みなさん「コミュニティ」と聞いて何を思い浮かべますか?
思い浮かべるものは人それぞれ、趣味の集まりだったり、町内会だったり、ママ友だったり、仕事仲間たちだったり。
いま「コミュニティの時代」と言われたりもしますが、コミュニティってそもそも一体何なのでしょうか。なんとなく人の集まりをコミュニティと言っていますが、明確にどう定義されるのか、そういえば私は考えたことがありません。
今回は、コミュニティの教室で講師をしていただく山崎亮(やまざき・りょう)さんに、コーディネーターを務める長田涼(ながた・りょう)さんが話を聞きました。
対談に移る前に、話の中で山崎さんが「コミュニティとは」について話をしてくれたので、導入としてその話を紹介させていただきます。
コミュニティとは
山崎さん コミュニティの定義というときに、まず引き合いに出されるのがアメリカの社会学者マッキーバーが1917年に出した『コミュニティ』という本です。
この本の中で、コミュニティとアソシエーションという言葉が定義されています。マッキーバーのコミュニティ論を哲学者の内山節さんは地域をビールジョッキにたとえて、「中の液体がコミュニティで泡がアソシエーションである」と言いました。地域の人々の集まりがコミュニティで、その中で生まれては消えていく泡がアソシエーションだという考え方です。
アソシエーションはある目的や興味を持って集まる人の集団で、コミュニティの中で教育関係について考えようという人たちがPTAをつくり、福祉のことを考えようという人が社会福祉協議会をつくり、もう少し小さいエリアのことを考えたい人がネイバーフッドアソシエイションをつくりました。
これは入りたいと思う人だけが入ればいいもので、入ってない人も大量にいます。それがビールでいう液体のところ。ただその人たちも何かのきっかけで活動に参加すると泡になって、アソシエーションが生まれては消えてということを繰り返すのがコミュニティなのです。
ただ日本では、アソシエーションという言葉が言いづらいので、アソシエーションのことも「コミュニティ」と呼ぶようになってしまいました。マッキーバー先生以下の社会学者はずっと注意してきたんですが、最近は諦めて受け入れたので、日本ではコミュニティという言葉に、アソシエーションとコミュニティの2つの意味が含まれるようになりました。
そしていまでは、興味型のコミュニティというアソシエーションが地域を超えて世界規模でできて、本来のコミュニティより大きくなることで、コミュニティの意味がそちらによってきています。コミュニティがアソシエーションの意味で使われることのほうが多くなったのです。
コミュニティについて普段考えている人なら知っている話なのかもしれませんが、私はまったく知らない話で、ある目的や興味を持って集まった人たちの集団と、物理的な地域に含まれる人の集団を同じコミュニティという言葉で呼んでいることで意味がぼやけてわかりにくくなってしまっていたのだと、深くうなずきました。
ここからは、そのような広い意味を持つようになった「コミュニティ」とどう関わっていくのが、わたしたちの未来にとっていいことなのか、山崎さんと長田さんに話してもらった対談の模様をお伝えします。
興味型コミュニティの可能性
長田さん 僕はオンラインのコミュニティをメインに仕事をしていますが、山崎さんは地域コミュニティの活動をされていると思います。コミュニティでも違うフィールドを対象にしているので、山崎さんがどのようなものをイメージされてコミュニティというキーワードを使っているのかをまずお聞きしたいです。
山崎さん 僕らがコミュニティデザインを手掛けるとき、一番多いのは興味型のコミュニティです。地縁型と興味型という2種類のコミュニティがあるとすれば、興味型のコミュニティが90%以上だと思います。
長田さん 意外ですね。
山崎さん 僕らは地縁型が多いと思われているかもしれないですが、自治会長が来たり、商店会組合から依頼されたりすることはほとんどありません。商店街で活動はしていますが、商店街組合とやっているわけではなく、個人として来てくれる方ばかりですね。
もちろんオンラインに比べれば地縁型で地域の中でやってはいるんですが、最初からいわゆる土着的な町内会や自治会と一緒にやることはなくて、広がりの中で集まって一緒に何かやりましょうとなることはある。歩いたり、電車乗ってこれる範囲の人が興味型で集まってる感じですね。
長田さん 依頼はどういうところからあるのでしょうか。
山崎さん 80〜90%は自治体からですね。
長田さん 役所から地縁型の人を巻き込んでほしいよみたいな話ってないんですか?
