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自分のすべてをさらけ出して、究極のリラックス状態にたどり着く。SMにおける“緊縛”のプロ・青山夏樹さんに聞く、“生きていていいんだ”と思える尊厳の大切さ

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2m先の丸いステージ上に、赤い着物を着た女の人が正座している。そっと目を閉じて呼吸に集中しているようだ。するとメタル調の激しい音楽が流れ、女の人の背後からステージ目掛けて縄がひゅんっと飛んできた。

これは2016年3月に開催された「BIND」という緊縛ショーの一幕です。縄を操るのはショーの主催者であり、緊縛師の青山夏樹さん。「BIND」では40分ずつ3人の女性を縛り、吊り上げ、それは素人の私が見ても「速くて綺麗!」がわかる縄捌きでした。

そして何より、縛られている女の人の表情の変化に驚きました。それは、体は縛られて苦しいはずなのに、同時に全てが解放されているような不思議なものだったのです。緊縛・SMと聞くとマニアックでエロティックなもの、と想像しやすいかもしれないですが、決してそれだけの雰囲気ではありませんでした。

ステージ上では一体何が行われていたのでしょうか?

緊縛ショー「BIND」主催者であり、AV作品において緊縛師として活躍されているこの道20年の青山さんに、SMの緊縛における苦痛と快楽の先には何があるのか、あまり語られない危険性を含め、じっくり話を伺いました。

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青山夏樹(あおやま・なつき)
・1970年 京都出身
・1991年 福岡でSMクラブでプロとしての活動をはじめる。
・その頃、久保書店発行の青年エロ漫画誌にて1年間エロ漫画を連載。
・2001年 SMを極める為上京。同年SMサークルを立ち上げ毎月プレイパーティーを行う。
・その後、魅せるSMを学ぶ為六本木のSMバーにてショーと本格的な緊縛を学ぶ。
・2004年SM専門ビデオメーカー「絶頂」立ち上げ。AV監督業/自社ビデオ制作開始。
この頃、ビデオ監督・緊縛の師として、乱田舞氏に師事。のちに二代目乱田舞襲名(但し現在は青山夏樹名義にて活動)。
・2012年安全な緊縛の為の啓発活動として「青縄会(せいじょうかい)」を発足する。
・2015年青縄会の緊縛指導の会「青学(せいがく)」開始。
NPO法人BDSMセーフティーサポート協会設立、同協会の代表理事を務める。
・2016年3月「現代緊縛入門」を共同執筆の上、自費出版にて発行する。
「女の子のための愛し方ノート(飛鳥新社)」出版
電子書籍「Mの扉」原作執筆
様々な舞台で緊縛ショーに出演。ビデオ監督、出演本数もそれぞれ200本を超える。
SM業界内外メディアの仕事も多く経験。

縄を通じて精神的につながる

長らくSMクラブで女王様として活躍していた青山さんですが、緊縛師という仕事を始めるきっかけはどういうものだったのでしょうか。

元々SMプレイで縛りは行っていたのですが、緊縛そのものに興味を持ったのは後に師匠となる人のショーを見たときですね。そのショーが女王様と奴隷(SとM)の精神構造と同じだったんですね。

例えば男性が女性を支配して性の奴隷にする、みたいな関係でなく、縄を通じて語り合い、心をつなぐという触れ合いのプレイだったのをみて、すごく興味をもったんです。

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photo 青山航

元々SMプレイを通して相手と精神的につながることへの興味が強かった青山さんは、その後半年以上かけてその人の元へ弟子入りし、改めて本格的に緊縛を学びます。そこでは、縄をかけることでどんな意味を相手に伝えるか? ということを問いかけられたと言います。

弟子入りした当初は師匠から、その女王様縛りをやめろ! と言われて困惑しましたね。

今振り返ると、女王様の時の縛りは「早くかっこよく魅せる」ということを一番に置いていたので、相手に対する気遣いというよりは女王様をかっこよく魅せるための縛りだったと思います。

しかし緊縛師としての縛りは、受ける相手のための、相手の心や体に合わせた縛りになるんです。そしてショーで披露されるような、相手の体を吊り上げる縛りは、相手が全部を投げ出して、究極にリラックスしてくれた時が一番綺麗で安全なんですよ。

なので緊縛師としての私の役目は、縄を通して相手が全てを投げ出すリラックスの境地へとたどり着くまでのサポートをすることだと思っています。

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そして緊縛はSMの中にある一つの表現であって、SMの関係の上に成り立つもの、と青山さんは続けます。そもそもSMとはどういう関係性を指すのでしょうか?

