いつもの道を歩いていたら、そこにあったはずの建物がきれいに更地になっていた。
子どもの頃から見慣れてきた風景が、いつの間にか駐車場やアパートに変わっていく。
思い出の場所や風景が少しずつ失われていく気がして、寂しさを覚えたことはありませんか?効率や管理のしやすさを優先し、まちは姿を変えることが多くなりました。
でも、そんな変化とは少し違う道を選んだ「森」もあります。
宮城県仙台市の住宅街にある「台の森(だいのもり)」。豊かな木々に囲まれた敷地のなかに、陶芸教室やカフェ、レストラン、障がい者グループホームがゆるやかに点在し、あたたかな日常が育まれています。
しかし、ここはかつては「お化け屋敷の森」と呼ばれていた場所でした。
台の森の物語は、意思を持って「森を守り、いかしたい」と考えたオーナー・佐藤昌枝(さとう・まさえ)さんの想いに共鳴する人たちが集まり、動き出しました。
いくつもの顔を持つ「台の森」へ
JR仙山線・東照宮駅から歩いて10分。
閑静な住宅街を進んでいくと、ふいに大きなケヤキの木が視界にあらわれ、思わず足を止めました。入口に立って見上げると、気持ちのよい風が通り抜けました。
訪れたのは、平日の昼下がり。「台の森」には、次々とやってくる人の姿がありました。
お散歩がてら、スコーンを買いに訪れる親子。
カフェのあちこちで、会話を弾ませる人たち。
やわらかな光が差し込む窓際で、ひとりお茶を楽しむ人。
雪がちらつく12月だというのに、通りには学校帰りの小学生が半袖半ズボンで歩いている姿が見えて、思わず頬がゆるみました。
2020年にオープンした「台の森」は、緑豊かな約600坪の敷地に大小いくつもの建物が佇んでいます。カフェと陶芸工房が一体になった「Satomi kiln(サトミキルン)」、蔵を活用した「Satomi kiln Gallery(サトミキルンギャラリー)」、イタリアンレストラン「ラルゴ・トラットリーア」、そして障がい者グループホーム「なのはなプレア」。
敷地内には木漏れ日が差し込む散歩道があり、落ち葉を踏むたびにサクサクと心地よい音が広がりました。頭上では小鳥たちが枝から枝へと飛び交い、美しいさえずりが響いています。木の実を求めて鳥たちが集まるこの森は、生きものたちにとっても大切な居場所のようです。
もともとこの場所は、代々受け継がれてきた屋敷林でした。
かつては昌枝さんの祖父母と叔母が暮らす家がありましたが、20年ほど前から空き家になっていました。屋敷林は手入れが行き届かなくなり、伸びすぎた樹木からは枯れ葉や枯れ枝が落ち、近隣に迷惑をかけてしまうこともあったといいます。
先祖代々受け継がれてきた土地を、残したい。
はじまりは、昌枝さんの父の死をきっかけに訪れた「相続」です。
現在、舞踊家として活動する昌枝さんは、生まれも育ちも神奈川県横浜市。子どものころはお墓参りのために年に数回仙台を訪れ、祖父母の家に泊まりに来ていました。
しかし祖父母と叔母が亡くなり、家は長いあいだ空き家に。その後父が他界し、仙台に残された土地をどうするかという現実的な問題が残りました。税理士からは莫大な相続税がかかることを告げられ、土地の行く先を真剣に考え始めます。
土地を引き継ぐべきか。手放すべきか。
その選択を前にしたとき、昌枝さんのなかに自然と「残したい」という気持ちが湧きました。
昌枝さん 母も兄も「売ってしまってもいいのでは」という考えでした。でも、祖母が「先祖代々の土地だから守ってほしい」と、手書きで書き残していた言葉があって。それに、私は小さいころからここによく遊びに来ていたので、どうしても手放すイメージが湧かなかったんですよね。
祖母や叔母は緑や草木が大好きで、子どもや孫が生まれるたびに植樹をしてきました。先祖代々大切にされてきたこの場所を、なくすことはできない。そう考えた昌枝さんは、土地を手放すのではなく「この森をいかして残せないか」と模索しはじめます。
昌枝さん でもね、残すためにどれぐらいコストがかかるかなんて、何もわかっていなかったの。今思えば、あまり考えてなかったから、この選択ができたのかもしれません(笑)
昌枝さんがまず相談をしたのは、住宅メーカーの積水ハウスでした。敷地の一角にかつて父がアパートを建てており、その付き合いがあったことから、まずは話を聞いてみることにしたのです。
構想は5年。出会いから動き出した「台の森」プラン
「森の木を伐採して、また賃貸住宅を建てましょう」
積水ハウスの担当者からは、そんな提案が返ってきました。いわゆる「土地活用」の王道プランです。収益や維持管理のことを考えれば、もっともな意見なのかもしれません。
