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ソーヤー海が感動した、徹夜の「塩炊き」って? 冨田貴史さんとの対談(前編)

ハロー! ソーヤー海だよ。今回は、僕がリスペクトするアクティビスト仲間、冨田貴史さん(とみた・たかふみ、以下、タカ)と対談するよ。

いま、タカは「養生」という考え方を大切にしながら、自分の「冨貴工房」で味噌づくりや草木染めをしたり、「冨貴書房」から本も出したりしている。タカと知り合って、もう10年以上経つけど、昔から面白い活動をしていて……なので、ぜひいろいろな人にたかのことを知ってもらいたくて、タカの活動についてたくさんインタビューしたよ!

冨田貴史(とみた・たかふみ)
1976年千葉生まれ。兵庫在住。大阪中津にて味噌作りや草木染めを中心とした手仕事の作業所(冨貴工房)を営む。ソニーミュージック~専門学校講師を経て、各地で和暦、食養生、手しごとなどをテーマにしたワークショップを開催。著書『春夏秋冬 土用で暮らす』(2016年/主婦と生活社・共著)『いのちとみそ』(2018年 / 冨貴書房)『ウランとみそ汁』(2019年/同)、『暦のススメ』(2022年/同)、「未来につなげるしおの道」(2023年/同)など

ソーヤー海が塩焚きに出会い感動したこと

ソーヤー海(以下、海) 僕がタカと出会ったのは原発事故後なんだけど、タカがやっていた「塩焚き」や「養生」、「アースデイ永田町」(後編で紹介するね!)が本当に面白くて。今日はその辺のことをインタビューしてみたい。

それにもっと面白いのは、実はそういう活動をする前にソニーミュージックでPUFFYのマネージャーをしていた経験もあるってことで(笑)

冨田貴史(以下、タカ) その仕事は、務まらなくてすぐ辞めたんだけどね(笑)

 そんな人がドロップアウトして養生や原発事故について学んでいるっていうのも面白くて。だからこうやって長く活動する仲間になってるのかもしれないね。

 僕は2011年に日本に帰国するまでは、アメリカの西海岸の平和活動や反戦運動、カウンターカルチャー、音楽カルチャー、環境活動、有機農、ソーシャルジャスティスにかかわっている人たちとのつながりがあった。そういう人たちって、西海岸だから、すごく自由で「ゆるい人」が多いんだよね(笑)

だけど日本に帰って来たら、精神的に抑圧されているというか、なんとなくみんなかしこまって、同調圧力に縛られている感じが衝撃的だった。

そんななかで僕がパーマカルチャーやマインドフルネスのワークショップとか、ギフトエコノミーの実験とか、平和活動をやり始めたんだけど、「日本ではどんなノリで活動したらいいの?」「どういうことをやると響くんだろう?」って模索していたんだよね。

同じ頃、まわりのいろいろな人の口から「トミタタカフミくんと会ったほうがいい」っていう話がちょこちょこ出てきたんだよね。そんなときに「トミタタカフミが仲間たちと三浦半島の先端の城ケ島で塩を焚くイベントをやる」という話を聞いて、行ってみた。2012年の2月だったかな?

タカ そうだね、僕は日本の暦の節目を大事にしたいと思ってて、春分とか秋分とか、そういうタイミングでやることが多いんだけど、そのときは旧正月で、「年越し塩炊き祭り」って名前にしてたね。

(参考:横須賀経済新聞「三浦半島最南端・城ヶ島で、夜通しの「塩炊き祭り」-海水から塩作り体験」ふるやゆきひろYouTube「シェアするひとたち」、同「塩炊きまつり2014」)

 そうそう、みんなで一晩中、大釜で海水を炊き続けるんだけど、旧正月だったからめっちゃ寒いの(笑) そんなの想像してなくて。寝場所だって、断熱ゼロの、「これは小屋?」みたいなところに1人1枚段ボールを敷いて寝ててさ。「徹夜する人はしてね。でも、休みたい人はここで自由にどうぞ」みたいなノリで。

あと、段ボールの上で寝てる人たちの隣で、海水で足湯するスペースがあったり、海岸でファイアーダンスしてる人たちがいたり、地元の漁師さんがマグロ1匹ギフトして焚き火で焼いていたり……日本じゃ普通あり得ないよね(笑)

