今あなたが持っているもの、たとえば着ているその服は、いつ誰から買ったものですか?
大量生産とインターネットが発達した現代は、安価なものをクリックひとつで手に入れ、簡単に消費してしまいがちです。そんななか、地域で長年育まれてきた物や人々との関わり方を捉え直し、永く大切にしよう。そんな思いで活動を展開している人たちと、大阪府南部・堺市南区にある「泉北ニュータウン」で出会いました。
ニュータウンとは、1960年代から都市の郊外に開発された市街地のこと。「泉北ニュータウン」は2017年に、まちびらき50周年を迎え、住民・企業・行政が連携して「泉北ニュータウンまちびらき50周年事業実行委員会」を結成。新しい市民主体の取り組み「SENBOKU TRIAL」が進められています。
そんな「SENBOKU TRIAL」で展開されているプロジェクトと、取り組む人々を紹介する連載「これからのニュータウン入門」。
今回ご登場いただくのは、「泉北レモンの街ストーリー@公社茶山台団地」の、泉北をレモンのまちにすべく活動する苅谷由佳さんと、泉北ニュータウン住宅リノベーション協議会のメンバーであり、コワーキングスペース「暮らし はたらき つながる箱」プロジェクトや「だんぢりキッチン」の活動をしている西恭利さんです。
おふたりが、未来の泉北ニュータウンにどんな風景を見ているのか、お伺いしてきました。
目指すは、降り立った駅でレモンの香りが迎えてくれるまち
苅谷さんが展開する活動「泉北レモンの街ストーリー」。
レモンを泉北の特産品にすべく、泉北ニュータウンに住む方々の自宅の庭でレモンを植樹したり、できたレモンを特産品として加工・販売したり、レモンのお祭りを開催したり。「泉北といえばレモン」と言われるようになることをめざしています。
活動のきっかけは、ご自宅の庭にお父さまが植えた木から実る、毎年300個ものレモンを見て「これをどうにか活かせないか」と感じたことだったといいます。
「泉北レモンの街ストーリー」発起人・リーダー。パソコン講師として働く傍ら、2015年夏、泉北をレモンのまちにしようと活動を開始。泉北ニュータウンまちびらき50周年事業では、大阪府住宅供給公社の支援を受けて同活動を展開。青い空と緑が豊富な泉北の緑道をランニングするのにもハマっている。
これまで泉北ニュータウン以外にも、いろいろな地域に住んだ経験がある苅谷さん。そんな経験を振り返ってみても、泉北ニュータウンの緑豊かな環境は「なんて素晴らしいのだろう!」と感動するほどのものだったそう。
そして、大好きな泉北のまちをもっと輝かせたい、もっとたくさんの人に泉北の良さを広めたい、そんな想いと、自宅のレモンの行く末とが結実し、生まれたのがこのプロジェクトです。
苅谷さん 泉北ニュータウンを知っていただくのに、絶対、まちを象徴するもの、特産品がいると思ってたんです。「泉北と言えば○○」「○○といえば泉北」みたいな。
そんなときに目についたのが、自宅のたくさんのレモン。できたレモンを消費したいので、友人や近所の方へおすそ分けをしたり、レモン酒やマーマレードをつくったりしていましたが、これは何か活用できそうだぞと思ったんです。
そして今はレモンはすごく需要が高まっている一方、市場に出回るものの90%が外国産なんです。だから、自宅で収穫できるレモンを泉北の特産品にしたいと、実は10年くらい前から自分のなかで計画を温めてました。
そんな折、泉北地域の人口減少や空き家問題などの課題解決に公募や有志の市民たちで臨む「泉北をつむぐまちとわたしプロジェクト」が2014年に始まります。そこで苅谷さんは市民活動家として、このプロジェクトをはじめて公にプレゼンすることに。
苅谷さんの想いに共感する13人のメンバーが集まり、市民と行政がともにまちの魅力を想像するこの活動は、一気に加速します。
苅谷さん 食というのは、生活のなかで重要なものなので、そういった点においても共感して集まってくれた仲間も、みんな泉北が大好きな人たちでした。