しかし昌枝さんは、森を残したいかし方があるのではないかと感じていました。
どうしたものか。
しばらく迷ったすえ、もう一度積水ハウスへ相談に向かいます。そこで出会ったのが、佐藤哲(さとう・さとし)さんでした。
昌枝さんは、「佐藤さんとだったら、ずっと一緒にやっていけそう」と、直感的に感じたといいます。きっかけは、何気ない雑談でした。
昌枝さん 話してみると、佐藤さんと共通の知人がいることがわかりました。その方と一緒にすごくマニアックなコンテンポラリーダンスを観に行ったという話を聞いて、この人はきっと面白い人だってピンときたんです。
一方の佐藤哲さんは、そのときの印象をこう振り返ります。
佐藤哲さん 最初にお会いしたとき、昌枝さんがご自身のことを「ガテン系です!」と自己紹介されたので、「なんの仕事をされている方なんだろう」と思っていました。昌枝さんがダンサーだということは、ずいぶん後になってから教えてもらいましたね(笑)
おふたりのやり取りからは、信頼の深さが伝わってきます。もちろん、ふたりが意気投合した理由はそれだけではなかったはずですが、この出会いをきっかけに対話を重ね、森にとっていちばん良い形を探し続けてきました。計画は二転三転し、「台の森」のプランが形になるまでには、5年もの歳月を要したそうです。
昌枝さん 普通は、土地活用の構想に5年もかけないですよね。でも、佐藤さんはそこまできちんと付き合ってくださいました。逆に、そういう方じゃないと、私はとてもやれなかったと思います。知識もないし、大きな金額を扱った経験もなかったから、正直、怖くてしょうがなかったんです。佐藤さんに、そういう不安な部分を一つひとつクリアにしていただいて、今があります。
“お化け屋敷”と呼ばれた森を「残す」という選択
昌枝さんには、森のように育った樹木を「できるだけ伐らずに残したい」という想いがありました。
しかし、長い年月をかけて成長した木々は家を包み込むように伸び、敷地の境には有刺鉄線。道路から中の様子は見えません。近所で「お化け屋敷の森」と呼ばれるほど、鬱蒼とした場所でした。
「森を残す」という選択は、そう簡単なことではありません。
そこで佐藤哲さんは、「木々を残すべきかどうか」を判断するために、何人もの専門家に現場を見てもらうことにしました。
佐藤哲さん ランドスケープの専門家や大自然との調和する設計を得意とする建築家、樹木医さんらに現地を見てもらい、診断を受けました。
すると、全員が口をそろえて「ここまでしっかり育ってきた樹木は残すべき」だというんです。そこで、倒木の危険性なども考慮しながら、風の向きや木の状態を確かめ、伐るべき木と残すべき木を一本一本見極めていきました。建物ありきではなく、森のあり方から場の設計を考えることにしました。
もちろん、このプロセスには地域の理解が欠かせません。
佐藤哲さんは、隣接する家々を一軒ずつ訪ね、これまでの経緯や計画を丁寧に伝えながら近所の人たちの声に耳を傾けました。なかには、森の木が太陽を遮りリビングに70年ものあいだ充分に陽の光が差し込まなかったというお宅もあったそうです。
そうして近隣の人たちとも対話を重ね、森は少しずつ「ひらかれた場所」へ姿を変えていきました。
森をひらき、この土地をどういかすのか。
当初はゲストハウスや保育園、介護施設、美容室、動物病院など、さまざまな案が挙がりました。紆余曲折を重ねてたどり着いたのが、店舗併用住宅を2棟をと、障がい者向けグループホームを併設する今のかたちです。
佐藤哲さん 個人に店舗を貸すことには、リスクも伴います。入居者の経営が厳しくなった場合でも次の担い手が見つかりやすいよう、大きな箱ものはつくらず、借りやすい規模にすることを提案させていただきました。
また、障がい者グループホームが計画メンバーに入ってくれることによって自然なかたちで地域共生が実現することに加え、30年の賃貸借契約が不動産事業の側面から見てもより安定性を増して無理のない運営を支える仕組みにもなっています。経済性と環境。その両立を目指した結果が、台の森のかたちです。
みんなで育ててきた台の森
台の森の風景をかたちづくる上で欠かせないのが、この場を営む人たちの存在。その人たちを引き合わせ、つなげてきたのも、佐藤哲さんです。
現在、「Satomi kiln(サトミキルン)」を運営する田代里見さんも、そのひとり。
里見さんは「里見窯」として陶芸を生業とし、台の森からほど近い場所で小さな店舗を構えて制作や陶芸教室を行っていました。しかし次第に手狭となり、「もう少し広い場所でやりたい」「緑の多い環境で作陶したい」と考えていたそうです。
そうした状況を知り、「テナントとして入りませんか」と声をかけたのが佐藤哲さんでした。
