2011年3月11日に東日本大震災が起きた当時、私はまだ高校生でした。そんな私が高校・大学を卒業して社会人として働きはじめ、はや7年くらいが経ちますが、それほどの月日が経った今、2022年8月に避難指示が一部解除された双葉町には、ようやく100人ほどの住人が戻ってきています。
とはいえ、スーパーや学校、医療施設など、まだ生活に必要な機能が十分にはそろっていない双葉町。住人もまちの機能も一度ゼロになった土地で、再びまちをつくっていく道のりを思うと、途方もない気持ちになります。
ですが、今回取材した髙崎丈(たかさき・じょう)さんは、「震災があったからこそ、今はいいチャレンジができています」と、とても前向きに語ってくれました。
「双葉町を幸福度の高い町にしたい」と力強く話す髙崎さん。そんな髙崎さんが思い描く、双葉町の未来と挑戦とは、どんなものなのでしょうか?
ひたむきに流れをつくる
双葉町出身の髙崎さんは、2022年1月に中目黒でオープンした「髙崎のおかん」という熱燗と料理のペアリングを提供するお店を営みながら、双葉町でのアートプロジェクト「FUTABA Art District」や、福島の酒粕を使ったクラフトジンの開発などに取り組んできました。
「FUTABA Art District」は、2022年の避難指示一部解除に先駆け、2020年から双葉町の空き家となっている建物や、まちなかに取り残された壁などに壁画を描いたアートプロジェクト。アートで日本を変えることを目指すアート集団「OVER ALLs」の赤澤岳人さんとつながったことをきっかけに、双葉町での活動が動き始めました。
髙崎さんもOVER ALLsも費用を持ち出しではじめたという「FUTABA Art District」。「双葉町という場所で壁画を描くことで、壁画アートの力を証明したい」というOVER ALLsの想いと、「壁画を通して双葉町を再生するきっかけをつくりたい」という髙崎さんの想いが重なり合って実現したプロジェクトだったといいます。
避難指示が一部解除されるまで、10年以上も無人のままだった町が再び活気を取り戻すにはどうすれば良いのか。そこに必要なのはきっと、「“HOW”(=方法論)ではなく“WOW!”(=感情論)だ」というOVER ALLsの考えのもと、人々のWOW!を引き出すために、「FUTABA Art District」では町の壁に壁画を描きました。
髙崎さん 双葉町の未来を考えたとき、右に行けばいいか、左に行けばいいかなんて誰もわからないんですよ。「FUTABA Art District」をはじめた当時、町には何もなかったし、誰も住んでいなかった。誰が求めているのかもわからないなかで、正解を考えて動きたくなるけど、正解なんてないから感覚で進むしかない。それこそ、OVER ALLsの言葉で言う「HOWではなく、WOW!」ですよね。
目標設定をしたり意図を持ったりするのではなく、「きっと何かが起こる」と信じてとにかく動いた結果、「FUTABA Art District」のようなプロジェクトが生まれたのだと思います。
「FUTABA Art District」がはじまったとき、何かが動き出したような感覚があり、「自分がここから動かなかったら、せっかくできたいい流れが止まってしまう」と感じた髙崎さん。そこで、対等に行政と組みながら今後も双葉町で活動していくために2021年に立ち上げたのが、民間企業として双葉町の再生に取り組む「株式会社タカサキ喜画」でした。
髙崎さんが壁画プロジェクトなどを通して行政の方達と活動する機会が増えるなかで気付いたことがあったそうです。
髙崎さん 自発的に活動をしてみた中で、個人では難しい問題や町にしかできないことを相談すると、行政の方は協力的に相談に乗ってくれる。想いがあって活動していれば、結果的にそれをバックアップしようという意識は行政にもすごくあるはずなので、何かしたいという想いがあるのなら、まず行動してみるといいんじゃないかと思います。
生産者が評価されるために
