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音楽業界経由、手仕事の世界へ。冨田貴史さんが「養生」 に出会い追求するまでをソーヤー海が聞く(中編)

ハロー! ソーヤー海だよ。今回も前回に続いて、僕がリスペクトするアクティビスト仲間、冨田貴史さん(とみた・たかふみ、以下、タカ)と対談してきた様子を紹介するよ。ぜひいろいろな人にタカのことを知ってもらいたい。

冨田貴史(とみた・たかふみ)
1976年千葉生まれ。兵庫在住。大阪中津にて味噌作りや草木染めを中心とした手仕事の作業所(冨貴工房)を営む。ソニーミュージック~専門学校講師を経て、各地で和暦、食養生、手しごとなどをテーマにしたワークショップを開催。著書『春夏秋冬 土用で暮らす』(2016年/主婦と生活社・共著)『いのちとみそ』(2018年 / 冨貴書房)『ウランとみそ汁』(2019年/同)、『暦のススメ』(2022年/同)、「未来につなげるしおの道」(2023年/同)など

手仕事の世界へ

ソーヤー海(以下、海) タカはいま、大阪の梅田の隣にあるエッジの世界・中津で染め物とか、手仕事を中心にした活動をしてるよね。どういう流れでそういう活動に行き着いたの?

冨田貴史(以下、タカ) 最初のきっかけは、ソニーミュージックで働いていた2001年ぐらいにヨガや瞑想に出会ったことかな。

渋谷のブックファーストという本屋さんの、精神世界、ヨガ、仏教が並んだ書棚をよく見てて。なかでもティク・ナット・ハンの『ウォーキング・メディテーション』と、対本宗訓さんの『坐禅〈いま・ここ・自分〉を生きる』と、内藤景代さんの『ヨガと冥想』の3冊にドハマリしてから、毎日座禅と呼吸法とヨガをして、 週末に井の頭公園で歩行善をするのを習慣にしてた。

それで、自分を内観したり、自分の置かれている状況を俯瞰したりする時間が増えて、「いまの職場環境でもがくより、異動希望を出すのもアリかも」って気づいたんだよね。で、半年後くらいに名古屋に転勤になって営業の仕事をやることになった。

で、それまでのマネージャーの仕事と比べて営業になったらすごく時間ができて、「夜って家にいられるんだ」って(笑) 家で玄米を炊いて夕ご飯つくったりして、「立ち止まる」ってめっちゃ大事なんだと実感したんだよね。呼吸法やヨガだけじゃなく、仕事や人生についても「止まる」ことが。

で、退社したんだよね。周りからは「これまでのキャリアを捨てるのか」みたいに言われたんだけど。それが2003年の春。

それからは、ぼーっとしたり、バイトしたりしながら、のびのび過ごしてたんだけど、月に1~2回、DJする感じになって。で、当時は、自衛隊をイラクに派兵することへの議論があった頃で、自分が月1回やってたパーティみたいなところに来てる仲間が「たまには俺たちもそういうテーマで集まる日もつくった方がいいんじゃないか」みたいなことを言い出して、イラクについて話す鍋会をやることになって。

だけどフタを開けたら鍋会じゃなくてデモをやることになってた。それで「デモかよ、揉めそうだなー」って思ってたら、本当に揉めだして(苦笑) ほかのメンバー同士の「やるのかよ、やらねーのかよ」みたいな言い合いを見て、ダライ・ラマやティク・ナット・ハンの言葉を送ってちょっかいを出してるうちに、 ついうっかり「俺はデモじゃなくてピースウォークがいいと思うんだけど」みたいなメールを送ってしまったんだな。


via Unsplash

タカ そしたら、何人かから「タカの言ってたピースウォークってのをやることにするから。いまから家行くから!」って言われて。開催まで1週間くらいしかないから、いますぐチラシをつくる話になって、「タカが提案したんだから、文章考えて」って言われて、「私たちは、自分の歩みを1歩1歩、足跡に平和の蓮の花を咲かせるように歩いていきたい。一緒に歩きましょう」みたいな、ティク・ナット・ハンの影響がモロに出た文章を書いて、いろいろな人に協力を募った。

結局、名古屋の街の真ん中に何百人か集まって、みんなで歩いて。そこに、憲法やイラクのこと、原発のこととか、いろいろなことにアクションしてる、いろいろな年代の人が来たんだよね。で、そういう人たちが持ってきたチラシやパンフレットをがっさり俺が預かることになり、見ているうちに、いろいろなことを知ってしまい、勉強会やイベントに顔を出すうちに、手伝うようになって。

