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村の風景をつくる暮らしを。居住人口463人の葛尾村で大山里奈さんがカフェを営む理由

本記事はふくしま12市町村移住ポータルサイト『未来ワークふくしま』に2024年12月20日に掲載された記事の転載です。

鮮やかに色づく秋の山々に圧倒されながら、くねくねと続く山道をひたすら車で登っていくと、たどり着くのは、山あいにポツンと佇む小さなカフェ。車から降りて深呼吸をすると、体がほぐれていくような感覚に包まれました。

「玄関をつくり忘れちゃって、どうぞこの窓からお入りください(笑)」とおおらかな笑顔で迎え入れてくれたのは、オーナーの大山里奈(おおやま・りな)さん。茨城県出身で現代美術家でもある大山さんは、居住人口463人(2024年12月1日時点)の小さなこの村でカフェを営んでいます。

「営業中は、この旗が目印なんですよ」

そう言って、カフェの脇に立つ大きな木にスルスルと旗を揚げる大山さん。村の人が、いつ営業しているかわかるように差し入れてくれたというその旗は、まるで幸せの黄色いハンカチのようです。

大山さんはここで、アーティストとして活動しながら、風景をつくる暮らしの研究をしています。そこからなぜカフェを始めることになったのでしょうか。

アートと暮らしが融合したカフェ

福島県双葉郡葛尾(かつらお)村。山々に囲まれた自然豊かなこの村は、東日本大震災による原発事故で全村避難を余儀なくされました。2016年6月に一部を除いて避難指示が解除され、2024年12月1日時点で、村内に居住する住民は463人です。

そんな葛尾村で大山さんは、村に根差した暮らしと文化の研究室「合同会社いること」を設立し、2024年7月には「カフェ しずく」をオープンしました。

木造平屋の空き家をリノベーションした店内は、温かくも洗練された空間。店内の大きな窓からは、季節ごとに表情を変える田んぼや山々が見渡せます。定期的な作品展示やワークショップも開催していて、村の人や外から来た人がゆるりとつながることができる場にもなっています。

大山さん 村のおじいちゃんたちが畑で育てた野菜を持ってきてくれるし、おばあちゃんたちは煮物をおすそわけしてくれるし、カフェなのに逆に食べ物が集まってきちゃうんです(笑)これからここでは味噌づくりのワークショップもやりたいし、さまざまなアーティストの作品展示もどんどんやっていきたいと思っています。

左は大山さんの作品「光/drawing」。光や角度、見る人の気分によってその表情がかわる。右は友人の写真家の作品。展覧会なども開催できるよう、壁は白くし、ライティングにこだわった

アートと暮らしが融合したカフェは、村の人たちの居場所であり、誰もが集える公民館のようであり、大山さんが作品を生み出すための研究所でもあるようです。カフェの椅子に腰をおろすと、時間がゆっくり流れ出すように感じられました。

柔軟な考え方で広がったアートの可能性

茨城県牛久市で生まれた大山さんは、両親と姉が書道家という環境で育ちました。大山さんも2歳から筆を持ちましたが、書道の白黒の世界よりもっと自由な表現があるのではと美術の道に進みました。

美大への進学を目指したものの、試験になるとどうしても力を発揮できず受験ではつまづいてばかりだったと言います。

大山さん 点数を取るための勉強がどうしても好きになれなかったんです。「それテストに出ないから考えなくていいよ」と言われるのがすごく嫌で。だから受験はことごとく失敗して、浪人もしました。最後のチャンスだった京都造形大学の試験は、予備校の先生が「もうのびのびやってこい!」と言ってくれたので、本当にのびのび受けたんです。どうせ落ちるから、試験の後はハローワークへ行こうと思っていたくらいで(笑)そうしたら、合格通知が届いたんです。