「髙崎のおかん」のオーナーとしては、「お客様に食材の味わいや生産者の考え方、想いなどを伝えることで、生産者が評価されること」が一番重要だと考えているという髙崎さん。そうした価値観のもと、さまざまな生産者や蔵元へ足を運んでいたことが、双葉町の特産品を目指したクラフトジンの開発にもつながりました。
もともと福島県内で、美味しい有機のお米をつくることで有名な生産者の方がいましたが、震災後に生産を再開しても、風評被害で売れなくて困っていたのだとか。そんなころ、髙崎さんは郡山市にある酒蔵の「仁井田本家」が、「福島全体が復興しなければ意味がないから」と、米農家さんが酒米をつくったら買い取るという取り組みをしていたことに、強く共感したそうです。
そこで、本来は廃棄されてしまう酒粕を蒸留してお酒をつくっている「エシカル・スピリッツ株式会社」の友人に相談を持ちかけたことで、仁井田本家の酒粕やいわき市産のトマトなどを使ったクラフトジン「ふたば」が生まれました。
髙崎さん 人の体は食べ物と水分でできてるので、いいものを食べたりいいお酒を飲んだりすることによって体が元気になったり、幸福度が上がって次の日も楽になったり、頑張ろうと思えて、またいいお酒を飲もうとなったりする。そういうふうな循環が生まれるのは、すごく意味があると思ってるんです。
その循環を生むためには、一次産業の生産者さんたちが評価されるようにしていかないといけない。僕は、生産者さんありきの料理をつくり、お酒を出しているからこそ、「生産者さん達が評価されることで、結果的に僕ら飲食店も価値が上がる」という考え方を大事にしています。
未来が変われば、過去の意味づけも変わる
もともと両親が、双葉町で長年愛されていた「キッチンたかさき」という洋食屋を営んでいた髙崎さん。17歳で東京に出て、10年ほど調理師として学んだり、飲食店で働く経験を積んだりしていましたが、いつかは地元に戻って洋食屋を継ごうと思っていたそうです。
そして、27歳のときに双葉町へUターン。両親も健在だったため、「JOE’S MAN」という自分のお店を開いて2年ほど経った頃に起こったのが、東日本大震災と原発事故でした。
震災当時は、まだお子さんも1歳だったため、妻の実家を頼って千葉県へ避難し、拠点を関東に移したという髙崎さん。ある日突然、営んでいたお店を手放し、新しい土地で生活をはじめるのは大変そうだと思ってしまいますが、当時の髙崎さんはとても前向きだったといいます。
髙崎さん 震災前、実家の店は経営が安定してすごく忙しかったですし、福島第一原発には新しい原発が2基できる予定があったので、双葉町に5万人くらい人口が増えるとも言われていた時期でした。どう考えても不景気にはなりづらく、僕も店を継いでまちの洋食屋として生きていく未来が見えていました。
でも、震災があって、そんな安定したレールから外れたというか。「自由に挑戦できるようになったな」と、千葉に向かう車の中で考えていました。生きることに対して必死になるという感覚が震災前はあまりなかったんですが、家族がいたからこそ「より強く生きよう!」と思ったのを覚えています。
髙崎さんが再び町に関わりはじめ、「FUTABA Art District」やクラフトジンの開発などに携わるようになったきっかけは、双葉町のシンボルである「ダルマ市」の運営をやっている先輩から、「どんどん町の取り組みに関わってほしい」と言われたことだったそうです。
それ以降、双葉町でプロジェクトや会社を立ち上げたりしたことで、いろいろな方との関わりが増え、いいチャレンジができていると話す髙崎さん。最近では、さまざまな生産者さんのもとを訪れるなかで「自然栽培の野菜づくりするにあたり、農地にするには3年以上かかる」という話を聞いたことから、「12年以上、人が住むことができなかった土地は、農作物もつくられてなかった訳で、土が元の状態に戻っているのでないか」と考えるようになりました。
