インド出身のハルシュ・カプールさんは2012年に東京で旅行会社「株式会社サムライ・コーポレート・ジャパン」を設立、2025年に妻の亜弥(つぐみ)さんと大熊町に移住し、会社も移転しました。世界を股にかけてビジネスをする二人が、暮らしと仕事の拠点として大熊町を選んだのはなぜなのでしょうか。
尖ることでビジネスチャンスをつかむ
ハルシュさんはインドのデリー出身。高校生の時にいとこの勧めで日本語を学び始め、2005年の「愛・地球博」(愛知万博)のインド館のガイドとして初めて日本にやってきました。いったん帰国してガイドや通訳として働いた後、再び日本にやってきて、起業します。
ハルシュさん 2008年ごろから旅行会社に務めるようになり、駐在員として旅行の企画や手配、営業の仕事をするようになりました。そこで3年半ほど経験を積んで2012年に独立しました。大手旅行会社と仕事をしてきた経験を活かして、日本でインド専門の旅行会社をはじめたんです。
いわゆるパッケージ旅行を売るのではなく、日本の企業がインドを視察したいとか、日本のテレビ局が撮影をしたいという要望にあわせてオーダーメイドした旅行をアレンジするのが特徴で、これは現地を知っているからこそできることです。それから、旅行の企画だけでなく、世界各国への航空券の手配もやりますし、査証手配もやります。ビザの取得は知らないとハードルが高いので、ニーズがあります。
亜弥さん 他にも、学校の先生が先進的な教育をやっている学校を視察できるような旅行だとか、獣医さんが捨てられた動物たちを保護する施設を回る旅行だとか、ビジネスに限らずインドでさまざまなオーダーメイドの旅行をつくることをやっています。大手旅行会社の下請けだと金額勝負になってしまうので、独立してやるには尖るしかなくて。それでニッチな市場をターゲットにしたんだと思います。
ハルシュさん インドに注目している人や企業は多いです。メーカーにとっては人件費が安いのが魅力ですし、スタートアップも増えているので新しいビジネスを探す人にも可能性があります。人口が増えてマーケットとしても成長しているので、外食産業も注目しています。
亜弥さんは会社の経理や広報の仕事を担当しながら、個人で別の仕事もしています。
亜弥さん 私は今、インターネットや紹介でデザインの仕事を請けながら、デザインスクールの講師もしています。前職はバリバリの営業で1日中外に出ているような仕事でしたが、子どもがまだ小さい時に、保育園のお迎えに間に合わないことが何度もあって、これはもう続けられないと思ったんです。それでセカンドキャリアでできることを探して、デザインの勉強をして、今の仕事を始めました。
大熊町の教育に惚れて移住を決めた
ハルシュさんの会社はコロナ禍でのピンチはあったものの、比較的順調にビジネスを続けていたそうです。そこからなぜ大熊町に移住することになったのでしょうか。
亜弥さん 私もハルシュも再婚で、上に子どもがいるんです。その子たちが社会人になって家を出るタイミングで、仕事もほぼオンラインだし、どこでも生活できるねって話になって。それで、いろいろな土地に目を向け始めました。私も夫も都会育ちですが、繁華街に遊びに行くようなタイプではないし、私たち家族はベジタリアンなので外食もあまりしない。映画は家で配信を見ればいいし、買い物もドラッグストアがあれば生きていけるので、田舎に移住するのもいいなと思うようになったんです。
福島は、夫が友人を訪ねたり、仕事の兼ね合いで何度か来ている中で、気に入っていた地域でした。調べてみたら、放射能も大丈夫そうだし、いろいろな補助金もあることがわかって、真剣に検討し始めました。
ハルシュさん 昨年の12月頃に福島県の移住ツアーに参加して、川内村や飯館村などを見て回り、そのあとお試し移住で3日間ぐらい大熊町に滞在しました。その時に「学び舎 ゆめの森」を訪問して、小・中学校の教育方針が日本の一般的な学校と違っていてすごいなと思って。私たちは子どもにはバイリンガルに育ってほしくて、家では日本語、英語、ヒンディー語を使っています。ゆめの森は保育園でも週1回オーストラリア人の先生がいらっしゃるので、他の保育園・幼稚園より英語を話す機会があると思いました。
亜弥さん 実は私たちは英語教育のカリキュラムを販売したり、先生を幼稚園・保育園に派遣したりする会社に勤めていて、そこで知り合って結婚したんです。なので、特に小さい子どもの英語教育をどうするべきかについてはいろいろなことを見聞きしてきました。
私たちが販売していたのは、日本の幼稚園・保育園で毎日英語のレッスンをするようなプログラムでした。英語は、発音が間違っているとか文法が間違っているとか、そんなことを気にする前に始めないとダメなんですよね。そういう意味では、ゆめの森は小さい時から英語にふれる機会があるからいいなと。本音ではもっとガッツリやってほしいぐらいなんですけど。
ほかにも「自分の頭で考える子どもを育てているところに惚れた」のだそう。
