海と山にはさまれたまち、神戸市垂水区塩屋町。
駅から歩くこと約5分、小さな川を越えると、2年前にオープンした古着のチャリティショップ「シオヤコレクション(以下、シオコレ)」があります。
10坪というコンパクトなスペースには、カラフルでポップな古着や雑貨がたくさん。店内では定期的に地元アーティスト作品の展示があり、1dayショップができるシェアキッチンも併設されています。
チャリティショップという言葉は、日本ではあまり馴染みがありませんが、欧米ではスタンダードなお店。「地域の方から寄付してもらった不用品を販売し、売上の一部を地元の何らかの支援事業へ寄付する」という仕組みで、イギリスでは5,000人に1軒の割合であり、行政からの家賃補助など公的支援も整備されています。
シオコレは、塩屋で里親支援の活動をしている「NPO法人Giving Tree」と、知的障害のある人を含む神戸のアーティスト集団「音遊びの会」の2団体に資金支援をしています。どちらも活動拠点が近く、お互いの活動が見える団体です。
チャリティ文化の浅い日本において、なぜチャリティショップを始めようと思ったのでしょうか。代表の澤井まり(さわい・まり)さんと、運営メンバーでデザインを担当するmanna(まんな)さんに伺いました。
チャリティショップ「シオヤコレクション」代表。2013年に京都から塩屋に移住し、自宅を夫婦でDIY改築。自家発電や薪を使い、畑で作物を育てるなど、できるだけ自給する暮らしをする。2021年5月に塩屋駅前にチャリティ古着ショップ「シオヤコレクション」をオープン。ブラスバンド「三田村管打団?」メンバー。
イラストレーター、グラフィックデザイナー、シオヤコレクション運営メンバーとして、デザイン全般を担当。ロゴマーク、チラシ等印刷物の作成や、店内レイアウト、ギャラリー時の搬入搬出や、服のディスプレイ、SNSでの情報発信なども行う。
自給する暮らしの中で“お金”に向き合う
シオコレがある塩屋は、駅前の細い商店街を歩くと地元の人が自然と話しかけてくれるような、昔ながらの人のつながりが残っているまちです。近年は移住者が増え、アーティストも多く住んでいます。
京都に住んでいた澤井さんが塩屋に引越したのは、ちょうど10年前。東日本大震災をきっかけに、インフラから自立した暮らし方を模索している頃でした。
澤井さん 3.11をきっかけに、自分の生活を変えようと思い、夫婦で一旦無職になり、太陽光で自家発電に挑戦するなど、インフラを含め自立できる方法を探し悶々としていたんです。ある時、大家さんの都合で家を出なくてはならなくなって。新たな家を探していたら、塩屋に住むバンド仲間の森本アリくんが、空き家を紹介してくれて、京都から塩屋に引っ越してきたんです。
当時はまだ移住者が少なかったこともあり、夫の秀和(ひでかず)さんに漁師の手伝いの仕事を紹介してくれるなど、地元の人がとても気にかけてくれたそう。自分たちで自宅を改修し、生活に薪をつかい、畑で作物を育て収穫する暮らしを始めます。
そんなクリエイティブな暮らしをきっかけに、仲間の輪が広がっていったという澤井さん。作物が余れば分け合う生活に豊かさを感じる一方、お金の価値について改めて考えることに。
澤井さん 自給する暮らしをしてみて、結局お金はとても必要だったんです。得難いものとして、逆に価値が上がってしまった。おそらく私たちが死ぬまでに資本主義のシステムはなくならないと思うんですが、そこで生きている人たちの存在があって生きていけていることを、より実感せざるを得ませんでした。生かされてるなあって。
この生活はいろいろな人が手伝いにきてくれるんですが、畑は他の経済活動より優先されることはなくて、薪を使った生活も私の後を追う人はいませんでした。暮らし方の提案をしたいのに、すごくハードルの高いことをしているんだと、自分がやっていることの効率の悪さを感じました。
生きていくことは大変なことで、どんな人でも死ぬまでお金が要り、お金を持つことが最優先になる。そんな社会で、自分も含めて苦労する人のなんと多いこと。「自分が納得できる稼ぎ方は、他の人にとっても需要があるはず」って思ったんです。
私が等身大でできることだと思った
澤井さん 私、許せないことと苦手なことがすごく多いんです。毎日同じ電車に乗るのも、遠くに行くのもいやで、食品を捨てるのも無理。自分がしんどいと思うところにいたくない、いい関係のところで働きたい、という気持ちがありました。