本当に多様な人たちがいたから、僕にとっての「日本人とは何か?」みたいなことも、すごく変わった。

タカ 海岸沿いにドームテントを立ててたんだけど、夜中に突風で飛びそうになって、暗闇のなかで何人かで支えたりして(笑) もちろん塩炊きなんて誰もやったことがなかったけど、「だったら想像してやれる範囲で準備する」「すべてが整うはずがないのは承知の上」「まずはやってみよう!」みたいな。

 でも、整った状況じゃなくてもみんなでギフトを出しあって素敵な場をつくっていて。なんか独特で、自由で、無秩序で、適当な感じのところもあるんだけど、いろいろな人たちが自主性を発揮しているチームのように動いてて、厳しい環境でそれぞれが心地よく、必要なものをちゃんと得られているかって気配りしていた。それには感動したね。

「蓄え」があるから支援ができる

タカ 僕が関東で活動するときは東京・世田谷の駒沢にある「ジャムハウス」っていうシェアハウスにステイしてたんだけど……

ジャムハウスっていうのは、バーニングマンとか、レインボーギャザリングとか、WWOOFでオーストラリアに行くとかして、シェアリングをベースにした世界のコミュニティやギャザリングで出会った面々が、古い民家をDIYで改装して始めたシェアハウスで。

そこで生活しながらみんなと話してるなかで、「日本の暦の年越しのタイミングで塩炊きをやろう」ということになったんだ。そういう流れだったから、塩炊きもシェアリングとか、ギフトの精神とか、DIYとか、サービスしすぎないとか、お客さん扱いしないとか、そういう感じに自然になったんだろうね。

 思い出した! 2011年に何かの縁でジャムハウスと出会ったんだよね。そのなかでタカの話が出てきて、塩炊きにつながったんだ。

ジャムハウスには、「金のために働く」だけじゃない本当に意味のある生き方に挑戦してる人たちがいっぱいいたよね。WWOOFの体験をもとに群馬や長野の知り合いの農家さんのところに手伝いに行って、野菜を分けてもらって、ジャムハウスに持ち帰ってみんなで食べたり、世田谷で「フリーマーケット的な場」をオーガナイズして野菜を販売する人がいたり……。

やってることは違うけど、自分がそれまでいた西海岸のコミュニティとつながっていたというか、「東京のど真ん中にヒッピーコミュニティがある!」って感じで僕は救われた。だけど、どうして塩炊きをやろうと思ったの?

タカ 僕はその頃、痛感してたんだよね。「支援」って、 自分の暮らしや自分が属するコミュニティに「蓄え」があって初めて可能になるっていうことに気づいて。

だけど当時、僕にはその蓄えが足りてなかった。それでジャムハウスのみんなに、「宮城や福島の友達に、放射能対策として梅干しや味噌をひたすら送るために、自分たちの暮らしに蓄えがあるようにしたい」ということを話したんだ。「『放射能から命を守ろう!』って言っても、命が何に支えられているか、俺たちあんまりわかってないよね?」って。

それって、言ってみれば「日本人とは何か?」という問いでもあると思う。海岸線がこんなにもある日本列島という場所で生きている僕たちは、命を支えるために何をつくり、摂取して来たか。もちろんいろいろあるんだろうけど、おおもとをたどると、原初の手仕事のひとつは「塩づくり」だろうって思ったんだ。

それで何年か城ヶ島でやったあとは場所が変わって、「タカが塩炊きをしている」という噂を聞いた全国の知り合いから声がかかって、いろいろな場所でしてきたな。

 手づくりの冊子も配っていたよね? 塩の歴史とか、いまの社会情勢とか、塩炊きへの思いとかをちゃんと時間をかけて勉強して、結構しっかり書いてあって。

一般社会では「ちょっと変わった人」みたいに言われそうな人たちばかりなんだけど、やっていることはすごく真面目で。なんかもう、「この人たち、めっちゃディープじゃん!!」みたいな(笑)

