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この100年で、私たちが失ったものって何だろう? 自然とともにある暮らしを撮り続ける「民映研」に聞く、日本人の根底にある豊かさ

こちらは、このたび編集長に就任した増村江利子の企画・編集・執筆により2016年8月30日に公開した記事を、アップデートしてお届けするものです。

みなさんは、たとえば100年前に私たち日本人がどんな暮らしをしていたか、知っていますか?

1900年頃というのは、明治時代の中頃。日本は、農業中心の国から工業中心の国へと変わろうとしていた時代です。東京の銀座や丸の内には煉瓦街ができ、日本で初めてのエレベーター付きのビルや公衆電話ができたのもこの頃でした。

一方で、都市部においても電気やガス、水道などはまだ家庭に届いておらず、水は井戸から汲み、食事は薪や炭を燃やしてつくり、油をつかった行燈(あんどん)で明かりをつけていました。里山では、斧などの道具で木を切り倒して家をつくっては、川から水を引き込み、火をおこして暖をとって、山や川からとれる食べ物でつつましく暮らしていたのでした。

たった100年の間に、劇的に変わったともいえる、私たち日本人の暮らし。その過程で失われてしまったものの中に、未来をつくるためのヒントがあるような気がしてなりません。

そこで今回は、自然とともに生きる人々の暮らしを撮り続ける「民族文化映像研究所」(以後、民映研)の番頭をつとめる箒有寛(ほうき・ありひろ)さんに、その失われてしまったものについて聞き、現在・未来の私たちの暮らしに役立つヒントを探ることにしました。

『奥会津の木地師』に映されていた、生きることのリアル

この日本列島には、長い時間の中で培われた、自然との深い共生の暮らしがあります。その私たちの根底にある暮らしの在りようを“基層(きそう)文化”と捉え、庶民の暮らしをありのままに映像に残す活動をしているのが、「民映研」です。

今から40年ほど前、所長・姫田忠義(ひめだ・ただよし、故人)、カメラマン・伊藤碩男(いとう・みつお)、事務局長・小泉修吉(こいずみ・しゅうきち、故人)の3人によって立ち上げられました。
 

民映研に30年ほど関わり、撮影にも立ち会うという箒さん

箒さん 姫田と伊藤は、宮本常一(みやもと・つねいち)という民俗学者に師事していたんです。宮本先生に、今撮っておかないといけないものがたくさんあるから、君たちは映像を撮りなさいと言われたのが、そもそもの始まりと聞いています。

これまでの40年にわたる活動で映像として記録されたのは、16mmフィルム作品が119本、それ以外にもビデオ作品が150本。そして16mmフィルム作品の119本のうち、117本をDVD化して貸し出しをしています。

まずは、代表作のひとつである奥会津の木地師(1976年作品)を紹介しましょう。

日本には、昭和初期まで定住せず、移動性の暮らしをする人がたくさんいました。山から山へ移動して椀(わん)などをつくって暮らす“木地師(きじし)”もそうでした。

この『奥会津の木地師』は40年前に撮影されたものですが、その内容は、撮影当時からさらに50年ほど前の暮らしと技術を再現したもの。つまり、今から90年ほど前の暮らしぶりが、ありありと映っているのです。

福島県・奥会津の山間地で、木地師であることをやめてしまった末裔たちが、かつてそうしていたように簡素な小屋をつくり、谷から水をひき、住まいが整うと山の神をまつって、椀をつくるためのシンプルな道具をつくり始めます。

そして道具が完成すると、斧1本で倒したブナの木に切り込みを入れて、お椀の原型となる型をつくり、女性たちがそれを小屋へと運び、男性たちは座って足で椀を押さえ、信じられないような鍛錬された技で椀を彫り、さらには手引きロクロで仕上げていきます。

人の力で回される手引きロクロは、奈良時代に大陸から導入されたもの。既に移動性の暮らしをやめて、手引きロクロの作業もしなくなって50年ほど過ぎていたにも関わらず、彼らの身体には、1000年を越す技術の伝統が息づいていたのでした。

映像におさめられているのは、残念ながら今はもう誰も真似できないであろう暮らしの技術と、生々しい当時の表情や息づかい。観る人の心を捉えてやまない、有無を言わせぬ生きることのリアルでした。

主義主張のないドキュメンタリー

これまでに撮影をした作品のうち、自主制作は十数本で、それ以外は地域の暮らしやお祭りなどを記録するために予算がついた委嘱作品です。

箒さん 何か事象があって、それを伝える映像を“ドキュメンタリー”といいますが、現在のドキュメンタリーは、作品に何かしらの主義主張があるんです。

例えば、3.11の後に反原発を訴えるドキュメンタリー映像が公開される。民映研の作品には、じつは主義主張がまったくありません。だから逆に、観終わると「一体何だったんだ?」と疑問が残る。一緒に観た人と気づいたことをシェアし合わないと完結しないんです。

