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廃屋寸前の民家を、まちのみんなが使うレンタルスペースに。「うおまちのにわ 三木屋」を手掛けたブルースタジオ大島芳彦さんに聞く「これからの豊かさのつくりかた」

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みなさんのまちには、使われていない、古い建物や空き地はありますか?

誰にも気づかれることなく、ゆっくりと朽ちていく木造家屋。
空き店舗が増え、徐々にスラム化する商業テナントビル。

空き家は、自分の持ち物ではないために“他人ごと”と思いがちです。

空き家はまちの宝物。空き家の新しい使いかたをみんなで考えて、みんなで楽しく使って、まちを元気にする。「リノベーションスクール」を通じて、そうした事例が全国に生まれつつあります。

今回は、リノベーションスクールの立ち上げから関わり、北九州市小倉にある「うおまちのにわ 三木屋」のリノベーションの企画・デザイン監修を手掛けた株式会社ブルースタジオの大島芳彦さんにお話を聞きました。

リノベーションは、建築ではない

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photo by Shinichi Arakawa

大島芳彦(おおしま・よしひこ)
ブルースタジオ専務取締役。武蔵野美術大学建築学科卒業。米国Southern California Institute of Architecture(SCI-Arc)に学び1998年石本建築事務所入社。2000年よりブルースタジオにて建物ストックの再生「リノベーション」をテーマに建築設計、不動産コンサルティングを展開。活動域はデザインに留まらずマーケティング、ブランディング、まちづくりコンサルティングなど多岐にわたる。

北九州市小倉・魚町(うおまち)に残る、日本で最初にアーケードをつくった商店街「魚町銀天街」。この銀天街を中心に栄えてきた商店街の裏地には、長い間利用されず半ば放棄されたかのような住宅群があります。

それらの建物は、かつて表通りから細長く連なる商家の住宅部分でした。景気の上昇、街の発展にあわせて表通りに面した商店はビルに建て替えられテナントビルになり、奥に位置する家屋は放棄され小倉の中心地にありながらも、ひっそりと時が止まったかのように残っているのです。

「うおまちのにわ 三木屋」は、かつてはこの場で三木屋金物店の屋号で商売を営むとともに生活をされていた三木さんご家族が、ご商売を閉じられると同時に郊外へ引っ越し、20年ほど空き家になっていました。

築60年を超える木造の民家と中庭で、老朽化が目立つものの、昭和の時代に栄華を極めた小倉を象徴する商家としてとても立派な家だったんです。

オーナーの三木さんにお話を伺うと、ご近所の方たちがここを借りて結納をするくらい、地域の人からも一目おかれる建物だったそうです。ご縁あって、取り壊されようとしていた直前に第2回リノベーションスクールの対象物件にさせていただいたんです。

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リノベーション前は、ご覧のとおりの廃屋ぶり。壊さずにそのまま朽ち果てていくのは危険ということで、市は解体のための助成金を出すなどの対策を取っています

小倉・魚町にこうした資産が残っていることは30代以下の人にはほとんど知られていません。

そこで「リノベーションスクール」で出されたアイデアは、この場所をたくさんの人に知ってもらい、使ってもらい、街の人々が自ら使いかたを考える「レンタルスペース」にすることでした。
 
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まずは、こうした素敵な家がこのまちに残っていることを知ってもらうために、2日間のお掃除ワークショップを開催しました。お掃除が終わったら、みんなでバーベキュー!