で、イベントの進め方や内容、改善点とかに、いろいろなアイデアが出ちゃうから、言って、やってるうちに、自分でイベント立ち上げるようになって、原発や戦争、憲法、貧困とか、いろいろなことに対して活動するようになった……という感じかな。

 面白いね! タカがいた音楽業界は、単純に言うと音楽とお金の利益を両立させる世界だよね。だけど平和活動って基本的にはお金の利益にはならない。だけどタカは、人のつながりとかイベントのノウハウとか、自分が持っている資源を生かしながら、成り立たせようと試行錯誤していて。

やっぱり、みんなももっとそういうふうにできればいいなって思うんだよね。それぞれが持っている技術やギフトが、心の動きと一致したときに、すごく素敵なことが起こるんじゃないかって。

養生は自分を癒す「魂の治療」

 だけどタカは、そうやっていろいろな活動を始めて、めっちゃ忙しくなったわけだよね。そのなかで、どうやって自分の暮らしで養生を実践していたの?

タカ やっぱり、ヨガ、瞑想、座禅、呼吸や体の動かし方、「何をどういただくか」みたいなことに、戻るというか。

仏教には「大小便を無事にできるということが、どれだけありがたいことか」っていう言葉があるんだよね。うんちとおしっこのクオリティキープっていうかさ。「入れることも大事だけど、出すことはもっと大事」とか、空であることの意味とか、欲や飢えというカルマを見つめるとか……。

そういう深みというか、自分を根本から見つめ直したいと思ってて、「サムシング・グレート=ありがたきいろいろな存在物のお働きのお陰様である」「そうやって私は生かされている」みたいな教えを、いろいろなかたちで受け取ってたんだよね。「ああ、俺はこれを失っていたんだ」っていう気づきがすごく大きかった。その探求はいまも続いているけど。

そうやっていろいろなことを学ぶなかで、自分や家族、その周りも含めた生態系の健康は、「すべてつながっている」って思うようになって、自分を養生するだけでなく、家族やネイバーフッド、人間以外も含めた自然界を養生することに目が向いていった。

でもそれって、「エンパワーメント」と言えるのかもしれないけど、自分にとっては健康を取り戻す感覚だったかな。

というのも、僕はもともとすごく虚弱体質だったんだけど、めちゃくちゃ薬に依存していたんだよね。物心ついたころから、選択の余地なく毎日薬を飲まされ、点滴や注射を打たれて……、そうやって家族全体が無知に陥っていること、その状況をみんながつくっていることに怒りがわいたし、それによって自分が深いトラウマを受けて嘆いている感覚がすごくある。

だから、その辺のテーマはトリガーとして反応しやすいんだよね。被ばくや放射能の話にしても、本人の意思に関係なくセシウムやいろいろなものを摂らざるを得ないとか、しかもそれが隠されているとか、どう養生したらいいか知られていないとか……。

もう、ガマンできないよね。たぶん、すっごく悲しいんだと思う。だから、「なんでそんなに養生に情熱を燃やしてるの?」って聞かれたら「理屈じゃなくて、魂の治療=俺を癒したいんじゃないの?」みたいな感じ。

 一般的には「養生」じゃなくて「メンタルヘルス」「ウェルビーイング」みたいに、西洋の言葉を使うよね。

僕の活動はアメリカ西海岸のカルチャーや社会運動が入口だから、パーマカルチャーとかNVC(非暴力コミュニケーション)みたいに横文字のほうがどちらかと言うとしっくりくる。それに、そういう文化って、横文字のほうがしがらみがなくて広めやすいんだよね。例えば「禅」という言葉を使うと、「お前のは本物じゃない」みたいに言われて面倒くさかったりして(笑) だから西洋ノリのほうが許容範囲が広いし気楽さも担保できる。

だけど自分のルーツは日本だと思っているし、日本でそれにあたるものは何かということにずっと好奇心がある。だからタカが日本や東洋の文化を「養生」という表現で広めているのが、すごく面白いんだよね。

タカ 僕ももともと横文字から入ったんだよね。メディスンマンとかシャーマンにあこがれてたし、「ネイティブ・アメリカンはホワイトセージを使う」とか、そういうことに興味があったし。で、そういうところから「あ、ヨモギはメディスンか」みたいに、自然な流れで足元に目が向いていった。