佐藤哲さん 里見さんとは、もう20年以上の付き合いになります。もともとは店舗併用住宅を建てていただいた地域コミュニティづくりに熱心な「二輪工房 佐藤」様から紹介され、積水ハウスの地域イベントで陶芸教室をお願いしたのがきっかけでした。以来、生徒さんとの関わり方も含め、その人柄をずっと見てきました。だからこそ、「この人なら信頼できる」という確信がありました。
しかも、里見さんは長年この地域で活動し、土地に根を張ってきた方です。この場所に入ってもらうなら、これ以上ない方だと思えました。新たに工房を建てるには負担が大きいけれど、借りるという形なら無理なく続けられるはずです。それでお声がけさせていただいたら、「ぜひやりたい」と言ってくれたんです。
さらに、里見さんの息子である田代 成(たしろ・なる)さんも加わります。
かつて長野のゲストハウスで働いていた成さんは、母・里見さんに声をかけられ、台の森の一員になりました。
成さん ここで生まれ育ったので、このあたりは子どものころからの遊び場みたいな場所でした。当時は僕も「お化け屋敷の森」って呼んでいて。母にここへ連れて来られて「ここでやるぞ!」って言われたときは、正直「マジ?」って思いました(笑)
そんな成さんは、子どものころから、母がつくる器がいちばんきれいで使いやすいと感じていたそうです。その器の魅力を、料理とともに伝えたい。それが、成さんのカフェづくりの原動力です。
里見さん 息子が近くにいるのは、やっぱり心強いよね。本当は嫌なことも何度もあったと思うし、自分がやってきた仕事をもう一度やりたい気持ちもあったかもしれません。でも、道って自然とできていくものだとも思うんです。彼が上京したときに、もう一緒に暮らすことはないだろうと思っていたけど、まさか同じ仕事をするようになるなんてね。息子の存在があって、ここまでやってこれました。
「Satomi kiln」としてオープンするまでには、構想から3年以上の歳月を要しました。店舗づくりは、大工の力や知恵を借りながら、DIYで進めてきたのだそう。時間も手間もかかる道のりです。
さらに、もともと敷地の入口に建っていた板蔵をいかし「Satomi kiln Gallery」として生まれ変わらせることにしました。
施工の様子を見に来た近所の人が「手伝おうか」と声をかけてくれたり、陶芸教室の生徒たちが壁塗りを手伝ってくれたり。地域の子どもたちと薪割りイベントをして、ストーブにくべる薪をみんなで用意した日もあったそうです。
カフェもギャラリーも、地域の人たちや友人知人など台の森を訪れた人たちがいつの間にか“つくり手”の一員になり、少しずつ形になっていきました。台の森は、だれかが計画してつくったというよりも、みんなで参加することで育ってきた場なのかもしれません。

「Satomi kiln Gallery」では個展や企画展を開催。この日は「クリスマスの贈り物 ― ponte de pieの靴下展 ―」が開かれ、色とりどりの靴下が並んでいた。里見さんが一人ひとりに声をかけ、靴下の魅力をしっかり伝えながらお客さんとのおしゃべりを楽しんでいる様子が印象的だった
人の流れが生まれはじめた森
2020年7月。地名の「台原(だいのはら)」にちなんで名づけられた「台の森」は、ようやくオープンの日を迎えました。
ランチやカフェ、ギャラリー、陶芸教室など、さまざまな営みが重なる「Satomi kiln」を中心に、森には人の流れが生まれています。
成さんが焼くサクサクのスコーンを目当てに訪れる人も多く、オープン直後からお客さんが途切れません。季節の素材を使ったスコーンは常時5種類ほどが並び、昼過ぎには完売してしまう日も珍しくないそうです。
台の森で過ごす時間は、不思議な心地よさに包まれます。それは、各店舗や場を営む一人ひとりが、この場の「つくり手」であるところなのかもしれません。
昌枝さん 私の中では、オーナーとテナントさんという関係ではなく、一緒にこの場所をつくり上げて、より素敵な場所にしてもらっているという感覚です。
里見さんと成さんでなければ、きっと今の台の森はなかったと思います。日々の雑草取りや落ち葉掃きも、自分たちのこととして当たり前のようにやってくださって。ここを借りているというよりも、「この場所を守っている」というような感覚で関わってくれているように感じています。
成さん 僕は、この場所が森だったころから建物が建っていく過程まで、全部を見てきました。だからこそ、この環境を守っていきたいという気持ちが強いんだと思います。
