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誰でも伝説を残せる村!“村通い”の仕掛け人「利賀ゼミ」伊藤悠さんに聞く「過疎集落・利賀村に若者が通い続けるワケ」

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この記事は、「グリーンズ編集学校」の卒業生が作成した卒業作品です。編集学校は、グリーンズ的な記事の書き方を身につけたい、編集者・ライターとして次のステージに進みたいという方向けに、不定期で開催しています。

みなさんは“過疎集落”と聞くと、どんなイメージを持ちますか?ほとんどの方は「何もない」「若い人がいない」など、「そこに行きたい!」と思わせる要素を思い浮かべることはないかもしれません。


富山県南西部にある利賀村も、そんな過疎集落の一つ。しかし利賀村には、なんと都会から毎月のように通う、若者たちがいるというのです。彼らは「利賀ゼミ」というコミュニティをつくって、村で行われるお祭りに参加したり、村の方から手業を学びそれをみんなで楽しんだり、利賀村でさまざまな活動をしています。
 
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利賀村伝統行事「獅子舞祭り」に参加する伊藤さん

多い人では年間10回以上通う人もいるという利賀ゼミの生み親が、伊藤悠さんです。伊藤さんは現在、東北の復興に関わる仕事を東京でする傍ら、毎月のように利賀村に通い、5年間にわたって利賀ゼミを根付かせてきました。


なぜ、彼らはわざわざ利賀村に通いつづけるのでしょうか。「村通い」の魅力を伊藤さんに伺いました。

人口約600人の集落に年間10万人以上人が訪れる!

過疎集落である利賀村ですが、実は「世界演劇祭」や、そばによる村おこしなどで、80~90年代に地域活性のモデルケース地域として名をはせた村でもありました。

現在でも、山菜の採れる時期に合わせて開催される「新緑祭り」、大きな雪像や大迫力な冬の花火で人々を魅了する「そばまつり」など多くのお祭りが開催され、年間約11万人の人々が訪れています。
 
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冬のそば祭りは3日間で1万人近く来場者が訪れることも。

しかし、約70年前には4,000人近くいた人口が、現在では約650人(2013年8月)まで減少。すでにお祭りの規模が縮小し、初午と呼ばれる正月に行われる伝統行事ができなくなった集落もあり、人手がとにかく足りていない状況となっています。

「僕がやります!」村通いが始まったきっかけ

そんな利賀村と伊藤さんが最初に出会ったのは、大学卒業後のこと。「様々な地域のお祭りの中でミュージカルをやらせてもらう」というプロジェクトをやっていた友人に、「手伝って」と呼ばれた時の活動場所が、たまたま利賀村だったのです。

練習や準備のために短期間に何度も村に通う中で、村の方々との関係性が変化していくことに気づき、次第に村通いに魅力を感じるようになっていきました。

行くと、面白いことに段々仲良くなるんですよ。普通一回行って終わりですよね。でも、短期間に何度も行くから「雪かき手伝ってくれ」とか言われたりと、お客さんじゃなくなるんです。それが面白いなと思いました。

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短期間に何度も通ううちに、お客さんという立場ではなくなり、どんどん村の方々と仲良くなったそうです

そしてミュージカルも無事に終わり、いったん利賀村との関わりも終わりかと思いきや、その晩、村の方とお話する中で思わぬ展開へ。

最終日に泊めていただいた中谷さん(村の方)とお話していたのですが、その時に「来年もアート展をやりたいんだけど、もう人がいなくてダメなんだよね。もう来年はできないなぁ」という話をされ、とっさに「え、じゃあ僕やります」みたいに言っちゃったんです(笑)

「だから、なんとか約束取り付けてください。僕やりますから」って。それがすべての始まりでした。

こうして、村に来てまだ3か月ながら、大きなイベントを任されることとなった伊藤さん。仲間とともに村に通いつづけアート展を成功に導き、しっかりと約束を果たすことができました。

その後も「このまま終わっていいのかな?」という想いが消えなかった伊藤さんは、継続的に都会から村に人が通いつづけるような仕組みをつくるために、「利賀ゼミ」というコミュニティをつくり、口コミで仲間を増やしていきました。
 
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利賀村の上畠地区全体を使ってアーティストが作品を作成・設置する「上畠アート展」。写真は、感想を書いた付箋を貼り、思いを共有するためのボード。

誰でも挑戦ができる!?若者が成長できる環境

伊藤さんは「アート展という大きなイベントをあっさり任せてもらえた経験こそ、利賀村の大きな魅力のひとつ」と話します。

利賀村は、過疎の危機をみんなで共有しているからこそ、村を元気づける取り組みならなんでもやってみようという意識があります。そのため、特に地縁もない若者でもできる限りは挑戦させてみようという土壌があるんです。