「泉北をレモンの街にしよう、レモンを泉北の特産品にしよう」というキャッチフレーズのもと、(1)レモンはまちの見えるところに植樹する、(2)レモンを泉北の特産品にして商品開発し、ビジネスとして成功させる、(3)レモンのお祭りをするという3本柱で、プロジェクトはスタートしました。
そこで、まずは個人宅の庭にレモンの苗木を植えてもらおうと、地元の園芸店の協力を得て、苗木の販売を開始。毎年3月にはレモン祭りを開催したり、農村部に果樹園を開設するなど苅谷さんのプロジェクトは着実に広がっていきました。
泉北ニュータウンまちびらき50周年事業では、大阪府住宅供給公社のサポートのもと、ついに茶山台団地の敷地内にレモンを植えることも実現。
泉北レモンの輪を広めるために、泉北レモンオリジナルのプレートをつくり、自宅のレモンの木に掲示してもらう活動もスタートしました。
苅谷さん 最初は、年に20本くらい植えられたらいいね、と言ってました。しかし、レモンプレートは最初から通し番号を付けているんですが、それが現在は通算400にまで。
苅谷さん 泉北のみなさんは、とにかく温かいんです。
みなさんと一緒に、50年後に迎えるまちびらき100周年のときには、”泉北レモンタウン”になっていて、「みんなでこういうまちにできたよね」って言いあえるようになりたいですね。
レモンって、実ばかりが採り上げられますが、お花もとってもいい香りなんですよ。なので、泉ケ丘の駅に降り立ったらレモンの香りがふわっと漂うようなまちになったらいいなぁ、って思っているんです。
「ソフト」と「ハード」でつながりを強固にする
西さんは一級建築士。泉北ニュータウン住宅リノベーション協議会のメンバーとして、中古戸建て住宅のリノベーションを推進しています。
そんな西さんの泉北ニュータウンでのプロジェクトはコワーキングスペース「暮らし はたらき つながる箱」。新檜尾(しんひのお)公園内で、シェアキッチン付きのモバイルオフィスをつくって人々をつなげようというものです。
西さんは設計事務所やハウスメーカーなどでいろいろな経験を積み、いまから5年前に独立。そのときに考えたメインテーマが、リノベーションでした。
西紋一級建築士事務所代表。泉北ニュータウン住宅リノベーション協議会のメンバーとしてリノベーションを推進しながら、「だんぢりキッチン」やコワーキングスペース「暮らし はたらき つながる箱」の開設など、泉北ニュータウンで、地域と人々が豊かにつながるための活動に従事する。泉北ニュータウンまちびらき50周年事業では、独立行政法人都市再生機構の支援を受けて「暮らし はたらき つながる箱」を展開。
堺市で市民活動を始めたきっかけは、「さかい新事業創造センター」というインキュベーション施設で独立し、事務所を構えた頃のこと。そこで、新規事業として西さんが提案したのが「泉北ニュータウンの再生」でした。
そこから堺市と密につながり、「泉北をつむぐまちとわたしプロジェクト」に参加することになります。
西さん 泉北で人と人をつなぐためには、僕は「ソフト」と「ハード」の2軸で考えてみることが大事だと思っています。
「ソフト」とは、人々をつなぐイベントや出来事などのこと。
「ハード」とは、建物や人が集える場所のこと。
この両方が必要だと思うんです。そして「ソフト」面として始めたことは「だんぢりキッチン」でした。
「だんぢりキッチン」とは、公園などの開かれた場所で、地元の野菜や食物をもちより、みんなで料理をつくること。
料理を食べるだけでなく「一緒につくる」ことにも重点を置き、それによって参加者の自然なつながりを促そうという目的で、西さん自らリヤカーを引いて始めたんです。
西さん だんぢりという祭礼の風習は、大阪の南部、岸和田とか深井とかに多いんですが、泉北ニュータウンには、少ないんですよ。
だんぢりの何がいいって、あれは、祭りやイベントに見えるんですけど、実は、その1日にむけてみんなで練習をしていって縦横のつながりを強固にし、しっかりと地域の中でつながれるようなもんやと僕は思っているんです。
