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1日限りのスペシャルな体験より、日常こそが学び。渡部カンコロンゴ清花さんと自由学園・更科校長の対話から見えてきた、子どもとともにいる大人のあり方とは?

インターナショナルスクールで子どもたちとともにある時期を過ごしたのちに教育現場を離れた私は今、ひょんな縁でまちづくり会社の企画のひとつとして、再び子どもたちや教育に向き合っています。そのなかで、学校に行かない選択をしている子どもたちと関わるようになったり、地域の高校で総合探究の時間にたずさわるようになりました。

そこで目にしたのは、学校へ行かないことに、個人の努力の問題というレッテルを貼ってしまう学校や、自分自身と向き合い、どうありたいのかを考える時間に、できる・できないの評価を持ち込んだり、「定年退職まで勤めるために、キャリアについての学びがある」と言い切ってしまう先生の姿。

教育に変化を起こそうと奮闘する先生や保護者がいる一方、時代に取り残されているような、個の存在を蔑ろにしている現場を目の当たりにし、私はもやもやを消化できませんでした。

そんなときに知ったのが、greenz.jpでも以前に取材した自由学園が主催するオンラインダイアログ「おとなの学び場」。社会の変化が激しく、画一的な正解がなくなりつつある今、先生や保護者といった大人が、ありたい姿や自分なりの答えをさまざまなゲストとともに探究する企画です。

答えのない問いや探求の積み重ねを通して自立型探求力を育むことを大切にしている自由学園は、どう社会の動きをとらえながら子どもたちと向き合い、学校という学びの場をつくっているのだろうか。私たち大人は、どう子どもたちとともにあればいいんだろうか。

そんな問いをもちながら、「おとなの学び場」を視聴しました。

渡部カンコロンゴ清花(わたなべ・かんころんご・さやか)

渡部カンコロンゴ清花(わたなべ・かんころんご・さやか)

NPO法人WELgee 代表
静岡県浜松市出身。日本に来た難民の活躍機会を作り出すNPO法人WELgee 代表。
様々な背景を持つ子ども・若者が出入りする実家で育つ。大学時代はバングラデシュの紛争
地にてNGOの駐在員・国連開発計画(UNDP)インターンとして平和構築プロジェクトに参画し、国家が守らない、守れない人たちの存在を目の当たりにして帰国。2016年に日本に逃れてきた難民の仲間たちとWELgeeを設立。
Forbes 30 under 30のJapan / Asia 選出。日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2022
賞。静岡文化芸術大学卒業、東京大学大学院 総合文化研究科・人間の安全保障プログラム
修士課程修了。トビタテ!留学JAPAN一期。サンデーモーニングコメンテーター
2歳児育児に奮闘中!

平田麻莉(ひらた・まり)

平田麻莉(ひらた・まり)

合同会社MH代表社員(フリーランスPRプランナー)
一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会 代表理事
株式会社アークレブ取締役・共同創業者
慶應SFC在学中にPR会社ビルコムの創業期に参画。ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院への交換留学を経て、
2011年に慶応義塾大学大学院経営管理研究科修了。2017年1月にプロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会設立。「誰もが自律的なキャリアを築ける世の中へ」というビジョンに向けて、新しい働き方のムーブメントづくりと環境整備に情熱を注ぐ。
・日経WOMAN「ウーマン・オプ・ザ・イヤー2020」受賞
・バワーママプロジェクト「ワーママ・オブ・ザ・イヤー2015」
・日本ビジネススクール・ケース・コンペティション(1BCC)発起人、初代実行委員長
・政府検討会の委員・有識者経験多数

更科幸一(さらしな・こういち)

更科幸一(さらしな・こういち)

自由学園女子部(中等科・高等科)校長
1971年、東京の下町の銭湯の息子として生まれ、元気にのびのびとした少年期を過ごす。青年期に入りバスケットボール、バンド、バイク等に没頭しながら、小学生が遅い時間に塾のバックを背負っている姿を見て「日本の教育を変えたい」と志を立てる。自由学園中等科・高等科を卒業後、大学進学を経て、27歳で教員となる。私立高校の教員を経て、2003年、母校である自由学園に着任。2015年4月から男子部(中等科・高等科)校長を経て、2021年4月より現職。旬の社会課題をテーマに扱う、小中学生を対象としたオンライン企画『校長と一緒に学ぼう』が好評を博している。