働き方を模索していた澤井さんは、シオヤコレクションを始める直前、ステンドグラス作家の森本康代(もりもと・みちよ)さんのアシスタントをすることがありました。森本さんは、取り壊しの危機に瀕していた塩屋の「旧グッゲンハイム邸」を購入、現在は息子の森本アリさんが管理・維持し、まちの拠点として活用しています。康代さんと接する中で、お金の使い方しだいで世の中は変わっていくことを改めて確認したといいます。
澤井さん 客として通っていたチャリティショップ「フリーヘルプ」にどんどん惹かれていったんです。チャリティ文化の浅い日本で、店の収入を得ながら、まとまった金額を寄付金として支援先に送っている。「こんな素晴らしいことは広がった方がいい!」と思いました。
ものは余って捨てられている時代だから、新しいものを生み出すことはしたくない。フリーヘルプさんを見て、「これは私が等身大でできることなのかも」と思いました。とはいっても、洋服も商売もやったことがないからなかなか踏み出せなくて。しばらくは思いをあたためていました。
その後、友だちに「同じ思いの子がいる」と紹介されたのが、塩屋在住の田中若菜(たなか・わかな)さん。知り合ってからの展開は早く、2人でチャレンジショップをしたり、開業に関するセミナーに行ったり、具体的に突き進んでいきました。
チャレンジショップを機に仲間が増え、常設してほしいとの声も寄せられ、2人でテナントを探し始めます。衣類の保管場所や幅広いターゲットを想定し、当初は広いスペースを探していましたが、最終的にはチャレンジショップの開催場所でお店を開くことになりました。
澤井さん オーナーさんから「コミュニティスペースのような形で店舗を活用したい」という考えを聞いたんです。長年まちづくりに携わっていて、私たちの思いに共感してくれる方で、そんな方ってなかなかいない。狭くても工夫次第で服屋とコミュニティスペースを両立できると思い、借りることになりました。
「シオコレっぽい」運営方法を試行錯誤
オープンへ向け、Mannaさんのデザインの力も借りながら動き始めました。
澤井さん夫婦とMannaさんで店舗の内装を考え、壁の塗装など、できる部分は自分たちで手づくりしました。小さなスペースをフレキシブルに使うため、ラックなどの備品は可動式に。
フリーヘルプの代表に運営のエッセンスを教えてもらい、2021年5月、ついにシオコレをスタート。しかし、オープンから1年半ほどは、記憶がないほど慌ただしかったそう。
澤井さん 開店して1ヶ月で、一緒に店を立ち上げた若菜ちゃんが出産と介護で1ミリも動けなくなって、私一人になったんです。お洋服のことだけで精一杯やから、人に仕事をお願いすることもできない、“マネジメント”なんて考えすらもない。店の収入も安定せずお給料も払えないので誰も雇えない。全部抱えてしまいました。
澤井さん どうしても店番ができない日やチラシづくりなど、必要最小限のところを友達やMannaちゃんにお願いしながら、1年半ほどを150%の力で走ったら、体調を崩してしまって。一度心が折れました。
澤井さんはその後、「チームでやっていきたい」と友人たちに相談。シオコレの思いに共感したメンバーが加わり、今は5人で運営しています。もちろん、Mannaさんもその一人。
Mannaさん もともとは会社勤めをしていたので、ガッツリは関われていなかったんです。でも、スタートの時から知っているシオコレへの愛着はすごくあって、ボランティアでもいいから関わっていこうと思っていました。
昨年フリーランスになったタイミングで、まりさんに声をかけられて「やるしかない」って。今は、イラストレーターやグラフィックデザイナーを本業に、他のお仕事もしながらここで働いています。
5人になったことでお店の雰囲気も変わり、売り上げも少しずつ伸びてきたといいます。例えば、最初は幅広い年齢層に合わせた洋服を置いていましたが、ここは立地的に駅から近くても、わざわざ通る人が少ない場所。ここを目掛けてきてもらえるよう、個性を立たせていこうと話していく中で、今のような品揃えになりました。
澤井さん 「チャリティ」って、日本ではバザーみたいなイメージがあるんですが、それはいやなんです。同情に訴えて買ってもらうのや、ダサいのはいや。売る努力はしたいってずっと思っていて。日々トライアンドエラーで探っています。
メンバーの間では、服のテイストや運営に関して「シオコレっぽいかどうか」の感覚を共有できているそう。運営のあり方を相談していく中で、時には思い切った判断をすることも。
澤井さん 私は冬が苦手で、寒いときは体力維持だけで精一杯なんです。1年目は無理して店を開けたらえらいことになったから「極寒の時は南の島へ野良仕事しに逃げよう」って結論になったんですね。だから今年はメンバーに「2月はお店を閉めたい。もし誰か開けるんやったら開けてもらっても…」と話したら、全員冬が苦手だったんです(笑) それで、2月は1ヶ月間店を閉めました。