せっかく来てくれたお客さんには「気持ちよかったな」と思って帰ってもらいたいし、自分たち自身も庭がきれいだと気持ちよく仕事ができます。この森と一緒に暮らしていくような感覚で過ごしています。

台の森の一角に建つグループホーム「プレア」には、知的障がいのある女性7人が暮らしている。入居者さんたちはカフェのカレーが大のお気に入りで、ホームのお皿を持っていき「ここに盛ってください」とお願いすることもあるそう。自然な距離感のなかで、あたたかな関係が育まれている
森も場も、生きものみたいに変化し続けるもの
しかし台の森は、これが完成形ではないといいます。むしろ、変わり続けていくことを前提としているのだそうです。
佐藤哲さん 実はスコーンは、店内で売ってたんですよ。でも思っていた以上に人気になって、キッチンが手狭になってきて。それで、「これはもう外に小屋を作ろう」って話になったんです。
それから、毎日人の出入りが多くて、今度は里見さんが陶芸に集中できなくなってしまって。じゃあ作業用の小屋も必要だよね、って後から付け足しました。その時その時の状況に合わせて、台の森は必要な形に変わってきた感じですよね。
昌枝さん 私は、ずっと同じ形である必要はないと思っているんです。それこそ、“生きもの”みたいに、変化し続けていくというか。木も同じですよね。育っていくし、やがて朽ちていく。そうやって循環していくことがすごく大切だと思っています。
台の森に関わる人たちもまた、変化し続けています。
昌枝さんの息子・佐藤汰夫(さとう たお)さんは、この場所がまだ構想段階だったころ、小学6年生でした。昌枝さんの打ち合わせに同行し、待ち時間には、片隅で宿題をしている姿を佐藤哲さんもよく覚えているといいます。
そんな汰夫さんは2026年2月現在、22歳。大学で建築デザインを学んでいます。
汰夫さん 子どものころは、正直、台の森は自分とは関係のない場所だと思っていました。でも今は、自然と「いつか自分が受け継ぐもの」だと感じています。
ここまでくる過程をそばで見てきたからこそ「もともとあるものを、どういかすか」という考え方になりました。長い時間軸で見たときに、建物が地域とどんな関係を結んでいくのかということを現在進行形で学んでいます。
現在、汰夫さんは、これから台の森に新しく加わる建物の設計に、設計事務所のインターンとして関わっているのだとか。
一方の成さんは、この台の森の敷地で結婚式を挙げました。子どもが生まれ、いまでは小学生に。台の森も7年目を迎え、子育てもまた、この場所と同じ時間を重ねてきたといいます。
成さん 近所の方からはいまだに「成ちゃん、大きくなったわね」なんて声をかけてもらうことがありますし、同じパパママ世代の友人もお客さんとしてよく来てくれます。 この辺りには人が集まれる場所があまりないため、町内会の集まりの場として、お店を使ってもらうこともあります。この店が、地域の人にとっての憩いの場になっていたらうれしいですし、自分たちもまた、見守ってもらいながら成長している気がします。
見たい景色を「選ぶ」ということ
失われるかもしれなかった風景は、「森を残したい」というオーナーの想いをきっかけに、少しずつ風が通り、光が差し込む場所へと変わっていきました。
森をひらいたことで人が交わり、新しい景色が生まれています。
佐藤哲さん 入口にある大きなケヤキの木も、本当は伐る予定だったんですよ。ところが、それを聞いた里見さんが激怒してね。それでも、お祓いをしてもらって、「明日、いよいよ伐るぞ」という段階までいきました。でも、その夜に高熱が出たんです。朝起きて、「ダメだ、伐ったら大変なことになる!」って思ってやめたこともありました。
成さん 母は環境からインスピレーションを得る人なので、「入り口のケヤキの木を伐っていたらここには入らなかったかも」と言ってましたね。伐る、伐らない、って話の時はだいぶ荒れましたよね(笑)
10年以上の歳月をかけて育んできた台の森の話をはじめると、エピソードは尽きません。この場所には、関わる人の数だけ物語があるようです。
昌枝さん 効率的に考えたら、もっと違う選択もあったと思います。でも、ここはそういう場所にはしたくなかった。子どもの頃からの心地よい風景を次の世代でも感じてほしかったし、地域の方にとっても気持ちのいい場所にしたかったんです。
未来に、どんな風景を見たいだろう。
一人ひとりが選択することで、まちの景色もまた変化するのだとインタビューを通して感じました。台の森は決して、特別な場所ではありません。暮らしの積み重ねの先に、形づくられた風景です。
10年後、30年後、50年後。あなたはどんな景色を見たいですか?
(撮影:門傳一彦)
(編集:池田 美砂子)
