大人は気づきのきっかけをつくり、生徒に行動をゆだねる

平田さん 渡部さんはWELgee代表として、日本に逃れてきた難民の若者の人生再建を後押しする活動に取り組まれていますよね。難民問題のように複雑な問題であればあるほど、市中の一般人である私たちが声を上げずに、傍観者になってしまうことがあると思うのですが、そのことについて思われることや、教育のなかで伝えたいと考えていることはありますか?

渡部さん 私たちの子ども世代が大人になるときに、今よりもいい日本になっているためには、問題の解決を前に進めようという動きを封じてはいけないと考えています。

問題に対してのスタンスが反対でも賛成でも、議論できる信頼関係を多くのステークホルダーがつくっていかないと、1ミリも問題解決が進まないまま何十年と時間だけが経ってしまう。難民の人たちの中には、日本で生まれ、日本の友達と学校に通っているけど、生まれてこのかた在留資格がないという人もいます。

そうすると、大人になっても自分だけが働けない。難民の問題とは、具体的にこういう人の話だというイメージをもっとみんなで一緒に共有できるようになっていくことが大事なんじゃないかと思っています。

完全なる素晴らしい入管法や難民認定制度を持っている国などなく、どの国でも、難民受け入れ賛成派と反対派の人がいて、一筋縄にはいかないのが難民問題だと話す渡部さん

更科さん 社会全体を見たときに、ある問題について知ってる人と知らない人の間には大きな差があって、知らないということは、それ自体が課題だと思っています。ですが、自分がまったく知らないことであっても、本当にちょっとした時間を使って検索してみるとか、1本の映画を観るだけでも深い理解ができたりする。そうやってさまざまな情報を得ることが、まずは大切なのではと思っています。

自由学園では、これからの社会、世界、地球をどうしていったらいいのかということを若いときから意識し、知ることがとても重要だと考え、平和・人権・環境の3本柱で構成される共生学を行っています。本来は社会において、声の大きい小さいで立場の上下はないはずですが、気づくと社会全体がマジョリティの考えによってつくられていってしまう。
少しでも、小さい声や弱い声に耳を傾けられる人に育つためには、若いときからマイノリティの立場を知り、考え、行動できることが必要なのではと考えています。

平田さん 知るだけじゃなく、アクションまで促しているということですね。

更科さん そうですね。ただ、促すというと、主体的なものがなくなっていくので、知った後の行動は、生徒にゆだねていくことが私たちの役割だと思っています。

私たち大人は、つい子どもに「これを学んでほしい」「こうなってほしい」と期待を押し付けがちですが、さまざまなことを知る機会をつくりつつ、その結果は、子どもたち自身にゆだねていくという更科校長の言葉にはっとさせられました

目の前の子に何がハマるのか、その子が何に気づくかはわからない

平田さん マイノリティの立場を知り、アクションすることが大切という話が出てきましたが、渡部さんが難民問題に関心を持つきっかけはあったんでしょうか。

渡部さん きっかけ、というところに思いを馳せると、大きなひとつのきっかけだけで人間はできていないなと感じています。いくつもの出来事から分岐し、複雑で多様な点と点がつながって、思想や感じ方、スタンスのようなものが形成されるし、それは大人になっても更新され続けていくものですよね。

とはいえそのなかでも、私にとって大きな点だったと思うのが、大学生のときに2年間休学をして、バングラデシュの先住民族の村に滞在していたことです。

滞在先のバングラデシュでの一枚

渡部さん 夏休みのフィールドワークに他のゼミ生と一緒に首都のダッカまで行くことになったんですが、せっかく違う国に行けるなら、その国のマイノリティに出会いたいと思ってゼミの後に、1人で行ったのが、バングラデシュに暮らす先住民族の人たちの地域でした。その方たちは、国家権力側からの弾圧によって土地を奪われ、家族や友人をなくし、多くがもともと住んでいたところと違う場所で生きることになっていました。