しかしそれが泉北にはない。じゃあそれに変わるようなものがあるかと思ったら、キッチンがいいんじゃないかと。いわゆるシェアキッチンなんですけど、そこで話しながらみんなで料理をつくるということで、だんぢりみたいなつながりが生まれたらいいな、っていうのが最初です。
そしてもうひとつの「ハード」(=場所)であり「ソフト」(=イベント・出来事)の側面も含む「人をつなぐ場」として行ったのが、「暮らし はたらき つながる箱」の設立です。
独立行政法人都市再生機構のサポートをうけ誕生したこのコワーキングスペースに込める想いは「職住一体のくらしをしたい」ということ。
ただの家ではなく、そこに厨房や工房など「働ける場所」をつくって、働きながら暮らすということができたら、というアイデアから始まったこのコワーキングスペース・プロジェクトは、リノベーションを進めてきた西さんならではと言えます。このコワーキングスペースにはもちろんオープンキッチンがあり、だんぢりキッチンも実施しました。
西さん 僕の考えるコワーキングスペースのキーワードは、「ブレイン」です。これは「ブレインストーミング」と、仲間という意味の「ブレイン」の2つの意味があります。
このコワーキングスペースで単に仕事して終わりではなく、出会って会話が生まれて、一緒にブレインストーミングしたり、文字通りブレインになって仕事をしたり。「ブレインする?」みたいな感じでつながっていってもらえたらいいなあと思います。
泉北ニュータウンには、いろんなことをしたい人がいっぱいいます。そういう人がもっと集まってくる地域になって、いろんなことが点で発生して、それが線になって、面でつながっていくような将来像を描いています。
そのためにも、自分は設計士ですが、設計っていうのは全体を考えるので、プロデュースも大事なんですけど、自分自身がプレイヤーとして動いて、それを見てもらうほうが重要。そういう生き方をしていきたいなと思います。
共通する視点は「今あるものを活用する」ということ
苅谷さんと西さんのお話に共通するのは、どちらも「今あるものを活かす」ということ。
苅谷さんはすでにあった自宅のレモンと、美しい泉北ニュータウンの環境を。西さんは建築士の視点で昔から存在している泉北ニュータウンの建物や場所、人々の関わりを、それぞれどう活かすかという点が、プロジェクトに大きく反映しています。
苅谷さん 私のなかでは泉北は日本一、世界一素晴らしいまちという思いがあるんです。
緑豊かだし、食も農も近くて豊富だし、人もみんな温かい。豊潤な土地と柑橘類の育成にとても向いた気候をレモンづくりに活かして、高齢化が進んで空いて放置されている農地も、みんなで耕して活用していけるというのも、泉北ならではだと思います。
わたしは、「宝物は自分の手の中にある」と思ってるんですけど、今あるものを活用して、まち自身の素晴らしいところを、もっとみんなに伝えたいと思いますね。
西さん 「その時代に生きる建築技術者」になりたいという思いが、僕にはあって、自分がどんなことを思って今に生きるかを、仕事に反映させたいんです。
リノベーションのように、もともとあるものを利用して、世の中に蘇らせるということは、これから10年20年、どんどん加速していくと思うんです。
そして、持続可能であるためにも、僕は「仕事がある泉北ニュータウン」を目指したいので、つまりは、仕事がないところに仕事をつくっていかなあかんわけです。だから、僕がコワーキングスペースをつくることで、そこで仕事が生まれるような仕組みをつくりたいですね。
まちづくりに潜むジレンマ
西さんがおっしゃるように、持続可能であるためには、まちづくりにも仕事=つまりは収益が必要です。
しかし、なかなか収益に直結しないという問題も、まちづくりや地域再生にはついて回ります。どうやって利益を生むか、そして、なかなか利益を生めないなかで、どうやってメンバーのモチベーションを保てばよいのか?
