今、世間は一種の「移住ブーム」のように思います。
東京の繁華街では、毎週のようにどこかの「移住フェア」が開催されていたり、移住者向けの情報を分かりやすく掲載したホームページが増えていたり、どこの自治体も一生懸命、地域の魅力を発信しています。
そんななか、‟人が集まる地域”ってありますよね。
東京駅から電車に揺られて約2時間。房総半島の太平洋側に位置する「いすみ」地域もその一つ。そう、ブラウンズフィールドを営む料理家の中島デコさん、東京アーバンパーマカルチャーを主宰するソーヤー海さんらが移住した地域でもあり、知っている人も多いかもしれません。
でも実は、おふたりのような方々ばかりが移住しているわけではありません。
2017年1月に出版された書籍『「小商い」で自由にくらす~房総いすみのDIYな働き方(磯木淳寛著)』では、たとえば、店舗を持たずに自分の好きな「ものづくり」を小さく始めている人がたくさん紹介されています。
今回取材したのは、そうした人たちの心強い味方になっている「NPO法人いすみライフスタイル研究所」理事長の髙原和江さん。彼女は、東京でのサラリーマン生活を経て、いすみにUターンし、これまでたくさんの移住相談にのってきました。
そんな彼女が心がけるのは、一人ひとりの暮らしの理想に向き合うということ。
‟移住激戦時代”にあって、それでもなお人を惹きつけるいすみのヒミツを彼女の人生を辿りながら追いかけてみました。
地域にとってプラスなら、なんでもやる
「いすみの地域のことを教えてください」という市外からの問い合わせは、1ヶ月に約50件。「今度こんなイベントがあるのでよろしくお願いします」であったり、「家のことで困ってるんだけど…」という市内からの問い合わせは約100件もあるといいます。
JR外房線長者町駅から徒歩5分の、「NPO法人いすみライフスタイル研究所(いすみの「い」とライフスタイルの「ラ」をとって、通称「いラ研」)」は、いすみに関心をもっている人の”入口”になっているだけでなく、移住した人、地域住民の頼もしい相談窓口になっているようです。
いラ研は、夷隅町・大原町・岬町の3町が合併し、新たに「いすみ市」が生まれた2008年に設立された法人。いすみ市内の若手商工業者を中心にはじまった「いすみ市を考える勉強会」が原点となっています。それから約10年もの間、「移住・定住」「情報発信」をキーワードに、行政と連携しながら、まちづくりを進めてきました。
具体的には、移住・定住を促進するツアーやイベントの企画、WEBサイト「isumi-style.com」を活用した情報発信に加え、もともと保育園だったところを活用したマーケットの開催、ワンデイカフェやイベントを開催できる「長者マート」の運営などを行っています。
これらはなんらかの商売を始めたいと思っている人にとって、実店舗を持たなくても、とりあえずチャレンジできる場所がある、ということです。
さらにいラ研はこの他にも、地域で高齢になった方の家の片付けを手伝うなど、一見「それもいラ研の仕事なんですか!?」と驚いてしまうようなこともやっています。
地域の問題って、いろんなことが絡み合っているから、一部分だけを良くしてもあまり意味がないじゃない? だから、「地域が良くなる」という根底がつながっていさえすれば、分かりやすいものに自分たちの役割を狭めてしまう必要はないと思うの。
そんな和江さんのいラ研との出会いは2010年。いラ研が設立されて2年後のことでした。さらに、理事長に就任したのは2016年。一体、どんな出会いだったのでしょうか。
子どもの頃は、田舎から出て行きたくてしょうがなかった
わたしはいすみ市内の里山の方の出身なの。あっ、いすみってどんな場所か知ってる?