そうしたら、3月にはみんな楽しみに待っていてくれて。春で購買意欲も上がっていたのか、たくさんの人が来てくれました。2月に店をクローズするのは毎年恒例になると思います。私たちは、頑張れる時に頑張ろうって話してるんです。
人に頼って生きていくことを、ちゃんと覚悟する
古着屋さんでありながら、ギャラリーであり、コミュニティスペースでもある空間。コーヒー屋さんやお弁当屋さんの1dayショップ目当てに人が集まる日もあれば、子どもがトイレを借りにきたり、偶然出会った地元住民と町外からのお客さんの会話が始まったりという光景も生まれています。
「お店ができる前からたくさんの人が関わり続けているのって、すごいですね」。
思わず口を出た私の率直な感想に、澤井さんは「それがシオコレの一番の強みです」と語ります。
澤井さん 私一人ではできないことがわかっているんです。苦手なことが多いのは、そういう意味ではプラスに転じると思っています。できないから、人に頼ることを厭わない。恥ずかしいことだとは思わない。頼って生きていくことをちゃんと覚悟しています。
塩屋では、2007年にまちの面白さを発見・発信する「シオヤプロジェクト」が立ち上がり、さまざまな人がまちの中にタネをまいています。放っていたらおそらく過疎化していく一方だったまちに、さまざまな人が来るようになり、まちをみんなでつくっている雰囲気があるそう。
澤井さん まちに余白がいっぱいあるんです。まだ、ここにないものがたくさんあるから、できることもどんどんでてくる。みんな「塩屋のまちはなんて伸びしろがあるんだ!」と気付いていて、各々がまちをデザインしている感じです。
私たちも、シオコレだけでは完結せず、まち全体がよくなっていった方がいいし、いろんな人に、まちに関わってもらいたいと思っています。お互いをいかしあえる関係でやっていきたいですね。
自分にできることを、一つずつ
今後は団体の法人化も考えているそう。ただ、店の売り上げが軌道に乗ることが、シオコレを始める前から感じている社会への違和感を解決するとは思っていないと、澤井さんは語ります。
澤井さん チャリティショップという新しいものを生まないやり方は、大量生産消費社会へのささやかな抵抗だとは思うんです。でも、それで何かを解決できるとは思っていません。“先に進んでいる”くらいの感覚。みんな矛盾を抱えて生きてるんだから、自分なりの答えや落とし所を見つけるくらいかな、と。
だけど、もっと効率的でスマートなやり方は探っていきたいです。お金を悪者にしないで、ちゃんとしたお金の使い方をしたら世の中は変わると思っています。
最近では「チャリティショップを始めたい」という人が直接話を聞きにくることもあり、少しずつチャリティショップが文化として浸透していると感じています。
Mannaさん 以前は私自身が塩屋で暮らしながら、仕事では外に出ていました。でも、チャリティショップがロールモデルになっていくと、まちの中で仕事が生まれ、経済が回せるということを実感できるんじゃないかと思っています。
やりたい人があとに続いていけるように。自分たちがやりたいことを自由にできるように。シオコレはこれからも、自分たちに合う方法を探していきます。
澤井さん 自給する暮らしを始めた時、後に続く人がいなくて悔しさを感じることもありました。でも今も、薪を使う生活や畑、季節のしごとを続けて大切にしながら、シオコレがあります。自分ではずっと同じことをしていると思っているんです。「何かを変えたい」と思って、自分ができることを一つずつ実行しています。
暮らし方も、チャリティショップを始めたことも、澤井さんの生き方の軸にあるもの。澤井さんの自然体な言葉には、大切にしたいことを一つひとつ積み重ねて培った、自分への信頼感を感じます。
たくさんの価値観や情報に触れることができる現代。私たちは、一人ひとりが「どうありたいか」を考える時間も増えているのではないでしょうか。筆者自身、どう暮らし、何を大切にしたいかを探している真っ只中です。
澤井さんが言うように、一気に何かを変えられるような近道はないということ。「あーかな、こーかな」と迷いながらも、大切に思うことを一つずつ選び続けていった先に「自分なりの答え」が見つけられるということを、取材を通して感じました。
あなたもぜひシオコレへ、澤井さんに会いに行ってみてください。等身大の自分でいられる方向へ、一歩を踏み出すヒントに出会えるかもしれません。
<撮影:山下雄登>
<編集:村崎恭子>