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彼はなぜ、我が子を殺されても「憎まない」と言えるのか。ガザ出身の医師を描くドキュメンタリー映画『私は憎まない』が照らし出す、人間の可能性

昨年10月から現在まで、イスラエルによるガザへの攻撃は続き、すでに4万人以上の人びとが亡くなったと報じられています。

あまりに理不尽なジェノサイドによって大切な人を奪われたとき、人は誰かを、何かを、憎みたくなるもの。けれども、ドキュメンタリー映画『私は憎まない』の主人公であるパレスチナ人の医師は、3人の娘をイスラエルの空爆によって殺害されてもなお、その心を憎しみで満たすことはありませんでした。彼には、なぜそんなことができたのか。目を見張るような人間の意志と知性に心が奮い立たされる、そんな作品です。

ガザからイスラエルへ出勤する。その生活に込められた思い


©Filmoption

主人公のイゼルディン・アブラエーシュ博士は、ガザ地区の貧困地域、ジャバリア難民キャンプ出身です。厳しい環境の中で勉学に励み、産婦人科の医師となると、彼はイスラエルの病院で働き、イスラエル人の患者を診察することを選びます。

映画では、彼の生い立ちと、検問所を通って、ガザからイスラエルの病院へ出勤する生活がアニメーションで描かれます。ガザは2007年からイスラエルによって封鎖され、自由に出入りすることは許されません。天井のない監獄とも呼ばれるガザから、封鎖している側であるイスラエルへ毎日出勤する姿は、一見不可思議にも見えます。ただ彼は、圧倒的な分断に対し、医療によって橋を架けようとする試みを日々重ねているのでした。

けれども、そんな彼の心を打ち砕くような出来事が起きてしまいます。ガザにある彼と家族の暮らす家がをイスラエルによってが爆撃され、3人の愛娘を喪ってしまったのです。その直後、動揺しきった彼の叫びは、電話を通し、イスラエルのテレビで生放送されました。実際の映像には、あまりにも生々しい悲痛な声が記録されており、その痛みは過去の記録と思えないほど鋭く突き刺さってきます。


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その痛みを感じるとき、現在ガザで起きていることが昨年10月に始まったのではなく、2008年からずっと断続的に続いてきたうえ、いまこの瞬間も彼のように我が子を喪っている母親や父親がいることに思いを巡らせずにはいられません。

パレスチナの人びとは1948年の第一次中東戦争から難民となって国を追われ、イスラエルによって土地を占領され、長年にわたって厳しい運命に翻弄されてきました。国際社会が解決することができずにいる問題のうえに、この映画が位置づけられていることを忘れてはいけないでしょう。

憎しみに溺れずにいるために。私たちは何ができるだろう

その後、アブラエーシュ博士は、イスラエル政府を訴え、娘たちの死の責任を追及しようとしますが、それは復讐ではなく、あくまで正義を求めるためものでした。裁判の結果、イスラエル政府の罪は認められないという判決が出てもなお、彼は憎しみに囚われることなく、赦し、共存していくことの重要性を忘れませんでした。そんな彼だからこそ、仲間として共に働く医師や、ガザの状況を伝えるジャーナリストなど、イスラエル人であっても彼を支えようとする人たちがいたのでしょう。


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医師として尽くしてきた国から裏切りのような残酷な仕打ちを受けてなお、彼はどうして「憎まない」という態度を貫くことができたのでしょうか。彼を特別な人だとみなすのは簡単です。けれども、誰もがほんのわずかでも彼のような人間に近づける道があるとすれば、それは、教育ではないだろうか、とこの映画を通して感じました。

難民キャンプに生まれた彼が医師になるまでには、相当な苦労があったはずです。それでも彼はfaひたむきに勉学に励みました。家族とのふれあいを描くシーンからは子どもたちに対して教育熱心な一面もうかがえます。現在暮らしているカナダに渡った直後、まだ幼い子どもたちに英語を教える場面からは微笑ましくも、真剣さが感じられます。

ほかにも、無残に崩れ落ちたガザの我が家で、ボロボロになったノートを手に取って亡き娘の学習の跡を切実に見つめる場面など、教育に対する確かな熱い思いが伝わる姿が印象に残ります。


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さらに彼はカナダで、若い女性に高等教育の機会を提供し、女性たちを強力な変革の担い手にすることを目的とした慈善団体『ドーターズ・フォー・ライフ財団』を設立します。彼は、女性の権利が踏みにじられがちなアラブ地域における現状に対して強い問題意識を抱きいており、女性への高等教育がそれを改善する方法のひとつだと確信しているのでしょう。

教育は、知識をもとに深く思考し、広い視野で世界を見ることを可能にします。それは、単に高い学歴や高収入の職業につながるものではありません。生き方そのものに向かうとき、豊かな選択を可能にしてくれるのです。憎まないという彼の崇高な姿勢の底には、そんな智慧や知性の働きがあるのではないか、そう思うのです。


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ただし、赦すことがすべてでもありません。断固として声をあげ、ジェノサイドに反対することもまた、教育を受けたからこそ手にできる選択肢ではないでしょうか。人権が侵害されたり、人間の尊厳がまもられなかったり、倫理的、法的に許されないことが起きたりしているのであれば、憎しみを超えて、平和的な方法でもって声をあげる。それもまた歴史を知り、世界を見つめたときに、私たちが取るべき選択肢であると考えます。

アブラエーシュ博士の貫いている姿勢から、多くのことを考えるための材料を受け取ることができるはずです。劇場に足を運んで、あなたは彼から何を受け取るでしょうか。そして何を思うのでしょう。心を揺さぶられると同時に、考えを深めるきっかけになる機会を手にしてください。

(編集:丸原孝紀)

– INFORMATION –

私は憎まない

劇場公開日:10月4日(金) アップリンク吉祥寺 他にて全国順次ロードショー
監督:タル・バルダ
制作: Filmoption 配給:ユナイテッドピープル
https://unitedpeople.jp/ishall/
※10月4日から7日にかけて、東京の各所で映画の主人公であるアブラエーシュ博士を招いての来日上映トークイベントが開かれます。詳しくはこちらをご覧ください。

(Top: ©Famille Abuelaish)