あと、僕が養生を知り始めた頃、江戸時代に書かれた『養生訓(※)』という本に出合ったんだよね。心の持ちようとか、ライフスタイルの提案と合わせて、「この食べ物にはこんな効き目がある」みたいなことが普通に書かれていて。

で、薬事法や薬機法のことを知って、「ああそうか、いまは法律の関係で、『食べ物は薬』『自分の体は自分で治せる』みたいなことが書けなくなってるんだ」って思ったんだよね。つまり製薬会社とか医療業界のビジネスのために、「自分で勝手に元気になってくれるなよ」「病院来て薬買ってよ」と。だから養生を広めているのは社会変革の一環でもあるよね。

(※)『養生訓』(ようじょうくん)は、正徳2年(1712年)に福岡藩の儒学者、貝原益軒によって書かれた、養生(健康、健康法)についての指南書。益軒83歳の著作で、実体験に基づき健康法を解説した書である。

長寿を全うするための身体の養生だけでなく、精神の養生も説いているところに特徴がある。一般向けの生活心得書であり、広く人々に愛読された。 
現代でも岩波文庫、中公文庫、講談社学術文庫など多くの出版社や原文付き現代語版や口語訳、解説書などが出版されている。漫画化や、海外向けの英訳もなされている。

 僕の人生で大きな影響を受けているティク・ナット・ハンは「養う」という表現をよく使っているんだよね。「自分のいい性質を養っていこう。自分の心のガーデンにある、いろいろな種や植物を育てよう。自分を本当に幸せにする種に水をやることに意識を向けていこう」みたいな話をしていて。

 でも現代社会って、例えば「健康を操る」「健康をアップグレードする」という表現が主流だよね。人工的なマネージメントやコントロールっていうのはテクノロジー工学系の世界観で。

だけど命の世界は、操るというよりも、自分以外にもいろいろなプレイヤーがいる生態系のなかで自分ができることをやって、そのあとは、ある意味で勝手にリジェネレート(再生)していく、ストレスやショックがあっても心や体は本来良くなる、ということだと思う。そこが、僕が養生に惹かれているポイントで。

それに、「エコ」という言葉がまさにそうだけど、ちょっとずつ流行り始めてお金になりそうになった瞬間に、マーケットがその言葉を使いまくって、中身がなくなっていってしまう。だけど「養生」は、まだ資本主義教に乗っ取られてない感じがする。

場を「養生」する筋力をつけていきたい

 タカの影響で、僕も旅をするときは必ず味噌を持っていく人になってしまって、この間ネパールに行ったときもタッパーに入れて持っていったよ(笑) あと僕も味噌づくりを始めたんだけど、自給率150~200%くらいになって、人に配れるくらい溜まってるんだよね。

タカ 全国の原発を訪ね歩いたり、放射能に向き合いながら全国を回ったりするなかで、いろいろな暮らしをしている人たちとか、食べものや使われてるものに出会い、気づいたら自分のバックパックの中身がちょっとずつ入れ替わってて、「とりあえず味噌と梅干しと塩は持ち歩く」「自分の体調をキープするには、水筒に三年番茶を入れる」とか、「今日は真菰茶」「黒炒り玄米茶」とか、そういうふうになってたんだよね。もともと、さっき言った自分の体に関する嘆きが大きかったから、ヒントや答えをもらったら素直にすぐ実践していたこともあったし。

実際にそれで体調が維持されている実感があったし、「こういうことって、昔から日本の旅人はしてたのか」とも知るわけだよね。で、その頃から日本の曆を使ってたから「あー、日本の暦で言うところの、季節と食べ方とかは、こうなってるのか。陰陽五行と曆は結びついてるのか」と、どんどん深まっていって。

タカ ただまあ、やっぱり、放射能の話は欠かせなくて。僕は、「僕らの社会全体が放射能を増やしてしまった」と感じていて、罪悪感というよりも、その現実とどうかかわれるか、と考えている。そういう状況で、いろいろなかたちの保養キャンプや保養施設ができて、自分が住む環境の放射線量が高いと感じている人とかが気軽に相談できたり、いろいろな検査やサポートを圧力なく受けられたりする世界を望んでいるから、実際にそうした活動に少しずつかかわってもいるんだよね。

