の水質改善が進められてきたことで、むしろ湾口部や湾央部では水質がきれいになり過ぎて栄養塩が不足し、生物多様性の喪失や漁獲量の低下が新たな問題となっています。

阪南市の海は穏やかできれい。しかし、海の生命を育むための栄養が少なく、まだ豊かな海とは言い難い状態
岩井さん ごみ問題や漁獲量の減少といったひとつひとつの問題は各論に過ぎません。大阪湾における根本的な課題は、周辺に住む人たちが大阪湾に興味がないことです。
湾奥部を中心に海岸線には直立護岸が続いているから、目の前に海があるのに触れられない。私より上の世代はかつての公害問題が記憶に叩き込まれているから、大阪湾は汚くて危ないと敬遠しがち。だから、水質が改善されている今でも、大阪湾は“近くて遠い”存在のままなんですよ。
物理的にも心理的にも大阪湾と触れ合う機会が激減した歴史から、大阪湾に対する興味が失われた結果、大阪湾におけるさまざまな海洋問題に意識を向ける地域住民が少ない状況を生んだと話します。
岩井さん 大阪湾の流域には約1,700万人が住んでいますが、現在の海洋問題に関わっているのは極わずか。少人数で全部の問題に向き合おうとするから無理が生じるけど、流域に暮らす人たち全員が大阪湾に関心を持って、それぞれのできることを少しずつするだけで、大きなパワーになるはずです。

楽しい!から関心の芽を育て、無理なく持続させる
大阪湾への無関心を関心に変えるため、岩井さんが着目したのは「体験」でした。
きっかけは、本業であるコンサルティングの仕事で、事業が環境に及ぼす影響を伝える地域住民向けの説明会でのこと。専門用語が飛び交うプレゼンに理解が追いつかずキョトンとする人びとの表情に気づき、馴染みのない専門用語を一人ひとりの実感のこもった言葉や感覚に置き換える必要があると感じたといいます。
そこで、2005年からはじめたのが、小学校との連携や地域住民向けのイベントです。
かつて大阪府が阪南市で海老の養殖実験を行っていたことから、阪南市の海岸は直立護岸にはならずに半自然海岸として残され、浅瀬が育まれました。そんな浅瀬こそ体験のフィールドにぴったりだと考えた岩井さんは阪南市を中心に活動を展開し、今では阪南市の小学校全8校で海洋教育の授業を受け持っています。
授業といっても、教室で教科書をめくる一般的な授業とは大きく異なるのが、岩井流!
岩井さん 講義的な時間も大事ですけど、はなから専門用語だけを並べてもちんぷんかんぷんで興味を持てずに終わってしまいます。ましてや小学校の1・2年生なんて、じっと聞くのは10分が限界です。
だから、まず海や山に連れていって自然に直接触れて、とにかく楽しんでもらうこと。楽しい体験のなかに、海と山は川でつながっているといった海洋視点の知識を散りばめると、思い出に残って関心の芽が育ちます。

授業の一環で実施した「海の生きもの調査」の様子(画像提供:NPO法人大阪湾沿岸域環境創造研究センター)
2008年からは、総合学習として小学生とともにアマモの藻場(アマモ場)の再生にも取り組んでいます。
アマモとは、波が穏やかな浅瀬に生える海草の一種です。アマモ場は「海のゆりかご」と呼ばれ、小さな生きものの産卵場や稚魚を外敵から守る成育場としての役割を果たすだけでなく、水質浄化や酸素の供給、さらに最近では二酸化炭素の吸収源となるブルーカーボンとしての役割も期待されています。
アマモ場の再生は、大阪湾だけでなく全国的なテーマのひとつです。経済の発展に伴って浅瀬が減少し、生態系のバランスの崩壊や地球温暖化などから「海の砂漠化」といわれる磯焼けが進行して、全国的にアマモ場が激減したことから、現在各地で再生活動が行われています。

近隣のアマモ群落から採取した株を育て移植する「栄養株移植法」という手法で、岩井さんが陸上の水槽で育てているアマモの株
アマモ場の再生の授業は、通年のカリキュラムで行っています。
まず夏に、阪南市の海に自生するアマモから花枝と種子を採取して選別。花枝は「苗移植法」と呼ばれる手法を用いて、陸上の水槽で15cmほどに育て、秋に苗床をつくり、春になったら浅瀬に苗を移植します。
種子は「播種(はしゅ)法」という手法で、防腐剤不使用で水溶性の紙粘土を団子状にまるめ、そこに種子を貼り付けて、冬の海に投げ入れて種まきをする、といった手順です。
これらのプロセスのほとんどが、海を教室代わりに子どもたちの手によって行われます。一昨年の台風で積もった土砂にも負けず芽を出したかと思えば、昨年は異常な高水温から根腐りを起こすなど、その年々で異なる自然環境に向き合いながらアマモ場の再生に励んでいます。

