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ゆるく、楽しく、誠実に「良いところですね」と言い続ける。奈良県吉野町の地域おこし協力隊・野口あすかさんに聞く「“任期後の暮らし”のつくり方」

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特集「マイプロSHOWCASE関西編」は、「関西をもっと元気に!」をテーマに、関西を拠点に活躍するソーシャルデザインの担い手を紹介していく、大阪ガスとの共同企画です。

日本各地で活動する「地域おこし協力隊」。その目的は、人口減少や高齢化などの進行が著しい地方において、地域外の人材を積極的に誘致し、その定住・定着を図ることで、地域力の維持・強化につなげていくというものです。

そして、多くの方がご存知の通り、地域おこし協力隊の任期は3年間。つまり、協力隊員たちは任期が終わると、もともと暮らしていた場所に帰るのか、その地域に残るのか、選択を迫られることになるわけです。残るにしても、仕事がなければ残れません。

協力隊の方たちが任期後どうしているのか、仕事をつくっている人は、どのようにして仕事をつくったのか、気になったことはありませんか?

吉野郡吉野町。奈良県の中南部に位置し、日本でも有数の良質な杉・檜の生産地として栄えたこの町で、2年半のあいだ協力隊員として活動してきた野口あすかさんは、任期後も吉野町に住みたいと考え、この地域での働き方・暮らし方を、独特の“ゆるさ”と“誠実さ”をもって組み立てつつあります。

今回は、野口さんの取り組みから「地域おこし協力隊」の、“任期後の暮らし”のつくり方を探ってみたいと思います。
 
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野口あすか(のぐち・あすか)
愛媛県生まれ、岡山大学教育学部卒。東京で旅する建築家に出会い、木造建築と町並みの奥深さを教えてもらう。京都・愛媛・奈良で建築の仕事に細々と関わる。職業訓練校で家具作りを学び、中古家具店でも細々と働く。2012年から奈良県吉野郡吉野町で地域おこし協力隊として活動を開始。「吉野貯木」という場所で、いろんなことに取り組んでいる。木が好き、動物が好き、本が好き。

地域の“やりたい”を共に楽しんだ二年半

吉野町には、現在7人の地域おこし協力隊員が活動しています。野口さんが吉野町にやってきたのは2012年の夏。山から切り出してきた木を加工する製材所がたくさん集まった「吉野貯木」と呼ばれる木材団地の応援を任されました。

それから2年半、役場や貯木場から頼まれること、頼まれていないけど勝手に楽しむことまで、さまざまな取り組みを行ってきた野口さん。まずはその活動の軌跡をご紹介します。

1.吉野材を使った暮らしの道具デザインコンペ

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「暮らしの道具デザインコンペ」は、吉野材のブランドイメージの回復を目的に、その名の通り、吉野材(主に杉・檜)を使った“暮らしに寄り添う道具”のデザインを募集するというもの。

吉野材を使った“デザイン部門”と、吉野材にこだわらずに道具としてあるものを改良する“リデザイン部門”に分けて作品を募集し、書類選考、吉野町で会場最終審査を経て受賞者を決定。

野口さんはコンペに合わせて発足した「吉野と暮らす会」事務局として、コンペまでの準備、当日の運営はもちろん、リデザイン部門の立ち上げを提言し、審査員のコーディネート、フライヤーのデザイン、製品化に向けた調整などを担当し、現在も、受賞作品の製品化に向けて動いている最中だそうです。
 
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コンペ最終審査風景

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デザイン部門 最優秀賞 「杉のパンケース」

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同時にフォーラムも開催

2.吉野貯木まちあるき

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デザインコンペの最終審査日はフォーラムやパネルディスカッションなどが予定されており、前日から宿泊する審査員や出展者の方々がいました。

この機会に「吉野貯木の魅力を広く知ってもらいたい」という声が吉野貯木の製材所の方から上がり、宿泊者向けに、製材所など13カ所を巡るまちあるきを実施することに。

以降、2年間で合計3度行い、着実に協力者・参加者を増やし続けています。最初はあまり乗り気に見えなかった製材所の方たちも、お客さんが来るとすばらしいホスピタリティーを発揮。役場と貯木場の距離感が縮まったりと、いろんな効果が生まれているようです。
 