山崎さん 10年くらい前までは「町内会や自治会に話通して」と言われることは多かったですね。
僕ら基本的にはデザイナーやプランナーなので、役所からの依頼も、コミュニティをつくって下さいではなく、何か計画や場をつくってほしいという依頼なんです。それを僕らは地域の人たちの話聞きながら住民参加型でやりたいと言うようにしていました。役所もそれは理解してくれていたんですが、ワークショップとかやりたいんで募集しますって言ったら、15年前だと「町内会にかは必ず声かけてくれ」って言われていました。
ただ、役職で仕方なく来てる人と来たいと思ってきてくれた人が混ざると雰囲気があまり良くなくて。そういう経験が重なったので、役所から依頼を受けても、みんなに均等に声かけて、個人の資格で来てねっていう形にしました。
本来そうじゃないですか、自治会長だってPTA会長だって一人の市民なんだから、来たいと思えばくればいいし、めんどくさいなら来ない方がいい。そういう話を役所にもして、徐々にわかってもらえるようになって、集まってもらったら自治会長とかは来ないわけですね結局は。それからの10年間はあまり地縁型に声をかけてくれって言われることはなくなりました。
長田さん 来るか来ないかはメンバーの自由意志という前提でコミュニティを運営することは大事で、メンバーの自発的なアクションが必要だなと思っています。ただ人を集めればいいのではなく、参加してくださる人が何かしらアクションを起こして結果的に幸福になってほしいなと思って運営しているので、この話はとても共感します。
山崎さん この10年、オンラインコミュニティの方々がそういう事例をたくさんつくってくださったので役所の方々も理解しやすくなったかもしれないですね。
長田さん 確かにコミュニティの幅がここ4〜5年で一気に広がってきた感覚は僕ももっています。昔は「コミュニティ=地域の町内会の集まり」というイメージだったのが、オンラインサロンやコワーキングスペースにもコミュニティというキーワードが使われたり、コミュニティマーケティングという考え方が出てきたりして、可能性が広がっているとは思います。
帰属意識と自由
長田さん 東京のような都会だと、興味型のコミュニティがたくさんあって、一人でいくつものコミュニティに所属しているのが当たり前になってる感覚があります。それによって自分にあうコミュニティを選択できるといういい面があるのに対して、コミュニティを大事にしたいという意識が薄れているという負の面もあるのかなと思ってるんですが、山崎さんはどう感じていますか?
山崎さん そうかもしれないですね。地域のコミュニティはやっぱり抜けにくいし、しがらみだったり派閥だったりがどうしても生まれやすいので、若い人たちは面倒くさい、不自由だと感じると思います。それに対して、いわゆる都市部のコミュニティだと入りやすいし、いくつも複数所属できる。でも抜けるのも自由だと、そのコミュニティに対する帰属意識はかなり薄れるでしょうね。
こうなったのは、不自由が悪いことだと考える「宗教」が生まれた戦後のことだと思うんですよ。自由はいいことだという考えが主流になり、その結果、不自由な地域のコミュニティは悪いもの、抜け出すべき対象とみなされるようになった。そして、興味型のコミュニティは好きな時に関わればいいというワガママでいられ続ける場所だと認識された。
でもそうやって誰も主体的に運営者になろうと思わなくなり、コミュニティマネージャーだけがずっと運営を続けるようなコミュニティが本当にコミュニティなのかと問われるようになってきたのがいまなんじゃないでしょうか。
本当に自由は正義か
山崎さん いま起こっているのは、前提としている自由が善で不自由が悪という「宗教」への疑問で、この10年くらいの間にピケティを始めとする人々が指摘するようになったことと呼応しています。
ピケティたちの考えは、いわゆる新自由主義経済への疑問で、アダム・スミスの古典経済学の新自由主義的解釈を疑うものです。
どういうことかというと、アダム・スミスは哲学者として1759年に一冊目の『道徳感情論』という本を書きました。その中で、我々の中にある道徳は確認し合ったことがないとしても一定程度共有されていて、これが共有できていることが人間社会にとってすごく大事だと書いたんです。
そして、それを前提として二冊目に『国富論』を書いて、分業したり自分が本当に社会に対して必要だと思うものをつくったりすれば、「(神の)みえざる手」が働いて、足りてない人たちのところに物資がちゃんと届くようになるし、分業によって効率的に物をつくり販売することができる。これによって経済が動くよと言ったわけです。