苅谷さんの「泉北レモンの街ストーリー」は、それがうまく機能している好例といえます。補助金などに頼らず、レモンプレート、マーマレードなどの加工食品の販売によって、直接的な利益につながるしくみを活動開始時からつくり上げていました。
西さん 苅谷さんの企画は、すでに仕事を生んでるわけで、それは素晴らしいなと思うんです。
「お金儲け」っていうと変な言葉ですけど、儲けられる仕組みっていうのは、持続するためには必要なことですし、世の中に認められるものを自分もつくらないとお金が生まれない、というのは、プレッシャーでもあります。だからこそ、「職住一体のくらし」を掲げています。
苅谷さん 私が最初にプレゼンをして集まった13人は、みなさん生活もあるし仕事もあるし、活動に対する距離感はバラバラです。でも、目指すものは一緒、想いも一緒なので、結束は固いんですよね。
ミーティングもたくさんしていて、いろんな前向きな意見が出ます。そこは私、ほんとにみなさんに感謝していますね。
西さん やはり大事なのは「想い」ですよね。収益性ってなかなか難しい。
だから、最終的には、自分次第でいいと思うんです。まちづくりにおいては、自分がどれだけその地域を楽しめるかですね。
日本全国でありとあらゆるまちづくりが盛んになって久しいですが、この「人」「モノ」「金」問題は必ず立ちふさがるもの。そんな課題に向き合うとき、苅谷さんのように、共感してくれる仲間をいかにみつけるか、そして西さんのように、「ソフト」「ハード」という多角的な視点でいかに問題解決を行うかが、重要なのではないでしょうか。
私が印象的だったのは、おふたりがとても活動を楽しんでいらっしゃること。楽しむことこそが一番のモチベーションかもしれません。
これからの泉北ニュータウン、そして…
そんなおふたりが、ご自身のプロジェクトを推し進めながら目指す泉北ニュータウンってどんなまちなのでしょうか。
苅谷さん 私、実は夢とかやりたいこととかがなかったタイプの人間で、市民活動なんかとも無縁でした。
でも、この春はじめてレモンをお借りした農地に何十本も植えて、その風景を見たときに、未来が見えたんです。
いまの世の中では、お金や人を投入すれば、時間って短縮できると思うけど、レモンが育つためには、時間は絶対短縮できない。そしたらその時間をどう過ごすかって考えたときに、生まれて初めて、10年、20年、50年先の未来が見えたんですよ。
自宅のレモンの木にレモンプレートを掲示してくださった方は、少なくとも「まちのために力になりたい」という思いを抱いてくださると思うので、「泉北ニュータウン、レモンのまちになったよね!」ってみんなで言ってる未来の風景が見えるんですよね。
そのゴールのために、私たちが目の前でやるべきことは明確なので、時間はかかることなんですけども、焦らずやっていきたいですね。
西さん 僕の場合は、これからですね。きっかけをいただいたので、あとはこれからどれだけ地域に根づいてやっていくかです。
僕には娘が3人いますが、子どもたちにとっては、このまちが故郷になっていくわけで、自分の故郷を誇れるような大人になってほしいです。
だからこそ、建築の仕事を通じて、少子高齢化でゴーストタウンになってしまったまちというよりも、そこからいろんな取り組みがあって再生して、いまこんなふうに良くなった! と思えるようなまちをつくっていきたいっていう思いはありますね。
また、大きな行政のまちづくりというようなことではなくても、個人レベルでやってどこまでいけるかというようなことを、自分の生涯かけてやってみるっていうのも面白いと思います。
僕は泉北を「チャレンジできるまち」にしたいんですよ。
泉北ニュータウンって、いろんな新しいことトライできるまちみたいやで、と思われる風土を育てていきたいですね。
いただいた答えは、泉北ニュータウンの未来だけでなく、おふたりの未来も詰まっているものでした。
情熱と明確なビジョンを持って、たくさんの人をレモンの輪でつなぐ苅谷さん。
建築士の視点から泉北ニュータウンのなかに新たなつながりをつくろうと、多面的にプロジェクトを進める西さん。
まったく違うように見えるおふたりのプロジェクトは「今あるものを活かす」という、とても普遍的な考えの部分でつながっていました。
そして、そこから周囲を巻き込んでいく姿は、同時に泉北ニュータウンを知らない人たちや、まちづくりに奮闘する人たちに対して、ひとつのロールモデルにもなりえるのです。
「今あるもの」とはつまり、苅谷さん、西さんご自身の持つ環境やスキルをも意味するのだと考えると、自分にも、今あるなにかを活かしてできることがあるということですよね。
50周年を迎えた泉北ニュータウン。100周年を迎える頃には、大樹となったレモンの木々が香り立つ心地の良い景観をつくり、職住一体の暮らしが育む多彩なコミュニティが広がっていることでしょう。今あるものを活かすことで生まれる豊かな未来。あなたも、そばにある物や人を大切にすることから、まず始めてみませんか。