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「この町を壊したのは、自分かもしれない」。ヨソモノだった山根辰洋さんが、“この町での暮らしが幸せ”と言えるようになるまでの13年

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2011年の東日本大震災と原発事故により、全住人が避難を余儀なくされた福島県双葉町。いま、避難指示が一部解除され、少しずつ住人が戻ってきています。

そんな双葉町で、新たな文化、経済、人のつながりなどを生み出していく”まちを創る人たち”を訪ねました。

「自分は福島を壊したひとりなんじゃないか……」

2011年、東日本大震災と福島第一原発の事故後、山根辰洋(やまね・たつひろ)さんは自問し続けました。東京出身、東京育ち、社会人1年目。映像制作会社に勤め、仕事に没頭していた彼の生き方を変えてしまうほど、その出来事は大きすぎるインパクトだったのです。

彼はいま、避難指示が一部で解除されたもののまだ住民が100人ほどである福島県双葉町で、「観光」を通じた地域再生を目指す会社を営んでいます。「いったいなぜ?」「100人の町で観光は成立するのだろうか?」私の頭の中にはたくさんのハテナが浮かびました。

震災から再生する町で

「あと30年は帰れないだろう」。福島第一原発が立地し、町の96%を帰還困難区域が占めた双葉町はこう言われていました。

「特定復興再生拠点区域」とされる一部の地域で避難指示が解除されたのが2022年8月。当初の見通しよりも早まりましたが、被災した自治体の中では最も遅い解除です。

山根さんはいま、そんな双葉町で家族と暮らし、観光という軸で町の再生に取り組んでいます。

「少し歩いてみましょうか」。そう言って、山根さんは双葉駅周辺を案内してくれました。

向かったのはJR双葉駅近く、双葉町役場新庁舎の東隣にある「相馬妙見宮 初発神社(そうまみょうけんぐう・しょはつじんじゃ)」です。歴史深いこの神社は、地域の人々の手で守られ、コミュニティの拠点として存在してきました。しかし、震災後はここも避難区域となり、御神体も約10年間宮司と共に避難していたそうです。2019年に多くの人の支援で再建し、2020年にはご神体を戻す遷御祭が行われました。

現在双葉町に住む山根さんにとって、「初発神社はなくてはならない場所」だといいます。新年の挨拶や子どもの七五三のお祝い、ハレの日もそうでない日も祈りを捧げる拠り所です。「僕、ここが好きなんですよね」と、しみじみ話す姿が印象的でした。

ここで生きると決め、当事者になった

山根さんは一度住民がゼロになった町に人の流れをつくろうと、2019年に「一般社団法人双葉郡地域観光研究協会(F-ATRAs)」を設立。双葉町の文化を伝えるツアーの企画や、インバウンド観光で海外から浜通りに人を呼ぶプロモーション事業を行うなど、観光を通じた地域再生に取り組んでいます。

そんな起業家としての顔を持つ一方で、双葉町議会議員としても日夜奮闘しています。双葉町にフルコミットする山根さんを突き動かすものは、いったい何なのでしょうか。

実は山根さんは、結婚前は小林姓。双葉町出身の光保子(みほこ)さんと結婚し、山根姓になったことで「ここで生きる」覚悟を持つようになったそうです。

山根さん 結婚前から双葉町には復興支援で関わってきましたが、ヨソモノであり支援者でした。ここで生きると決めてから「当事者」になれた感覚なんですよね。

故郷は東京なのかと聞かれたら、生まれた場所でしかなくて、僕にとってのアイデンティティは双葉町にあるんです。「双葉町を守ることは、自分を守ること」と言えるくらい、もし双葉町がなくなったら僕のアイデンティティも失ってしまいます。

山根さんは「双葉町が人生そのもの」とさらりと言います。その町への想いの強さは、いったいどこから来るのでしょうか。

被災地のために、自分は何をすべきか

東京八王子市に生まれた山根さん。少年時代は野球に明け暮れ、大学卒業後は首都圏の映像制作会社で動画クリエイターとして仕事に邁進していました。

もうすぐ社会人2年目になるころに起きたのが、東日本大震災でした。テレビから流れる惨状。信じがたい原発事故。首都圏にいる山根さんですら、相当な危機感を抱いたといいます。

山根さん あの時は会社内もすごく混乱していて、「俺らも逃げるか」と同僚たちが話しているような状況でした。僕はまず何が起きているのかを正確に把握したかったから、可能な限り正しい情報を調べ続けたんです。

そこで山根さんは大きなショックを受けました。福島第一発電所で発電した電力は、首都圏に送られていたという事実。そんなことも知らずに何不自由なく生きてきた自分に腹が立ち、恐ろしくも感じました。

