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ユニークな名前に込められた想いとは?南三陸のお母さんたちがつくる「おらほもあんだほもがんばっぺし!Bag」

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「ものづくりからはじまる復興の物語」は、東日本大震災後、東北で0からはじまったものづくりを紹介する連載企画です。「もの」の背景にある人々の営みや想いを掘り下げ、伝えていきたいと思います。

みなさんは、誰かを応援することで、自分自身が満たされるような気持ちになったことはありませんか?

津波で大きな被害を受けた南三陸には、全国から励ましの言葉やあたたかい支援がたくさん届きました。地元の人たちはその気持ちを受け取っていくうちに、「今度は自分たちが、全国の人たちを励ましたい」と考えるように。その想いをいっぱい詰め込んだのが、「おらほもあんだほもがんばっぺし!Bag」です。

今回は、このちょっと長くてユニークな名前を持つミニバッグの物語をお届けします。
 
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自分の力で収入を得て、社会とつながろう

このバッグをつくっているのは「南三陸ミシン工房」。震災後に生まれた縫製工房です。

代表を務める熊谷安利さんは、震災前は神奈川のオーダーカーテンショップで働いていました。退職して自分のお店を開く準備をしていたときに震災が起き、すぐに東北へ。

被災地で活動し一ヶ月が経ったころには、「カーテンショップを開きたい」という気持ちより、「東北で自分にできることをしたい」という気持ちのほうが大きくなっていたといいます。
 
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右上の男性が熊谷さん

熊谷さん その頃ちょうど、南三陸で「ミシンでお仕事プロジェクト」というプロジェクトが始まっていて、その運営に携わることになりました。

これは、「ミシンがあれば、支援物資でいただいた服のサイズを自分で直せるのに…」「介護が必要なおばあちゃんや小さなこどもがいて働けない。仮設住宅の中で仕事ができればいいのに…」という女性たちの声から立ち上がったプロジェクトです。

ただミシンを寄付するのではなく、ミシンの講習会も開き、ものづくりや仕事につなげてもらおうという狙いがありました。

ミシンと裁縫セットは約2万円。そのお金を生活費として使えばすぐに無くなってしまいますが、ミシンを使って仕事をはじめたら、それで4万円、20万円と稼いでいくこともできます。自分の力で働いて収入を得ることは自信になり、社会とつながっている実感も得られます。

熊谷さん 被災地にしばらくいて、「物資の支援が落ち着いてきて、次に必要なのは仕事と生きがいなんだな」と思ったんです。

当時の南三陸には、やることのない仮設暮らしの中、辛い記憶ばかりが蘇り、夜寝つけずに睡眠薬を服用している方も大勢いました。眠れないときにミシンでものづくりを始めると、気持ちが落ち着く。そんな声をたくさん聞きました。

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ミシンを手にしたお母さんたちは少しずつ腕を上げていき、トートバッグやエプロンなど、完成度の高い製品がつくれるように。首都圏で販売をはじめたところ、評判も上々。2011年11月には「南三陸ミシン工房」というブランド名で販売していくことを決め、活動が本格的になっていきました。

被災したからこそ、伝えられる言葉がある

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「工房の象徴となるような、オリジナル製品がほしいね」。活動を続けるうちに工房内でそんな声が挙がるようになりました。自分たちらしいもの。つくりたいと思えるもの。無理なく継続できるもの。そんな視点から、商品開発がはじまりました。

まず、生地。熊谷さんの前職のツテでカーテン業者の方々からカーテンの見本生地を寄付してもらえたので、それを活用することに。ただ、カーテン生地はエレガントな柄が多いので、ターゲットが偏ってしまいます。そこで、生地を組み合わせて柄のインパクトを軽減し、ひとつのバッグをつくることにしました。

形は、18cm×18cmの正方形。ひとつひとつ色・柄の組み合わせが違う一点モノで、中央には「Hang in there!(がんばろう、くじけるな)」という文字がプリントされています。そこには、こんな想いが込められていました。
 
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全国のみなさん、応援を本当にありがとう。私たちは震災で失ったものも多いけど、笑顔でがんばっていたら、嬉しいことも、素敵な出会いもたくさん起きました。

だから、あんだも、がんばっぺし!

私たちは私たちの場所で。あなたはあなたの場所で。

それぞれの毎日を、それぞれの場所で、一緒にがんばっていけますように。

このバッグの商品開発を手伝っていたデザイナーの吉田裕美さんは、こう話します。

吉田さん たくさんの人から「がんばれ、がんばれ」と応援されて、お母さんたちは「ありがとう」と伝えたい、自分たちも誰かを励ましたい、って思っていたんです。津波の経験を乗り越えたお母さんたちだからこそ、説得力を持って言える言葉だと思いました。

お互いに支え合い、受け取り合う関係


製品には一つひとつにつくり手の名前と似顔絵が描かれたタグがついています

こうして完成した「おらほもあんだほもがんばっぺし!Bag」は評判になり、イベントではすぐに完売。製品にはつくり手のお母さんたちの似顔絵と名前の入ったタグがついているので、購入してくれた方から名指しでお手紙が届くこともたくさんありました。

「復興支援のつもりで期待せず買ったけど、開けてみてびっくりしました。一ミリの狂いもなく綺麗に仕上がっていました。大切にしますね」「お母さんたちのメッセージを読んで、当たり前の日常がどれだけ大切だったかを実感しました。自分もがんばらきゃ、と思いました」

そんな声に、お母さんたちはときには涙ぐみながら喜んでいたといいます。
 
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熊谷さん 「どうして生き残っちゃったんだろう」と自分を責めていたお母さんが、誰かの役に立つことができたおかげで、「生きていてよかった」と思ってくれる。そんな姿を見て、私もこの活動をしてよかったと思いました。

吉田さん ミシン工房のお母さんたちって、ほんとうにいい笑顔で笑うんです。自分の周りにこんな笑顔の人いるかな、自分が年を取ったとき、こんないい笑顔できるかな、と思いました。

苦しい状況を乗り越えてきた人たちの強さというか、しなやかさというか、そういうものに、とても心を打たれました。こんな人たちに出会えるなんて、得しちゃったなって思います。

「お母さんたちのために何かをしてあげているという気持ちより、お母さんたちからたくさんのものを受け取っているという気持ちのほうが大きい」という吉田さん。

一方的にどちらかがどちらかを助けたり、支援したりするのではなく、お互いに支え合い、お互いに受け取り合う。このバッグをきっかけとして、そんな素敵な関係がお母さんたちとさまざまな人々との間に生まれているようです。
 
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「おらほもあんだほもがんばっぺし!Bag」は、南三陸ミシン工房の知名度を上げ、お母さんたちのやる気とスキルを伸ばしてくれました。今年1月には待望の工房も完成。

それまでは公民館などを借りていましたが、拠点となる建物ができたことでものづくりがしやすくなったそう。熊谷さんは「さまざまな仕事を受けていきたい」と意欲を燃やします。
 
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熊谷さん 地震大国の日本において、この震災は誰にとっても決して他人事ではないはずです。次はいつどこで災害が起きるかわからないんですから。

同じようなことが起きたとき、果たして都会の人は耐えられるでしょうか。でも、全てを失いながらも、ミシンを通じて前を向き、こうして新たな未来を歩んでいる人たちがいるということは、希望になると思うんです。だから、たくさんの人にお母さんたちのことを知ってもらえたら、と思います。

たくさんの想いが込められた小さなミニバッグ。あなたもこの商品を通して、南三陸ミシン工房のお母さんたちと交流しませんか?