「自分のお店でも自然栽培の野菜を使っていて、お客様達が野菜の美味しさに感動している姿を毎日見ているからこそ、そんな考えが浮かんだんだと思います」という髙崎さんは、次なる打ち手を考えています。
髙崎さん 土地をまた原発事故の前と同じように戻す事が本当にいいことなのだろうか? 私はゼロの町になった双葉町だからこそ、土地に感謝をしながらも新たな価値を創造することが、双葉町が再生する意味だと感じてます。
そしてそれは、世界から求められている価値なんです! むちゃくちゃ美味しい野菜が自然栽培でつくられたら、日本だけでなく全世界で価値が変わりますよね。双葉町にはその可能性があるんです。オセロで全部がひっくり返るように、「双葉町の野菜が美味しい」と、評価がこれまでと逆になるはずです。
髙崎さんは、「そうやって未来が変わることで、震災や原発事故という過去の意味づけも変わる」と続けます。
髙崎さん 大前提として、多大な被害やお亡くなりになられた方など、決して忘れてはいけない過去があります。その過去の先に僕らは生きている。もし、アートや自然栽培などのプロジェクトを通して双葉町の再生を実現できれば、過去を変えられることになります。
今は辛い思い出を持っている方が多い町かも知れないけれど、それ以上に素晴らしいことが起こる町になるかもしれない。双葉町は、そういう可能性を秘めている。「FUTABA Art District」やクラフトジンの開発に取り掛かったときのように、踏み出せば一緒に歩む仲間と出会えるのだから、やれるはず。そう髙崎さんは信じています。
髙崎さん 未来を変えれば、過去は変えられる。だからこそ、僕は双葉町を幸福度の高い町にしたいと思っています。
自然栽培の畑とアートを組み合わせて、栽培だけではなく、人が訪れる場所としての付加価値を生み出したり、髙崎さんのお店の常連さんが取り組もうとしているアースバック(土を袋に入れて積み上げる建築法)を使った建築を双葉町で実現して宿泊施設をつくったり、DAOや仮想空間を活用したまちづくりなどもできたりたらいいのではないか……と、アイデアが溢れている髙崎さん。
原発事故が起こったことで世界からの注目度も高いからこそ、うまく情報発信をすれば海外から双葉町に訪れる人を増やせるのではないかと、世界にも目を向けています。
双葉町は、一度住人がゼロになった状態から、あらたなまちをつくる取り組みが動き出したばかり。ですが、髙崎さんの話を聞いていると、数年後にはまったく違う景色が広がっている予感がします。ゼロからイチをつくりだし、変化を体感することにワクワクする人にとっては、今の双葉町は大きな可能性が眠っている場所なのかもしれません。
1981年福島県双葉町生まれ。都内の店舗で修行後、地元で居酒屋【JOE’S MAN】を開業。2011年、東日本大震災によって閉店に追い込まれる。その後、再び飲食店に勤務し、2014年10月、東京・三軒茶屋に【JOE’S MAN 2号】をオープン。そして、最高のお燗を提供したいとの想いから2021年1月に店を閉じて営業スタイルを見直し、同年12月【髙崎のおかん】を始動。燗酒の魅力を世界に発信するべく、店舗内外にて様々な活動を行う。
(編集・撮影:山中散歩)
– INFORMATION –
わたしをいかした小さな商いをはじめる。
まち商いスクール in 福島県双葉町
「まち商いスクール in 福島県双葉町」は、参加者それぞれが“わたしをいかした小さな商い”をオンライン講義とフィールドワークを通して学び、最後にはまちのマルシェで小さく実践してみる4ヶ月間のプログラムです。
たとえば、まちのリビングとなるようなゲストハウス。
たとえば、大好きなコーヒーを片手にくつろげる古本屋。
たとえば、地域のマルシェや軒先で出店するドーナツ屋。
そんな「まち商い」をいつか始めるためにも、“わたしをいかした小さな商い”の一歩目を踏み出すことはもちろん、自分の人生を自分自身に近づいていくような4ヶ月になります。
フィールドワークの舞台となるのは福島県双葉町。このまちで小さな商いを始めてみましょう。
(申込期限:9月22日(日)23:59)