自分は被災地のために何をすべきか、何ができるのか。どうアクションしていいかもわからなかった山根さんは、震災直後から被災地に入り活動していた弟に話を聞きに行くことにしました。

その後、弟につないでもらった縁から募金サイトの立ち上げに関わり、映像制作でプロボノ活動をするように。復興のために奮闘する人々との出会いは、山根さんの考え方を大きく変えたそうです。

山根さん それまでは社会課題解決とかソーシャルビジネスには全く興味がありませんでした。どちらかというと「意識高い系」なイメージがあって、苦手だと思っていたくらいなんです。そんな自分が「福島に関わる仕事をしたい」と思うようになり、何のあてもないまま2011年12月に映像制作会社を退社しました。

その後は復興支援団体に入職。企画や渉外を担当し、無我夢中で東北の復興のために尽力しました。

2012年の冬。埼玉県加須市に避難する双葉町の方たちを訪問した時のことです。そこには震災からまもなく2年が経とうとしているのに、体育館に畳を敷いて避難生活を強いられている人々の姿がありました。

「これほど長い間、避難生活をせざるを得ない状況があっていいのだろうか……」。言葉を失いながらも、山根さんは役場職員に避難所を案内してもらった際に、町民のひとりと話をする機会がありました。その高齢の女性がギュッと手を握って「双葉町のことをよろしくね」と声をかけてくれたそうです。山根さんは、その感触を今でも忘れることはありません。

町の連続性を取り戻したい

2013年、双葉町役場の復興支援員となり、いわき市に移住しました。そこで机を並べて一緒に仕事をしたのが、後に結婚することとなる光保子さんです。

山根さんに与えられたミッションは、全国へ散り散りになった町民のコミュニティをつなぐこと、そのための情報収集や発信をすることでした。とはいえ、町には戻れず、何をどうしたらいいかもわからない状況。山根さんは、手探りながらも避難先各地を訪ね歩き、町民一人ひとりの話を聞きに行くことにしました。すると、まだ見ぬ双葉町の輪郭がぼんやりと見えてきたのです。

「周りに農家さんが多かったから、おすそ分けがたくさんあって、野菜なんか一度も買ったことなかったよ」
「毎年年末に神社のしめ縄を、みんなであーでもないこーでもないと言いながらつくっていたのが楽しかった」
「町民大会で、綱引きだけは負けたくないって地区のみんなで練習していたよね」

地域やご近所とのつながりを大切にしてきた町の人たちの話は、東京で生まれ育った山根さんにとって新鮮でした。話に耳を傾けながら「いい町なんだろうな」と、双葉町への愛着が膨らんでいったそうです。

2013年3月、当時同僚であった奥さんの一時立入に同行させてもらう形ではじめて双葉町へ。震災が起きたその日のまま取り残された町を歩きながら、町の人たちの話が一つひとつつながっていく感覚がありました。友達と一緒に通学した前田川沿いの桜並木、夏になると毎年聞こえてくるご近所さんの盆唄、部活終わりに飛び込んだ海、帰宅すると縁側に山のように積まれたお裾分け……。

山根さんはそのとき、「町の景色をいつか取り戻したい」と強く思ったそうです。

山根さん まちは住民一人ひとりの人生の集積でできていて、歴史や文化、人の営みを残すことは、町の連続性を取り戻すことになるんじゃないかと思ったんです。この町を壊してしまったかもしれないひとりの人間として、町の営みを取り戻していくことが自問してきた問いへのひとつの答えになるのかもしれないって。実はこの時の原体験が、今のツアーづくりにもつながっているんです。

復興支援ではなく、人生を賭けた仕事に

復興支援員としての3年間は、町民の顔が見えるような広報紙をつくり、インターネットでの情報発信に力を入れ、できることに全力で取り組んできました。けれど、どこか無力感が拭えなかったといいます。
 

山根さん 復興支援員は期限付きで、いずれはいなくなる。やれることはやったつもりだけど、本質的なことは全く解決していないんじゃないかって、ずっとモヤモヤしていました。自分に何ができたんだろうかって。

町のほとんどが帰還困難区域の双葉町へは、「少なくともあと30年は帰れないだろう」という声もありました。先行きが見えない中で、町民の皆さんは大きな不安を抱えながら避難生活を強いられている。これだけ大きな課題に、たった3年では立ち向かえない。何もできないまま東京へ戻っていいのだろうか……。

山根さんがそう悩んでいた2016年、状況が大きく動きます。今後5年を目処に双葉町に「復興拠点」を設け、その周辺一部の避難指示解除を目指すという、国の方針の大転換があったのです。