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3回目の様子。回数を重ねるごとに参加者も、役場からの協力者も続々と増えていきます

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この日のために役場は「一日吉野杉檜課」を創設。なんと木簡に書かれた辞令書まで用意

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町長から、参加する職員に木簡の辞令書が手渡される場面も

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今年3月の3回目はこの賑わい。参加者は200人を越え、協力工場も38にのぼりました

3.ガンガンノリノリツアー in 吉野

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デザインコンペをきっかけに発足した「吉野と暮らす会」は、「Re:吉野と暮らす会」と名前を少し変え、引き続き、吉野と吉野貯木のアレコレを発信していくためのゆるい器として、存続し続けることになりました。そのノリが生かされたのがこの企画。

豊かな自然やものづくりの様子を感じてもらうため、製材工場が集まる吉野貯木と、割箸工場、和紙工房などが集まる国栖地区を自転車に乗って駆け抜けるツーリングツアー。川に浮かべた吉野杉丸太の1本乗り体験や、木製カヌー体験、行灯づくり体験、地元の温泉にも入れるおまけ付きです。

吉野川の南岸から北岸という“ガンガン”で、自転車と丸太に“ノリノリ”することから、「ガンガンノリノリツアー」というユニークなネーミングになったとか。

夜は「吉野チョボトーク&BBQ」と題し、サイクリストの山田美緒さんを招いて貯木場でトークライブを開催。吉野の地酒やBBQを楽しみながら、産業観光とツーリングの可能性を探りました。
 
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日本全国から自転車乗りたちが吉野に集合

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製材所社長がこのツアーのためにつくってくれた木製カヌーで川遊び

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吉野杉の丸太1本乗り。昔はこうして木材を岸に寄せたりもしていたのだとか

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国栖でつくられている手漉き和紙を使った行灯づくりにも挑戦

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貯木場でトークライブ&BBQ

4.『ちょぼくブック』

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『ちょぼくブック』は吉野貯木に関わる人や工場、吉野林業のこれまでの歩みや現在の姿を紹介するフリーペーパーです。

誕生のきっかけは、地元出身で吉野のディープな情報発信を行う「吉野スタイル」の磯崎典央さんとカメラマンの山本茂伸さんという、野口さんのよき理解者のお二人が「こんなんつくったらどうやろうか」と役場に持ちかけたことなのだとか。

役場の担当だった山田芳雄参事がおもしろがってくれたこともあり、野口さんが編集長としてメンバーを招集。

編集ライターの砂川みほこさん、イラストとデザインを、カヌーをつくってくれた社長の娘さんである乾智美さんに声を掛け、この5名で「ちょブック制作委員会」を結成。約9ヶ月という期間を経て、2014年3月に発刊されました。

自己実現したいことがなかった

このように2年半、さまざまなプロジェクトを通じて、地域の方々との関係性をつくりながら実績を積み重ねてきた彼女。

そもそもどんな経緯で、どんな思いで吉野にやってきたのか訊ねると「実は…のんびりしようと思って…」と苦笑いしながら、そのきっかけを話してくれました。
 
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愛媛県出身で大学は岡山大学、心理学専攻でした。卒業後は大学院に行くかギリギリまで悩んでいたんですが、何気なく受けた住居学の授業で、道をポーンと変えてしまいました。

あれが、人生のターニングポイントだったなと思います。先生がしてくれた「環境が人をつくる」という話を聞いたときに、私は人に対して直接何かしたい訳ではないんだな、と気がついたというか。

今うまくいっていなくても、状況が変わってうまくいくこともあるんじゃないか、周りの環境を変えることで何かしら変化を促すことができるはず。その視点は今も大切にし続けていると思います。

そして大学を卒業後、建築を学ぶために東京の専門学校へ。その後は京都の設計事務所に入るも、あまりの忙しさに体と心の調子を崩し退職。

愛媛でしばらく休養した後、奈良県の橿原市にある吉野杉で住宅を造る工務店で勤めている頃に、ひとつの転機が訪れます。

夜遅くまで、体も心も酷使して働く先に何があるんだろうという思いがずっとあって、悶々としていた時期やったと思います。

そんなとき、奈良の「県立図書情報館」というところで、乾聰一郎さんが、働き研究家の西村佳哲さんを招いての「自分の仕事を考える3日間」というフォーラムを企画していらっしゃったんです。

