あなたは、”学校”と聞くとどんなことを思い浮かべますか?
「学校が好きだった」「楽しかった」という方もいると思います。でも、「宿題、面倒くさいなぁ」「この授業つまらないから、サボっちゃおうかな」と、一度は思ったことがある方も多いのではないでしょうか。
私は幸い、学校が嫌いだったことはありませんが、つまらないと感じる授業はたくさんありました。そしてそんな授業では、こっそり別の教科の課題に取り組んだりしたことも。でも、もし自分の思う存分に学べていたら、学ぶことがもっと楽しかったかもしれない。そんな”理想”の実現を目指している学校のひとつが、大阪の箕面市にある「認定NPO法人コクレオの森(旧称箕面こどもの森学園)」です。
この学校の最大の特徴は、“子どもが学びの主人公”であること。何をどのように学ぶかは、子どもたちに委ねられているそうです。その背景にはどのような考えがあり、どのようなカリキュラムで学べるのでしょうか? 校長を務める藤田美保さんにお話をうかがってきました。
小学校教師として教育の現場にかかわるなかで、「教育はもっと多様であっていいはず」という思いを抱くようになり、退職。新たな教育のあり方を模索する中で、「認定NPO法人コクレオの森」創立メンバーの一人となる。2009年から「認定NPO法人コクレオの森」で校長を務める。
法律の枠を飛び出した”子どもが学びの主人公”の学校
「認定NPO法人コクレオの森」は、2004年4月にオルタナティブ・スクール「わくわく子ども学校」として始まり、2015年には、それまでの小学部に加えて中学部も開設されました。
創立のきっかけは、当時大学で教鞭をとっていた現学園長の辻正矩さんが、学ぶ意欲が低い学生たちの姿に「日本の教育はどうなっているのか?」と疑問を抱き、立ち上げた「大阪に新しい学校を創る会」。
教育のあり方を模索し、講演会などのイベントを行っていたところに、自分の子どもが不登校だった人や、子どもの通う学校を納得して探したい人、学校にあまりいい思い出がなかった人など、さまざまな立場から日本の教育に疑問を持つ人たちが自然と集まり、自分たちで学校をつくることになったのだそう。
近頃、耳にすることも増えてきた「オルタナティブ・スクール」とは、現在の公教育とは別の方針・理念を持って運営されている学校の総称です。校舎要件や人数などの理由で、日本の法律上は“学校”と認められていません。そのため、子どもたちは学籍を地元の公立学校に置いたまま、オルタナティブ・スクールに通学します。
法律の枠から飛び出している分、今までにない新たな試みがなされているのが面白いところであり、挑戦が必要とされている学校。「認定NPO法人コクレオの森」は、そんなオルタナティブ・スクールのひとつです。
ここに通う子どもたちは、学校を見学して気に入ったり、公立の学校に通いづらくなったために他の学校を探しにきたり、子どもにのびのびと学んでほしいという保護者の想いに後押しされたり、通うことになった背景はいろいろ。小学1年生から在籍している子もいれば、途中で入学してくる子たちもいて、入学時期はさまざまです。
ここでは、生徒一人ひとりの学びを尊重するため、個別学習と共同学習を中心とした学びの場をつくり、1〜3年生・4〜6年生・中学生というくくりで各クラス20名程度の年齢混合クラスを編成。それぞれのクラスでは、常勤のクラス担当スタッフ2名と非常勤のスタッフ1~2名がチームになって子どもたちをサポートしています。
など選択制の科目の時間といった大枠の時間割はあらかじめ設定されていますが、学びのペースや内容、方法は子どもたち次第。ときには学校のスタッフに相談しながら、子どもたちが自分で考え、決め、実行しています。
また、一般的な学校とは異なり、先生一人に対し多数の生徒という一斉授業の形はとっていません。子どもたちは、自分で立てた計画にそって個別に学習を進めたり、グループで対話をしながら学習したり、習熟度や進路の近い子どもたちで集まるグループ学習のような共同学習を取り入れたりしながら学んでいきます。
そのため、同じ教室にいても、学んでいる内容や進めるペースはバラバラ。1年間、1ヶ月、と期間ごとにそれぞれが設定した学習目安や内容をもとに、週の終わりにはどの程度学習が進んだのかを振り返ったり、次週の学習計画を立てたりします。