山根さんは、覚悟を決めました。町への帰還を強く望み続けてきた光保子さんと結婚し、自身が町民となって双葉町で人生を賭けて生きていくことにしたのです。

観光でこの土地を再定義する

山根さんは双葉町に人の流れを作ることが重要だと考え、2019年11月に「一般社団法人双葉郡地域観光研究協会(F-ATRAs)」を設立。まだ避難指示解除前で先行きは不透明でしたが、地域が前に進む姿を双葉町から発信していく時が必ず来ると信じ、観光を軸に、交流・関係人口を生み出す会社をスタートさせました。

山根さん 観光って、平和な場所でするものですよね。「この町に遊びに行きたい」と思ってもらえるような状態が生み出せたら、本当の意味で復興したと言えると思うんです。

双葉町にあった営みや文化といった価値を「観光」という視点で再定義することができれば、「この町を訪れたい」という人や「帰りたい」という人を少しでも増やせるかもしれない。そう思って、観光という軸で挑戦しようと考えました。

観光といっても、温泉やテーマパークがあるわけではありません。では、どうしたら双葉町に人の交流が生まれるのか。山根さんは丁寧に考え、一つひとつを実践してきました。

双葉町の地域性や歴史、町の人々の記憶の中に息づいている目には見えないもの、その一つひとつを丁寧に説明しながら町をめぐるツアーや、町の魅力を伝える情報発信。国、県のインバウンド事業にも関わり、浜通りにインバウンドの旅行者を増やす取り組みも多数手がけています。

そうするうちに面白い動きがどんどん生まれていきました。スタッフにはインド国籍の2人が加わり、グローバルなチームに。この夏には、イギリスの高校生が双葉町を教育旅行で訪れました。

2024年2月には、スタッフのトリシット・バネルジーさん、スワスティカ・ハルシュ・ジャジュさんとともに、南アジア最大の観光博「SATTE2024」に現地旅行会社のパートナーとして出展しました(写真:山根さん提供)

2024年7月にはロンドンの高校生たちを迎え入れ、ツアーを行いました(写真:山根さん提供)

山根さん まだまだこの町に対しては多くの偏見があります。「原発事故でもう住めない場所なんでしょう」とか、「水道の水を飲んでも大丈夫なの?」などと、普通に聞かれたりしますからね(苦笑)。

でも僕は、そうした偏見と戦うのではなく、“応援したい”と思ってもらえる場所にリブランディングしていくことが大切だと思っています。それが町の尊厳回復につながるし、ここで育つ子どもたちのシビックプライド(地域に対する誇り)を育てることにつながると信じているんです。

町への愛着を持つ人の輪を広げて

山根さんに双葉町に関わる面白さを聞いてみると、シンプルな答えが返ってきました。

山根さん 僕の場合はパートナーが双葉町に帰りたいと言ったから、「じゃあ、双葉町でどう暮らしていくか」ってことをひたすら考えて、今があります。娘たちが生まれて家族が増えたいま、ここでの暮らしが幸せだと胸を張っていえます。

もちろん双葉町を再生したいという想いはありますが、まずは自分たちが幸せであることが一番だし、それが巡り巡って隣の人を幸せにできるのだと思うんです。だから、この町へ来る人には「福島のためになんて言葉は使わなくていい」と伝えています。自分にとっての幸せを追求できる場所として、ここを選んでもらえたら一番なんじゃないかな。

2024年7月13日、双葉駅前広場ではお囃子の笛と太鼓に合わせ、威勢のよい掛け声や子どもたちの元気な声が響き渡りました。昨年から復活した盆踊りは、たくさんの人で賑わい、笑顔で溢れていました。「30年は帰れない」と言われていた双葉町。いま目の前に広がる光景は、山根さんが思い描き続けてきたものです。

自分たちの暮らしが豊かなものであってほしいから、町を守り、交流を楽しみ、地域の文化をつないでいく。シンプルに暮らしを楽しむその先に、この町へ愛着を感じる人の輪が広がっていくのかもしれません。

山根辰洋(やまね・たつひろ)
1985年、東京都八王子市生まれ。東日本大震災をきっかけに、映像クリエイターから転身し復興支援をキャリアに。2013年から双葉町の委嘱職員として参画。2016年9月、結婚を機に双葉町民に。支援者から地域を創る当事者として、人生をかけ地域再生を目指す。2019年11月⼀般社団法⼈双葉郡地域観光研究協会(F-ATRAs)を設⽴。2021年1月には双葉町議会議員選挙当選。観光業を通じた地域再生を目標に日々奮闘している。

(編集・撮影:山中散歩)

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