長野県の最南端に位置する根羽村で、人や自然、生き物たちの共存共栄や地域の農山村に新たな価値を生み出す取り組みを実践している人がいると聞いて、訪れたのは根羽村の高橋地区の集落の裏山。
ここで牛飼いをする幸山明良(こうざん・あきら)さんは、牛を自然放牧しながら酪農を営む「山地酪農(やまちらくのう)」を実践しようと、かつては里山エリアだった約12ヘクタールの土地に7年前に移り住んできました。
「牛も人ものびのびとした生き方ができる社会を目指したい」という幸山さんが掲げるのは、牛も人も幸せに生きるための「ハッピーマウンテン構想」。牛も人も自然も、共存共栄する関係性を育むことで、農山村にもたらされる新しい価値とは。牛が牛らしくあれるように、私たち人間も一つの生命体としてありのままに、幸せに生きていくためには何が必要か。そのヒントを求めて、牛飼いとして生命に向き合い続ける幸山さんにお話を聞きました。
岐阜県瑞浪市出身、1985年生まれ。新卒でなかほら牧場(岩手県)に就職。牛が牛らしくあれる環境と、酪農の六次産業を約4年間学ぶ。その後熊本県菊池市で独立するも、熊本地震を契機に長野県根羽村で再起をはかる。学生時代から抱いていた「経済動物って何?」の疑問から、牛のいる山で1年間のテント生活をする。日々、牛と山と人が織りなすハーモニーに魅了されている。
牛も人も幸せに生きるためのハッピーマウンテン構想
幸山さんが管理する「ハッピーマウンテン」では24時間365日、牛たちは山で放牧されています。餌となるのは野芝や笹、下草などの森に自生する植物。食べられる草を見分ける力や、傾斜がきつい山での生活に適応する必要があるため、血統はすごく大事。幸山さんのハッピーマウンテンでも放牧に慣れたジャージー種の牛を導入しています。
入植当時は数頭のみだった牛たちは、7年の間で自然交配、自然分娩、自然哺乳で繁殖し、今では全部で9頭。「ゆき」「ふゆ」「万作」などの牛の名前は、度々公募しながら一頭ずつ名付けてきたものです。
幸山さん 一般的な酪農では人間が牛を管理するため、子育てができないんですよね。どちらがいい悪いではないですが、僕としてはこういう慈愛にみちた関係性に感動するし、仔牛たちがすくすくと育ってくれている姿をみると、人間たちもこんなふうに育った方がいいような気がするというか。
牛が草を食べた箇所は、伐採の前の「下草刈り」ならぬ「舌草刈り」で次第に整備が進み、牛たちの糞は土中の栄養素の分解を助け、そのエリアの生物多様性の促進にも大きく寄与します。
幸山さん 僕らが最初に来た時には、ほとんどが笹に覆われていて、自然度は高いものの、生態系的に多様とは言えない状態でした。僕たちが森の伐採をして、放牧した牛たちが笹を食べるようになると、笹だらけだったところにクローバーやオオバコなどが生えてきました。草種が増えると次に増えるのはクモやバッタ、コオロギなどの昆虫です。そうすると今度はそれらを餌とする鳥たちが増えますよね。また、リスなどの小動物たちも増えます。先日開催した野鳥観察会では、約30種類もの野鳥のほか、食物連鎖の頂点に君臨する猛禽類のフクロウも生息していることがわかりました。
生態系が豊かになってきているのは、牛が笹を食べたから。しかしこれも、元はといえば、人間が木を伐採し、放牧地として活用したことが大きく影響しています。こうした変化から、私たち人間の存在も牛と同様に生物多様性の維持に重要だということがわかります。
動物好きが牛飼いを夢見るようになるまで
牛たちにとって、幸山さんは群れのリーダー的存在。幸山さんが山に入ると、牛たちがわらわらと集まってきました。牛とたわむれる幸山さんに、どのような経緯で牛飼いになるに至ったのか質問してみました。
幸山さん 幼い頃から動物が可愛くて、面白くて。中学生の頃までは動物園で働きたいと思っていました。でも、動物園に行っていると、ある時からなんだかみんな死んだ目をしているなと、可哀想に感じてしまって。不自由そうだし、人間に見せる生き物として飼われているのってどうなのかなと思い始めたんです。