1年間を通じて行われるアマモ場の再生の授業(画像提供:NPO法人大阪湾沿岸域環境創造研究センター)
「でもね、アマモ場の再生は海洋教育の手法のひとつでしかないんですよ」と岩井さん。海洋保全にはさまざまなアプローチがあり、全国的に学校現場の教員不足が叫ばれる昨今だからこそ、各学校にとって無理なく持続的に活動できる手法を選んでほしいと話します。
岩井さん 海洋教育のための授業枠を新たにつくると、同時に先生の負担も増えて長続きしにくい。なので、なるべく今ある授業の枠組みは変えずに、普段の教え方を海洋教育的な視点に置き換えるかたちで授業をしましょう、と提案するようにしています。
海の生きもの観察は理科、漁港見学は社会科、海岸の漂着ごみを集めて工作するのは図工、海でとったワカメを調理するのは家庭科、海に関わる人の話を聞いて作文にまとめるのは国語、とかね。アマモ場の再生は通年だからどうしても総合学習になるけど、他に手法はいくらでもある。教え方を覚えれば、いつか先生だけで授業を回せるようにもなりますよ。
海と陸のつながり。湾や県を越えた海洋教育の広がり
さらに、海から距離のある小学校は移動が負担になるため「海と陸はつながっているのだから、身近な自然と向き合い、できることからはじめたらいい」と伝えているといいます。
岩井さん 水は上流から下流へ、川を流れたり土に染み込んだりして、陸から海に注ぎ込まれます。陸での行いは、必ずいつか海に影響を与えます。浮遊ごみの原因となるポイ捨てされたごみを拾ったり、田んぼや畑でなるべく農薬を使わず栄養豊かな土壌をつくったり、海とのつながりを考えて陸で行動することだって立派な海洋教育です。
そのつながりを子どもから大人まで体験的に知ってもらおうと、2011年から地域住民向けイベント「海と陸とのつながりを味わおう!」を毎年開催しています。田植え・生きもの観察・稲刈り・海苔すき枠づくり・海苔すきを通じて米と海苔づくりを体験し、最終回には“myおむすび”を握って味わう、全6回の通年企画です。

地域の方から田んぼを借りて行われる田植え(画像提供:NPO法人大阪湾沿岸域環境創造研究センター)

海苔漁師に教わりながらオリジナルの枠で海苔づくり(画像提供:NPO法人大阪湾沿岸域環境創造研究センター)
岩井さんたちが主催するイベントの参加者は、地域住民にとどまりません。個人や家族で参加する県外住民の姿もあり、昨年は一番遠くて広島県からの参加者がいたのだとか。また、自治会の子ども会の行事やNPO団体の環境学習の一環として、県外から参加するケースもあるそうです。
さらに、SDGsに向けた企業の取り組みとして、社員や会員に向けた体験を企画してほしいと依頼されることも多々あります。その顔ぶれは、当連載のパートナーである大阪ガスネットワーク株式会社をはじめ、世界各地に多数の店舗や工場を持つコンビニエンスストアやメーカー、ロードサービスを展開する大手企業、農業組合など、実にさまざまです。
いくつかある体験のなかでも、特に人気なのは「すだて遊び体験」。浅瀬に設けられた網の囲い(すだて)に入り、魚介を捕まえ、最後は地魚定食をいただきます。すだてのなかを泳ぐ魚介は、地元の漁師が事前に大阪湾でつかまえたもの。他にも参加者につかまえ方を教えたり、目の前で魚を捌いたりと、地元の漁師の協力のもと行っています。
岩井さん 海の魅力は、楽しくて、美味しいこと。「すだて遊び体験」はその両方が数時間で実感できるから、口コミで参加者が増えて、リピーターがすごく多い。季節によって魚が違うし、日によって小さなサメと戯れたり普段できない経験ができるから、1年で何度も参加する人までいます。子どもはもちろんだけど、意外と大人の方が夢中になっている気がするね。

タモ網を持ってすだての中へ。ライフジャケットも用意されているので安心(画像提供:株式会社漁師鮮度)

