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暮らしも商いも、健やかで楽しくあるために。薪窯パン「菊本」の菊本拓志さんが目指す「御養(おやしな)ひ屋」という生き方

山口県山口市の市街地からすぐ、田畑が広がる中山間地にのどかな里山の風景が広がります。裏手を山に囲まれた一軒家が「薪窯パン 菊本」の工房。今年8月から始まる「ローカル開業カレッジ」の「自分の暮らしと商いを重ねる」回でゲストとして登壇する、菊本拓志さんの住まい兼仕事場です。

もともとは銀行員だったという菊本さん。祖父の家だった築60年ほどになる日本家屋をいかし、2023年8月、パン屋をオープンしました。妻の明日子さん、8歳、5歳、2歳になる一男二女のお子さんたちと暮らしながら、パン屋と“暮らしと志事の相談人”の仕事を両立しています。

菊本さんがつくるパンは1種類、「御養(おやしな)ひ」と名付けられたフランスの田舎パン・カンパーニュのみ。直径30cm、高さ9cm、重さ2.4kgという、人の顔以上の大きさのインパクトのあるパンは、現在3ヵ月先まで予約待ちになっているほど人気を集める商品になっています。

開業から2年も経たないうちに商いを軌道に乗せた菊本さん流の思考ロジック、「自分の暮らしと商いを重ねる」生き方について、話を伺いました。

きっかけは銀行員時代の経営指導

菊本拓志(きくもと・ひろし)
1987年山口県出身。山口市の里山に5人家族で暮らしながら、地方銀行、コンサル会社勤務を経て、2023年に薪窯パン屋「菊本」と「暮らしと志事の相談人」をスタート。

サッカーに打ち込んだ高校時代を経て、卒業後は大阪府の大学へ進学した菊本さん。21歳のとき、肺の難病を患ったことを機に地元・山口県へ戻り、銀行に就職します。12年勤めた銀行でのさまざまな職務経験が、自身の開業に役立っていると言います。

菊本さん 最初は病気のこともあって何となく銀行に就職しました。いろいろな業務を行なうなかで、業況の厳しい企業への支援に携わったときに、思った以上に関わった案件に成果を出せたという経験を得たんです。それで経営に興味を持ち始めました。だけど、そのうちに僕自身は経営を行なったことがないのに、それを指導する立場にあることに対して違和感を覚えてきたんです。

そんなとき、たまたま銀行で副業制度が始まって、週3くらいでできるビジネスモデルを探してみたんですよ。それで見つけたのが、広島で「ドリアン」というパン屋を営む田村陽至さんの本『捨てないパン屋』でした。

学んだことを自ら試した上で、得られた経験や知識を伝えられる銀行員になろう。それがことの発端だったと菊本さんは振り返ります。

菊本さん 田村さんのコンセプトは、せっかくつくったパンが売れ残らないよう種類を絞る分、素材や製法にこだわった薪窯パンでした。短時間である程度の利益が出せるモデルだったので、これなら副業でも挑戦できそうだと思い、アポイントを取って見学させてもらったんですね。

未経験者の僕でもパンがつくれること、実際にビジネスモデルで描いていたものをかたちにできそうだと判断できたんです。それで、いざやってみようと銀行に申請をしたら、前例がないからダメだと言われたんですよ。一から自分で立ち上げるモデルは誰もやっていないからって。

この経験が人生について考え直すターニングポイントになりました。

菊本さん そう言われたときに、僕はずっと銀行にいるものだと思っていたけれど、ふと「自分にとっての幸せって何なのかな」という疑問が湧いてきたんです。で、30秒でわかったんですよ。僕は今、家族のこと、妻のことが大好きだから、もっと一緒にいたいんだって。妻と一緒にごはんを食べたいな、子どもたちが小さいうちはできるだけ近くにいたいなって。里山暮らしに憧れていたこともあったので、そんな暮らしがしたいと思ったんです。


それが34歳の時。ここから、菊本さんの選択と行動力がものを言います。すっぱりと仕事を辞め、独立しようと決めたのです。

菊本さん 気づいてしまうと、あとは、それを実現するための行動を取ればいいだけだと思ったんです。それで、興味の湧いていたパン屋の事業にチャレンジしようと、一年かけて準備していきました。

知らなかったパンの魅力を届けたい

パンづくりに関しては素人だった菊本さんですが、選んだ開業法は、業界に入り働きながら学ぶ修行スタイルとは異なる独自のやり方でした。

菊本さん それまで趣味程度にパンを焼いたことはあったんですけど、むしろ重い病気もあったので、グルテンフリーを意識していたくらい、パンとは遠い生活をしていたんですよ。妻が管理栄養士の資格を持っていて料理に詳しかったこともあって、小麦のことや食全般について学んでいくうちに、僕自身の味覚も変わって身体に活力を感じ始めたんです。