民映研の活動が始まる40年前は、カラーテレビも多少出回っていたけれど、一般家庭には白黒テレビが置かれていた時代。当時は、観たことがないものを自宅で観ることができるというだけでドキュメンタリーでした。

たとえばアフリカ大陸に行って、歩いている象を撮ってくるだけでドキュメンタリーだったのに、今となっては、象が密猟されているとか、象という事象に、何かもうひとつないとドキュメンタリーとはいえない。これは、ある意味で、ドキュメンタリーが撮る人の主義主張を伝えるための道具になってしまったとも言えるかもしれない、と箒さんは指摘します。

箒さん 民映研の映像は、あくまで“素材”です。気づきをシェアしたり、自分が気づかなかったことを人からシェアされることで、観終わったあとの言葉にできない疑問が深い問いになって、問いに対する答えが少しずつ見えていきます。

いや、答えなんて簡単に見つからないかもしれない。その人にとっての大切な問いとなって、その問いをたずさえて生きていくことになるのかもしれません。

高度成長を経て、失われてしまったもの

先ほど紹介した『奥会津の木地師』のほかに、もうひとつ作品を紹介しておきましょう。こちらも代表作のひとつである、アイヌの自然観、生命観が凝縮したイヨマンテ〜熊おくり(1977年作品)。
 

「イヨマンテ」とは、熊の魂を神の国へ送り返すまつりのこと。アイヌの人々にとって、熊は重要な狩猟対象であるとともに、神そのものであり、親しみと畏敬の対象でもありました。

熊を狩る際、子熊は集落に連れ帰り、最初は人間の子どもと同じように家の中で育て、やがて大きくなると檻に移し、上等な食事で1〜2年ほど育ててから、集落をあげての儀礼として、熊を屠殺し、その肉を人々に振る舞います。

その儀式には、アイヌ文化として長く続いてきた命の循環と尊厳があるものの、1955年には野蛮な儀式として北海道知事から事実上禁止の通達があり、さらに2007年には通達が撤回されるという歴史もあります。
 

箒さん イヨマンテもそうですが、神事として、猪とかキジの頭を飾ったりしますよね。以前は公開されていましたけど、現在は批判も多く、そうした世の中の風潮というものもあって、神社を支える地域の住民でさえも見ることができないというのが現実です。そういったことで、古くから存在する文化が消えていくわけです。

本取材を行う数年前(2014年)、東京・代々木公園周辺でデング熱が発症し、感染源である蚊を退治するために殺虫剤が散布されました。

箒さん そりゃデング熱は怖いですよ。でも、蚊だけをピンポイントに退治するなんて技術は、まだ私たち人間は持ち合わせていないわけです。もちろん苦渋の決断があったとは思いますが、殺虫剤をつかったことで、少なからず生態系が狂ってしまったのではないかと思います。

明治神宮は人工の森だけど、100年かけてつくられた天然林でもある。世界的にみても素晴らしい事例なんだけど、一瞬のデング熱という事象への対処のために、効率的な選択してしまう。見方にもよるけど、広い、そして長い視点でみると、浅はかだと思いますよ。

イヨマンテにしても、デング熱への対応にしても、「その事象における部分しか見ていない、全体を見ていないのではないか」と箒さんは言います。何かに対処をするには、部分へアプローチをすることになります。でももしかすると、そのアプローチは、合理的ではあっても全体でみると好ましくない手段であるケースが多いのかもしれません。

もうひとつ例を挙げると、私が暮らしている長野県・諏訪地方には、1200年ほど前から行われている、7年に一度の「御柱祭」という儀式がありますが、山の大木を切り倒して運び、その木を諏訪大社の柱として建てるという工程のなかで、毎回のように生死に関わる事故があるのも事実です。

つい先日、危険なのにどうして御柱祭を続けるのかと、中止を求める申し立てがあり、これを最高裁は棄却しました。人の命ほど大切なものはないけれど、例えば巨木を扱うと危ないからといって、プラスチック製のもので代用したら、縄文時代から続いてきた精神性は失われてしまうのではないか。

動物、植物、あらゆる生きものが地球の上に生きているけれど、人間だけが人間のつくった経済や合理性の上に生きていて、高度に複雑化して、個人がさまざまな権利を主張し合うことで、全体が見えにくくなってしまっている。そう考えることもできるのではないでしょうか。

大切にしたい“豊かさ”って何だろう?