SMで興味深いのは、精神的な問いかけと会話によって相手のファンタジーを満たす事ができることなんです。例えば生きていく中で、自分の嫌なところや人生のうまくいかないことってあると思うんです。でもSMのプレイには、相手も自分も「これでいいんだ!」って思える瞬間があるんですよね。

それは、本能的に危険だ! と感じた時に、その人が自分の中に自分で強さが感じられる瞬間だったり、全ての感覚を完全に奪われることでやっと気持ちが楽になったり。そういう時に本当に子どもみたいな、計算のない無邪気な顔をみせてくれるんですよね。それって人間としてすごく美しい瞬間で、宝物のように価値のあるものだと思うんです。

なのでSMは「なぜ生きるのか?」を問うような、すればするほど哲学的なものというか…それはもうお互いになんですけど。

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緊縛は、江戸時代、さらには縄文時代にルーツがある

そもそも「緊縛」は、江戸時代の罪人を捕える捕縄術にルーツがあります。

その技術は武道に端を発し、現代でいう警察にあたる役人が独自の縛りの技が盗まれないよう、口伝によって受け継いできたもの。当時は罪人の罪の状況や身分によって様々な縛りの作法が存在し、さらには神道を基盤に、季節や方角によって縄の色を変えることもあったそうです。

そして捕縄の際に使う縄は、大麻草を使用した麻縄が主流でした。現代においても、お祓いなどの神事では、大麻縄が使用されています。緊縛と麻縄の関係についても、実は日本の信仰や文化に深いつながりがあるのだそう。

昔の文献を読むと、麻の縄には邪気を払う神聖な力が宿ると考えられ、それは今の神事にも脈々と繋がっています。実際、麻は繊維として抗菌作用があり、用いられる理由がきちんとありました。

罪人を縛る際にも、相手を浄化する意味もあって麻縄を使っていたようですが、相手の心に溜まったものを払う、そんな想いを持って縛ることは、今の緊縛にも通じるものがあると思いますね。

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青山さんが使用する麻縄。7mの縄1本を組み合わせることで様々な縛りができる。

さらに歴史を遡ると、麻縄は縄文時代の土器の模様付けや衣類にも使われています。

日本人は西洋化したって言われますけど、昔からある絶対譲れない思いはしっかり残っているんですよね。なので縄文土器と併せて麻縄が出土していることなんかも、いちSMマニアとして縄と信仰の歴史ロマンを感じるんです。

緊縛は古来から続く奥深い文化だと言えそうですが、それがただの性的なジャンルの遊びと思われるか、それとも大事な文化としてもう一回成熟するのか、今がすごい大きな分かれ目だと思うんです。

神道の思想を取り入れながら捕縄術として発展し、さらに浮世絵師が縄で縛られた人物を描いたことによって、大衆文化として華開いた緊縛は、昭和から現在にかけて、雑誌やビデオなどのアダルトメディアにおいて、緊縛を含む「SM」というジャンルが確立するまでになりました。

そしてテレビやインターネットの普及によって、「SM」という言葉は誰もがなんとなくイメージできるほど広まりました。しかしその中に「SM」を理解している人はどれくらいいるのでしょうか? 言葉とイメージが先行することで起こっている危険な状況についても話を伺いました。

捕縄術としての古典緊縛とSMプレイを楽しむための現代緊縛

最近では緊縛そのものに興味をもつ人が増え、その人気ぶりは海外で数多くの講習会や道場が開かれている程だそう。そんな状況について青山さんは、SMを伴わない緊縛の危険性についても指摘します。

ここ15年位、日本国内で人気のある縛りは、古典緊縛という、江戸時代の縛りを再現したものが注目され、模倣されるようになりました。一部で古典緊縛と言われる捕縄術の縛りは罪人を縛るためのものなので、暴れると余計に締まったりする危険な縛りですが、危険性が高いからこそ死に近付いて美しい、という特性があります。