過大な再投資(リフォーム工事)を伴う活用策よりも、できる限りありのままを残し、その使い方を地域の人とともにじっくり考えて行くほうがいいと考えたんです。

まず物置状態で、まともに人が入ることも出来なかった建物をお掃除ワークショップと称して学生たちが30人ほど集まって、大量のモノを整理し、ひとつひとつ撮影してアーカイブしていきました。

三木屋の歴史そのものが魚町の歴史。学生達にとってそれは歴史をひもとくような時間でした。

みんなでやった作業は、家の中を掃除して、詰まっていたモノの山を整理し、さらに選りすぐった家具、調度をもう一度建物内にアレンジし直すということ。

片付けていくうちに、三木屋と書かれた金物店時代の古い手ぬぐいが出てきたんです。

それをきれいに額装し直したら、三木屋の屋号が立派に復活。たくさんあったレコードを古いスピーカーにつないで聴いたら、当時の空気感まで戻って来るみたいで感動的でもありましたね。

その後、痛みがひどかった家屋の一部は撤去しつつそこを広い庭とし、そこに面する母屋は当時の面影をできる限り残すよう最小限の補修、修繕などを行い、全体をレンタルスペースとして事業化。地域の文化交流拠点として、その後活発に利用されることとなりました。

パーティーやギャラリースペースなどのほか、落語や演劇、ミニコンサートなどでも利用され、周辺における知名度は飛躍的に高まり、2014年5月にはオーナーさんご自身が運営する「三木屋カフェ」がオープンしました。
 
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かつて住んでいた家を一度は放棄し、もう解体しかないと考えていたオーナーさんが、リノベーションスクールをきっかけにその可能性に共感し決断した小さなレンタルスペースという事業。

慎重に様子を見ながらも、多くの人が参加し、訪れるようになるプロセスを見ているうちに、その先には「まちの人たちに自由に使ってもらいながら、自分でもカフェをやってみよう」と、顔の見えるまちの当事者として戻ってくる。そしてここに訪れる人みんなが当事者に変わっていく。

このように、今ある状況を改善し、使いかたを変えたのが、「うおまちのにわ 三木屋」なのです。

「日常の価値」をどう受け継いでいくか

廃屋寸前の木造住宅を、まちのみんなが使うレンタルスペースに変えていった「うおまちのにわ 三木屋」ですが、「リノベーションスクールで木造住宅を扱いたいと思っていた」と話す大島さん。
 
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僕が大切にしたいと考えているのは、「日常」をどう受け継ぐかということなんです。我が国では文化財の“保存”“修復”はお家芸みたいなもので、技術も非常に高いんですね。

一方で、あたりまえの「日常」を生活しながら誇りを持って使い継ぐメンタリティが希薄。これは欧米と比べて非常に劣る部分です。

文化財だけでなく、日常生活に対する誇りを持たないとそもそもの生活文化は潰えてしまうのです。

日常生活の中にこそ継承すべき文化があるはずだし、それをいい加減に扱っていては、真の豊かさは実現できないと思う、と大島さんは続けます。

江戸時代までは日本人のメンタリティーとしてその感覚は存在したはずなんです。

けれども、明治以降昭和高度経済成長に至る急速な近代化は、過去と日常を野蛮なものとして切り捨てようとする傾向が強くなってしまいました。戦後は顕著です。

特に小さくとも持ち家を推奨する住宅政策。財閥解体や農地解放も影響しているけど、日本の文化を解体してしまうような政策が次々ととられた。

日本の住宅政策でいちばん文化を解体することになったのは、土地所有の細分化とスクラップアンドビルドの新築至上主義をつくりあげてしまったこと、それから、建物を評価する仕組みをつくらなかったことだと思います。

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既存の建物を評価する仕組みはいまだに制度として確立していないため、住宅の価値は経年とともに落ちる一方。評価される仕組みがあれば、誰もが価値を落とさないように工夫をするはずです。

住宅を伝えるべき文化としてではなく、耐久消費財、つまりプロダクトと捉えて、どんどんつくるという政策をとったことで、日常生活のなかにあった「生活文化」を壊していってしまったのです。

税制もそうです。更地のままでは高い税率を課せられますから、とにかく何か建てなくちゃと、無意味で利己主義的な箱がどんどん建っていく。そこには本来の必要性や、街づくりという俯瞰した目線など存在しないですね。産業振興、景気対策として建てさせているんですから。