京都での大学生活は、大山さんの価値観を大きく変えました。転機は大学2年生の時、世界的に有名なアーティストが集うサミットのサポートスタッフになったことでした。

大山さん サミットでは、社会問題について政治家や学者目線で語るのではなく、アーティストが語ったらどうなるだろうという視点で意見交換をしたんです。例えば、「国境線上にラブホテルをつくったら戦争は起きないんじゃないか」とかね。社会のあらゆる問題に対して、正攻法ではなく、柔軟な考え方で切り込んでいくことにアートの可能性を感じました。

日常の中に、アートの種がある

2011年に大学院を修了した大山さんは、故郷である茨城に戻り、アーティストの道を志しつつも中学校で4年間、高校で4年間、美術の教員を務めました。その後、母の他界をきっかけに教職を辞して、アーティスト活動に専念することを決意します。

2019年には、群馬県吾妻郡中之条町で開催される国際現代芸術祭「中之条ビエンナーレ」に参加。築300年の蔵に半年間住み込んで滞在制作を行ないました。しかし、制作は思わぬ方向へ進んでいきました。

大山さん 地域の人たちと接しているほうが楽しくなっちゃったんですよね。私がつくりたかったものって、生活の知恵や昔からある時間の流れ、ネットには載っていない、そこに寝泊まりしなければわからない肌で感じられるものにあったんです。でもそれは、すぐには作品にできないんですよね。制作が煮詰まっていたある日、近所の人から味噌づくりに誘われました。味噌蔵の中には、代々受け継がれてきた樽があり、一つの空間に、過去と現在という二つの時が流れている不思議な感覚を抱きました。それが、結果的に作品のヒントになったんです。

テーブルには、近所の人からお裾分けでいただいたという花が飾られていた

このとき、大山さんが生み出した作品「ときを紡ぐ」は、自然の法則に従って時間を可視化したものです。作品のヒントは、教え子に招待されて出席した結婚式からも得ました。キャンドルサービスに使われた光る液体を見て、これで時間の流れを表現できる!とピンとひらめいたそうです。

大山さん いろいろなアーティストがいるけど、私は作品にだけ向き合っていてもいいアイデアが浮かばないのだと気づきました。日常のふわふわとした中から拾ってきたものが、積み重なって表現したいものになるんです。

2019年の「中之条ビエンナーレ」で展示された作品「ときを紡ぐ」

アーティストとして葛尾村に関わる

中之条ビエンナーレ終了後は、よりアーティスト活動の幅を広げようと海外へ渡った大山さんでしたが、コロナの流行で帰国を余儀なくされます。時間を持て余していた時期に訪れた西会津国際芸術村で、ランドスケープデザイナーの矢部佳宏さんから「葛尾村でインターン生を受け入れる事業を手伝わない?」と声をかけられたことが、村との出会いとなりました。

「カツラオムラ……?」漢字も読めず、耳にしたこともない地名です。スマホで調べてみると、そこは一部避難指示が解除され、人々が戻り始めていた村でした。大山さんは、その足で葛尾村へ向かいます。新緑の季節に訪れた葛尾村は、長い間人の手が入っていないため荒涼とした風景だったと言います。

大山さん 訪れた場所は避難解除されてから間もなくで、時が止まったままの風景はやっぱり少し怖かったです。でも震災後に何もできずにいたことに、どこかもどかしさを感じていた私にとって、被災地に関わることができる、よいタイミングかもしれないと思いました。村の人と話をしたらみんないい人だったし、まずはやってみようと思って村に滞在することにしました。

こうして、インターン生の世話をするアルバイトスタッフとして葛尾村での生活がスタートしました。

葛尾村ののどかな風景。この道の中腹に「カフェしずく」が佇む

その後に持ち上がったのが、「Katsurao Collective(カツラオコレクティブ)」という事業です。葛尾村にアーティストなどのクリエイティブな人材が滞在し、創作活動を通じて、地域資源の発掘や文化創造を行なうプロジェクトで、大山さんは事業の方向性や進行、アーティストの受け入れなどの相談に乗るようになりました。そうするうちに、スタッフとして事業に関わっていくことを決め、葛尾村に残る道を選択しました。