それで、多くの人に届けるなら日本の主食がいいという思いにたどり着きました。うちに田畑もあったので、最初は米づくりとパンづくり、どちらも試してみたんですよ。

調べていくうちに、それまで小麦に対して抱いていた印象とは異なる魅力を発見したそう。

菊本さん 今は小麦が悪いものみたいな流れになっていますが、古来から食べられているものだし、漢方としても使われてきたんですね。小麦って乳酸菌で発酵させると、グルテンを部分的に分解して消化にやさしくなるんです。それで、消化しやすくするような製法で作って届けるパン屋というものが日本にはまだ少ないこと、そのパンを食べることで体質が改善する方もいるということを知って、僕としては、そういうパンづくりはまだ供給が足りてない部分だからやる意義があると思いました。


自分にとっての幸せとは。それを追求していく方法として選んだのがパン屋というパーツだったと菊本さんは話します。それを叶えるために欠けていたパンの製法と窯づくりの技術を「ドリアン」で学んだ後、素材選びやメニューは自分の描く「理想のイメージ」から設計していったと言います。

健やかな自分の土台をつくる「御養ひ」

そうして、自分がエネルギーを注げる商品として考案したのが、フランスの田舎パン・カンパーニュ。栄養価の高い素材の旨みとシンプルな製法にこだわりました。

オーガニックの北海道産全粒粉・ライ麦、自家培養のサワー種、萩の塩、水のみを使用し、カンパーニュならではの「固い」「酸っぱい」に、「とても大きい」を加えた3拍子が特徴のパンです。

菊本さん 子どもに読み聞かせしていた『14ひきのあさごはん』という絵本があるんですね。ネズミたちが土窯でパンを焼く物語なんですけど、そんな感覚でつくりたいなというイメージでした。

30cmという大きさにも理由があるんですよ。日本はお米文化だから、もちもちの食感が好まれますよね。大きく焼けば、外側はカリッと中はもちもちになるし、保存が効くという利点があるんです。それを常温か冷蔵で保存すると、日に日にパンが育って酸味がやわらいでいくんですよ。だから、少しずつ切り分けて食べられるし、味の変化が楽しめます。いろいろ楽しめていいなと思って、おいしく焼き上げられる限度まで大きくしました。

機械を使わず自然の力で発酵させること、薪窯で焼くことも理想のスタイルだったと言います。

窯の温度を260度まで上げた後、自然に温度が下がる間に焼成していく

菊本さん 薪はすぐそばにある裏山から、樫などのどんぐり、椎の木といった広葉樹を切り出して乾燥させたものを使っています。僕の焼き方は、その日の気温や発酵を促すパン種の菌の状態にかなり左右されるんです。薪の太さや乾燥具合を見ながら、その日の状況での発酵具合と窯の温度の上昇スピードを合わせながら焼き上げていくので、その都度実験している感覚です。

裏山にある薪棚からその日使用する分を運ぶ菊本さん。山の管理にも役立つ

梅や栗、グレープフルーツなどの果樹をはじめ、日本ミツバチも生息する豊かな裏山

窯入れから窯出しまでは、時間配分を細かく設定。奥行き4メートルもの土窯の中に発酵で膨らんだパン生地を並べ、長いピールを使ってパン一つひとつの状態を見極めながら、焼き込んでいく一心入魂の作業に無駄はありません。1回の窯入れにつき、30個ほどを焼き上げます。

焼成前に生地の膨らみを促すためのクープを入れる。大きくなるほど膨らませるのは難しいそう

山桜でできた4m50cmのピールは自分でつくったもの

焼き上がりは、カラメル状の見た目と拳でバンバンと力強く叩いて判断

理想から逆算した暮らしと商いの設計

日々は、自分と家族が健やかに過ごすためにある。その時間を優先し、窯入れは週1〜2回のみと決め、販売はウェブサイトをメインに行なっています。結果、オープンして、3ヵ月で予約が1〜2週間先まで埋まり、想定より早く設定の収入を上回りました。

そんな理想のカンパーニュに菊本さんがつけたのは、「御養(おやしな)ひ」という名前。“御養ひ”という言葉は、“滋養”や“食事”といった意味を持ちます。

しっかりと焼き込まれた「御養ひパン」。工房に香ばしいライ麦独特の香りが漂う

菊本さん 『パンの文化史』という専門書があるんですけど、その本の中に出てきたんですよ。16世紀半ば、パンが日本に伝えられた際、キリシタン版の宗教書で昔のパンの呼び名としてあったもので、“御養ひ”って表現がすごく素敵だなって。病気になった後、僕は食に救われてきたので、それを体現するパンだけを焼きたいと思いました。だから、僕はパン屋というより“御養ひ屋”になりたいと思ってるんです。