ヨーロッパでは、貴族や古い豪農なんかが文化の継承者。彼らは行政とは違う立場で街の価値を考えるし、制度的にも哲学的にも生活文化の継承に対する義務を負っていたりします。

文化を継承するために何かできるかを考えて、大島さんは、以前から古い木造賃貸アパートの再生を手掛けてきました。

「木賃アパート」とは、昭和の時代の風呂も無いようなアパートのこと。じつはそうした木賃アパートはまだまだたくさんあるのですが、高齢化した大家さんが無関心であるか、現行法では立て替えられない敷地であったり、修繕のための融資を受けられないといったようなケースが多く、結局放置されたりしている。空き家問題の中心に木賃アパートが存在しています。

木賃アパートを、かつての貧しさの象徴みたいに捉えて壊していくのは、日本人のかつての日常生活を否定しようとする悪い癖です。その日常の価値を再生したい、再発見をしたい。

木賃アパートや昔の団地は非常に合理化された「用の美」がつまった大変素晴らしい生活の器なんです。ここに価値を再発見するのは僕のライフワークですね。

実は学生の頃に進駐軍が暮らしていた木造平屋の米軍ハウスに住んでいたんですけど、その粗末だけれどシンプルで暮らしやすい家に一緒に住んでいた仲間とDIYをしたりして、住みこなして楽しんでいました。

工夫して協力し合って住みこなそうとするところに日本人の生活の豊かさの根源があると思うんです。

地方のリノベーションはなぜ面白いのか

米軍ハウスで一緒に暮らした仲間と、のちにリノベーションの旗印を掲げ、パイオニアとして走り続けてきた大島さんですが、「今は地方の事例が面白い」といいます。
 
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photo by Shinichi Arakawa

バブル経済崩壊以前の日本では、不動産事業とはハイリスクハイリターン。大きな投資リスクあってのハイリターンという認識が当たり前でした。近年都市部で多く見られる不動産事業の世界における「リノベーション事業」も実はあまり構図は変わらなかったりします。

つまり、再生なのか建て替えなのかはコストの大小の比較にすぎず、結果として高収益を上げることができるならリノベーションもOKという、あくまで地価、賃料の高い都市的ならではの経済合理性に基づいた判断なのです。

だけど、それでは地価、賃料が格段に低い地方では絶対にリノベーションの選択肢は成り立たない。東京だろうが地方だろうが、建築工事費は変わらないから、著しく投資効率が悪くなってしまうんです。

単純な貨幣経済のなかで投資するリターンとしてリノベーションを考えていては、全国でリノベーションは普及しえません。

地方に行くと、そこをお金ではないもので一生懸命解決をしようとしている。仲間を集めるとか、仕組みを変えるとか、そんな活動も状況を改善するための「リノベーション的活動」なわけですよ。

だから、リノベーションをもっと広義に捉えて、日本の状況を編集し直すとか、仕組みを変えていくとか、そういうところまで捉え直して解決していかないと、問題を先延ばししているだけなんです。

今の地方の状況はいつか東京にも来るわけだから、地方から学べることはたくさんあるはずです。

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現在、日本には800万戸を超える空き家があるといいます。空き家率は13.5%、言い換えれば約7軒に1軒は空き家ということ。もはや異常事態であるともいえます。

つくり続けてきた時代から、使われていないストックをどう活かすかを考える時代へと大きく転換しているなかで、空き家という事象は、今後さらに切実感をもって、私たちの目の前に積まれていく課題となるのです。

誰も解決してくれません。解決できるのは自分自身と志を同じくする仲間たちです。
他人ごとにせず、当事者になること。
できることからとにかく行動すること。

もし当事者として行動を起こしてみたいと思ったら、お近くの地域で開催される「リノベーションスクール」に参加してみてはいかがでしょう。

北九州の次回開催は来年の2月。そして熱海市、山形市、鳥取市、浜松市、和歌山市などで展開され、東京でも来年の3月に始まります。

ぜひ開催スケジュールをチェックしてみてくださいね。

[sponsored by リノベーションスクール@北九州]