動物園で働く夢を諦め、次に幸山さんが目指したのは農業。酪農家としてなら、動物たちがのびのびと暮らす環境をつくれるかもしれないと考えたためでした。しかし、高校卒業後に入学した農業専門校で見たのは牛舎につながれて一生を過ごす牛たちの姿だったといいます。
幸山さん 家畜って、「家」に「畜産」と書くように、昔の人たちにとって牛やニワトリなどの家畜はファミリーだったんです。それがいつしか、社会の中で生産力を高めるのが命題になった時に、ファミリーだったはずの生き物が、工業的な産業化によってロボットのような存在に変わり、無機質な関係性になってしまっているように感じました。
この時に感じた違和感が起点となって、明治大学の農学部に進んだ幸山さんは、研究論文のテーマとして「生命産業」を取り上げました。3年次に書いた論文『酪農のあり方を考える』では、「生命産業」について以下のように記しています。
どうしたら牛も人も無理をしないで済む経営ができるのか、その答えを探して全国各地を旅するなかで、幸山さんが出会ったのが山地酪農をする酪農家だったといいます。
幸山さん その放牧場は、山を開墾したため、傾斜のすごいところでは40度近くにもなります。それなのに牛たちは牛道をつくって軽やかに動き回っていました。空腹時には芝を食べ、眠くなれば腰を下ろしてゆっくり眠る、牛にとっての自由な世界がそこにはありました。
大学卒業後は、岩手県で山地酪農と六次産業化を実践している中洞牧場(なかほらぼくじょう)で約4年の修行を積んだ幸山さん。その後は熊本県で新規就農するものの、放牧を始めた矢先に熊本地震で被災してしまいます。そんな折、幸山さんに「山地酪農をやってみないか」と声をかけたのが根羽村だったといいます。
日本の山々では、その多くが生産林として素材生産業を成り立たせる山を目指してきた歴史がありますが、近年は高齢化や人口減少が進み、維持管理が立ち行かなくなった結果放置される森林も増えてきています。そうしたなか、農山村の新たな利活用の手段として山地酪農の可能性に注目していたのが、根羽村でした。
幸山さん 村でも酪農家が減少し、酪農家の数も残り1軒となっていました。せっかく山資源がたくさんあるのだから、それを活用した山地酪農をやりたいということで。ちょうど僕も場所を探していたタイミングだったので、山を利活用した産業をつくるという構想が始まりました。
乳製品をつくらなくてもやっていける酪農家になるには
一般的な酪農の仕事としてのエサやりや糞尿処理の重労働から解放され、餌代も一切かからないといわれる山地を活用した酪農。しかし、放牧できる頭数は1ヘクタールあたりに1〜2頭ほどといわれ、乳量が少なく、乳脂肪分も低くなるため、経済性を追求するには相当な工夫が要るといいます。
また、「酪農家としていつかは乳製品をつくりたいという気持ちもある」という幸山さんですが、牧草だけで飼育するだけでは、その状況まで持っていけていないという現状があるといいます。
幸山さん 2月に出産した牛がいるのですが、なかなか体重が戻らなくて。放牧する面積を広げたり、飼料となる草を潤沢に揃えてやれば、牧草だけで乳製品をつくれるくらいの乳量が見込めるんじゃないかと考えているのですが、冬は寒さが厳しいこの地域ではまだまだ課題が残っています。
母牛のお乳はあくまで仔牛のためのもの。潤沢な飼料がなければ、そもそもの乳製品をつくるところまで行き着きません。牛飼いとしてどう経済基盤を整えようかと悩んでいた時にアドバイスをくれたのは、地域コーディネーターとして村で働く杉山泰彦(すぎやまやすひこ、通称:マギー)さんでした。
幸山さん マギーが、「じゃあ、乳製品をつくらなくてもやっていける酪農家になればいいじゃん」という、訳のわからないアドバイスをしてくれたんですね。
「それが一体どういうことなのか、最初はわからなかった」という幸山さんですが、「乳製品をつくらなくてもやっていける酪農家のあり方」を考え始めたことで、自分のすべきことが次第に見えてきたといいます。
幸山さん 酪農家として乳製品をつくらなくても、結果的に今、自分は生活ができていて。ネイチャーガイドの仕事や、牛をただ抱きしめるというコンテンツ、それでもお金を稼げる。いろいろな人たちに支えていただいたおかげでもありますが、自分に合ったものをやったら、意外となるようになるんだっていう、そんな感覚を持つことができました。