更に海外でも人気の「吊り」は手足の自由を奪って体を宙に吊り上げるもので、一歩間違うと怪我をさせてしまう危険な縛りです。

一方で私がビデオ撮影などで行う現代緊縛は、相手の体を守ることを前提にしたものなので、怪我をさせないことはもちろん、縛った次の日も仕事にいけるような、安全で洗練された技術なんです。

そして現代緊縛は“あくまでSMプレイを楽しむためのもの”という前提が古典緊縛と大きく違います。

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photo 青山航

緊縛の危険性について話す際、青山さんの口調に熱がこもります。そこには緊縛の歴史や基礎知識をまとめた「現代緊縛入門」を発表するに至ったある背景がありました。

それは、パートナーからの緊縛事故報告がきっかけでした。青山さんのパートナーは、とある緊縛師を名乗る人に縛られた際に橈骨(とうこつ)神経麻痺を起こし手が動かせなくなり、青山さんの協力のもと治療を受ける事態に発展したのだとか。

そうした事実をSNS上で発表したところ、青山さんのもとに「実は…」とたくさんの事故報告が寄せられました。

たくさん寄せられた報告を知るたびに、その数の多さに本当にびっくりしましたし、胸が痛みました。私は弟子入りした師匠から口伝で麻痺についても学んでいましたから、そのような事故を起こしていないので、多くの愛好家がこのような状況に陥っている事は本当にショックでした。

緊縛は人の体に触れる行為なので、危険なものにするのは簡単だと思うんです。そして縛りを行う人や受ける人が増える一方で、今も技術は口伝で伝えられている世界なので、基礎知識を得る機会が少ないんですよね。

こうした事故を少しでも減らしたい想いから、『現代緊縛入門』を執筆しました。この本をきっかけに、緊縛についての基礎知識はもちろん、安全で洗練された技術が誰でも学べる状況になったら嬉しいです。

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さらに青山さんは、緊縛事故にあった人が相談できる窓口にと、「NPO法人BDSMセーフティサポート協会」を立ち上げました(現在webサイトを制作中)。今後は事故に遭ってしまった人のサポートを行いつつ、緊縛を学べる道場のような場所をつくることを計画しているそうです。

「生きていていいんだ!」という瞬間

青山さんが開催した緊縛ショー「BIND」では何度か、明らかに空気の変わる瞬間がありました。

そしてその瞬間、客席にいる私は、その場にいるけどいないような不思議な感覚になりました。その感覚について青山さんは、ステージ上での緊縛は、部屋でふたりでするよりも「究極にふたりっきりになれる」と言います。それは雑念や緊張を超えた先の、お互いに集中しかしなくなる瞬間なのだそうです。

私が緊縛をすることで本当にその人をサポートしてあげられる、そんな必要を感じる人とパートナーを組んでいます。そして相手が究極にリラックスしてくれた時は、観客にもふたりの絶対的な信頼が伝わったりするんですよね。ショーではその一部始終、演技じゃない瞬間を見てもらうことになります。

なのでショーを観てくださる人には、私のパートナーが緊縛という苦しみを超えてたどり着く、“生きていていいんだ”と思える人間の尊厳の大切さを、一緒に体感して貰えたら嬉しいですね。

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雑念や緊張を超えて、自分自身をさらけ出すことで、リラックスの境地にたどり着く。

それはある人にとってはスポーツをすることや、楽器で音楽を演奏する時間だったりするのかもしれません。はたまた旅先で海を眺めている時間に究極のリラックス状態を体感したことがある人も多いのではないでしょうか。

しかし、人との関わりの中でそんなリラックスできる “絶対的な”信頼のある関係性は、簡単に得られるものではありません。お互いのすべてをさらけ出すこと、それを受け止めてくれることは、SMや緊縛に限らず、心地良い人間関係の基盤だともいえそうです。

これからの人生の中で、そんな関係性を体感できることは何度あるでしょうか?

もしその関係が成立したなら、それは全てのことから解放され、自分自身に尊厳をもち、本当に必要な、生きる糧になり得るような瞬間なのではないでしょうか。

(Text: 並木香菜子)