亜弥さん ゆめの森では、ただ何かを記憶するだけの教育ではなく、どうやったらできるようになるのか、なぜこうなのかを考えさせる教育をしています。それが今の日本の教育に足りないものだとずっと思っていたので、いい学校だと思いました。移住先を選ぶ時に、教育を考えると海外も選択肢の一つだと思ったんですが、それを思いとどまらせてくれたのがゆめの森でした。ここならまだ希望があると思えた。それが大熊町に移住する最後の決め手になりました。
ほどよい距離感のあたたかい田舎
ゆめの森の教育が決め手となって大熊町への移住を決めたお二人ですが、実際移住してみて約半年、暮らしの満足度も非常に高いといいます。
亜弥さん いつも自然に癒されています。海が近いので、風が強くて冷たいんですが、景色がとてもきれいで。山が常に見えて空が広いし、四季の移り変わりも感じられる。熊の注意報もしょっちゅう出ていますけど、キジに会えたり、猿に会えたり、リスに会えたり。子どもも喜ぶし、私も夫もずっと自然が少ない環境で生活してきたので新鮮に感じます。
ハルシュさん 私もいちばんは自然です、山の景色がすごくいいですね。朝起きて空が広いって感じたり、夜、星がきれいに見えたり。海が近いし、山が近いし、人がそんなにいないし、車もそんなになくて、すごく住みやすいです。
亜弥さん あとは、田舎に引っ越してきたら、お隣さんとのお裾分けみたいなのを連想しがちだけど、そういうのはほとんどなくて。保育園のママ友やパパ友も、会えばわいわいがやがやおしゃべりするけど、休みの日は会わないし、連絡も取り合わない。都会から来た移住者が多いコミュニティなので、お互いに入り込みすぎない距離感が心地よいですね。
それに、地元の帰還者の方々もあったかくて。学校の運動会に子どものいない人も参加していて、町の運動会みたいな雰囲気なんです。そこで初めて会う人もたくさんいるんですけど、その後、盆踊り大会で再会したら、もう知り合いみたいな感じで声をかけてくれるんです。「大熊はどう?」って聞かれて「すごくいいです」って言ったら、ニコニコして喜んで話を聞いてくださって。あたたかいところなんだとすごく感じました。
そして、ビジネスの面でも意外な良さや可能性があるそうです。
亜弥さん 浜通りでインド旅行を専門でやっている尖った旅行会社があるということで、新しく取引先を紹介していただくことがあって。都会にいたらその他大勢の一つでしかないけど、地方に来たことで、存在感が出ることがあるんだと感じました。
ハルシュさん 第二創業として中古車売買や輸出入も考えていて。中古車は車が置ける広い土地がないと難しいので、この地域は適していると思います。あと、まだ飲食店が少ないので、インド料理のキッチンカーやビーガンのレストランができないかなと考えています。
亜弥さん 挑戦してみようと思ったら、補助金も充実しているし、距離感が近いので一緒にできそうな人を紹介してくれたりすることが普通にあるのがいいです。子どもの運動会で隣にいた人とお喋りしたら「仕事でつながれそう」みたいな出会いがあったりもします。
大熊町には未来しかない
お二人は、住んでみてあらためて、大熊町と福島県にこれからの可能性を感じています。
亜弥さん 教育だけでなく、町のもつエネルギーだったり、将来性を感じるところも移住を決めた理由です。町には空き家が多いですが、不動産を探しているときに、人が住まなくなって10年以上経った建物は、安全性や衛生面から残しておけないと伺いました。それは、良くも悪くも全部新しくするしかないということでもあります。全町避難して、ゼロから町をつくり直さなければいけない中でも、町全体が前を向いていて、エネルギーに溢れていて、面白さしか感じない。こんなに若い人が多い地方の町ってあまりないと思います。
何をやるにしても競合がいないから、やりたいことがある人にはチャンスしかないです。私もインド料理の料理教室とか、やりたいことがいっぱいありますね。
ハルシュさんは福島に外国人観光客を呼び込みたいと話します。
ハルシュさん 他の国の人たちにも福島の良さを伝えられたらいいです。今は東京、鎌倉、箱根、富士山、そのあたりで何泊かして帰ってしまうことが多くて、オーバーツーリズムになってしまっています。福島には会津もありますし、いわきもあるし、温泉もたくさんある。それ以外にも観光できるところがたくさんあるから、紹介していきたいですね。
亜弥さん うちはアウトバウンドが専門だったんですけど、海外の人に12市町村を知ってもらったり、福島の観光資源を開拓したり、そういうインバウンドもやっていきたいです。原発関係の最新のテクノロジーを学びたいっていう需要もあるかもしれないし、観光資源としてまだまだ可能性があるというのは見ていて感じます。
二人は事業を外から大熊町へともってくるとともに、新たな事業を立ち上げようとしています。それは大熊町に、教育を含めたさまざまな可能性を感じたからです。彼らだけでなくさまざまな人が入ってくることで、帰還者と移住者が一緒につくるからこそできる未来が大熊町から生まれてくるのではないでしょうか。
(撮影:中村幸稚)
(編集:平川友紀)