そこに参加していろんな人のお話を聞く中で、こんなふうに“自分で働き方をつくっていく”という生き方があるんか、素敵やなと。そこから職業訓練校で木工を学び、大阪に移り住んで、東大阪の若手がやっている中古家具屋でバイトを始めました。

このとき、バイトだけでも生きていけるんやなと思う一方で、「バイトだけで生きていくって大変やなぁ、都会だからやろうか?」とか疑問に思っていたら協力隊の募集を見つけて。仕事があるのは確約されているし、田舎に行ったらのんびりできるやろか、みたいな感じでやってきて、今に至っています。

「こんなことがしたい!」とか「こんな自分になりたい!」とか、もう諦めてしまっていて(笑)。自己実現したいことって全くありませんでした。でも、それがよかったんかなと。

しかし、野口さんにはのんびりする暇などまったくありませんでした。町から求められることを順にこなし、おもしろいと思うことには勝手に取り組み、やりたくないかもと思うことにも楽しめる形にアレンジしようとやっていくうちに、地域との関係性や彼女に対する信頼が少しずつ積みあげられていきました。

こう書いてみると、すごく簡単なことのように見えますが、数人ならまだしも大勢の人との信頼関係を築くのは、とても手間がかかることのはず。それを2年半でできたのには、何か理由があるのでしょうか?

吉野貯木には、もともと貯木を元気にしようと取り組んでいる若い人たちがいたんです。私はそこの仲間に入れてもらって、彼らが“したいけどできない”ということをさせてもらっているだけです。みんな仕事があるから事務局的なことは無理ですよね。私はそれができるから。

それから、キーマンとなる熱い人がたくさんいるんです。「吉野中央木材」の石橋輝一さんや「吉野スタイル」の磯崎さんなど、挙げだしたらきりがないですが、みなさんとお互いの思いとか、大切やと思うこととか、いろんな話をし続けています。「何か違うな」って感じる“違和感”を共有することって、すごい大事やと思うんです。

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貯木場の将来を担う若手のみなさん

ここが良い所だと言い続ける

そんな野口さんが、どんな思いで日々を過ごし、どんなことを大切にしているのか、改めて聞いてみました。

私は「課題を解決したい!」とか、仰々しい感じではなくて、もっとゆるくていいんじゃないかな、と思っているんです。3年ってすぐですよね。3年で地域が劇的に変わるなんてあり得ないし、変わるなんて微塵も思っていないです。申し訳ないくらい。

変わるって時間がかかることやし、自分だけでどうにかできることじゃない。それぞれみんな生き方や考え方があるし。貯木もまだまだ体制が整っている訳ではなくて、今できることを、できる人たちとやっている感じやし、それでいいと思っています。

とにかく大切にしているのは、この場所を好きやなと思って、楽しく生きていくこと。

今日も忙しかったな、大変やなぁと思っても、鳥もたくさん飛んでる。虫もいっぱいいる。やもりが日々太ってきているなとか、いろんな生き物が生きているんやなぁとか感じる。蛇が玄関にいても「みーさんは神さんやしな」とか思うと殺せない。

都会は人がいらないものを排除し過ぎている気がする。だから息苦しかったんかなぁとか思います。そういういろんなことの気づきが普通におもしろいんです。

吉野貯木の風景もほんまに好きです。働く町はほんまにキレイやなぁと、アホみたいやけど何回も何回も思います。「ここって本当に良い所ですね」って、町の人に言い続けていくことが私の役割なのかなと。

外からきた人に何回も「良い」って言われたら「そうかなぁ?」が「そうやろ!」って、なっていくんかなって。そんなんが好きやし、それぐらいが心地いいです。

「では、ずっと住むと決めているんですか?」と訊ねると、「それはわかりません」と彼女は答えます。

例えば、家族に何かがあるようなことがあれば、それはやっぱり家族を大事にせなあかんと思っています。だから、町の人に聞かれたりしたら「そうできたらいいなと思ってます」と伝えるようにしていますし、できない約束はしないようにしています。