新自由主義はこれを極端に肥大化させて、地球全体で「これをつくれば売れるんだ」ってことをそれぞれが徹底的にやればみえざる手が働いて地球規模で物資がうまく調整されるって言ったわけですよ。だから規制なんてものはできるだけ外して、みんなが自由に本当に必要なものを提供すれば、世の中に必要なものが流通して人々は幸せになる、大事なのは自由なんだと。
でも、アダム・スミスの二つの哲学書は実はセットで、みえざる手が働くのは、道徳感情を共有してるからで、それが成立するのはビールジョッキという地域社会の中での話なんです。顔が見える関係の中で、道徳感情を働かせながら、物々交換ができれば物事はうまくいくという話なんです。
ピケティが明らかにしたのは、道徳感情を共有しあっていない顔の見えない人たちの間では自由が格差を生むということです。しかも、環境からの搾取する物資は無料とカウントされるので環境破壊もすすむと。だから、新自由主義的に人々が振る舞うのが良いという考え方にも疑問符がついてきているのです。
これと、不自由なコミュニティより自由なコミュニティのほうががいいものだと思って振る舞ってきたことが問い直されはじめているのには共通点があると思います。自由を束縛するものは全部ダメとなると、コミュニティの形成自体が極めて難しい状態になってしまう。そのときに、自由が善という前提を疑うことで、ちょっと不自由な点があっても人と人がつながっていけるようにうまくマネジメントしていくのが大事だと考えられるようになるんじゃないでしょうか。
オンラインと地域の間
長田さん その不自由と人のつながりのマネジメントという面からも、排他性をどうデザインするかがコミュニティを形成していく上で重要だと僕は思っていて、オンラインだと入口設計のハードルをどうつくるかである程度コントロールできるんですが、地域コミュニティの排他性を山崎さんはどう考えているのでしょうか。
山崎さん オンラインコミュニティがいい意味での排他性をつくるのは、オンラインコミュニティが本来自由に出入りものであることに対する対抗策なんだと思うんですよ。それは少しだけ地域コミュニティに近づいているってことでもある。
地域コミュニティは、そもそも排他性があって入りにくい場所であり、入ったら入ったで結構な同質性を求められるものでもある。オンラインコミュニティはいま、地域コミュニティから学んで、いい塩梅の仕切りをつけておこうというふうになってきてるんだと思います。
オンラインコミュニティがなぜ地域から学ぼうとしているかと言うと、有事のときにオンラインでは助け合うのが難しいことが明らかになってしまったから。興味型のコミュニティだとしても、例えば日本橋界隈とか狭い地域の人たちだけで集まることで、興味以外の部分でも関係性ができて、その積み重ねが大きい災害があったときに助け合いができる仲間だという認識をつくるということがわかってきたんだと思います。
地域コミュニティ側は、逆にオンラインから自由度を高くする方法を学ぶ必要がある。なにかやろうとするときにいちいち町内会長に確認を取らないといけないとか、そういう自由を奪う障壁があると、若い人たちはもっといい場所に移動していってしまうから、自分たちで地域を統制しようと思わないで、それぞれの人が好きなことをやってるという状態がいい状態であるということを認識しましょうねってことを地域側は学ばなきゃいけない。
これはお互い行き着くところまでいったことで悩んでいて、その間に何かが生まれ始めているということだと思います。地縁型は若い人どんどん抜けてくから悩んでるし、オンライン側は人がどんどん入ってきて肥大化するんだけど運営コストだけどんどん上がっていって誰も責任感持ってないんじゃないか、あと有事のときに集まることすらできないと流石に不安だなと思っている。この間が何かっていうのをお互いが模索しているのが、いまのタイミングな気がしてます。
長田さん すごく気持ちがわかります。住むところもいままでは利便性などで決めていたんですが、去年、地域に向き合ってみたいなと思って、人とのつながりから大好きな銭湯がある高円寺に引っ越しました。住んでいるマンションも住民同士のつながりを大切にしている場所で、すごく魅力を感じてそこに決めました。
僕がそう思ったのは震災やコロナを経て、子どもももうすぐ生まれることもあって、地域の関わりをつくっておくことが自分たちのセーフティネットになるという感覚が強くなったから。同世代で同じような感覚を持つ人も増えている印象はあります。
山崎さん どこで子育てをしたいか考えたときにコミュニティ的な要素が入ってくる可能性はある気がしますね。それぞれのライフステージによって、いまはこのタイプのコミュニティみたいなものがほしい、こうなったらこっちというように少しずつ変わっていくと思います。