自分たちでとった魚に興味津々の子どもたち(画像提供:株式会社漁師鮮度)
このように海と人をつなぐ活動を長年展開している岩井さんですが、自身のモチベーションの源泉はどこにあるのでしょうか。それは、無関心が関心に変わる瞬間にありました。
岩井さん 小学生向けの授業をはじめてすぐの頃、子どもたちと一緒に海で生きもの観察をしていたら、自転車に乗ったじいちゃんがものすごい形相と勢いでやってきて。文句でも言われるのかなと身構えていたら、突然「ありがとう!」と言われたんです。
その人は元漁師で、海洋教育をきっかけに孫が海に興味を持つようになって、孫との会話が増えて感激したと教えてくれました。それを聞いて、最高に嬉しかったね。

この話をしているときの岩井さんのイキイキとした表情!
かつて小学生だった教え子が社会人になっても休暇をとって手伝いにきてくれたり、高校生の教え子が友だちと海洋保全を学ぶカードゲームをつくりたいと目を輝かせて相談に訪れたり。関心の芽が育って花開いている姿を見るたびに、モチベーションが湧き上がるといいます。
成果はみんなのものだから、地域に還元できる場を開く
こうして長年の活動が実を結び、近年では大阪湾に関心を持つ人が増えはじめています。しかし「それは良い意味でもあり、悪い意味でもある」と岩井さんは忠告します。
岩井さん 最近ではブルーカーボン、少し前にはプラスチックごみが注目されたように、国がそのときどきで推し進める保全活動があり、そこに補助金が絡むから、お金目的で関心を持つ人まで現れます。でも、海洋保全は、流行を追ったマネーゲームでも商売道具でもない。
お金が主たる目的になると、成果の取り合いになって最後は破綻してしまう。人間の生活は等しく自然に支えられて成り立っているのだから、成果はみんなで分け合うものなんです。
その思いがよくわかる例が、今回の取材場所である「波有手の牡蠣小屋」です。

浜と漁港の間、埠頭の一角に構えられている白い平屋根の「波有手の牡蠣小屋」
2016年、この地に漁港を置く西鳥取漁業協同組合が地元を盛り上げ、かつ年々漁獲量も担い手も減りゆく漁業の活性をはかるために、水産庁の「浜の活力再生プラン」の一環として牡蠣の養殖を本格的にスタート。翌年に大阪府で初となる漁協直営の牡蠣小屋としてオープンしたのが、この店舗です。
評判は予想を超え、シーズンには来客者が増す一方だったため、漁師が兼業で牡蠣小屋を続けることが困難に。そこで、以前から大阪湾研究センターの活動や本業での環境調査を通じて地元の漁師と深く関わり、養殖や牡蠣小屋の運営もボランティアで手伝っていた岩井さんのもとに相談が舞い込みました。

テレビで取り上げられ、牡蠣小屋の人気は増すばかり。長蛇の列で数時間待ちになることも(画像提供:株式会社漁師鮮度)
話し合いの末、2021年、岩井さんが取締役を務める日本ミクニヤホールディングス株式会社と西鳥取漁業協同組合が50:50と完全に折半する形で出資しあい、岩井さんを代表取締役として株式会社漁師鮮度を設立し「波有手の牡蠣小屋」の運営を引き継ぐことになりました。
岩井さん 一般的には、責任や権利の所在を明確にするために出資比率を51:49にしたりと、一方に1%以上多く持たせますよね。でも、それだと対等な関係とは言えない。地域とともに立ち上がり、万一経営がダメになるなら、地域とともに沈む。その覚悟がなければ意味がないんです。
地域のなかで、地域のための会社をさせてもらっているのだから、ちゃんと地域にお返ししたい。地域と向き合うために、我々にできることをやらなきゃいけないと思っています。だから、オフシーズンの牡蠣小屋をいかして、毎月1度「みんなの食堂」という名前でこども食堂を開いたり、地域のお祭りの寄合でこの場所を使ってもらったりしています。

「みんなの食堂」の様子。この日は地元の食材でつくったカレーが振る舞われた(画像提供:株式会社漁師鮮度)
広い視野で海洋教育を捉え、次世代の人材を育てる
最後に、10年先を見据えてやっていきたいことは何ですか? と尋ねたところ「この前、みんなに還暦を祝ってもらったところだよ。10年後は70歳、引退していたいね」と笑って答えてくれました。
そうは言っても、豊富な専門知識と柔軟な海洋教育術を持つ岩井さんはきっと10年後も引く手数多となりそうですが、海と人とのつながりを深く考えて行動する次世代の人材を育てるため、2024年から若年層を対象とした生涯学習「はんなん海の学校」を始めています。
岩井さん これまで阪南市とともに小学生に向けた海洋教育を行ってきましたが、中学生以上に向けての機会は少なかった。そこで、若年層向けに通年のカリキュラムを組んだんですよ。
海洋調査や、すぐ近くにある関西国際空港の見学といったフィールドワークはもちろん、外部から講師を招いて、一般的な海洋教育にとどまらない、広い視野を持って海洋保全に臨めるような講演をしていただいています。