戦争って、毎日爆弾が降ってくるだけじゃないんですよね。 一見平和そうに見えるのどかな光景が広がっているなかで、いきなり衝突が勃発して軍人じゃない人が命を落としたり、緊急事態宣言が出たり、治安維持令が出たり、交通規制がかかったり。そういうなかで、大人たちは怒りの中でも「こういうものだから」という無力感と諦めのなかにいたけれど、現地の若者たちは諦めていなかった。

その方たちの現状をもっと知りたいと現地のNGO駐在員と国連開発計画のインターンとして異なる立場で留まることになった2年間の経験が、国家権力がその国民を守らないどころかその命を脅かす構造のあるなかで、誰が何をできるんだろうと考える意識につながったと思います。

先住民族の村が焼き討ちにあったとき、国連が支援の手を差し伸べることは内政干渉になると言われ、葛藤を抱えたこともあったそう

平田さん 「その国のマイノリティに出会いたいと思った」という言葉がありましたが、マイノリティの方へ「思いを馳せる 」きっかけとなるような、ご自身の体験があったんでしょうか。

渡部さん きっかけのひとつは、実家がNPOだったことです。国際協力の関連ではなく、地域の中で学校に行けない子たちや家庭にいられない子たちに関わるNPOで、そういう子どもたちが常に家に出入りしていて、一緒に過ごす幼少期でした。

いま振り返ると、大人が測る良い悪いのものさしから取りこぼされたりする若者たちにたまたま出会えたことは、もしかしたら大きなきっかけだったのではと思います。

実家の環境は、自分にとっては普通のことになっていたけれど、大人になってから、特殊な環境にいたんだねと度々言われる中で、自分のルーツになっていると気づいたと言います

更科さん 今日のテーマの痛みに寄り添うというのに立ちもどると、やっぱり想像力というのは、すごく大きな力じゃないかと思っています。だから渡部さんのように、体験を通じて他者に思いを寄せていけるのは、とても大きなことだろうなと。

やっぱり、知ることはすごく大事なことで、他者の痛みを知っていること、もっと言うと体験することが大きな学びなんじゃないかと思いました。

平田さん 想像する、思いを馳せるという共感力はすごく大事だなと思う一方で、渡部さんのような家庭環境が身近にある人はそう多くないと思います。そんななかでも、想像力や共感力を育むには、どうしたらいいんでしょうか。

渡部さん いろんな立場の人にたまたま会える状況にいた当時は、「これはすごい学びだ」とか、「多様性の中にいるぞ」とか思ってないんですよね。「ただいまーと帰ったときに、お帰りって言ってるこのおじさん誰だろう?」みたいなことがあったり、「この子、家に帰んないな?」と思ってたら、その子がなぜかうちにしばらく泊まるようになってたということがあったり。

その積み重ねは、大人になって何かしらの枠組みを当てはめて考えようと思えば、インクルーシブとか、SDGsとか、多様性とか、斜めの関係とか、いくらでも言えるんですが、そのときの自分にとって特別ではなかった環境の意味に気がつけるまでには、時差がある。

原体験は何ですかってよく聞かれますが、強烈な原体験なんてなくてもいいし、それを求めなくてもいいと思っています。いじめの問題に取り組みますと言っている人に、じゃあいじめてた当事者ですか?いじめられた人ですか?あなたの原体験なんですね!?なんて言っていたら、誰も社会課題に対して立ち上がれなくなる。

それよりも、知識とか身近な誰かの言葉とか、ニュースで誰かが話していた言葉とか、「これは自分にとって大事だ」みたいなものが、ふとつながる瞬間が重要だと思っています。でも、その1歩目がいつ来るかは、あけてみてのお楽しみで、その場では断定できない。

そういう意味では、教育はやっぱり時間もかかると思います。しかも、「これを学んでほしい」「こうなってほしい」という親とか周りの期待やプレッシャーがあっても、その子になにがハマるかはわからない。うまくプログラム化されていなくても、価値が提供されていなくても、10年後20年後に「あんな瞬間もあった」と思える経験とか体験にたくさん触れられるかが鍵になると思っています。