それで、僕が西海岸で体験したような「気づきと楽しさがある世界」と似たような雰囲気をすごく感じたんだよね。「あ、ここだ、俺のトライブは」みたいに居場所を見つけた感じ。

深く「養生」することを切望していた

 その頃って、塩炊きだけじゃなくてものすごい数のワークショップをやっていたよね? 1年に300本とか(笑) 味噌づくり、茜染め、陰陽五行、日本の暦、地球暦……とにかく、僕には全部が新しすぎた。

それで、「タカからもっといろいろ知りたい」「一緒に何かできたら」って思い始めたんだけど、「養生」っていう言葉と初めて出会ったのは、そういう流れだったと思う。実際、たかが当時やってたいろいろな活動は「養生」にすごく根ざしていたよね。たかはどうやって「養生」にたどりついたの?

タカ それはアクティブホープの影響が大きいと思う。

つまり、自分のなかにある「深い嘆き」みたいなディープなものにつながるのは、最初はつらいんだけど、だんだん自分への共感や慈しみが生まれてきて、「こんなにも強く希望するものがあるからこそ、嘆きという反応になっているんだ」 みたいなことに気づいたんだよね。いわゆる「自分の根源」につながる糸口は、「嘆き」のなかにある、と。

そうやって自分自身をすごく深く養生する=命を養い体を慈しむことを、切望してることに気づいたんだよね。特に福島第一原発事故のあと、放射能汚染と被爆っていう現実を強烈に体験していたから、養生へのパッションやサバイバルすることへのモチベーションが熱くなっていた。

 僕はいままで通りに忙しく平和活動を続けたら自分が疲弊してしまうことが気がかりだったんだよね。

活動家のなかにも「企業戦士のノリで活動戦士になる」みたいな空気があるんだけど、結局、燃え尽きて潰れるっていうサイクルを何回も経験して、活動を辞めた仲間もたくさん見てきた。僕だって何度も燃え尽きて、疲労と絶望に陥らないにはどうしたらいいかを模索していた。

活動をしていなくても、僕たちの社会の標準が心身や関係性に多大なストレスをかけている。根源的に不健康な社会なんだよね。そのおかげで、医療や健康ビジネスは儲かるわけだけど……

だから「養生」にはすごく影響を受けた。それまでの僕の活動は、例えば経済や政治のような「外の社会を変えていこう」みたいな感じが焦点だったけど、いまは心や体の健康についての研究や活動を含めるようにしているんだよね。

ストレスとか、幼少期のトラウマとか、自分のなかにあるいろいろな「痛み」をどう癒し、養生するか。社会への働きかけと心身の健康を統合する、ホリスティックな平和活動。

「奉納の儀式」から学んだこと

 タカの養生って、例えば物理的にどういうものを体に入れるのか、体に入れる塩はどうやってつくるのかをとってみても、西洋医学みたいに「ビタミンCを体にたくさん入れると免疫力が上がる」みたいな感じじゃなくて、全体のプロセスを強調しているよね。

みんなで集まり、分け合い、それぞれができることをやり、海とかかわり、海からいただいた水を火に焚き続け、塩を取り出し、塩とともに世界へのリスペクトを表現する……。そう、塩炊きで太陽が登るときにやった「奉納の儀式」も、僕にはすごく新しい体験だった。

タカ みんなで朝日に向かって奉納したね。塩を炊いたら、「まずはやっぱり奉納だね」と。宗教的なこだわりがなくて、大いなるものとか「自分たちを生かしてくれている何らかの存在」に、できあがった塩を奉納して、そのお下がりをいただいた。

 本当に手づくりの儀式だったけど、すごくパワーがあったというか。その塩が体に入っていく。そういう「つながり」から生まれた塩だから、「商品」じゃないんだよね。

たかのそういう活動って、パーマカルチャーとすごく相性が良くて。それまでの僕の活動は概念が先走っていたけど、たかのおかげで「つながりのある暮らしを取り戻し、健康を通して平和な社会をつくる」こととか、「海外で出会ったパーマカルチャーを日本にどう根づかせることができるか」、日本にある素敵な叡智をすごく学ばせてもらっているよ。

(前編ここまで)

(編集: 岡澤浩太郎)
(編集協力: スズキコウタ)