生徒みんなで船に乗り、海底の泥を採取して海洋調査を行ったときの様子(画像提供:はんなん海の学校)
初年度の講師のひとりは、新1万円札の顔に選ばれた実業家・渋沢栄一さんのひ孫である渋沢寿一さんでした。寿一さんは、東京農業大学大学院を修了した農学博士。森・海・川とともに生きる全国の名人を高校生が取材する「聞き書き甲子園」の主催団体の理事長でもあります。
岩井さん 渋沢さんは、そもそも日本人は自然とどう向き合ってきたのか? という、まさに「はんなん海の学校」の幕開けにぴったりな根源的で哲学的な講演をしてくれました。すごくわかりやすい表現で「自然と人との関わり方」について語ってくださって、よかったです。

初年度は、渋沢さんをはじめ、海洋や環境の分野に精通する全3名が講演したそう(画像提供:はんなん海の学校)
若年層が対象といっても明確な年齢制限があるわけではなく、学ぶ意欲のある自称・若年層も大歓迎。中学生や高校生を中心としつつ、現時点における生徒の最年長は46歳だそうです。
今年行われた1期目の振り返り会では、一人ひとりが学習前にはなかった価値観から海洋保全を捉えることができ、「阪南市の海で自分たちができること」について熱い議論が交わされました。
“マイ”プロジェクトではなく、“アワー”プロジェクト
取材を振り返って気づいたことは、岩井さんが用いる主語が常に「我々」だということ。
大阪湾に対する無関心を関心に変えるため、体験を通じた“楽しさ”を原動に、長期的かつ広域な視野を持って無理のないあり方を追求し、得られた成果はみんなのものと捉えることで喜びまで分かち合える。これこそ、岩井さんの活動が続く理由ではないでしょうか。
きっと岩井さんにとって自身の活動は、マイ(my = 私の)プロジェクトではなく、アワー(our = みんなの)プロジェクトなのでしょう。
岩井さん がんばった分だけ「俺の成果だ」と言いたくなる気持ちはわからなくはない。だけど、海洋保全における成果は、絶対に一人では得られない。船を出して魚をとってくれる漁師さんをはじめ、活動を支えてくれる地域の人たち、一緒に海洋保全について考えて関わろうとする仲間のおかげだから。誰もが自然と「みんなの成果だ」と言えるようになるといいよね。
浜から牡蠣小屋に戻る道中に地元の漁師と出会ったときも、取材中に阪南市の社会福祉協議会の職員の方たちが「みんなの食堂」で提供する食材を持ってきてくれたときも、お互いに親しみを込めた笑顔で会話する姿から、大阪湾を豊かな海にしようという目標に向かって大航海するクルーのような厚い信頼関係を感じました。

牡蠣小屋を訪れる漁師さんの姿も。用事というより岩井さんの顔が見たくて来たといった様子(笑)
岩井さん 海洋問題は大阪湾に限った話ではないから、大阪湾の近くに住む人もそうでない人も、ぜひ海のために自分なりにできることから試してほしいですね。そうするとだんだん楽しくなって、「もっと知りたい!」と興味が湧いてくる。それでいいんです。
地元でとれた魚を食べるだけでも、運送に伴う化石燃料の使用を抑えられるから、二酸化炭素も削減できます。「今日は何を食べようか?」と食材を選ぶ視点と、それを食べるみんなのお箸が、自然環境をよくする最初の一歩になるんですよ。
別れ際に、岩井さんは「今日の晩ごはんにどうぞ!」と言って、先ほど波有手海岸に入ったときにとれた天然のタオヤギソウをお土産として持ち帰らせてくれました。
活動を続けるなかで大切なことは、“楽しく、無理なく、分かち合う”。
日常のなかにある“楽しみ”と同時に“ともに生きる”を紡ぎ出そうとする岩井さんの姿から、その豊かな理由を実感する取材となりました。

まずは食べることから。教えていただいた通り、タオヤギソウを湯がいてポン酢で食べると絶品でした!
(撮影:水本光)
(編集:村崎恭子)