合言葉は、「自分を大切に。人を大切に。」
一般的な学校のように全体の細かい学習目標は設けていない「認定NPO法人コクレオの森」ですが、子どもたちが“思う存分学べる場”であり続けるために、みんなで最も大切にしていることがあります。それは、「自分を大切に。人を大切に。」ということ。
藤田さん 常に「自分を大切にするってどういうことか? 人を大切にするってどういうことか?」というのが問われるんです。その問いが、学習を組み立てる子どもたちの根本にあるんです。
自分で学習内容を決めるとなると、「サボってしまうのでは?」「好きなことばかり学び、学習が偏ってしまうのでは?」とつい心配してしまいます。ですが、この問いが根っこにあることで、一人ひとりが”勉強は自分のためにするもの”という自覚を持って、学習を進めていくそうです。
藤田さん ”自分を大切にする”ということは、「自分がどうしたいか、どういうふうに生きていきたいか」を考えないといけないんです。
自分が大人になったときに、仕事をしたり、結婚して親になっていたりするかもしれないと考えれば、どんな子であっても「自分は字が読めなくてもいい」とか「計算ができなくていい」とはならず、「ああやっぱり、自分は学ばないといけないよね」と思うんですよね。
そこをベースに、「じゃあ、あなたは何をどこまで学びたいですか?」ということを日々問われ続けるんです。
たとえば、”自分を大切にする”を”自分の好きなことをする”と捉えると、手芸が好きな子は手芸、料理が好きな子は料理をプロジェクトの時間に取り組み、好きなことを追求するために読み書きや算数の知識が必要であれば、基礎学習の時間を使って学びます。
自分のほしい未来を描きながら、必要な手段として学びを捉えていくと、苦手だから・嫌いだからといった理由で学びを避けることはないのだと納得できます。
「人を大切にするとは? 自分を大切にするとは?」という学校にとって欠かせない問いは、開校当初から明確に共有されていたわけではないと藤田さんは言います。
藤田さん 「人に迷惑をかけてはいけません」とか「人を大切にしましょう」とよく言いますが、自分を大切にしていないのにそれができる人は、自分を偽って生きてるのではないかと思っていました。だからまずは、「いかに自分を大切にするか」ということを重視した結果、「自分で考え、自分で決める」「自分は自分でいいんだ」ということを大事にした今のカリキュラムができました。
しかしそうした実践を重ねていくなかで、自分を大切にすることでぶつかる壁があることに気づいたと言います。
藤田さん 一人ひとりの領域が重なってしまうことがありますよね。たとえば、テレビが1台しかないときに、誰の観たい番組を優先するのか。「自分を大切にしたい!」とお互いが言い張ってしまうと、人を踏みにじったうえに自分の大切さをのせてしまうことになります。そこで自分の好きなテレビを観られたとしても、それは幸せにはつながらない。
お互いに納得のいくように折り合い、win-winになることを積み重ねるほうが、心が穏やかですよね、きっと。子どもたちには、そういうふうに生きていける人になってほしいので、「人を大切にする」という言葉も足され、そのための対話が必要とされるようになりました。
さらに今では、”人”というのは、他人だけでなく、自然だったり、動物だったり、環境を含めた他者という意味にまで広がっているそう。対話を通してお互いを大切にしていくことが、幸せにつながっていく。そこを学ぶのが学校であると藤田さんたちは信じているそうです。
学校という”森”をみんなで育てていく
波間を船で航海しているように、ぶつかりそうになったときは、力の強いほうが勝つのではなく、対話でwin-winになる関係性をつくって生きていくために学校がある。それを藤田さん一人が想うのではなく、「何を大事にするのか」「なぜ個性を尊重するのか」「個性と個性がぶつかったらどうなるのか」といったことを学校にかかわるみんなで考えながら共有しているといいます。