育てた牛との別れ
そんな幸山さんの牛飼いとしての転機となる出来事が直近であったといいます。飼っていた雄牛のプーチンを肉牛として出荷したことでした。
幸山さん 愛着はどうしたって生まれるので、自分の裁量で命を奪うという決断をするのは本当に難しい。かといってペットではないので、「僕が目指したいところは一体どこなんだろうか」という悩みもありました。
一般的に種牛となる雄の肉は硬かったり、臭みがあるといわれ、最上級肉がa5ランクだとしたら、雄牛の肉はc1ランクと、市場価値が低いといいます。幸山さんも、自分が手塩にかけて育てた牛がそんな評価しかされないのであれば、と、お肉として販売することになかなか前向きになれなかったといいます。
そんな幸山さんが、決断に踏み切ったのは、ひとりのシェフとの出会いがきっかけでした。
幸山さん 木曽地域で一棟貸しの宿をやっているシェフが、どの部位も1キロあたり1万円で買ってくれるとオファーしてくれたことで、やっと決断に至ることができました。
それでも、送り出す時には溢れてくる感情や罪悪感を抑えるのに必死だったという幸山さん。
幸山さん トラックに入れる時には他の牛たちはもう全部わかっていて。みんな泣くんですよ。牛たちが涙をポロポロこぼすんです。そういうのを見ると、必死でこっちも感情を抑えなきゃというか、なんともいえない感覚ですよね。
他の命の犠牲の上に食糧を生産することに対して、「まだ感情をうまく整理することができていない」としつつも、シェフの腕によって極上の料理となったプーチンを食したことは、幸山さんにとって救いにも、モチベーションにもなったといいます。
幸山さん 僕は牛飼いとして牛を1からつくるのは得意なんですけど、1から100をつくるのはシェフの仕事なんですよね。だから、そういうシェフのおかげで、プーチンがすごい価値を世の中に示してくれるなら、とても良いことなんじゃないかなっていうふうに、半ば無理矢理かもしれませんが、思っているというのが正直なところですね。
牛を使った森づくりから提案する里山の新しい楽しみ方
山を活用する牛飼いとして、幸山さんが新たに取り組み始めているのは里山に来る人が楽しめる森づくりです。
幸山さん 結局は人間がその森に何を求めるかによって、森づくりの仕方も変わるんじゃないかなと思っています。昔は、薪を使う文化があったから、それを利用するという明確な目的があったのですが、今は薪を日常的に使う人はほとんどいません。そうしたなかで、やっぱり現代人である僕らが、里山のあり方をもう一度考えてみるのもいいんじゃないかと思っていて。それで、僕は家畜を使った森づくりの一環として、いろいろな生物が共生できる場所、それをみて楽しめる場所がつくれたら面白いんじゃないかなと考えています。
案内されたのは、放牧地の一角。椎茸の原木が組み上げられ、苔や山菜類が青々と茂っています。
幸山さん なんというか、庭師のような気持ちですね。里山を面白くするために、奥の方の山に生えている植物たちを積極的に移植しています。こうすることで、関心度がそこまで高くない人たちでも植物たちを間近にみてもらえるし、人が山とつながるきっかけをつくれたらと思います。
ここにある苔はオンラインで販売されることもあれば、苔テラリウムの体験ワークショップなどにも活用されることも。まさに森はコンテンツの宝庫。こうしてコンテンツの面白さに気がついたのも、幸山さんが、牛の目を通してこの土地の植生を探究していったためだといいます。
幸山さん 牛飼いをしながら牛が食べている草に着目すると、食べるものとそうでないものがあるのがわかって。食べないものには毒があることがわかりました。びっくりしたのは、野焼きをした後の灰を牛が食べること。よっぽど栄養があるのかもしれないと、僕も真似して食べていたことがあります。
幸山さんが牛を放牧したことによって多様な生命が再び宿り始めたハッピーマウンテン。森の多元的な価値が徐々に反響を呼び、現在は保育園児たちが遊びにきたり、「オープンマウンテン」というイベントには、たくさんの人が訪れています。