見えにくくなってしまっている全体性にこそ、豊かさがあるのではないか。民映研の映像には、失われてしまった豊かさが、どの作品にもありのままに映されていると箒さんは話します。
 

箒さん 映像を観終わって、豊かな世界だったね、とみんな言うんです。それと同時に、でもやっぱりあの暮らしはつらい、冬は寒いなどと考えたりもする。それはつまり、豊かさとは楽なことだと思っているわけです。

豊かさって、大変だとか寒いといったマイナスの要素と、達成感や美味しいといったプラスの要素のバランスがとれた状態のこと。つらいけど頑張るから、楽しくなるんです。

便利さはコンビニエンスストアで手に入るけど、そこには苦労がないから、豊かではない。逆に言うと、豊かな暮らしをしているからつらさはゼロなんてことは、ないということです。

箒さん 私たちは、自然というか“野生”と分離しすぎましたね。みんな“個”の世界で生きている。もっと複雑に、たくさんの恩恵を受けていて、個では生きられないはずなんです。

以前はその恩恵と向き合って、全体性のなかで生きていた。そうした誰もが持っていたはずの、私たちの根底にあるものは何なのかを問い続けることが、今、必要だと思います。

ダムの底に沈んでしまう村の全戸を記録に残した「山に生かされた日々」。映像とともに本も出版した

もうひとつ、私たちは安易に“日本人”という括りかたをしてしまいますが、日本人という言葉はややこしい、と箒さんは指摘します。

箒さん アイヌ人もいれば、琉球民族もいる。アイヌ人は日本人ではないんだよね。彼らはさんざん差別をされてきた歴史があって、アイヌ人ですと胸を張って生きている人もいれば、隠して生きている人もいる。

国連は、沖縄に暮らす人々は先住民であると認定しているけど、日本政府は認めていない。連綿とつながっているのに、歴史上は切り離されてしまった。だから僕らは日本人という言葉はつかわないんです。

問いをたずさえて生きる

撮影は、東京・南青山で箒さんが運営する古民家サロン「Holistic Place ShuHALLI シュハリ」にて。部分ではなく全体を表す “ホリスティック”という言葉を選んだのは、少なからず民俗学者・宮本常一の影響を受けていると言います

箒さん これは宮本常一の教えなんですが、どこかに足を運んだら、その部落が見渡せるところにまず行きなさい、と。そうすると鎮守の森があるとか、地形がどうなっているとか、いろんなことが分かってくる。そして旅館に泊まらずに、村人の家に泊まらせてもらう。公民館でもいい。撮影のために行って、すぐ帰るというやり方では、僕らの仕事は成立しないんです。

民映研の作品は、マニアックのように見えるかもしれないけど、じつは部分ではなくて全体の話。ある作品では丸木舟ができ上がるし、ある作品ではアイヌ人の暮らしぶりが見えたりするけれども、どの作品を観ても、そこには自然とともに暮らす豊かさが映されているのです。

箒さん これはどういうことなんだろう、という「問い」に出会えるって幸せですね。「興味」って非常に浅いですよ。今どきの人は、ツアーを組んで体験するんだけど、体験して終わっちゃう。

自分で行って、自分の目で見るというのはとても大切なことだけど、一度体験してみただけで知ったつもりになっちゃいけない。だから興味じゃだめなんです。問いをたずさえないと。

「Holistic Place ShuHALLI シュハリ」にいた亀。名前は、小松原松之介松太郎(略してまつ)

日本列島は、地球のなかでも恵まれた場所にあります。海があり、森があり、水が豊かで、温暖。四季折々、多様な植生があるから、地域によって食べるものが異なったり、食べかたの工夫も山ほどあります。この豊かな日本列島で培われてきた様々な文化が失われつつあるのは、ほんの、ここ100年くらいの話です。

便利さやスピードといったものをすべて捨てて以前の暮らしに戻ることはできないだろうと思います。でも、世の中の風潮やスピードに惑わされずに、自分なりにコントロールすること、そして自分なりの問いを見つけ、答えを探していくことは、できるのではないでしょうか。

ちなみに、民映研の映像作品は、60分以内の作品であれば8,000円で借りることができます。10人集まればひとり800円。まずは民映研の映像作品をひとつ、仲間と一緒に観ることから始めてみませんか?

 

また、これまで民映研が制作してきた118作品のカラー写真と作品解説を収録した本『民映研作品総覧 1970-2005 日本の基層文化を撮る』 がはる書房から出版されています。こちらもあわせて読んでみてください。

(撮影: 関口佳代)

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