もし出ることになったとしても、ちゃんと心を込めて関わっていたら、縁はつながっていくと思うから。

端端(はたはた)を楽(らく)にしたい

3年目の現在も、野口さんはなかなか多忙な毎日を送っています。「Re:吉野と暮らす会」の今年度の事業は「貯木プロジェクト」。

空き工場のリサーチと借り手のマッチングを進める取り組みや、貯木全体のホームページづくり、「木の町情報館」という情報発信拠点など、貯木場の体制を整えていく準備を始めました。

そして、地域おこし協力隊の仕事とは別の気持ちで取り組んでいる活動「ねじまき堂」。同じ協力隊の渡會奈央さんと「自分たちがほんまにおもしろいと思うことを、気兼ねなくできる場所がほしいね」ということでユニットを結成。 “吉野をデザインする”をテーマに、のんびりと活動を始めています。
 
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こちらがねじまき堂の拠点。ご縁で10数年閉まっていた元薬局を借りることができたそう

「ねじまき堂」という名前は、野口さんと渡會さんの2人が共通して好きだったつげ義春さんの『ねじ式』というマンガが由来。“吉野のねじを巻く”という思いも込めているのだとか。

しかも、名前を付けた後にここを掃除をしていたら、なんとねじが出てきたらしく「偶然ですけど、まさかって思いました」と野口さんは笑います。
 
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こちらがそのねじ。だるまもこの家の中からでてきたそうですが、ねじとは関係ありません

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明治時代に出版された『吉野林業全書』の挿絵を使ってつくった手拭いと箸袋

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取材中も「何のお店かと思って」と、町の人が次々やってきます

ここは気兼ねなく好きなことをする場所なので、事務所兼遊び場として使っています。自分たちがデザインした手ぬぐいや箸袋もちょこっと飾って、販売していたりもしています。

ついこの前は夏祭りがあったので、近所の子どもさんが喜ぶかなと思って、大阪の松屋町に駄菓子を仕入れに行って、売ったりしました。いつかかき氷をしたいね、とも二人で話しています。

ちょっとずつ商売人にならんとなぁとは思いますが、二人がやりたいことをしていくのが一番大事なことやと感じています。うまくいってもいかなくても、挑戦したってことを大事にしながら、二人でやれていることを楽しみたいですね。

野口さんの現在の収入源は、協力隊としてのお給料と町の塾講師のバイト料が中心ですが、ガイドヘルパーの資格も持っているのでたまにその仕事をしたり、物書きの仕事が入ったりもし始めています。

「町で求められることに、ちゃんと応え続けていたら仕事をいただけるようになってきました。稼いだお金はなるべく「ねじまき堂」の資金として貯めています」と野口さんは語ります。
 
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できたてほやほやのフリーペーパー『吉野だより』。今まで発行していた通信を新しいイメージに変えたいと吉野町よりねじまき堂に依頼がありました。“吉野町8300の人と暮らしに注目する”がコンセプト

そして、実は彼女、この7月に結婚し、旦那さまも吉野を気に入って、吉野での夫婦生活をスタートしています。こんな風に、吉野での暮らしを少しずつ整えつつある野口さんの“ほしい未来”は、どんな未来なのでしょう?

ゆるゆると暮らしていける、“端端(はたはた)が楽になる未来”です。

私の母さんが、おばあちゃんに教えてもらったという「はたらくとは端端(はたはた)を楽にすること」って言葉がなんだか好きで。もちろん自分のためにも働いているんやろうけど、こんな感じの気持ち忘れたくないなぁって。

足るを知りながら、バランスよく、距離感よく、奈央ちゃんや旦那さんや応援してくれる人たちと一緒に、“仕事をつくる”にチャレンジしていきたいと思っています。

未来に対して、確かな感覚とかはないんですが、なんとかなるかなぁって思っています。不安があるのも事実ですが(笑)

地方の町や村で必要とされることが、仕事になる。それって実は当たり前のことかもしれません。地方で暮らせたらいいな、と思っているみなさん、思い切って挑戦してみてはいかがですか?

取材中、彼女は何度も「ちょっとすみません」と断って席を立ち、ねじまき堂の前を通り過ぎる人に声をかけたり、挨拶をしていました。野口さんが行く先は、ゆるやかな笑顔で溢れています。そんな彼女たちがつくる未来が、今からとても楽しみです。