順風満帆に見える森づくりですが、試行錯誤のプロセスでは失敗も多くあったといいます。その一つとして、幸山さんが挙げたのが牧野での車道整備で生じた土壌流亡でした。
幸山さん 一度重機で道をつくったんですが、今は礫(れき)といって、石がゴロゴロ見えていますよね。雨などで表土が流れてしまい、礫が剥き出しになって侵食が進んでしまいました。整地したあとにすぐ芝などを植栽すれば、この状態は防げたかもしれませんが、めんどくさがってやらなかったために、しっぺ返しがきている状況です。木の表皮を土に鋤きこんだり、芝を移植したりと徐々に修繕していますが、表土の回復には25年ほどかかるそうです。
こうした反省を活かして、現在は信州大学のいくつかの研究室と連携しながら、山の川の濁度や水量などを測定しているという幸山さん。「森づくりのインパクトをデータとしてきちんと可視化していくことで、地域の防災の観点でも、活用できる森となっていく」と、幸山さんは考えます。
牛も人もありのままに生きること
「牛らしく、人らしく、あるがまま」
ハッピーマウンテンの公式サイトの冒頭に掲げられているコピーは、自然や牛と生きることがどんなものかを考え続ける幸山さんがこれまでの活動のなかから導き出した言葉でした。
幸山さん 結局牛や自然はコントロールできないものですし、自分が起こすことに大したインパクトはないんだと感じて。だからこそ、支え合うべきだし、力を合わせるべきだと思うし、つながりを求めるようになりました。
自然のなかに身を置き、じっと観察していると実に多くの動植物が互いに依存しあいながら命をつないでいることがわかります。
幸山さん 例えば、タマムシはエノキという木の葉っぱしか食べず、エノキにしか卵を産みません。逆にエノキはタマムシに外敵から守ってもらっているんです。この関係は、いわば共依存ですよね。そこまで依存し合わないと生きられない関係性が自然界では当たり前のようにあるんです。
こうしてみると、私たち人間も他の生命にに依存しながら生きていることに気がつきます。
幸山さん 僕らは、自分の命に対しても、他者の命に対しても、日常的に考えることは少ないですよね。でも、たまには考えてもいいんじゃないか。僕らがやってる酪農は生命産業だからこそ、生命を扱う産業をいかに考えられるかというところに、面白さがある気がしています。酪農家と話していると、やっぱり動物好き、つまり生命好きだということがわかります。経営好きじゃないんです。そこがやっぱり前提として、一番大事なことだなと。
しかし、生命として生きる以上、私たちの存在は他の生命を脅かしたり、犠牲にすることで生きるという暴力性もはらんでいます。そうしたなかで事業を継続して行っていくためには、どうするべきか。その答えは長年生命に向き合ってきた幸山さんでも、いまだに探し続けているといいます。
幸山さん 人らしく、牛らしく生きるということが一体何なのかは、まだわからないんですよね。でも、重要なのは答えを導き出すことじゃなくて、答えを探し続けることなのではないでしょうか。最終的な答えが見つかったら多分そこで立ち止まってしまうと思うんですけど、終わりがないからこそ、そこにロマンを感じているんだと思います。
生かし、生かされながら、生命が循環しているという事実。その大きな円環の中の一つが、私たち人間であり、全ての生命に優劣はないという幸山さん。こうした感覚を持って生きていこうとする態度こそ、私たち人間を含むすべての生命がありのままでいながら、助け合い、共生する未来を実現するために必要なものなのではないでしょうか。
– INFORMATION –
直近ではこんなイベントが開催予定です。よかったら参加してみてはいかがでしょうか。
「草木染出張工房 in はぴま」
●日時: 8月3日(土)10:00〜15:00
●場所: ハッピーマウンテン
●詳細は以下のURLから
https://www.instagram.com/p/C9PNejfP3-S/?igsh=cGhzYnYwODVrdjV6
(撮影:金邉 竜也)
(編集:増村江利子)