五感を使って生きる村の人たちの暮らし

Katsurao Collectiveのコーディネーターとして活動するかたわら、村での暮らしは大山さんに次々と新しい気づきをもたらしてくれました。

大山さん ここで生きていくのに、ネットの情報はたいして役に立たないんですよ。たとえば、村に自生する山菜がおいしいので、村のお父さんに「いつごろになったら出てくるの?」って聞いたんです。私としては「10月ごろ」とか「この気温になったら」という答えを予想していたんですけど「黄色い花の香りがしたら」っていう返事が返ってきたんです。かっこいいですよね。数値や数字じゃなく、村の人たちは五感で生きている。こういう人たちこそがアーティストだなって日々思います。

村の暮らしから刺激を受ける一方で、課題も見えてきました。村には、人と偶然に出会える機会や交流できる場所が不足していたのです。誰かがつくってくれるのを待つのでは遅いと感じた大山さんは、その場所を自分でつくることにしました。それが「カフェ しずく」です。

改修には一部、福島県12市町村起業支援金を活用しました。設計は友人のインテリアデザイナーや建築家に相談。施工は地元の大工さんにお願いしました。自分でも手を加えたかったため、大工さんと一緒につくりあげたそうです。

大山さん おしゃれにつくり込むことはせず、村の人たちが溶け込めるよう、余白のある空間を目指しました。中でも、農作業中のおじいちゃんたちが長靴を脱がなくても立ち寄れるように、縁側は絶対につくりたいと思っていたんです。それが大正解で、営業日以外でも立ち寄って、お喋りに来てくれるようになりました。営業日はお客さんに遠慮をして、閉店してから来るんですよ(笑)縁側にテーブルがあったほうがいいからと言って、自作のテーブルも持ち込んでくれたり、どんどん物が増えていくんですよね。そうした一つひとつが、この場所の風景を形づくってくれているのだと思います。

そこに「いること」で、時は紡がれていく

大山さんが設立した「合同会社いること」という社名には、ある想いが込められています。

大山さん インターンやアーティストの受け入れ事業をしていると、被災地に来ているのだから何かの役に立たなければ自分には価値がないと思ってしまう人が多いことに気がつきました。でも私は、村に「いること」自体に意味があると思うんです。だから村のためになんて気負わずに、自分がやりたいことをニコニコしながらやればいいという想いを込めています。

店の棚には、村の人たちからのいただきものや作品が並べられている

大山さん 葛尾村での暮らしは、一度は時が止まってしまったからこそ、人が世代を超えて土地に住み、暮らしをつなげてきたことの大切さを教えてくれているように感じています。村のおじいちゃんたちは、壊れてしまった風景を自分たちの手でつくり直そうとしているんです。ものすごくエネルギーがかかることを、日々の暮らしの中でやっているんですよね。私はアーティストとして、この暮らしの中から作品を生み出していきたいし、いつか村の人たちにアートがあることが当たり前だと思ってもらえる風景をつくり出していきたいです。

そう話す大山さんはいきいきとした表情で、心からここでの暮らしを楽しんでいることが伝わってきました。もしかすると、この村の暮らし自体が彼女の作品の一部になっているのかもしれません。清々しい空の下、村の人たちとともに新しい物語を紡ぐように、大山さんはここにいることで時を刻んでいます。

(撮影:中村幸稚)
(編集:平川友紀)

(本記事はふくしま12市町村移住ポータルサイト『未来ワークふくしま』に2024年12月20日に掲載された記事の転載です。)

ふくしま12市町村移住支援センターは、福島第一原子力発電所の事故により避難指示等の対象となった12市町村(※)への移住・定住を促進するために、2021年7月1日に設置されました。広域連携が効果的な事業や12市町村による移住施策の支援等を行っています。詳細はこちら