藤田さん 「箕面こどもの森学園(以前の名称)」という名前には、一人ひとりは一本の木であって、子どももスタッフも保護者も、もっと言えばこの椅子とか机とか、そういう物ですら一本の木であり、その木が集まって学校という”森”をつくるんだという意味が込められています。
新しく芽吹いたり、古い木がなくなったりすれば森のかたちが変わるように、学校という森は生きている。だから自分を一本の木として、森をつくるために何をしていけばいいのかということを一緒に考えていくそうです。子どもたちだけでなく、スタッフも自分の意見を持ち、対等に対話していくことが求められます。
藤田さん 子どもたちに言っていることは、私たちスタッフもできないといけないと思ってます。子どもたちに「自分を大切にして、人を大切にするんだ」「自分の意見を言いましょう」と言う以上は、未熟ではあるけれど、それらを実行する必要があるし、相手と意見が違ったときに、どうやって第三の意見をつくるかということを子どもたちと突き詰めてやるからには、私たちが実際にそれをできることがすごく大事。
失敗することも不完全な部分もあるんですけど、そこを目指しています。
教師と生徒、校長と教師という関係ではなく、それぞれが一人の”人”として変化し続け、ちょっとずつ補い合いながら、みんなで”森”を育てていく。そこには、お互いをつくり手として信頼する「認定NPO法人コクレオの森」のかたちが見えました。
一人でも多くの人が“教育”を考えるきっかけをつくりたい
藤田さんは、「認定NPO法人コクレオの森」の前身「わくわく子ども学校」を創立した「大阪に新しい学校を創る会」のメンバーの一人。参加したのは20代の頃です。もともと藤田さんは、”人が人として生きる”ための仕事をしようと教育の道へ進み、小学校の教師として働いていましたが、”指導”という言葉が飛び交う教育のあり方に戸惑いを覚えたといいます。
藤田さん 教師の仕事は、“決まっているからやらなければならないこと”が多かったんですよね。教科書に載っているから。学年で足並み揃えるから。他のクラスがやっているから、と。自分が意味や必要性を感じられないものを子どもたちに教える学校の仕組みに疑問を抱き、「もっと自由な学校を自分の手でつくりたい」と思うようになり、退職しました。
それからは大学院に入って教育の研究をしたりもしましたが、学校をつくるなんてどうしたらいいのかわからなくて。夢のまた夢だと思っていたんです。そんなときたまたま見つけた新聞記事がきっかけで「大阪に新しい学校を創る会」の講演会に行き、「ああ、ここだ」と。学校を一人でつくることはできないけど、仲間がいればできるかもしれない。自分には仲間が必要だったんだって思いました。
そんな藤田さんが教育に疑問を抱いたきっかけは、小学生のころに読んだ本『窓ぎわのトットちゃん』に衝撃を受けたこと。トットちゃんの通う学校では、好きなことを自分のペースで進められ、人との競争でもなく、大人と子どもが対等に尊重される。そんな教育を自分も受けたいとずっと思っていたそうです。
「認定NPO法人コクレオの森」が、自分にとっての『窓ぎわのトットちゃん』のように「教育って何?」「学校って何だろう?」と問う人が増えるきっかけになり、多様な教育の一つの例になればと藤田さんは願っています。
私は、保育士として3歳の子どもたちと毎日過ごしていますが、子どもたちと日々向き合うということは、綺麗ごとだけではすみません。子どもたちは、生きていく上での基礎的な動作もまだおぼつかないため、つい教える側と教えられる側になりがちで、困りごとがたくさん起こると、ときにはイライラしてしまうことや、どうすればいいのか迷ってしまうこともあります。
理想どおりでいられず落ち込むこともありますが、そんななかで大切なのは“一人の人間として子どもとどう向き合うか”ではないかと藤田さんのお話をうかがって考えるようになりました。
教育は、他者と自分のかかわりを問う場として、人が交わるところにそれぞれのかたちで生まれるのではないでしょうか。あなたも学校に限らず、育児や研修といったかたちの”教育”とかかわることがあるかもしれません。そんなとき、”教育”とは何かということを今一度、自分なりに考えてみませんか。