長田さん ライフスタイルとコミュニティは、密接につながっているということかもしれませんね。
ムラを失った都会の人たち
長田さん ライフステージが変わるときって住む場所を変えたり、求めるコミュニティが変わるのって本当にそうだなと思うんですが、それとは別に都心からの移住者が増える流れも来てる気がします。この流れで移住者がどんどん増えて地方に散らばっていったときに、コミュニティにどういうことが起こるのか興味があります。地域側としては懸念してる部分もあるんじゃないかと思って。
山崎さん 慣れないことが起きますから、受け入れる地域側が学習しなきゃいけないこともたくさんあると思います。かわいそうなことではあると思うんですが、いろんな地域がこれまでに経験していることでもあります。
東京も60〜70年代に集団就職で地方から若者をたくさん受け入れて、江戸っ子たちは「得体の知らない奴らがムラに入ってきた」と思ったはずです。そこで、入ってきた人たちがどうしたかというと、新しいムラをつくったんです、会社というムラを。
日本の会社の終身雇用や年功序列は、全員一生面倒見るというムラにもともとあった仕組みを会社の中につくったものです。このスタイルで育った人たちが東京に流れ込んできて、職場にもムラ的なものをつくり、自治会にもムラ的なものをつくった。
学生運動も人口が肥大化する中で、そこから疎外された人たちが自分たちのムラを求めた運動と見ることができます。肥大化する人口の中でも地縁型のコミュニティのようなものを維持したいと思う人たちの集団がムラをつくっていったんです。
ところが、学生運動は世の中を変えられなかったし、東京ではムラの論理が維持できないことが徐々にわかってきて、東京ではムラとは別の都会の論理が成立しました。
その人たちが今度はムラに行くので、そこには学生運動ほどではないけれどハレーションが起きる恐れがある。都会の論理を集落に持ち込んだら衝突が生まれますから。
例えば、東京から来た人が町内会に入るのは嫌だと言いながらゴミ捨て場にゴミを捨てる。ゴミ捨て場というのは実は町内会費からお金を出して維持しているわけですけど、都会の人は税金で自治体が回収してくれていると思っている。集落の人からすればおかしなことやってる人になるけれど、東京の人たちは知らないだけで罪はないんです。それくらいなら教えてあげれば解消するかもしれませんが、ひょっとしたら集落の側が学ばないといけないのかもしれないとも思います。
自分勝手に見える都市部からやってきた人たちは論理的には間違っているんですが、それは都市部の人や若い人たちはこう暮らしたいんだって表明でもあります。集落の側はそれを学んで体制を変えないと、若い人たちがいついてくれる場所になれないのかもしれない。だから、怒りたいのをぐっとこらえて都会から来た人たちと話し合って集落をどう運営していくか考え直そうという発想を持つことが大事なのかもしれません。
もちろん移住する側も移住先のことを知った上で、こう変えられませんかって提案すると面白いことが起きるかもしれないと思っておいたほうがいいですが。
長田さん 移住者と地域も含めて試される数年間になりそうな雰囲気ですね。コミュニティという観点から考えると、移住者が関係人口から始めて、コミュニティの外側から一歩ずつ入っていくのがいいのかなと思いました。いきなりコアに関わろうとするのではなく、小さな関わり合いからはじめてみる。
山崎さんは背景にあるストーリーを大事にされて、何事にも根っこを捉えた上で考えを展開されているのがすごく勉強になりました。本日はありがとうございました。
コミュニティとはという話から、新自由主義の話や排他性の話を経て最後は移住の話へ。長田さんの言う通り、どの話をしていても山崎さんは根本のところから考えを組み立てているのが印象的でした。
いま起きている地方移住の流れというのが、自由に対する考え方の変化や、コミュニティとの関わり方の変化に無関係ではないというのは面白い視点で、どの立場の人もこの60〜70年当たり前と考えてきたことを見直さなければいけない時期に来ているのだと実感しました。
コミュニティとは一体どのようなもので、自分はそれとどう関わるのかを考えることは生き方そのものを考えることでもあると思うので、みなさんも是非コミュニティについて考えてみてください。そして、さらに一歩進みたくなったら、コミュニティの教室に参加してみてはいかがでしょうか。
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コミュニティの領域で活躍する実践者をゲストにお招きし、共に学び、本質を探求する「コミュニティの教室」。
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