そう言いながら、ガイドマップをテーブルの上に広げ、海と山の位置関係、電車の通っている場所を簡単に説明してくれました。さすが、はじめていすみに来る人への対応が慣れていらっしゃいます。
「理事長」という肩書きをもちながら、明るくて親しみやすいお人柄に一気に安心させられ、取材がスタートしました。
子どもの頃は、絶対にここには居続けたくないと思っていたのよ。
意外なお話のはじまりに、取材チーム一同、驚きを隠せません。
田舎って噂話が好きでしょ。それに、わたしは二人姉妹の長女。親から将来は公務員か教師になりなさいって言われてて。なんだか自分の将来がすでに決められてしまっている…。そんな感じがしたの。
その言葉通り、和江さんは高校卒業後、東京の大学へ進学。大学卒業後は、千葉に戻ることなく、創業10年目のアニメ関連会社の本部に就職しました。
声優さんのCDの販売促進のためのキャンペーンなど、全国各地の店舗との調整や週末のイベント出店など、平日・休日構わず、フル回転で仕事をしていたそうです。
そうして忙しくも仕事を楽しんでいた和江さんですが、30歳を前に、ふと自分の人生について考えます。
「今の仕事が嫌いなわけではないけれど、私はこのままこの仕事を続けて良いのだろうか、という漠然とした気持ちだった」と当時を振り返ります。
そんなときに、本屋でたまたま目に飛び込んできた「野菜ソムリエ」という資格。
実家が米農家だったし、何よりも食べることも好だったでしょ。だからこれは良いかもしれないって思ったんです。
そう思った和江さんは、野菜ソムリエの資格を取得するため、一度仕事を辞める決断をしました。
野菜ソムリエの活動が広がるほどに、引き寄せられていくふるさと
その後、野菜ソムリエ中級まで取得した和江さんは、カルチャースクールで講師をしたり、野菜の情報を発信したり、自分で小さな目標を立てながら活動を広げていきました。やがて、野菜ソムリエ上級の資格も取得。日本野菜ソムリエ協会の講師として人材育成をしたり、前職の経験も活かしながらイベントの企画なども行うようになっていきました。
けれど、野菜ソムリエの活動をすればするほど、野菜と、それらがつくられる農業の現場を知れば知るほど、心の中の違和感が大きくなっていったそうです。
たとえば、トマトが栽培されている現場に行くでしょ。トマトはこういう風に育って、現場ではこんなことになっていると話しながら、何か違うと違和感を感じたんです。つまりね、都市部には、魅力的な野菜ソムリエさんがたくさんいて、その仕事は他の人でもできるけれど、わたしのふるさとの田んぼを守ることはわたしと妹にしかできない。そう考えると、ここにいるのは違うなって。
子どもの頃、あんなに出て行きたかった田舎。でも、年を重ねるごとに、自然好き、野菜好きの原点である地元いすみでの暮らしが気になっていきました。
Uターンの決め手は、同級生との再会
自分の気持ちの変化に気づいた和江さんは、いすみへUターンする方法を考えはじめます。そう、実家はいすみにあるものの、大学への入学以来約20年間を東京で過ごしてきたため、仕事、生活の中心はあくまで都会にあり、いすみに戻ることは簡単ではなかったのです。
そんなある日、甥っ子さんといすみ鉄道のイベントに参加。たまたま中学の時の同級生と再会しました。ふたりは中学のときにはとびきり仲が良いわけではなかったものの、その同級生がいすみで、仕事以外にも地域活動をがんばっていることを知って、「あぁ、こういう同級生たちがいるなら、帰ってきても大丈夫だな」と感じたといいます。
それは、地元に戻ることに不安もあった和江さんが、いすみとのリアルなつながりに安心感を得たということではないかと、私は思いました。
それから数ヶ月。
東京での仕事の調整と当時の結婚生活を解消し、いすみへ戻ってきたとき、心にはふたつの思いがありました。
ひとつは、実家の田畑を引き継いで存続させながら、同様にご近所さんの田畑の担い手不足解消の力にもなりたいということ。そしてもうひとつは、自分の生まれ育った地域に何か貢献したいという思いでした。
けれど、田んぼを守ることも、長い間離れていた地域で何か始めることも、自分ひとりだけでは難しいと考え、思い切って、いすみ市役所にメールを送ったそうです。そして、そのメールを受けとった担当者からの紹介がきっかけで、和江さんはいすみライフスタイル研究所の活動に関わるようになりました。
会うことで、距離は変わらなくても「距離感」は変わる
今、和江さんは、在宅の仕事もしながら週1回程度野菜ソムリエの仕事を東京で、他の日は県内または、いすみで働く‟ミックス生活”をされています。都会も魅力的で、どちらも好きですが、生活の基盤を置く場所は絶対にいすみが良いそうです。
いすみにいると、広い空、豊かな自然と生き物たち、季節の移り変わりを楽しむことができる。人間らしく過ごせてるなと感じるんです。
田舎を飛び出し、東京での社会人生活を送った和江さん。何ごとにも前向きに取り組み、人とつながりながらいろいろな経験と実績を積み、自分の心に向き合ってきた彼女は、”引き出しをたくさん持っている人”だと感じました。
それは知識が多いという意味での引き出しではなく、いろいろな生き方、働き方を知っていて、だからこそ、多様な価値観を持つそれぞれの人に対して、適切で、優しい言葉をかけることができるということ。そうやって、ときには、地元の人の言葉を翻訳して移住者に伝えることもあります。