利賀村は、冒頭でも紹介したような演劇祭や村おこしのイベントを通し、昔から外部の人を受け入れ慣れているのだそう。だからこそ、村のためならたとえよそ者でも挑戦させてくれる環境ができあがっているのでしょうね。

そしてそれが「若者にとって他では得られない成長の機会に成りうる」と、伊藤さんは手応えを感じています。

人間は自分でプロジェクトを行うことを通して、成長することができるのではないかと思っています。

都会ではいろいろと人の目があって自由にはできないことも多いけれど、利賀村ではいろいろと挑戦をさせてもらえる環境がある。それが、利賀村にとって新たな視点で捉えた場合の魅力だと思います。

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上畠アート展では、利賀ゼミメンバーの提案で、水鉄砲が遊べる場所を作らせてもらったそう。

お客さんではなく、親戚のような関係を!持ちつ持たれつの関係づくり。

伊藤さんは長野県出身。自分自身も田舎で育った経験から、都会の人が勝手にやってきて、自己満足して帰っていくような「地域活性」の活動は、もともと嫌だと思っていたそう。では、どうすれば長くつづく関係性をつくることができるのか。伊藤さんは村通いをする中で一つの仮説にたどり着きました。

短期間に集中して来ればいいと思うんです。「こういうことを一緒にやりましょう」というプレーヤーとしての関係性で。そうすることで、ただのお客さんではなく、親戚のような関係になれる。

一方的にもてなされる状態では、村の方の負担となり継続できない。大切なのはただ仲良くなるのではなく、気軽に「あれやってよ」と言われる関係になることだと伊藤さんは考えているのです。
 
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村中の草刈りは利賀村では村の方々全員参加の一つの行事。

実際、利賀ゼミメンバーは、自由に村の方の家に泊めてもらうことができるほどの関係になっています。しかもただお世話になるだけではなく、頻繁に草刈りや東京での物産展のお手伝いなどを積極的に引き受けて行っているのです。

そしてそれは村にとっても、人手が手に入ることだけじゃない、いい効果があるのではないかと伊藤さんは感じています。


たぶん村の人にとっては励ましになるのではないでしょうか。何もない村だと思っていたけど、魅力を感じて通いつづけてくれる人がいるというのは嬉しいことですよね。

個人の名で“足跡”を残していく学生達

伊藤さんに触発され、利賀村が持つ可能性に注目したのが、たまたま伊藤さんの友人と関わりがあった、産業史・経営史を専門としている慶應義塾大学商学部の牛島利明研究会でした。

研究室内の有志メンバーで「利賀プロジェクト」を立ち上げ、毎年10人近くの学生を利賀村に派遣。それぞれの問題意識をベースに、映画をつくったり、農地を借りて農業を体験したり、様々なプロジェクトが生まれています。
 
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利賀ゼミ農園という看板もつくり、トマトや赤かぶなどを栽培。

この学生たちひとりひとりと利賀村の人たちとの関わりの深さに、伊藤さん自身驚くことも多いのだとか。

みんなそれぞれの”伝説”を残しているように思います。あいつは、ああだったとか、こいつはこんなことして行ったとか。村の中に個人名称で残っている。学生の一人ではなく、ああ○○君ねって。

お客さんとしてどこかの町に行っても、名前を憶えてもらえることはあまりないかもしれませんが、自分から何かに関わることで、一人の人間として居場所を持つことができる。そんな温かい村だからか、大学を卒業しても利賀村に通うメンバーも多いそうです。

“村通い”のためにはバランスが大事!

利賀村にとっても、利賀村に通う若者にとってもいいことづくりのようにみえる“村通い”。とはいえ、プレイヤーとして地域に入っても、その目的が終われば関係が途切れてしまうこともあるかもしれません。

そこで最後に、「村通いをつづけるために、大切なこと」を伊藤さんに聞いてみました。

そこで何かやろうという「目的意識」と、特に目的がなくても行きたいという「土地や人への愛着」、両方のバランスがとれていることが大切なのかなと思います。

利賀ゼミはたまたまそれを両方持ち合わせていて、プロジェクトのためだけに行くのではなく、緊張感なく田舎に帰るように行くだけというわけでもないのです。

プロジェクトのためだけでもなく、ただその場所が好きなだけでもない。楽しみながらも深く関わる“ゼミ”という緩すぎないコミュニティが、ちょうどよいのかもしれません。

好きな場所で、意識的に「何かしよう」と思いながら関わることは、どの地域でもできること。みなさんも自分の好きな村に、通ってみませんか?

(Text: 竹田和広)