暮らしと商い。うまくバランスをとるための設計を考え、実行に移していった菊本さんですが、実際に家族の暮らしはどう変化したのでしょうか。

菊本さん パンを焼く日は、朝5時半から昼の1時頃まで約7時間半が実働の時間です。それ以外の曜日は仕込みなどの準備や配送の手配をしたりして、基本は半日で仕事が終わる感じです。でも、子育てにちゃんと関わろうと思うと、一日が本当にあっという間なんですよ。

子どもたちを迎えに行って帰ってきたら、一緒に遊んで過ごすのが大体夕方まで続きます。例えば、うちの長男は虫とか捕まえるのが大好きなので、もうずっとその辺を駆け回り続けるんです。知らなかったんですけど、蝶々も疲れるんですね(笑)。

日ごろは子どもたちとともに、夜は8時に就寝、4時半に起床という暮らしのリズムが定着したと笑顔を見せる菊本さん。何を食べるかと同じくらい、こうした習慣もまた大事なことだと実感しているそうです。


「今日はどこで食べようか」。お天気の日は縁側や屋外で、妻の明日子さんと昼食のひととき

この日は、蒸した御養ひパンに季節のおかず、ギィーや蜂蜜を添えて

菊本さん 銀行員時代は、出勤に自転車で往復1時間かけて朝から夜遅くまで仕事していましたから、パン屋になった今、すごく幸せです。特に三女は生まれてからずっと一緒に過ごせているので、すごく懐いてくれているんです。

僕たちが子育てに求めるものは、子どもたちの土台となる健やかな心身を養うこと。チャレンジし続けられる強い肉体と好奇心が備わってくれればいいなと思うし、それを失わせないようにしていきたいねと話しています。

毎日の時間の中で、子どもたちに「こんな生き方があるんだよ」と働く姿を見せながら、子どもたちに伝える言葉を説得力のあるものにしたい。だから、無駄のない仕事の仕方やある程度の稼ぎは必要と菊本さんは考えます。

菊本さん 僕は30〜40代がいちばんパフォーマンスよく働ける年代と思っているので、あと10年でどこまでベースをつくるか、「自分と家族の幸せに行き着く設計にしたビジネスモデル」にチャレンジしています。

自分と家族の幸せをイメージしてつくった小さな看板

強みをいかしたローカルでの商い

パン職人として、経営者として、設計したロードマップに沿って事業を展開してきた菊本さん。地元・山口市で開業したことに大きな理由はあったのでしょうか。

菊本さん 僕も妻もお互い大学で関西に出て、京都や大阪での暮らしを経て、一緒に暮らすなら自然に囲まれたところがいいねって自然と地元に帰ってきたんです。都市に比べたら固定費が圧倒的に安いので、ゆったりと生活ができている点は魅力として感じています。

キッチンに仲良く立つご夫妻。明日子さんはオンラインで体質改善相談の仕事を行なっている


居場所に恵まれていた反面、デメリットを感じる部分もあったと言います。

菊本さん 僕がつくるパンは基本的に健康意識の高い層向けだと思うんです。田舎だけでは需要が満たせない、極めて都市向けのパンなんですね。だから、「パンづくりが好きだからパンをつくろう」だけじゃきっとうまくいかない。だったら、僕らの強みって何だろうって考えて、それらのパーツを組み合わせてシミュレーションしてみました。

菊本さんご家族が今の里山暮らしを始めたのは、8年前のこと。まだ銀行員時代、妻の明日子さんが何気なく呟いた暮らしの投稿がSNSで注目を集めたことがあったのだそう。

菊本さん 「じゃあ、僕らってSNSの相性がいいんだね」って感じて、物件があるから固定費はかからない、薪も裏山から調達できる、つくりたいパンの供給も足りてないのなら、それらの強みを生かせば、“SNSで発信する薪窯パン屋”という商いはある程度うまくいくんじゃないか。そういう仮説ができたんです。

競合がいないかどうか、薪窯パンの業界もリサーチしました。その時は全国に40軒ほどしかなく、うまくいきそうかどうか比較してシミュレーションができたんです。もちろん時代の変化とともに同じやり方では通用しなくなるだろうということも現実としてあるので、その中でどうやっていくかは課題でもあります。だから、経営が好きじゃないと続かないのではと感じるんです。


フィードバックをいかし育んでいく

成功して終わりではなく、思考し行動し続けること。菊本さんがここから先、見据える御養ひ屋としての生き方には、パン屋が1段階とすれば、3段階までのイメージがあるそうです。