移住に興味がある人、いすみに興味がある人は一度いラ研に足を運んでほしい。そして、この地域の人とつながってほしい。
今はインターネットが発達し、地域情報が個人のブログや行政のホームページからアクセスできたり、テレビ番組でも地方が特集される時代になりました。
けれども、そういった間接的な情報からつくられるイメージと地域のリアルにはギャップがあること、そして、自分の住む場所を変えるにあたって出てくるたくさんの不安が、単なる「情報」を受け取るだけでは決して解消されないことを、和江さんはご自身の経験をもって実感してきたのだと思います。
来てもらってお話しするでしょ。すると距離は変わらなくても、”距離感”は変わるのよ。
なるほど、と膝を打つ思いがしました。移住を検討する人の、考えても考えても無くならない、新しい土地に移ることへの不安。けれど、地域のことを良く知っていて、何でも相談できる人につながることでその不安は小さなものに思えてくるはず。相談者にとって和江さんはそんな存在であるようです。
オーダーメイドの移住相談ができる場所
「地方に移住しようかな」
そう考えたことがある人には、あるひとつの共通点があるように思います。
それは「何か現状を変えたい」という思いがぼんやりとでもあるということ。たとえば、満員電車にぎゅうぎゅう詰めの毎日から解放されたい、という気持ちだったり、仕事ばかりではなく、家族との時間を大切にする人生を送りたい、という願いもあると思います。
一方で、地域サイド、特に行政は「移住者を○人増やしたい」など、分かりやすい指標を設定し、その目標に沿った政策を進めようとします。もちろん、地域を維持していくためには人口も必要です。けれど、心に留めておきたいのは、手段と目的を見誤ってはいけないということ。
「移住者を増やすこと」が目的ではなく、「移住者が移住先で、より幸せな暮らしができる」ということ、そして「地域全体があたたかな場所になること」が本当の意味でのゴールなのではないでしょうか。
とはいえここで白状させてもらうと、取材中、私は「どんな人に移住してきてほしいですか?」という質問をしてしまいました。
移住者を増やすためのターゲット設定やPR戦略があるのではないか、と推測しての質問でしたが、和江さんは「あまりそういう事は考えてなくて、しいて言えば、ともにいすみの住人として、いすみをいいなと気に入って暮らしてくれる人に来てもらえたらいいかな」と答えてくれました。
相談に来る人には、自分が目指す暮らし方ってあるでしょ。だから、まずは暮らし方を聞いて、それだったらこんな働き方はどうですか、私たちにはこんなお手伝いができますよって話をするんです。だから、意外かもしれませんが、その人が望む暮らしがここではできないかもと思ったときは、正直に他の地域を紹介することもありますね。
和江さんは、決して「移住ありき」の発想ではなく、相談に来る人が望む暮らしを丁寧に聞きとり、どうしたらその理想を実現できるのかに知恵を絞ります。それは、移住を考えている人に寄りそった「オーダーメイドの移住相談」と言ってもよさそうです。
そんな丁寧な取組みを8年間にわたって続けてきたNPO法人ですが、決して潤沢な資金があるわけではないそう。活動はこれからもずっと続けていきたいと考えているそうですが、今後の展望についてお伺いしました。
昨年、仲間と一緒に会社を受け継ぎ、まちづくりの会社としてスタートさせたの。いラ研のメンバーってそれぞれの商売を持っているから、それぞれの得意なことを持ち寄って、もっとまちを良くしていきたくて。たとえば、空き家の問題だって、漠然と‟問題だ!″ってするんじゃなくて、ひとつずつ解決していきたい。それがここで商いをする仲間にとってもプラスになるはずだし。
それから、私自身、実家と近隣の田畑で農業しながら次の世代の橋渡し役になって、担い手づくりや農地の継続をしたい。そうやって、外の人と中の人とをつなぐのがUターンした者の使命だと思っているの。そして、今日みたいに取材に来てくださるような方たちとの機会もまた出会いでしょ。わたしはそれが嬉しいし、エネルギーになるの。
忙しい合間を縫って取材をさせていただいたにも関わらず、こんな風に受けとめてくださる和江さんがいすみにはいます。東京から電車に揺られて約2時間。ほら、悩んでいる間にいすみに到着しますよ。
まずは、カバン一つで大丈夫です。今から和江さんに会いに、いすみライフスタイル研究所に出かけてみませんか。
「いつでもいらしてください!」。包み込まれそうになるほど大きな笑顔であなたを待っています。
(Text: 松尾真奈)
(Photo: 荒川慎一)
– INFORMATION –
地域の物語を編むライター・イン・レジデンス「LOCAL WRITE」 この記事は、greenz.jpライター磯木淳寛さんの主宰するライター・イン・レジデンス「LOCAL WRITE」の一環として制作されました。このプログラムは、【人や地方の多様性に触れることで、世の中の面白さを再確認するきっかけをつくること】を目的として、おこなっています。詳細はこちらよりご覧下さい。http://isokiatsuhiro.com/about-local-write/