ただ、それを親だけにゆだねてしまうには限界があるので、そういう環境におたがいに連れて行けるような機会や仕組みを地域のなかでつくれたらいいなと、最近は考えています。

渡部さん自身も一児の母として、子どもとともにあることを模索している

平田さん いわゆるドラマチックなエピソードや原体験ではなくても、実は身の回りにいろんな問題があって、そのときはわからなくても、それが後々自分の中での大きな問題意識や、何かの行動のきっかけになるかもしれないということですね。

期待せず、誘導せず、ただ日常をつくっていく

更科さん 知るということと同時に、一度勇気を持って、自分から少しでも情報を取りに行って行動するということは、その後の生き方につながる大きなきっかけになるんじゃないかと思っています。「人に優しくしなさい」とか「困ってる人がいたら手を差し伸べなさい」と大人が言っても、子どもたちは「はいはい、そうですね」と思って終わりになりがちですよね。

安全な場所をコンフォートゾーンといいますが、そこから飛び出ていくことが重要じゃないかと思っています。これは大人でも子どもでも一緒だと思うんですが、「あ、これって何か自分の琴線に触れてるな」という体験を重ねていくと、だんだん的に近づいていく。そういった体験を続けていくことが、すごく大事だなと。

やっぱり100の言葉より、1回の実践をするというのは、大人としてもすごく大切。「やらない善よりやる偽善」なんてよく言いますけど、それでもいいから一度やってみると、それを体験した大人を通じて、何かしらの変化が若い世代にも伝わっていくことはあるんじゃないかと思っています。

コロナ禍でホームレス状態に陥った方が大勢いる状況に対して、何かできないかと更科校長を中心に保護者の方に呼びかけて行動したところ、こども食堂を立ち上げるなど個人で活動を始める方が出てきたそう

平田さん 親である私たち自身も、アクションしないといけないということですね。

渡部さん 子どもたちの日常の中に、私たち大人が小さなアクションをする姿や、変化したりする気づきの瞬間がどう入ってくるかが大切なんじゃないかと、自分を振り返ってみて思いました。

年に一度の記念日みたいに、気合の入った素晴らしい舞台の鑑賞会などをつくって、お金も時間もリソースも割いて子どもを連れていくことだけではなく、子どもにとってはなおさら日常がすべて。繰り返し起きてやってくる日常の中に、ちょっとずつでいいから小さな気づきが入っていることが重要なんじゃないかと。だから、やっぱり日々触れているという意味で、教育は子どもたちにとって大きな部分を占めるんじゃないかと思います。

もちろん、すごく衝撃的なたったひとつの体験が、その人の生き方につながることもあります。でも、何かを見ていくときの視点や視座は、日常の中でどういう枠組みでものを見るように学んだのかということや、繰り返し物事の大切さを伝えてくれた身近な人の存在が、大きく影響していると思うんです。

地味なようで、日常の中にそういった気づきが小さくてもあり続けたり、気づかせ続けてくれる大人や他者がひとりでもいたら、孤独には陥らない。絶好調のときに報告しに行くのではなく、絶不調のときに会いに行けたり、話に行けたりする日常性の中に、共感やエンパシーを埋め込んでいけると、子どもにとってはすごく大きな学びになるんだろうと思いました。

個と向き合う経験をみんなでシェアしていく

更科さん たとえば不登校は、個の問題にされがちですが、それを学校システムの問題と捉えた瞬間に解決できることは、結構あるだろうなと思っています。個の問題にせず、システムの課題として見ていく力がどうやって育まれるのか、ご意見を教えてください。

渡部さん システムに最初から自分で気づくのはすごく難しいし、やはり学びの中で成長して、その過程で様々なイシューが絡む構造そのものにに気づいていくんじゃないかと思います。とことん目の前の事象に向き合って、痛みや悩み、葛藤に直面したことがないと、システムに目を向けるまでのエネルギーが足りず、関心をつなげにくい。