菊本さん まずパン屋としては、食べて調子がよくなったという実感があって買い続けてくださっている方の声をいただくことがあるんです。「家族便」と呼んでいるんですけど、定期便を注文してくださっている方の中にお医者さんが数人おられるんですよ。

ご自身で血糖値とグルテンの関係性を調べて、「このパンは私にとってはグルテンフリーです」って言ってくださる方や、別のお医者さんは、地元産の蜂蜜を練り込んだパン・デピスという伝統菓子も商品としてつくっているんですが、そのお菓子に免疫力を高める効果を感じてくださっています。もう一人、この方は女医さんで50歳近くでマラソンを始めて、走り方やトレーニングを研究して大会に出ておられる方も。そういう方々の日々の朝ごはんや食事を支えられていると思うと、すごく嬉しいんです。

蜂蜜たっぷり、スパイスが香るフランスの伝統菓子パン・デピス。菊本では「蜜菓子」という商品名に

「家族便」の申込みは200人近くにのぼり、現在は定員に達しているそう。手にしてくれる人との関係性を育みながら、こうしたフィードバックを仕事のやりがいへとつなげています。

2段階目は、パン屋と並行して行なっている「暮らしと志事の相談人」。小商いの方のためのコンサルを全国各地から依頼を受けた事業者向けにオンラインで行なっています。

菊本さん 今は一年間に10人程度が限界ですが、これまでに設計士、木工屋さんや洋菓子屋さん、カフェオーナー…いろいろな職種の方からの相談を受けてきました。大体半年から1年を通じて改善策を提案していくんですが、自分が事業主になった今、やっていることがリアルに自分に返ってきますし、一番勉強になっています。今後はもっと多くの方に関われるよう、現在準備中です。

収支計画の考え方やブランディング、マーケティングといった事業の見直しや開業のためのステップの前に、難しいと感じるのは、その人のメンタルの部分をリセットしてもらうことだと菊本さんは痛感しています。

菊本さん 採算度外視で「この仕事が好き」で始めた方が多いので、気持ちの強さだけでは難しいとまず自覚して変わってもらうことに結構時間がかかる場合もあるんです。自分がやりたいことと理想の暮らしを描いた上で、きちんと生計が成り立つか、理想をマネタイズした設計を組み立てて、段階を踏んで進めていくことが必要だと思うんですね。その人の大事な人生を左右することなので、お金の重要性はもちろん、競合がいる中でどんなポジションで行動していくべきかなどをアドバイスしていきます。

そして、それらの仕事を積み重ねていったところで、3段階目として構想を抱いているのが「流域思考」での暮らし方だと言います。

「流域思考」とは気候変動が進む今、都道府県や市町村といった人間がつくった行政区分ではなく、水の流れを基礎とした流域という観点で、地域の暮らしや人間を含めた生きものたちの生命圏をとらえなおすこと。

菊本さん 流域思考についてはまだ勉強中ですが、僕は「健やかな毎日をお届けしたい」と思って志事に取り組んでいます。パンはもちろんのこと、暮らしと志事の相談も「健やかな作り手から健やかなものが生まれる」という考えから、少しでも健やかな商いが増えればという想いで取り組んでいます。

3段階目は僕たちが住む流域の土地や人が健やかになることを目指して取り組んでいきたいと考えています。パンづくりから、自分ができることの範囲を広げていくのが今の僕の楽しみです。

積み重ねていく、体と心、暮らしの土台

「土台」となる心身の大切さに気づき、自分を救ってくれた食を仕事にしようと一念発起した菊本さん。その土台に、「自分にとっての幸せ」を設計し、経験から得てきたさまざまなことを、暮らしと商いにいかし積み重ねてきました。そんな菊本さんの言葉には、実行から導かれた強い精神と自らの哲学が宿っているように感じられます。

取材から帰った翌朝、カンパーニュをスライスして蒸してみると、ずっしりとしたハードな生地が水分を程よく含み、ふんわり弾力のある生地へと変化しました。ライ麦や小麦のふくよかな香りと目の詰まった生地のむっちりとした食感、外側のクラスト部分の焼き込まれたカラメルっぽい味わいがアクセントになり、噛むほどに味わい深くなっていきます。「滋味豊かとは、このことだなぁ」と、癒しの朝ごはんに心まで満たされました。

食の御養ひに限定することなく、自分が情熱を注げることで「健やかな人を増やしていきたい」。「御養ひ屋」をめざす菊本さんのチャレンジは、ずっと先まで続いています。

(撮影:重松美佐)
(編集:古瀬絵里)

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