例えば、仲間と大阪の中津で運営している「コモンスペース・ハナヤ」の2階に「げんぱつ保養ライブラリー」っていう図書スペースをつくったり、保養活動を知ってもらう「ほようカフェ」というイベントをやったりしている。その流れで、「ほようかんさい」というネットワークのメンバーになって、福島県いわき市の「子どもと原子力災害 保養資料室《ほよよん》」(サポーター募集中!)に関わったりしている。

こういう「保養」の活動と「養生」は、僕の中では、常に両輪というか、すごく大事なことだと思ってるんだよね。心や体、精神、魂の養生を文化として育む、とか。

あと、保養活動や放射能と向き合うことって、まだ話題にしにくい感じがちょっとあると思うけど、それは特別ではないという世界をみんなでつくる。それって、自分が養生文化をカルティベートすることで保養が文化になることに貢献できると思ってる。これは僕のコアの、ど真ん中にある思いだと感じてて。

例えば、「このなかであと2~3人いれば、味噌が20kgくらいならつくれる」「3人いれば塩が炊ける」みたいなコミュニティって、保養活動や災害時の炊き出し、支援物資としての味噌やゴマ塩をつくって届ける、みたいな活動の底力になると思う。

本当に、10~15人くらい集まって、共同作業できる場をつくれる人が2~3人いれば、その場をホールドできるんだよね。で、その共同作業には紙媒体づくりも、上映会やイベント、マルシェのオーガナイズも含まれる。

そういう仲間をもっと増やしたいね。ひとりがリーダー役を抱えるんじゃなくて、みんながキャパシティビルディングするというか、「場を養生する」みたいな筋力をつけていけたらいいなと。しかもそれをNVCやマインドフルネス、パーマカルチャーとの世界観を学びながらできると、すごく美しいなと思って。

自分を超えた、「関係性の養生」

 養生って自分の体や心を養うことだと思ってたけど、いまの話だと、「関係性の養生」みたいなことも含んでるよね。何かトラブルや事故が起きても、体の健康や地域の再生ができる土壌を育くむというか。

タカ そうだね。あと、共同作業自体が心と体の養生になってるところもある。味噌づくりにしても、「私、これ洗っとくよ」みたいに、段取りがシンプルな共同作業を一緒にやっていると、息を合わせやすいから声をかけ合いやすい。

そうやってコミュニケーションが活性することによって、「幸せホルモン」って言われてるオキシトシンの分泌量がリアルに増えたりするからね。だからみんなでご飯を囲むだけで、理屈じゃなくて実際に心と体が本当に養生される、という。

 いいね! 僕がタカと出会ったときは、味噌づくりという伝統的な文化を東京の若い人たちが集まって楽しそうにやってたことに感動したんだよね。「日本の都会で味噌づくりが流行ってるのか!」みたいな感じで。しかも、ただの流行りじゃなくて、本当に暮らしとしてやっていたり、人と人の出会いの場づくりみたいなことを意識していたり、消費するのではなく新しいものを創造したり、そういうところもすごく健康的だし、希望が持てた。

 あと、味噌が面白いところって、すぐに消費できないこと。半年とか1年とか寝かせる場所が必要で、ということは味噌を通して関係性が続くわけだよね。それは、「いかに早く始めて、早く終わらせて、次に行くか」という現代社会の感覚と違う。

それに、味噌づくりで何十人も集まっちゃうと、それなりの大きさの鍋も必要だし、鍋の保管場所も必要だよね。だったら、その1回のために大きな鍋を買うんじゃなくて、継続する前提で「養生インフラ」を整えようとか、タカは普通なら考えないことを工夫して、実現して、カルチャーにしている。

タカ そうね、養生は一世代の話じゃないと僕は思ってるから。鍋だって、田舎の自治会の物置には使えるのに使ってない大きい鍋なんて普通にあると思うの。実際に僕ももらっているから。それで、「うちだと大きすぎるから海の道場にパスする」とか。やっぱり、場をつくると、モノがめぐるよね。

そうやって、再現性のあることを、ゆっくりゆっくり丁寧に丁寧に反復することで、ほかの地域の人が来る余地が生まれたりして、再生=リジェネレーションにつながると思うんだよね。心臓の鼓動みたいに、淡々とポンプし続ける。だから、味噌づくりなんかは特に、あんまりやり方を変えないね。ずっと同じ感じで、でも毎回盛り上げる。そこに「いま・ここ」の情熱を投じる、っていう。

(中編ここまで)

(編集: 岡澤浩太郎)
(編集協力: スズキコウタ)