貧困でも、移民難民問題でも、ジェンダーの問題に関しても、システムの話だけをしていると、なかなか共感には至れないと思います。個を知らないでシステムに向き合ったとき、そこには行き着く限界があると思うので、個を知る機会を感受性豊かなときに、どこまで増やせるのか。その土台があることで、それをシステムまで落とし込める大人になっていくのではと感じています。大人になるにつれて、嫌でも構造に向き合わざるを得なくなるから。

渡部さん自身が、個人として難民の方と出会い、友人として関係性を築いてきたことが、今のWELgeeの活動につながっているそう

平田さん マクロな視点とミクロな視点を行き来することが大事だというお話だと思うんですが、自由学園だと、学生の頃からシステムをつくる側の経験もされますよね。自治を掲げていらっしゃって、校則や学校行事の企画なども生徒さんがつくっていく。

更科さん 今、一部の生徒たちは、路上生活の方々におにぎりをつくって配る活動に毎月取り組んでいます。その個の体験の積み重ねというのは、きっとこれから先、「何でこんなことが起こるんだろう?」というシステムへの問いにいずれ変わっていくでしょうし、彼らが別の社会課題に目を向ける力も合わせてついていくのではと見ています。

先ほどの渡部さんの話にあったとおり、どの体験がどこに引っかかるかわからないので、学校はさまざまなところにきっかけを用意したいと思ってます。

今では、生徒たちだけでお米を炊いておにぎりを配布する工程のすべてを担っているそう

 
渡部さん あらためて振り返ったとき、今の自分にいたるきっかけは、ひとつじゃないなと実感しました。そのきっかけ一つ一つをつくっていくことは、本人の主体性と同時に、環境も大きな影響を持つのではないでしょうか。でも、親も自分だけではつくりきれない環境があると思うので、それぞれの大人が「自分はこういう場所を知ってるから、来てみる?」とか、「一緒に行ってみよう」みたいに経験をシェアして、みんなで子どもを育てる延長に教育を位置づけていけるといいなと思いました。

更科さん 今日の機会を通じてあらためて、ここにいらっしゃるみなさまと自分の頭で考えてよく行動する大人でありたいなと強く思いました。

(イベントここまで)

日常をつくるということは、覚悟をもつこと

日常こそが学びであるという言葉には、日々の尊さを感じさせられるとともに、子どもとともにある大人として、覚悟を問われているようなドキッとする緊張感を味わいました。

親や先生の立場になると、つい良かれと思って、「子どもにこうなってほしい」「こういうことを学んでほしい」とたくさんの期待を抱え、勝手なゴールを設定してしまいがちです。
でも、はたして私自身が、そんな期待に適う大人でいられているのだろうか?自分が大切だと思っていること、体現したい世界を模索している姿を子どもたちに見せられているのだろうか?私自身が、「気づき」となれているのだろうか?と、省みる瞬間でした。

自分は自分として、子どもとともにあるしかない。それと同時に、自分自身が「こうありたい」と思う姿であること、そのために変化し続けること。だからこその嘘をつけない難しさに、思いをめぐらせました。

今回の学び場では、「人のため、社会貢献のためと社会に関心を寄せて行動する大切さは理解しつつも、子どもには安定した生活を望んでしまいます」というコメントを寄せた視聴者の方もいらっしゃいました。

でも今の時代、どんな有名企業に勤めても、将来的に会社がどうなるかわからず、組織に依存することが果たしてしあわせなことなのかどうかもわかりません。だからこそ、自分がどう生きたいのか、どんな社会に生きていて、どんな課題と向き合っていく必要があるのかを問い続けることが、大人である私たちにとっても、これからの時代を生きていくために必須なのかもしれないとも思います。

私たち大人にできることは、自分自身を問い、変化し続けながら、子どもとともにあること。それくらいしかないのかもしれません。

(編集:福井尚子)

– INFORMATION –

イベント情報

◯次回おとなの学び場
9/25(月)20:00~21:00
テーマ:自ら「勉強」し続ける子どもを育てるには?
ゲスト:岩田かおり
申込:https://manabiba0925.peatix.com/view

◯校内イベント
9/9(土),10(日)「校長と一緒に学ぼう」
9/16(土),17(日) 「野の花祭•黎明祭」
9/30(土)「学校説明会」
申込:
•中等科
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•高等科
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